時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百八十三)

2008-07-21 20:22:42 | 蒲殿春秋
それは二十年以上前のことだった。範頼が九歳になってばかりの正月の頃。
とても寒い冬の日の夜中、範頼は乳母に起こされた。
沢山の衣類を重ね着させられて、今まで住んでいた遠江の館をしずかに抜け出した。
声をたててはいけない、今から若君とは呼ばない、これから乳母の実の子として振舞うようにと、出掛けに乳母から申し渡された。

何日も何日も、乳母と共にあちらこちらを彷徨った。
重ね着していた衣が一枚一枚食糧に変わっていった。
実際のところはどのくらい彷徨っていたのであるか今となっては判らない。
いつしかこの寺の前に立っていたことだけは覚えている。

この寺の前で乳母と別れた。それ以来乳母とは会ってはいない。
別れ際、乳母の隣にもう一人女性が立っていた記憶がある。
その女性は誰だったのだろうか・・・

寺の修行は、厳しいがそんなに辛いと感じるほどのものでも無かった。
ただ、急激な身の上の変化が堪えていた。
今まで武将となるべく育てられていた自分が、突然僧になるのだと言われてもピンとこなかった。
何よりも父が既にこの世の人ではない、もう会うことが叶わぬという事実を思い知らされたこと、そして乳母にも会えぬという事が辛かった。

その後長じるに従い、自分の置かれている立場がわかってきた。
父が戦に敗れて謀反人として死んだこと、自分の兄弟たちはあるものは命を落とし
あるものは流刑となった。
処罰されなかった父の子たちは自分も含めてこの先決して日の当たる道は歩くことができない。
自分はこの寺で修行を積み僧として生きていくしかない、
そう思い定めていた。
養父藤原範季に引き取られるまでは・・・

ふと過去を思い感傷的になった範頼。
寿永二年(1183年)の二月を迎えようとしていた武蔵国でのことであった。

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