時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十六)

2009-01-08 05:37:53 | 蒲殿春秋
院の御前で行なわれた議定が終了した後、後白河法皇は義仲と行家を召された。
義仲、行家両者はお互いに競い合うような様で院に参上した。

七月三十日、院は都に入った各武将に都の警護を命じられた。
平家が去った後それに変わって都に入った武士達にまず望まれたのは都の治安の回復だったのである。

命じられたのは
源有綱(源三位頼政の孫)、
尾張源氏の高田重家・泉重忠・葦敷重隆、
美濃源氏の土岐光長、
近江源氏の山本義経・柏木義兼、
甲斐源氏の安田義定、
熊野新宮出身の源行家
そして木曽義仲、そして彼と共に北陸道からやってきた村上信国と仁科盛家
その十二名の武将達である。

夫々の武将達に都の担当区域を定め、各々の責任にて決められた地域の治安維持を受け持たせることにしたのである。
一応は義仲が彼等を代表してその院宣を賜ったが、
治安を申し付かった武将達は義仲に従うつもりは毛頭無い。

源氏諸将は入京を目指す義仲にあくまでも一時的な協力をしただけである。
この諸将が従うべき存在は院や女院、そして寺社や摂関家や有力貴族など
彼等の所領を保証し、彼等に官位を与えてくれる者に対してである。
源氏諸将には義仲に従う理由など何一つ無い。

さほど広くは無い都の治安維持は多人数の武将達の手に分割された。
そして、彼等を統率するものは不在。
一応は義仲が治安維持者の代表的な存在にされてはいるものの、
他の武家棟梁たちは義仲に従っているわけではない。
実態は同格の武家棟梁たちが半ば競い合いながら自分の担当地域のみの安全を図ることになる。
統一する存在無き治安維持者たちが並立する。
このような状況では都の治安回復のなど望めない。

結果、都の治安は平家時代よりはるかに悪いものとなっていく。
このことは名目上ではあれ治安維持責任者とされてしまった義仲の評判を徐々に落としていくことになる。

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