家に帰りついたのは、12時20分前だった。音を立てずに玄関を開けると、父はもう寝ているようで、家の中は静まり返っていた。
それほど飲んでいたわけではないが、体が重く感じて仕方なかった。部屋に入るとそのままベッドに倒れこんで、うつ伏せになった。目を瞑る。頭がぐるぐると、軽く回っていた。そのままの体勢で、しばらくじっとしていた。目から涙が出てきた。
俊に会ってみたら、物事はやはり、もう少しいい方向に向かうのではという気がしてきた。自分ひとりで、きっぱりと決断し頼らない方法で、と思っていたのに、俊が自分の味方だと確認できたためか、少し気持が楽になった気がした。そして今まで俊のことを、ちっとも頼っていなかった、信頼していなかったような気がして、そんな自分がとてつもなく嫌な人間に思えた。
頭の隅に判定薬のことを考える。早くあれを使って、白黒はっきりさせたい。まだ使うのは早いだろうか。生理予定後一週間と書いてあるけれど、もう使ってもいいのだろうか。今日このまま何の変化もなかったら、明日使ってみようかと思う。でもやっぱり、少し早すぎるかもしれない。やってみて何の反応もなかったら、また薬局に行って買うのかと思うと、それもまた気が重かった。そう考えると、もう数日待ったほうがいいのかもしれない。
眠りから醒めた私は、体温を測っていた。ピピピ、という電子音が、ずっと鳴っている。計り終わった合図だと思い、体温計を脇から取り出した。40度。その熱の高さに、少し驚いた。これじゃ高温期の体温よりずっと高い。風邪を引いたのだろうか。だが40度の割に、体がちっとも熱くないと思った。思いながら、まだ体温計の電子音が鳴っているとぼんやり思う。
体温計はずっと鳴っている。なんでこんなにしつこく鳴っているのかと思った。止めるボタンを探すけれど、見当たらない。電子音が鳴っているはずなのに、手に持っているのは昔の水銀の体温計だと気付いた。どうりでボタンがないはずだ、と思う。私の思考回路は、水銀の体温計と電子音を、どうしても繋げることができない。なんで鳴っているのだろう。
そのうち、その音は聞きなれたある音だと思った。目覚まし時計だ。それから数秒考えて、次の瞬間飛び起きた。咄嗟に時計を止めて時間を見る。7時近かった。
あわてて台所に行くと、父が味噌汁を作っていた。台所には、味噌汁の匂いと、磯の匂いがした。ワカメの匂いだ。父は私がいなくても、こうしてきちんと食事を作れる。だが滅多にすることはない。
「飲んで帰って寝坊か。しょうがないな。」
今日は機嫌がいい。父は飲んだ次の日寝坊をしたり遅刻をしたりすることを、絶対に許さない人だ。
「ごめんなさい。あとは私やるよ。」
手を洗いながらそう言ったが、もう父は、自分の分の味噌汁をお椀によそって、食べ始めるところだった。
「何時に帰って来たんだ?」
父の顔はテレビのニュースのほうに向いていた。
「11時半ころ。」
「そうか。」
どうせ父は10時ころ寝てしまうのだから、12時を過ぎても分からなさそうだと思いつつ、毎回きちんと12時前に帰ってくるのだった。
無性にコーヒーが飲みたくなる。味噌汁の匂いが、嫌で仕方がない。吐き気がしそうだ。吐き気で急に思い出したかのように、トイレに行ってみる。下半身の微妙な変化を感じていないものの、もしかしたらと思ったが、やはり何の変化も無かった。
昨晩俊と会って、思いのほか自分が前向きに考えられたことで、少し思いつめていたものが軽くなった気がしたが、一夜明けてこうして何の確信もないのが分かると、また思考はマイナスな方に向かっているような気がした。そして頭の中は、同じ回路でぐるぐると廻っていく。今まで考えたことが何度も浮上し、同じ杞憂を抱き、そして同じ疑問、不安にたどり着く。なんのしっかりとした根拠もなく、そんな心配を、しかもそれは、自分自身の人生ではなく、まだ分からない、これから生まれてくるかもしれない一人の人間にとっての杞憂であるはずなのに、今こうして心配していても、仕方のないことだらけなのにと思う。
俊の言うとおりかもしれない。生まれてくる子が、生まれてこなければよかったなんて、思うかどうかも分からない。自分の母親が自分に与えた試練を、私は自分の子供には、きっと与えないだろう。いやそれは、母親が与えた試練ではないかもしれない。神様が、少しでも子供のことを考えて子供を生み育てるように、私に与えた試練かもしれない。それなら何で、すべての人々にそうしたことをさせないのだろう。
私は台所にかすかに漂う磯の匂いを感じていた。子供の頃、父の仕事が忙しいと、私は親戚の家を転々としていた。父の親戚は海辺の辺鄙な町に住んでいた。父の実家と、兄弟は、皆漁師をしていた。女の兄弟も、漁師の家に嫁に行っていた。
夜が明ける前に、おじさんたちは漁に出かけてしまう。寝ていると襖の向こうで何かがさがさと慌しく支度をしているのが分かった。朝起きると、丸い座卓を囲んで、おばあさんやおばさん、従姉妹たちと朝御飯を食べた。私は子供の頃も、きっと朝に弱い子だったのだろう。食卓に出される御飯や魚や磯の香りがする味噌汁が、吐き気を催させた。気持ち悪いから食べられない、とは言えず、だまってそれらを、口に押し込んだ。漁師の家の、御飯はいつも大盛りで、しきりにあれ食べろこれ食べろと勧められた。私はそれらを黙って食べ、あとでトイレで吐いた。
ほとんど子供の相手をしなかった父の居る家でも、私にとっては帰りたい家に違いはなかった。親戚の家も、2,3日は我慢できたが、それ以上になると、帰りたくて仕方がなかった。同い年の従姉妹がいる家は良かったが、年の離れた従兄弟しかいない家は最悪だった。私はその家の中で、どう振舞っていいのか分からなかった。年の離れた従兄弟は、怖かったし、どんな風に口を利いていいのか分からなかった。早く帰りたいと思っても、父がお迎えに来てくれないことには、帰れなかった。あまりに長くなると、おばさん同士で、どこで次面倒見ようかというような話をしているのが分かった。そんな時、私は逃げ出したくなった。今なら電車で、2時間もあれば帰ることが出来るが、子供の頃は、そんなこと出来ないほど遠い場所だと思っていた。それに当然お金なんて持たされていなかった。自分は邪魔な人間なんだと、不必要な人間なんだと、そういう思いが徐々に湧いてきた。自分だけ、この人達の中で、ひどく場違いな、歓迎されてない人間に思えた。
夕方、おばさん達が夕飯の支度で忙しくなると、私はすぐ近くに海を眺めに行った。その頃は子供が一人で海辺で遊んでいたからと、誰も危ないとか危険と言う者なんていなかった。それとも、私がそういう立場だったからそんなこと気に留める人もいなかったのかもしれない。
祖母の家の、道路一本隔てて、すぐに海があった。浜を降りても、狭い岩場があるだけの海岸は、地元の人でさえ誰もいなかった。道路と岩場の間に小さな造船所があり、そこの脇を通るといつもシンナーのような、塗装の薬品のような匂いがした。その横に小さな公園があった。公園の端のすぐ下が海なのに、簡単な柵がしてあるだけで、特に高い柵がしてある訳でもなかった。ブランコが、海の方に向かって設置してあった。私はそのブランコに乗るのが好きだった。夕方そこから、素晴らしくきれいな夕日が見えた。地元の子供が、そこで遊んでいるときもあったが、大抵それほど、人はいなかった。
ブランコに乗りながら、色々なことを考えた。最後には、私がこうして、いとこの家を転々としているのは、やはりお母さんがいないからだと思った。母が家出をした元々の原因なんて、今の私は勿論、当時の私にも分からなかったが、だが、父の所為だとは全く思いもしなかった。諸悪の根源は家を出た母親にあると、そう思っていた。私にお母さんさえいれば、私はどこにも行かないで、自分の家にいられるのに、自分のお友達と自分の家の近くの公園で遊べるのにと、そう思った。どうしてお母さんは、出て行ってしまったのだろう。どうして私を連れていってくれなかったのだろう、その疑問がどうしても解消できなかった。
ブランコから見える夕日は、最初は普通の空なのに、段々と空と海にグラデーションがついてきて、あっという間に真っ赤になっていく。その変化を見ているのが、とても好きだった。好きだったけれど、それを見ていると、ますます家に帰りたくなった。早くお父さんが、迎えに来てくれればいいと思った。迎えに来てくれなかったらどうしようと、新たな不安が生じて、そのうちに涙が溢れてくるのだった。辺りがすっかり、夕日の赤に染まって、涙はそのせいで、あまり見えないはずだった。夕日が終わって、さらに暗くなると、海は昼間とは違う、もっと怖いものに変化していた。昼間はそれほど、気にならなかった波の音が、もっと大きな音になって、耳に入ってくるのだった。青く見えた海水も、黒くなり、夕陽が沈むときは波もなかったようなのに、急に波が荒々しくなったような気もした。そうすると怖くなって、祖母の家に帰った。
それほど飲んでいたわけではないが、体が重く感じて仕方なかった。部屋に入るとそのままベッドに倒れこんで、うつ伏せになった。目を瞑る。頭がぐるぐると、軽く回っていた。そのままの体勢で、しばらくじっとしていた。目から涙が出てきた。
俊に会ってみたら、物事はやはり、もう少しいい方向に向かうのではという気がしてきた。自分ひとりで、きっぱりと決断し頼らない方法で、と思っていたのに、俊が自分の味方だと確認できたためか、少し気持が楽になった気がした。そして今まで俊のことを、ちっとも頼っていなかった、信頼していなかったような気がして、そんな自分がとてつもなく嫌な人間に思えた。
頭の隅に判定薬のことを考える。早くあれを使って、白黒はっきりさせたい。まだ使うのは早いだろうか。生理予定後一週間と書いてあるけれど、もう使ってもいいのだろうか。今日このまま何の変化もなかったら、明日使ってみようかと思う。でもやっぱり、少し早すぎるかもしれない。やってみて何の反応もなかったら、また薬局に行って買うのかと思うと、それもまた気が重かった。そう考えると、もう数日待ったほうがいいのかもしれない。
眠りから醒めた私は、体温を測っていた。ピピピ、という電子音が、ずっと鳴っている。計り終わった合図だと思い、体温計を脇から取り出した。40度。その熱の高さに、少し驚いた。これじゃ高温期の体温よりずっと高い。風邪を引いたのだろうか。だが40度の割に、体がちっとも熱くないと思った。思いながら、まだ体温計の電子音が鳴っているとぼんやり思う。
体温計はずっと鳴っている。なんでこんなにしつこく鳴っているのかと思った。止めるボタンを探すけれど、見当たらない。電子音が鳴っているはずなのに、手に持っているのは昔の水銀の体温計だと気付いた。どうりでボタンがないはずだ、と思う。私の思考回路は、水銀の体温計と電子音を、どうしても繋げることができない。なんで鳴っているのだろう。
そのうち、その音は聞きなれたある音だと思った。目覚まし時計だ。それから数秒考えて、次の瞬間飛び起きた。咄嗟に時計を止めて時間を見る。7時近かった。
あわてて台所に行くと、父が味噌汁を作っていた。台所には、味噌汁の匂いと、磯の匂いがした。ワカメの匂いだ。父は私がいなくても、こうしてきちんと食事を作れる。だが滅多にすることはない。
「飲んで帰って寝坊か。しょうがないな。」
今日は機嫌がいい。父は飲んだ次の日寝坊をしたり遅刻をしたりすることを、絶対に許さない人だ。
「ごめんなさい。あとは私やるよ。」
手を洗いながらそう言ったが、もう父は、自分の分の味噌汁をお椀によそって、食べ始めるところだった。
「何時に帰って来たんだ?」
父の顔はテレビのニュースのほうに向いていた。
「11時半ころ。」
「そうか。」
どうせ父は10時ころ寝てしまうのだから、12時を過ぎても分からなさそうだと思いつつ、毎回きちんと12時前に帰ってくるのだった。
無性にコーヒーが飲みたくなる。味噌汁の匂いが、嫌で仕方がない。吐き気がしそうだ。吐き気で急に思い出したかのように、トイレに行ってみる。下半身の微妙な変化を感じていないものの、もしかしたらと思ったが、やはり何の変化も無かった。
昨晩俊と会って、思いのほか自分が前向きに考えられたことで、少し思いつめていたものが軽くなった気がしたが、一夜明けてこうして何の確信もないのが分かると、また思考はマイナスな方に向かっているような気がした。そして頭の中は、同じ回路でぐるぐると廻っていく。今まで考えたことが何度も浮上し、同じ杞憂を抱き、そして同じ疑問、不安にたどり着く。なんのしっかりとした根拠もなく、そんな心配を、しかもそれは、自分自身の人生ではなく、まだ分からない、これから生まれてくるかもしれない一人の人間にとっての杞憂であるはずなのに、今こうして心配していても、仕方のないことだらけなのにと思う。
俊の言うとおりかもしれない。生まれてくる子が、生まれてこなければよかったなんて、思うかどうかも分からない。自分の母親が自分に与えた試練を、私は自分の子供には、きっと与えないだろう。いやそれは、母親が与えた試練ではないかもしれない。神様が、少しでも子供のことを考えて子供を生み育てるように、私に与えた試練かもしれない。それなら何で、すべての人々にそうしたことをさせないのだろう。
私は台所にかすかに漂う磯の匂いを感じていた。子供の頃、父の仕事が忙しいと、私は親戚の家を転々としていた。父の親戚は海辺の辺鄙な町に住んでいた。父の実家と、兄弟は、皆漁師をしていた。女の兄弟も、漁師の家に嫁に行っていた。
夜が明ける前に、おじさんたちは漁に出かけてしまう。寝ていると襖の向こうで何かがさがさと慌しく支度をしているのが分かった。朝起きると、丸い座卓を囲んで、おばあさんやおばさん、従姉妹たちと朝御飯を食べた。私は子供の頃も、きっと朝に弱い子だったのだろう。食卓に出される御飯や魚や磯の香りがする味噌汁が、吐き気を催させた。気持ち悪いから食べられない、とは言えず、だまってそれらを、口に押し込んだ。漁師の家の、御飯はいつも大盛りで、しきりにあれ食べろこれ食べろと勧められた。私はそれらを黙って食べ、あとでトイレで吐いた。
ほとんど子供の相手をしなかった父の居る家でも、私にとっては帰りたい家に違いはなかった。親戚の家も、2,3日は我慢できたが、それ以上になると、帰りたくて仕方がなかった。同い年の従姉妹がいる家は良かったが、年の離れた従兄弟しかいない家は最悪だった。私はその家の中で、どう振舞っていいのか分からなかった。年の離れた従兄弟は、怖かったし、どんな風に口を利いていいのか分からなかった。早く帰りたいと思っても、父がお迎えに来てくれないことには、帰れなかった。あまりに長くなると、おばさん同士で、どこで次面倒見ようかというような話をしているのが分かった。そんな時、私は逃げ出したくなった。今なら電車で、2時間もあれば帰ることが出来るが、子供の頃は、そんなこと出来ないほど遠い場所だと思っていた。それに当然お金なんて持たされていなかった。自分は邪魔な人間なんだと、不必要な人間なんだと、そういう思いが徐々に湧いてきた。自分だけ、この人達の中で、ひどく場違いな、歓迎されてない人間に思えた。
夕方、おばさん達が夕飯の支度で忙しくなると、私はすぐ近くに海を眺めに行った。その頃は子供が一人で海辺で遊んでいたからと、誰も危ないとか危険と言う者なんていなかった。それとも、私がそういう立場だったからそんなこと気に留める人もいなかったのかもしれない。
祖母の家の、道路一本隔てて、すぐに海があった。浜を降りても、狭い岩場があるだけの海岸は、地元の人でさえ誰もいなかった。道路と岩場の間に小さな造船所があり、そこの脇を通るといつもシンナーのような、塗装の薬品のような匂いがした。その横に小さな公園があった。公園の端のすぐ下が海なのに、簡単な柵がしてあるだけで、特に高い柵がしてある訳でもなかった。ブランコが、海の方に向かって設置してあった。私はそのブランコに乗るのが好きだった。夕方そこから、素晴らしくきれいな夕日が見えた。地元の子供が、そこで遊んでいるときもあったが、大抵それほど、人はいなかった。
ブランコに乗りながら、色々なことを考えた。最後には、私がこうして、いとこの家を転々としているのは、やはりお母さんがいないからだと思った。母が家出をした元々の原因なんて、今の私は勿論、当時の私にも分からなかったが、だが、父の所為だとは全く思いもしなかった。諸悪の根源は家を出た母親にあると、そう思っていた。私にお母さんさえいれば、私はどこにも行かないで、自分の家にいられるのに、自分のお友達と自分の家の近くの公園で遊べるのにと、そう思った。どうしてお母さんは、出て行ってしまったのだろう。どうして私を連れていってくれなかったのだろう、その疑問がどうしても解消できなかった。
ブランコから見える夕日は、最初は普通の空なのに、段々と空と海にグラデーションがついてきて、あっという間に真っ赤になっていく。その変化を見ているのが、とても好きだった。好きだったけれど、それを見ていると、ますます家に帰りたくなった。早くお父さんが、迎えに来てくれればいいと思った。迎えに来てくれなかったらどうしようと、新たな不安が生じて、そのうちに涙が溢れてくるのだった。辺りがすっかり、夕日の赤に染まって、涙はそのせいで、あまり見えないはずだった。夕日が終わって、さらに暗くなると、海は昼間とは違う、もっと怖いものに変化していた。昼間はそれほど、気にならなかった波の音が、もっと大きな音になって、耳に入ってくるのだった。青く見えた海水も、黒くなり、夕陽が沈むときは波もなかったようなのに、急に波が荒々しくなったような気もした。そうすると怖くなって、祖母の家に帰った。
ブランコから見える海の情景の変化が、主人公の心象の変遷を表しているくだりは引き込まれました。
芥川の「トロッコ」と宮崎アニメを同時に思い浮かべました。梶井基次郎の描く風景は海ではなかったかもしれませんがやはり蘇りました。よい作品は過去の良品をその中に含みこんでいるものです。作者は意図していなくとも。拍手。
情景の描写は難しいなあと(ほかの部分もみんなそれぞれ難しいのですが)思います。
読んで、それがまるで映像を見ているように目に浮かんでくる、というのが理想かなあと思います。
いつもありがとうございます。