時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百八十四)

2008-07-22 05:16:30 | 蒲殿春秋
下野国小山の地で密やかに人々が集まっていた。
八条院領小山荘を預かる小山朝政とその側近たちが一通の書状を前に議論している。
「われらと共に鎌倉の頼朝を討とうではないか」
という内容が書かれた八条院領常陸国志田荘を預かる志田先生義広からの書状であった。

あるものは言った。
「志田と戦うといっても殿が郎党の殆どを都へ連れ上っている現在
下野にいる我等は無勢、今志田の誘いを断ることは出来ぬ、断ればこれを口実に小山に攻め込むは必定。」
だが別のものが言う。
「だが、既に足利又太郎(忠綱)は志田に従う意向を見せたというぞ。
今更我等が志田につけば、足利の下風につくは必定。」
「しかし、下手に楯突いて負けると判っている戦を始めるわけにはまいらぬ。」
志田義広がもたらした書状は小山家中に喧々諤々の議論を持ち込んだ。

その郎党たちの議論を一同の上座に座った小山四郎朝政は黙って聞いている。

鹿島社の問題などで頼朝に対する反感を強めていた志田義広は古くから常陸に根を張る常陸大掾一族と手を結んだ。
常陸大掾一族も元々反頼朝の立場をとっている。
ついで、常陸の隣国下野にも志田義広は反頼朝に加わるように呼びかけを始めた。
これもまた頼朝の挙兵当時から頼朝とは敵対的な関係にあった藤姓足利氏の有力者
足利忠綱へ協力を呼びかけた。
忠綱も八条院領を預かるもの同士という気安さも手伝って、即座に志田義広の誘いに乗った。
ついで、志田義広は藤姓足利氏と並んで下野の竜虎と並び証される小山氏にも自軍への参陣を呼びかけてきたのである。
小山氏は頼朝の乳母を出している家である。
けれどもその一方で八条院領を預かっているもの同士ということで義広とも繋がりがある。

義広は小山氏の足元を見ていた。
当主小山政光が兵の殆どを引き連れて都にいるため下野に残る嫡子朝政が動かせる兵は少ない。
東に志田、西に足利忠綱に挟まれて朝政が独自の立場を取る事ができにくい、ということを見越している。
今の小山を踏み潰すことはたやすいが、蜂起してすぐ余計な手間を取られているうちに鎌倉の頼朝に迎撃体制を整えられては、鎌倉を落とすことは難しくなると判断した、小山に手間取っているわけにはいかない。それゆえに小山にも勧誘の手を伸ばしたのである。
平家来襲に備えて遠江の安田義定に援軍を送り鎌倉が手薄になっている間に鎌倉を襲わなくてはならない。

とにかくも、この義広が差出した書状が原因で小山家中では大議論が沸き起こったのである。

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