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事件・事故、”徹底した検証”をシナイ国だ!

2014-04-05 | 報道・ニュース

筆者(AO)の意見より、よく云う二度と再びこのような事が無い様にと!私達はよく耳にするが 又繰り返す事が多い!同じ言を・・・それを云う前に大事な事がある、それは”徹底した検証” にある、何故かこの国は徹底した検証をしない、して来なかった、先の大戦(第一次・二次)今揉めている慰安婦問題、東京電力福島第一原子力発電所事故等々徹底した検証がなされない、何故か何故なされないのか?・・・ そこに徹底したメスを入れるべきだ!                為政者・ジャーナリスト・その関係者、 この人達たちの責任は非情に重い!        

 

古谷経衡のコンシューヨンダ! 第5回(2014/4/3)

「袴田事件」冤罪の数だけ真犯人を見逃してきた警察

2014年3月27日、日本の司法界に激震が走った。1966年6月、静岡県清水市でみそ製造会社の専務一家四人が殺害され、当時、同社の従業員だった袴田巌さんが殺人容疑で逮捕され死刑が確定していた所謂「袴田事件」で、静岡地裁が2014年3月27日、日本の司法界に激震が走った。1966年6月、静岡県清水市でみそ製造会社の専務一家四人が殺害され、当時、同社の従業員だった袴田巌さんが殺人容疑で逮捕され死刑が確定していた所謂「袴田事件」で、静岡地裁が再審(裁判のやり直し)を認める決定を下したのである。

 無期懲役、あるいは死刑が確定した事件で、再審開始が決定されたのは今回が11例目(戦後)となる。近年、重大事件での再審が相次いでいる。1990年に発生した足利事件では、バス運転手だった菅家利和さんが犯人とされ、無期懲役の刑が確定していたが、当時使用していたDNA鑑定が杜撰であると指摘され、2009年に再審が決定。その後菅家さんの無罪が確定した。

 また、1997年の東電OL殺害事件では、被害者のアパートの隣に住んでいたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんが犯人として逮捕され無期懲役が言い渡されたが、逮捕の決定打となったDNA鑑定で新証拠が見つかり、2012年に再審、無実が確定してネパールに帰国することができた。

 今回の袴田事件は、袴田さんの逮捕から48年という、再審決定までの期間が最も長いケースであり、逮捕当時30歳だった袴田さんは、現在78歳。長い勾留生活による拘禁反応や糖尿病など、心身ともに疲弊していると伝えられ、再審開始と釈放の知らせを実姉から聞いた時には、「嘘だ、(自分とは)関係ない」と信じようとしなかったという。48年という年月は、あまりに長く重い。

■「無理筋」な点が多かった警察の捜査

 今週号の週刊現代では、「袴田巌さんの罪をデッチあげた刑事・検事・裁判官」と題して、「世紀の冤罪」(今後確定した場合)となる可能性が濃厚となった「袴田事件」の、その捜査や裁判の問題点を検証する特集が組まれている。

 味噌製造会社の専務一家が惨殺されたこの事件、袴田さんの逮捕に至る経緯には、実に「無理筋」な点が多かったという。袴田さんを長時間に亘って取り調べ、心身を衰弱させた上に自白を強要した清水警察署の捜査手法は、当時から「違法」を指摘する声が多かった。実際、清水署が作った供述調書45通の内、44通は「強引な取り調べを元にしたものであり、証拠能力がない」として裁判で証拠として採用されなかったのである。

にもかかわらず、袴田さんを犯人として起訴する一番の物的証拠となったのは、味噌製造会社の樽の中から発見された、とされる衣類であった。犯人とされた袴田さんが一家を惨殺した後、犯行当時に着ていた着衣を、証拠隠滅のために樽の中に放り込んだというもの。しかし、この衣類は、そもそも警察が袴田さんから無理やり自白させた当時に「パジャマ」としていたものが、味噌樽の中の衣類は白シャツとズボンなど、5点の衣類に「変化」していた。つまり、当初警察が証拠として主張した血染めのパジャマについて、その鑑定結果に疑問が持たれると、パジャマを放棄して味噌樽から見つかった「衣類」を真の物証だ、と言い換えたのである。

 更にこれらの衣類は、事件から1年以上経ってから警察の捜査によって「突然」発見されたもので、余りにも辻褄のあわない、恣意的で杜撰な筋書きなのは明らかだった。しかも発見された衣類の中にあったズボンは、元プロボクサーで体格の良かった袴田さんが絶対に履くことのできない、サイズ違いの小さなものだったのである。明らかに警察による証拠デッチ上げの可能性が高い。

 しかし検察は「ズボンは味噌樽の中に長時間放置されて縮んだ」と主張、結局裁判官は自白調書と「衣類」の物証を決め手として、袴田さんに死刑を言い渡した。

■このような冤罪は今も起きている

 週刊現代では、袴田さんに死刑を言い渡した裁判官三人の内の一人である、熊本典道元判事の肉声を紹介している。当時、30歳で判事の中で最も若く、「無理筋」で進められた裁判に疑問を持った熊本さんは、公判を重ねるごとに袴田さんの無罪を確信、「こんな証拠で死刑にするなんて無茶だ」と他の先輩裁判官たちに訴えたという。しかしその声はまったく黙殺され、2対1の評決で死刑が確定した。熊本さんの疑問は、続く高裁、最高裁の判事たちにも届くことはなかった。

「心にもない判決(死刑)文を書いた―」。良心の呵責に耐えきれなくなった熊本さんは死刑判決の翌年に判事をやめ、弁護士に転身。しかし後悔の念から酒浸り、一時は自殺を考えたという。2007年に先輩判事が亡くなったことを切っ掛けに、この時の死刑判決が如何にでたらめであったのかを暴露し、袴田さんを救う会にも積極的に参加することになった。 熊本さんのような良心の判事の存在がなければ、「袴田事件」の再審は成されなかったかも知れない。

 袴田さんの「失った」時間は、国家が相当額を補償しても取り戻すことはできない。半世紀に及ぶ個人からの自由剥奪は、国家権力が行った明確な犯罪行為であり、許されることではない。注意したいのは、こういった「冤罪」につながる重大事件は、「志布志事件」(2003年、鹿児島県志布志市で、選挙違反の名目で無実の市民が逮捕された)など、ごく最近も変わらず続いているということだ。取り調べの可視化(録音や録画の徹底など)の早急な整備が急務であることは言うまでもない。

■真犯人を見つけられない警察

しかし最も重要なことは、これらの「冤罪」事件、では「真犯人は誰か?」ということなのである。袴田さんが犯人ではないのだとしたら、一家四人を惨殺した犯人は誰なのか。犯人がその後、死亡していないとなると、のうのうとまだこの日本で暮らしている可能性もある。先にあげた「足利事件」「東電OL殺人事件」さらには、一旦再審となったが取り消された「名張毒ぶどう酒事件」(再審請求中)など、犯人が無実とすると、一体犯人は何処にいるのか?という事が大変大きな関心事と成る。残忍な犯行を重ねた極悪人が、すぐ我々の近く、同じ電車、同じレストランで食事をしている、という想像力も働く。

よく「日本の警察は優秀だ」と言われ、「そのせいで日本の治安は保たれている」という説もあるが、私は違うと思う。日本の治安が良いのは警察が優秀だからではなく、日本人が犯罪性向の少ない、非常に大人しい国民だからに他ならない。このような日本人の国民性に依拠して保たれてきた日本社会の安寧は、徐々にだが確実に崩れつつある。2000年に起こった「世田谷一家殺害事件」もまだ未解決のままだ。司法官憲は「袴田事件」を猛省し、二度と再びこのような冤罪が生まれぬことの無いよう、真の巨悪の確実な検挙に邁進していただきたい。