菅さん、原発事故の対応のなかで東電や保安院などいちばんイライラしたことってなんでしか?
ナマの情報をもっているはずの東電が、機能していなかった
もんじゅ:その混乱した状況のなかで、やっぱり情報がだいじだったと思います。どうやって集約したんでしょうか。菅:いちばん生の情報をもっているのは、とうぜん東電。だけど、東電そのものが、第一サイト(福島第一原発)にいる現場と東京にある本店とでコミュニケーションがうまくいっていないんだ。しかも、最初の1日半ぐらいは、東電の会長も社長もいなかった。
もんじゅ:東電の会長さん、社長さんはそれぞれご出張やご旅行中でしたよね(*)。(* 事故発生当時、東電の勝俣会長はマスコミOBをつれての中国接待旅行をしていたと報じられた。また清水社長は、夫人同伴で奈良に出張(観光色のつよい旅行)をしていたといわれる)
菅:そうなんだよね。いろいろなことが偶然起こりうるわけで、もっと想定しておけばいいのに、東電はぜんぜん用意していなかったわけ。「おおきな事故は起こらない」ことを前提にした体制だから、事故が起きてしまうとその場で対応策を考えていくしかなかった。極端にいえば、もしきめられたルールにのっとって動いていたら、オフサイトセンターから逃げる範囲を指示してくるまで、3日待っても連絡がこなかっただろうからね。
もんじゅ:ご本でも「総理がみずからこんなことまできめなくてはいけないとは」とか「直接、指示をした」ということを書かれていますよね。ずいぶんイライラというか、もどかしかったんじゃないですか。
菅:当時、東電からいちばんはじめに頼まれたのは「電源車を用意してほしい」ということ。だから、「なんでそんなこまかいことまで総理が指示するんだ」っていわれたけど、その時点では「電源車がくれば冷却機能が何十時間は維持できるから、そのあいだに本来の電源をつなげばそれでたすかる。それが最優先だ」と東電がいうから、それを最優先にしてやったわけだよ。それがいざ電源車が現場についてみたら、プラグがつながらないとか、ケーブルがとどかないというはなしになった。
もんじゅ:最初はとにかく電源車があればなんとかなるということで、ほかからもたくさん現地にむかっていたみたいですね。
菅:笑いばなしじゃないけど「電気屋を呼んでこい!」といいたくなるよね。「東電」という日本でいちばんデカい電気屋が「電源車をもってきてくれ」と。だけど、べつに官邸が電源車をもっているわけじゃないからね、けっきょくほかの電力会社などにあるやつを運ぶてつだいをするだけなんだけども。 どういうものが必要かというのは、むこうがわかってるはずなのに、やっと届いたと思ったら、プラグがつながらないとかで、なにひとつ役に立たない。
ぜんぶ下請けにやらせるから、情報も物流も整理できていなかった
菅:もうひとついうと、(事故発生から)数日後に、こんどは現地でバッテリーをつないで計器類を動かそうとするわけ。だけど、バッテリーがないということになった。それでみんなの自家用車から一生懸命あつめて、計器を動かした。これはある意味では美談なのかもしれないけど、でもなんで事故から3日もたっているのにバッテリーがないのか?というはなしだよね。3日もたっていれば、いくらだってバッテリーを運べるわけですよ。もんじゅ:ちかくまではバッテリーが届いていたのに、現地にはきていなかったみたいですね。
菅:Jヴィレッジにあったとか、第2サイト(福島第二原発)にあったとかいわれたけれど、現場には届いてなかった。 けっきょく東電本店には、現場がなにを必要としているかを把握して、それを手配して送る体制がないの。東電というのは、ぜんぶ下請けだから、自分の会社には、運転手もいなければ、トラックもない。だから下請けのところに「運んでくれ」と頼むわけだけど、下請け会社のほうは「放射線量が上がっていて大丈夫ですか? そんな状況で、うちの運転手にいけとはいえません」ってはなしになったりする。
まったく想定していなかったできごとが、すべて起こってしまった。そのなかで、なにがやれるのか?なにを優先すべきなのか?と考えました。結果的には、とくに統合本部ができるまでの初期段階は、官邸にあつまっていた何人かの政治家、秘書官、原子力安全保安院、原子力安全委員会、そして東電から来ていたメンバーで対応した部分がかなりおおきかった。
東電は、国民の目には不誠実にみえます。どう思いますか?
もんじゅ:ここまで、東電のはなしがたくさんでてきました。事故発生から3日たっても、会社のなかでさえ意思疎通がきちんとできていなかったというのは、ほんとうにこわいことだと思います。もうひとつ、東電といえば、国民の目からみるとすごく不誠実にみえるんですね。社長さんだったり、会長さんの発言や態度をみていると「たいへんな事故を起こしてしまった」という危機感や反省が薄いんじゃないかと感じます。そういう東電の体質を感じた瞬間はありましたか?
菅:うーん。極端にいうと、この事故に関して、東電はいまでも「じぶんたちは『被害者』だ」と思っているんですよ。
もんじゅ:えっ、被害者!? 加害者じゃなくてですか。
菅:おおきな地震と津波がやってきて事故が起きた。自分たちは国の基準どおりにやっていたのに事故になった。だから、被害者だと。その気分がいまでも抜けていない。だから東電の責任にならないように、物事をかくすわけだよね。
もんじゅ:つい先日も、「建屋のなかは真っ暗だから」とウソをついて国会事故調査委員会を立ち入らせなかった、というのがバレましたね。
菅:そうだね。だから、東電がわかっていることをぜんぶはなしているのか、都合の悪いことは隠しているのかが、わからない。わかりやすい例をあげると、「テレビ会議」の件だってそう。いまだってフルオープンしていないんですよ。「なんでしないんだ?」ときいたら「プライバシーの問題ですから」と返ってきて、あれはおどろきましたね、あれほどの事故の検証で、なにがプライバシーかと(苦笑)。
もんじゅ:いってることが、めちゃくちゃですよね……。
菅:あのテレビ会議の記録というのは、飛行機事故でいえば「ブラックボックス」みたいなもんじゃない? つまり、コックピットと管制塔とのやりとりを録音しているレコーダー。事故が起きたときに、なぜ事故にいたったのか、原因や経過を調べるためにあとから検証するでしょう。もし飛行機のブラックボックスだったら、フライト中にもし機長が彼女のはなしをしたとしてもね、事故調査ときにはそれをフルオープンにするのはあたりまえですよ。
なのに東電は、事故におけるブラックボックスであるテレビ会議をいまでもぜんぶはみせないわけです。政府の事故調査委員会だってすべてみていない。公開されたのは、国会事故調査委員会の段階で東電がOKした部分だけですよ。そのあとでかなりオープンにはされたけれど、それでもまだ東電がチェックして消したり、モザイク処理をかけたところがある。