星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

夕凪(9)

2006-11-07 17:34:40 | 夕凪
 バイトが終わると、俊との待ち合わせ場所に向かった。駅前のデパート入口にある、大きなからくり時計の下で、俊の姿を探した。まだ来ていない。待ち合わせの時間はあと5分ほどだが、彼はいつも大抵10分くらい待ち合わせに遅れるのだった。

 今日俊と会ったら、私は今回の事を話す覚悟でいた。今日一日生理が来るのではないかと、トイレに入るたびに期待をしたが、なんの変化もなかった。体はだるく、頭の奥はぼんやりとして、腰も重かったが、それは生理前の諸症状なのかそれとももうひとつの原因のものなのか、自分では判断できなかった。色々な事を考えてばかりいるために、精神的な原因で頭が痛いだけかもしれないとも思った。

話をしても、俊はそれほど深刻にはならないだろうというのは、容易に予想ができた。自分でも、あと一週間後の、判定薬を使った結果が出てから話してもいいのではと思っている部分もあった。けれども、自分の中だけで悶々と思っていることに、もう限界を感じていた。もし、判定薬で陽性と出た場合、俊は結婚しようと言うのだろうか。それほどの期待は抱いていなかったし、自分自身でも、このまま俊と結婚していいものかという迷いがあった。だが、結婚しなかったら、自分ひとりで産み、育てていく自信はあるのかと言えば、自信など何もなかった。シングルマザーとなるということは、自分の家庭環境を思い描けば、まったくいいところがないことは目に見えていた。まして私は、経済的に自立していない。今の職も定まっていないのに、子供を産み育てるだけの経済的基盤など、まったくないも同然だった。これから子供を産もうとする、身ごもった女なんて雇ってくれるところはあるのだろうか。子供を産んだあと、就職すればいいのだろうか。父親は、まるで当てにはならない。私が結婚もしないで妊娠したとなったら、家を出て行けと言うだろう。女一人で子供を産んで育てるということは、想像するだけで相当の覚悟が必要なはずだ。そして、そのうち自分に余裕が全くなくなって、私は子供に当たってしまうのかもしれない。その先に待っているものは、考えたくもないような恐ろしいことだった。すると、消去法でいくしかないのだろうか。結婚して共同で子供を育てる決意もなく、シングルで育てる基盤もないのならば、残るは堕胎するしかないのだろうか。

それはしかし、犯罪と同等のことではないのだろうか。自分の知り合いで、堕胎した人を何人か知っていた。親戚のある人はその後普通に結婚したが、そのことが原因かどうかは分からないが、もう十数年経つのに子供が出来なかった。体はどこにも異常がないのに子供ができないということは、それが罰だからではないかと、親戚の中で言う者もいた。医学的にはそういったことは関係ないのかもしれないが、現実にその後子供ができない現状を見て、周りの者がそう思わずにはいられないという背景には、堕胎をしたということが、罪のあることだと、暗黙にそう思われているということなのだろうと思った。私は自分の体がどうにかなるとか、その後子供が出来ないかもしれないとか、そんなことはどうだって良かった。ただ、そうすることが、やはり罪のあることなのかと、それは人間として許されることなのかと、そういうことの結論を、考えても考えてもで導き出せないということが、決断できない理由だった。大きくなった母親のお腹で、丸まっている胎児を殺すのは、当然の罪だろう。胎児として最初の段階の、粒のような人の原型でも、それは同じなんだろう。同じなんだろうけれど、でも違う、その発想は自分に都合いい言い訳なんだとも思った。どんなに小さくても、人は人で、それはやはり人殺しと同等なのだろう。間違いなく罪なことなのだろう。子供が「授かった」ものなのなら、それを勝手な理由で殺してしまうのは、神への冒涜にもなるのだろう。では、こんな私に子供が「授かった」のだとしたら、それは神様があえて私に、子供を授けたという意味なのだろうか。自分のお腹を痛めた子供を捨てた、母親の血筋を受け継いでいるかもしれないこんな私に、あえて子供を授けるという意味とは、一体なんなのだろうか。

頭上にあるからくり時計の人形が、くるくると回り音楽が鳴り出した。周辺の者が一瞬顔をあげ、そしてすぐに戻す。子供だけが、熱心にその回る様子を見ていた。若いお父さんに抱かれた男の子が、首が痛くないのかと思うくらいに上を見つめている。子供の手には、風船のつながったひもが、結いてつながれていた。その横で母親が何か笑いながら子供にささやいて立っていた。

「おい。」
聞き慣れた声に、はっと我に返った。俊がそこに立っていた。
「どうした、なんか考え事してたみたいだけど。」
俊はいつもの、細い目をして静かに笑っていた。どうしてこの人は、こんな笑顔をしているのだろう。この顔を見たら、私は何もかも喋って、今抱えているこの悩みを共有したい衝動に駆られた。 
「うん。ちょっとね。」
曖昧な返事をした。俊にすべてを話して、結果俊が自分から離れていくことが、もしかしたら怖いのだろうか。俊はもし子供が出来たら、あの風船の男の子の父親みたいに、なるのだろうか。
「どこ行こうか。」
私よりも首ひとつ背の高い俊が、こちらを覗き込むようにして聞いた。
「お酒が飲みたいな。でも、静かに話せるところがいい。」
とても飲みたい気分だった。言った瞬間、万が一の時のために、お酒もやめたほうがいいかも、という考えが脳裏にちらついたが、薬じゃないから構わないか、と勝手にそう思った。

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2 コメント

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道具立てがうまい。 (だっくす史人)
2007-12-07 01:09:26
前回のテレビのニュースといい、今回の若い夫婦と男の子の登場といい、道具立てが絶妙です。見習います。
堕胎については、私はクリスチャンですが反対はしていません。命は愛されるために誕生するのだ、という考え方は堅持しています。でも堕胎の問題には男性があまりにも無頓着すぎる傾向があります。女性だけが苦しむ現状では堕胎はやむを得ない、女性の選択権であると考えています。男性が女性と同じだけ、精神的・肉体的に苦しみを共有するシステムでも出来れば、反対の側に回ってもいいのですが。男はずるいから。(ん、自分の立場を忘れてました。男なんだ、だっくすは)。
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そうなんですね (sa01004b)
2007-12-07 20:33:31
だっくすさん、こんばんは。

だっくすさんはクリスチャンなのですね。正直堕胎を肯定しているような文章を書くのは、少し勇気がいりました。私自身も、よく分からない問題です。
体の構造的に仕方のないことですが、どうしても負担は女性のほうが大きいですね。
男はずるい、ですか。
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