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新元号に思う

2019-04-02 | 今注目の話題

日本情報元日本経済新聞 古典から令和 首相「これでいこう」

新元号が「令和」と決まり、改元まで1カ月を切った。舞台裏と加速する準備状況に迫る。1日午前11時16分、首相官邸4階の閣僚応接室。「それでは、総理一任ということでよろしいですか」。菅義偉官房長官が確認をとると、安倍晋三首相は「これでいこう」と決めた。確認される限り日本の古典から採用した初の元号「令和」が誕生した。

        新元号「令和」の公表後、談話を発表する安倍首相(1日、首相官邸)=代表撮影

 

「AO私の感想」令和”を見た瞬間違和感、ちっよと!命令の令・上から目線、冷たい感じ、やはり梅の咲くころか!

「令和」日本の古典から採用・メンバーの一人 中西進氏・日本文学者(万葉集古典に精通)考案者はこの方の様だ。

令和は、梅の花を題材にした歌会「梅花の宴」を開いた。そこで詠まれた32首の序文「初春の令月にして気淑よく風和らぎ」から「令和」が新元号に選ばれたようだ。

 

東京大学教授・歴史学者、本郷和人氏によれば

「令和」以外に英弘・えいこう、広至・こうし、万和・ばんな、万保・ばんぽう、この五つから”令和”に、本郷氏によれば「令和」以外の上記(英弘・広至・万和・万保)のどれでも良いと、私は思うと・・・

令和を、「巧言令色鮮し仁」口先がうまく顔色を和らげて人を喜ばせて媚びへつらうことは、仁の心に欠けている、とある。

「令和」万葉集の歌会・「梅花の宴」から付けたが、名は体を表す、梅は中国の花、日本は桜だ、、この様に読むことができる、中国から日本古来の古典からと言っても所詮その所作その人なりが出てしまう。 最後にこれは、参考になると思う、

「元号が変わると短期間で首相が交代するというジンクス」新元号変わる年に竹下登首相は退陣。その後宇野宗佑内閣も超短命になって海部俊樹内閣が誕生した、大正から昭和になったのは1926年暮れ。それから27年4月に当時の若槻礼次郎首相が退陣。そして明治から大正になった12年には西園寺公望首相が辞任、以上。