星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

夕凪(13)

2007-01-03 04:58:01 | 夕凪
 駅に着くと、料金表を見て280円分の切符を買った。
 平日の昼少し前の駅には、人はそれ程いなくてのどかな雰囲気だった。隣の大きな駅からでもよかったが、こちらの方がのんびりしていて、いいと思った。
 改札を抜けると、ホームにもまばらにしか人がいなかった。子連れの主婦がいて、高齢のおばさんがいて、スーツを着た会社員がいた。電車は、あと10分くらいしないと、来ないようだった。
 私はぼんやりしながら、ホームの向こう側を見つめた。駅前には一棟だけ大きなマンションが建っているくらいで、他に高い建物はなかった。ロータリーが目の前に見える。ロータリーの周りを大きく伸びた木々が囲んでいたが、それらはもうとっくに色づいて、少しずつ落ち始めていた。空は薄い青色だったが晴れていて、うっすらと雲が浮かんでいた。空気は乾燥して、澄んでいた。綿の短いコートの下にセーターを着ていた私は、外の空気がちょうどいい温度に感じられた。今ここにいるとそれほど寒くはないが、海岸のほうへ行ったら少し寒いのだろうかと思う。カバンの中にマフラーを入れてきたので、寒かったら首に巻けばいいだろう。

今朝目を覚ました時、急に海に行きたいと思った。波の音を聞きながら、ぼんやりと海を眺めて、自分の心の中をまっすぐに見つめてみたいと思った。子供の頃、自分がどうしていいか分からなくなったとき、必ず海に逃げたように、あそこへ行けば心が落ち着くのではないかと思った。バイトがたまたま休みだったので、今日すぐに行こうと決めた。父が仕事に出かけてから帰ってくるまでに戻ればいいのだ。朝沸かしたコーヒーをステンレスの小さなボトルに詰めて、チョコレートバーを持って家を出た。

私が本当に行きたかったのは、あのブランコのある、海の際に作られた小さな公園だった。あそこで、落ちてくる夕陽を眺めながら、ブランコに乗っていたかった。けれどあんなところに行ったらすぐに親戚に見つかってしまう。小さな田舎の町では、すぐに、玲ちゃん来てるわよ、とばれてしまうだろう。あそこまで行って親戚の家に顔を出さないのもおかしいだろうし、そうすると面倒だった。もう1年か2年くらい、あの海辺の親戚の住む町へは訪れていなかった。
 
私の家からいちばん近い海に、これから向かう。電車で一本で行くことが出来る。夏は海水浴客で混雑しているのだろうが、この時期はきっと閑散としているだろう。それに今日は平日だった。もう寒くなった海には、ほとんど人もいないのではないかと思った。

電車に乗ると、ボックスの空いている席に座った。私の前にはお年寄りの女性が座っていた。窓から弱い日差しが差し込んでくる。それでも少し、眩しかった。遠くの家々を見ていると、目の上を景色が流れていった。流れる景色を、瞳が追いついていけずに、眩暈が起きそうな感覚になった。目を閉じる。目を閉じて電車の、ゴトンゴトンという音を聞いていると、そのリズムが心地よく居眠りをしそうになる。そうして少し、記憶が飛んでしまった。

はっと目を覚ますと、あと数駅で目的の駅というところだった。気がつくと私の隣には小さな男の子が座っていて、その前にはその子の母親が座っていた。海のある駅のすぐ近くに水族館があるので、きっとそこに行くのだろうと、会話から伺えた。3歳くらいの男の子は、以前その水族館で実際に魚を触ったということを母親に話して聞かせていた。
「ぼくね、まえあそこでおさかなにね、いいこいいこしてあげたよね。」
「そうだったね。どんなお魚だったっけ?」
「えいはね、にゅるにゅる。さめはね、ざっらざっら。」
私はその子の話を聞いて、いかにもぬるぬるしたエイの表面と、いかにもザラザラした鮫の肌を想像した。鮫なんてそんな魚、触ることが出来るのかしら。エイだってあんなに大きいのに。でも大きいけれど大人しい魚なのかしら。私がそんなことを考えていると、「さめの赤ちゃんかわいかったね。」という声が聞こえたので、ああ、子供のか、と思った。私はそんなことを考えながらその男の子の横顔を、じっと見つめていたらしい。私が視線を前に戻そうとした瞬間、母親と目が合った。母親はきっと私をじっと観察していたらしく、ばつが悪かったのか、こちらに向かってにっと微笑んだ。私もつられて、微笑み返した。

水族館の話を聞いていたら、水族館にも行きたくなってしまった。水族館の大きな水槽の前で、きらきらと流れる魚たちをぼーっと眺めるのも好きなのだった。群れを作って一定の方向に泳いでいく魚は、ずっと見ていても飽きなかった。なぜか心が、落ち着いた。以前俊と二人で、千葉にある水族館に行ったことがあった。大きなマグロの水槽があって、私は飽きることなくその前に座ってその大きな水槽を眺めていた。あまり混んでいなかったので、そこでかなり長い時間見ていることができたけれども、俊は内心ちょっと飽きていたようだった。それでも一応、つきあって見ていてくれた。

私がそんなことを思い出しているうちに、電車は終点の海のある駅に到着した。ホームに出ると、かすかに海の匂いがするような気がした。そして少し寒さが増している気がした。

改札を出ると、海岸線を走る国道に出る。歩道をそのまま、海伝いに歩いた。やはり、この開放感がたまらない。今日の空は、青空というほどのはっきりとした空ではなかったし、海の色も青くなくどんよりとしていたが、それでもこの風景が好きだと思った。風がほんの少し冷たく感じてきたので、コートのボタンを留めた。海岸に下りる階段があったので、そこで降りる。柔らかい砂が、スニーカーにめり込んだ。歩きにくいなと思いながら、ゆっくりと波の近くまで進んだ。際まで近づくと、ゴミの多さにうんざりさせられたが、近くで済ませてしまったのだから仕方がないと思いつつ、沖の方を見つめた。曇っていて、海と空の境界が、あいまいだった。波は高くはないが、まったく凪いでいる訳でもなかった。

しばらくの間、波が引いたり押し寄せたりする様子を、眺めていた。波の泡が、まるでレースの縁取りのように、なだらかな線を書いてすぐに消えていく。まるで砂の中に、波が吸い取られていくようだった。何度も何度も同じように繰り返す水の動きを、じっと目で追っていた。その間、何も考えていなかった。ただ見ていただけだった。私の前を、黒い大きな犬が横切った。その後ろから飼い主と思われる男の人が、また横切った。私は我に返った。波が押してくるぎりぎりのラインを歩きながら、私は何をしに一人でここまで来たのだろうと思った。考えるため?考えるって何を?もし子供が出来たらってこと?俊と結婚するということ?

道路沿いのコンクリートが階段状になっていたので、そこまで下がって、2段目に座る。少し遠くなって、波の音はほんの少し小さくなった。

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