時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百六)

2009-08-26 23:23:47 | 蒲殿春秋
鎌倉勢が都へ出撃せんと支度をしていたその頃、その標的となっている木曽義仲は
内外に様々な問題を抱えていた。

彼を最も悩ませていたのは比叡山の大衆の蜂起。
十一月末からおきていたこの蜂起は天台法印慈円の説得によって一旦は沈静化した。
だが、説得に応じないものたちは未だに比叡山内部において不穏な動きを見せており
中には琵琶湖に打って出て、北陸からの運上物を奪うものまであった。
都への食糧供給地であり、なおかつ義仲に協力していたものの多い北陸との交通の要衝である
琵琶湖での騒乱は義仲の力に暗雲を投げかけるものである。
比叡山における反義仲の動きには根の深いものがある。

一方義仲はこの頃平家との和睦を画していた。
だが、平家の方は和睦の応じる構えを見せながら、どこか義仲との和睦交渉を微妙にずらそうとしている。
平家の方も義仲の足元を見ている。
和睦も武力による義仲撃破双方の構えを見せているのである。
義仲を撃破したならば、後白河院政を停止した状態で後鳥羽天皇の即位を無効とし
都において安徳天皇を復権させ、平家が再び政治の中枢を握ることが可能である。
義仲を温存しても、反後白河という点では協調路線を歩むことができる。
平家はどちらに転んでも痛くも痒くもない。

だが、東に頼朝と対峙している義仲にとっては平家との和睦は死活問題である。
西からの脅威を絶って頼朝と対峙したい。
平家との和睦が進まぬことに義仲は苛立っていた。

その義仲がこの頃もっとも頼りとしているのが奥州藤原氏。
寿永二年十二月の半ば、奥州藤原氏ならびに奥州の各豪族に対して源頼朝追討の院宣が発せられた。
これによって奥州藤原氏、奥州の豪族、そしてそれに関係の深い坂東の豪族が
頼朝を攻め寄せることが期待された。

だが、その頃奥州藤原氏は坂東進出ができる状態ではなくなり
そしてさらに、奥州藤原氏と密かに通じていた坂東有力豪族上総介広常は頼朝の命によって
密かに命を絶たれていた。
そして越後では義仲がかつて打ち破った城氏が復活と遂げつつある。
奥州と坂東の情勢は義仲の思惑とは大きく外れた方向に動きはじめている。
だがその動きはまだ義仲の元には正確に伝わっていない。
そして、法住寺合戦を辛くも生き延びた院北面たちが頼朝の面前で法皇の現況を知らせ
「現在の院宣は院の本意ではない」という宣言を行い
院宣の無効を露にしたということも知らない。

寿永三年の暮、義仲はまだ坂東から押し寄せようとしている危機にまだ気が付いていなかった。

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