時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百十五)

2008-02-16 12:40:06 | 蒲殿春秋
養和元年(1181年)八月、官符を賜った平経正、平通盛は反乱を鎮圧すべく北陸に向かった。
同年六月、越後の雄城助職が木曽義仲らの信濃勢と横田河原の戦いにおいて敗れた後北陸各地で反乱が勃発した。
若狭、越前、加賀といった北陸諸国はすぐに各反乱勢力の手に落ちた。

都の食糧の多くは北陸から入る年貢によってまかなわれている。
北陸が反乱勢力に占拠されるということはこの先も食糧年貢が都に入らず、都の多くの人々がより一層飢えに苦しむということを意味する。
農産物の収穫の時期を迎え、その年貢を確保すべく反乱を早々に鎮圧しなければならない。
でなければ、その先深刻な食糧不足が待ち構える。

東海道や坂東の制圧は後回しでも良い。
とにかく北陸道を確保することが都の人々にとって望まれることであった。

大きな期待を浴びて平経正、通盛は都を出立した。
しかし、彼らは苦戦した。
越前に入った通盛は暫くすると越前の反乱勢力に対抗できずに敦賀に立てこもらざるを得なかった。
通盛苦戦す、との報は直ぐに都に届けられた。
反乱軍鎮圧の指揮をとる平家一門は北陸への援軍を直ぐに決定した。
が、援軍を送ろうとした直後通盛が反乱勢力の猛攻に耐え切れずに敦賀から撤退してしまった。

平家は北陸戦線においては何の成果も得ることはできなかった。

この年は天候が不順であった。
畿内の農作物は大不作であった。
西国各地も大不作であった。
北陸からは食糧が来ない。
都での飢えはかなり深刻なものになっている。

都の人々は、北陸の動向に気をとられていた。
その間隙を突くかのようにある船団が坂東に向かっていた。

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