時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

続々・常盤について

2006-06-24 13:41:32 | 蒲殿春秋解説
2)清盛の側室にされて女の子を産んだこと
ですが、これに関しては安田元久氏などから疑問符が出されました。
現在も、その件に関しては確定的なことは言われていません。

清盛の側室となって常盤が廊の御方と呼ばれた女子を産んだということの
ソースは「平治物語」「平家物語」と「尊卑分脈」ですが
まず、「平治物語」は散々書いている通りフィクション性を疑わなくてはならない代物であること
特に常盤の話はかなり疑ってかからなければならない部分であるということがあります。
「平家物語」も同様です。
一方「尊卑分脈」も有名な系図ですが
乗っている人の生存時から記載されているわけではなく
南北朝時代に古文書などをめくって編纂されたものなので
その内容はそのまま事実として受け取れないものであるそうです。
事実諸本と照らし合わせると誤謬が出てくる部分もかなりあるそうです。

そこで清盛の娘「廊の御方」に関しても
「尊卑分脈」の編纂者が「九条院雑仕の常盤」を母とする清盛の娘を
最初は「花山院兼雅室」に当てはめようとしたところ
どうも年代があわないので
「廊の御方」を作り出したのではないか
というように言われています。

このように、清盛と常盤はそういう関係になったのかどうかははっきりせず
娘の存在そのものも疑問視する向きもあるのです。
さりとて、否定する絶対的裏づけもないので微妙なところです。

現在も、その件に関しては闇の中なのであえてこの清盛と常盤の件は無視しました。

3)一条長成の地位
俗説ではよく常盤に飽きた清盛がぱっとしない公家一条大蔵卿(長成)に
下げ渡したという言い方をされています。
けれども、この言い方はどうでしょうか?
1163年には常盤は長成の子を産んでいます。
その頃は清盛は政界においては実力者ではありますが
完全に全権を掌握したわけですありません。
「下げ渡し」という言葉は適当ではないでしょう。
そのような事実があったとしても「再婚紹介」というべきでしょう。
ましてや、清盛が常盤をモノにしたか事実かどうかの確定もされていません。

さて、常盤の立場で見るとこの結婚とどうでしょうか?
長成は(関係があったとした場合)清盛よりは格下ですが
義朝よりは長成の方が格上です。

義朝 平治の乱直前の官位 従五位上左馬頭兼下野守 
    (父は長年従五位にもなれなかった為義)
長成 1160年には従四位下 大蔵卿
    (父は参議に就任した忠能)

この後長成の出世は止まりますが
省のトップ大蔵卿の方が省の下に存在する寮のトップ左馬頭より格上です。

つまり、常盤の個人的な感情とは別問題のところですが
彼女は義朝より社会的に多少上の人物と再婚したことになります。

それに女性の個人的な感情の問題でいえば
(当時の風習からしてあまり気にしなかったかもしれませんが)
いくら大切にされていても多くの女性を妻妾にして
あちらこちらに通いまくっていた義朝に比べると
他に女性の影が見えない長成(あくまでも見えないだけですが)
この辺りの環境はどうでしょうか?

長成との結婚は常盤にとっては「下げ渡された」というような
屈辱的なものではなく
普通の再婚だったような気がします。

さて、本文でも長成さんは今後も多少見え隠れする予定です。
また、常盤の再婚話は別の機会に何か書いてみたいと思っていますが
現在の小説がどこまで続くか私にも予想がつきません。

書く機会があったらお付き合いお願いします。

前文 続きにほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿