星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

休日(最終章)

2007-09-29 18:00:38 | 休日
 駅構内を端から端まで歩き、私鉄の切符売り場までたどり着く。目的地までの切符を買うと、携帯が振動しているのに気がついた。カバンから取り出し、表示を見る。浩平からだった。
「今日はうちでご飯食べるから。」
たったそれだけだった。最近仕事から帰るのが遅く、それはほとんど仕事の後の付き合いだったりするのだが、食事の用意をしていても家で食べることが少なかった。それでここ数週間は支度をしていなかった。今日は早く帰ってくるのだろう。久しぶりだ。

 結婚したての頃は、私が仕事から帰ってくると夜ご飯の支度をした。私は家事の中では料理がいちばん好きだ。掃除とか洗濯は気乗りがしないけれど、ご飯の支度だけは苦にならない。仕事の帰りスーパーに寄って、その日のお買い得品を見ながら、今日は何を作ろうかと考えるのも好きだし、買い物ができない日は家にある食材で、何かおいしいものを作れないだろうかと考えるのも好きだ。

 だが、お義母さんと同居してからはすっかりそういう意欲をなくしてしまった。お義母さんと私たちはあまり食の好みが合わないし、台所が一緒だということもあって私が勝手にあれこれやるのをどうもよく思っていないらしい。台所に女は二人いらない、と言うがまったくそのとおりだと思う。お義母さんにはお義母さんのやり方があるし、私には私のやり方がある。けれども日中一日家にいるお義母さんは、ここは自分が所有する場所だと思っているようだ。私に台所を「貸している」という感覚だろう。私は別に張り合うつもりもないし、実際ご飯の支度も結構してもらっているので文句は言えない。仕事から疲れて帰ってきてご飯が待っているときは感謝をしなくてはいけないのだろう。

 でも今日は、久しぶりに自分の好きなものを作ってみようという気になった。浩平も今日は一緒にご飯を食べるのだし、浩平の好きなものでも作ってみようか。そうだそれに、デザートも作ってみよう。私はさきほど本屋で覗いたお菓子の本の、ベリーの乗ったパイを思い出した。あれでもいいかもしれない。最近お菓子つくりをしていないから材料はあるかどうかと考える。粉とバターと、卵。カスタードクリームに入れるお酒がないかもしれない。コーンスターチもない。

 私は浩平からのメールを見ただけで、少し華やいだ気分になってきた。料理やお菓子作りに乗り気になるのは久しぶりのことだった。結局、私は一人で生きていたら料理もお菓子作りにも精を出さないだろう。それは、反応してくれる相手がいて、喜んでくれる相手がいるからこそ楽しめるものだ。自分ひとりだけで暮らしていたら毎日納豆ご飯だけを食べているかもしれない。お菓子なんか作らないでコンビニでデザートを買っているかもしれない。誰かが側にいてくれるから、私はおいしいものを作る。単純なことだ。

 約1時間電車に乗り、また何もない駅に帰ってきた。電車を降りると、かすかに海の匂いがしてきて、ああ家の近くまで帰ってきたのだと思う。少し湿った風が吹いている。昼間あれほど晴れていたのに空一面が曇っていた。雨になるのかもしれない。

 駐車場に向かい自分の車に乗った。ほっとする。こうしてたまに街に出て行くけれど、人込みはあまり好きではない。私は都会に暮らすことってできないのかもしれない。毎日毎日あの人混みの中で暮らすことを考えるとうんざりする。欲しいものが何もかも手軽に買えるという便利さはあるのかもしれないけれど、私はここで十分だ。人気のない場所とあまりごみごみしていない道路があれば、そのほうがいい。シートベルトを締め、エンジンをかける。気に入った音楽が流れだす。窓を少しだけ開け、こもった空気を外に出す。

 気に入ったスーパーまでは海の道を通らないけれど、少し遠回りして海岸線を通っていこうと思った。天気が悪いけれど、海の側を通ると気分がよい。今の時間なら道は空いているだろう。駅前の道路からちょっと走ると海岸沿いの道に出た。灰色の空一面の下で、海の色も曇っていた。それでも広い景色の下に出ると落ち着く。しばらく海岸を左に見て海沿いの道を走る。

 夕ご飯のメニューは、浩平が好きな手羽チキンのオーブン焼きにしようと決めた。スパイスをたくさん利かせてパリッと焼く。それからポテトを薄くスライスして、揚げたもの。サラダを作る。野菜やゆで卵やベーコンを入れて、シーザーサラダみたいに。にんにくを入れてドレッシングを自分で作ろう。ワインビネガーがなかったかもしれない。久しぶりに白ワインを買って帰ろう。別に安いもので構わない。うんと冷やしておこう。デザートにはベリーのパイを作って、ベリーはイチゴが安くあったらそれでもいいし、缶詰のブルーベリーでも構わない、出来上がったあたたかいものにアイスクリームをかけて食べよう。アイスは、ドライアイスに入れてもらえば買って帰っても大丈夫だろう。熱いパイの上のアイスクリームがソースのように溶けて、少しすっぱいベリーのパイに絡まる。想像するだけで美味しそうだった。

 私は相当単純なのかもしれない。食べ物のことを考えていたら幸福な気分になってきた。ある時はものすごく自分を幸福な人間と思ったり、ある時はものすごく退屈な人間だと思ったり、その時の気分によってこれほど生きている実感というものが違うなんて。さっき駅の人混みを歩いているときは、自分がこの世の中で生きているその他大勢の人間の中で、一人だけぽんと外れて生きている人間のような気がしていたのに、まるで群れからはぐれて迷子になってしまった羊みたいに、どこへ行っていいのやらわからないような感覚でいたはずだったのに、この単純さは何なのだろう。

 信号が赤になった。あちらの歩道から海岸に向って、数人の人が渡ってきた。ミニチュアダックスフントを連れている若い女性。幼稚園くらいの子供を連れたお母さん。もう一人大型犬を連れた初老の男性。夕方の犬の散歩の時間なのだろう。また後ろのほうから犬連れの人がやってくる。世の中の半分くらいの人は犬を飼っているんじゃないだろうかと思うほど、犬を連れた人が増えた気がする。浩平と私も、子供をあきらめてからは犬を飼おうという話も一時出たけれど、結局飼わなかった。昼間仕事で私たちはいないので、犬がかわいそうだということになったからだ。飼い犬はかわいいのだろうけれど、私は綺麗にトリミングされ服をきさせられた犬を見ると何故か悲しくなってくるのだ。でもかわいいのだろうなあ、とも思う。犬はいつも私のそばにいてくれるだろう。寝るときも部屋でだらりとくつろいでいるときも。私は寂しくなんかならないかもしれない。よく飼っている犬をわが子のように話す人がいるけれども、私もそうなるのかもしれない。

 信号が青に変わった。静かに車を発進させる。目的のスーパーが見えてきた。次の交差点で右に曲がる。海は視界から見えなくなった。駐車場に入って屋上まで上がる。駐車場に入り車を停車させると、カバンから携帯を取り出した。お義母さんの番号へかける。2回呼び出し音がなって、お義母さんは電話に出た。
「もしもし、私ですが。」
お義母さんは案の定、まだ帰ってこないから遅いわと思ったわ、と即座に言った。構わずにつとめて明るく私は言った。
「今日は私が夕ご飯作りますから。お義母さん準備しないでください。浩平さんも早く帰ってくるようなので。」
 電話を切る。私は車を降りて、軽い足取りで店内に向った。

にほんブログ村 小説ブログへ

人気blogランキングへ 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どちらが・・・ | トップ | 砂粒 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
美しい言葉 (松崎詩織)
2007-09-30 15:22:22
何気ない日常というか、身の回りの本当に小さな世界。
それを美しい言葉で綴るあなたの文章はとても素敵です。
読んでいて、心にすうっと染み込んでくるような文章。
他の作品も読ませていただきますね。
返信する
終わりが好き (エリィ)
2007-09-30 15:33:18
お疲れさまでした。
読んでいる最中は、どんな感じで終わるのだろう、と思っていました。
最後、お母さんへの電話でキッパリと言い切るのが素敵。この女性の根?みたいなのが感じられました。
返信する
ありがとうございます (sa0104b)
2007-09-30 20:10:40
詩織さん、

読んでいただいてありがとうございました。
プロの作家さんに読んで頂くというのは、すごく緊張ですね。
本当に文章を書くということは難しいと、つくづく思っています。
こんな稚拙な文章でお恥ずかしい限りなんですが、よかったらまたお越しください。
返信する
いつもありがとう (sa0104b)
2007-09-30 20:15:52
エリィさん、

途中でだれてしまって、自分でどう終わろうか分からなくなってしまいました。でも、少し明るく終わらせたいと思って、ああなりました。
気がついたら道に迷っているような、30台代後半くらいの女性を書こうと思っていました。
ちょっと退屈だったかもしれませんね。
読んで頂いてありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

休日」カテゴリの最新記事