Tenkuu Cafe - a view from above

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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

大地の息吹 - 美しき丘の町 ・美瑛 (10)

2009-06-14 | 北海道
“丘の町”= 畑作 のイメージの強い美瑛だが、旭や新区画といった平地の部分では、毎年、沢山の米が栽培されている。 
品種は、北海道米、“きらら”、“ほしのゆめ”、“ななつぼし”、“おぼろづき”など。
美瑛の稲作面積は、約1,000ヘクタール、町全体の農地の約1割を占める。小麦、ビート、ジャガイモ、豆等についで、美瑛の主要な農産物となっている。



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6 コメント

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鳥瞰図 (芋焼酎)
2009-06-15 07:11:54
おはようございます。

 今朝は朝刊がないのでテレビでニュースをチェックをしています。毎度のことながら、うんざりするような話題ばかりで滅入ってしまいます。気分転換にと、出勤前出勤前に、ちらっと写真を眺めさせていただきました。

 鏡のように光を反射する様、見事としか言いようがありませんね。まさに鳥の目が捉えた景色という感じですね。こんなのを常に見ている「鳥」、羨ましいです。

 「鳥」つながりで話を無理やり進めます。今はサイトで全世界の航空写真を見られるようになりましたが、ほんの少し前までは世界地図を眺めながら想像を膨らませるしかなかったですね。

 昨夜、その航空写真で伊能忠敬とその弟子(?)の間宮林蔵に思いを馳せながら樺太を眺めました。樺太の北の方の複雑な地形に思わず見とれてしまいました。「鳥」になってその地形を実際に見に行きたいと思いました。

 鳥瞰図という図法があります。まさに「鳥」の目で地形を表すもので、岡山市街鳥瞰図を描いた吉田初三郎はその代表的な図師ですが、ひょっとしたら、吉田初三郎も「鳥」なりたかったと思います。世の中の嫌な出来事も「鳥」のように大きな視野で見られたらと思ってしまいます。

 出勤時間がきました。まとまりのないまま投稿します。


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大きな視野 (sogo)
2009-06-15 19:43:47
芋焼酎様。
こんばんは。
出勤前の忙しい時間に、コメントいただきありがとうございます。
芋焼酎さん、ほんとうに、いろいろとよくご存じなんですね。
脱帽!!という感じです。

私の手元に、
別冊太陽 『パノラマ地図の世界』 平凡社 2003 があります。
序文をご紹介します。

“自然を、街を見渡す楽しみ
上空をとびながら、街の佇まいや山並みをながめる
飛翔する鳥の目となれば、
世界は鮮やかな色彩を帯びてくる
連なる山々、谷を、街を流れる川筋、広がる海
街と街を結ぶ鉄道路線
パノラマ地図、鳥瞰図は
私たちを魅了し、そして
ひとも街も自然もすべてはつながっている
と伝えてくれる・・・“

私の“拙ブログ”の目指すところです!

鳥瞰図師 吉田初三郎 (京都生まれ 1884-1955)についても詳しく記載されています。
写真では表現できない、“デフォルメ”と“遊び心”がたいへん魅力的です。
朝刊(ちょうかん)の休刊日に、鳥瞰(ちょうかん)図師のご紹介、ありがとうございました!!

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伊能忠敬と間宮林蔵 (芋焼酎)
2009-06-15 22:31:14
sogoさん

>朝刊(ちょうかん)の休刊日に、鳥瞰(ちょう>かん)図師のご紹介、ありがとうございまし >た!!

 こんばんは。やられました、sogoさんに座布団一枚です。

 今朝ほど書き込みました私の駄文を続けたいと思います。朝、自宅を出るまでの少ない時間でだったので内容がまとまりがないものになりました。(もっとも、時間があってもあまり変わりはありませんが。)

 間宮林蔵ですが、あの樺太の開拓者と知られ、間宮海峡などの名前で知られていますが伊能忠敬の弟子のような形で樺太の測量を行ったことは最近まで知りませんでした。数年前、伊能忠敬の測量について調べているうちに知ることができました。友人に自慢げに話したら「そんなことは誰でも知っていることだよ。」言われてしまいした。

 以前勤務していた磯子区の職場近くの神社探索をしていたところ偶然に「間宮水軍」を祀ってある神社を発見しました。若宮神社という神社で鎌倉時代、北条家に仕え勇名をはせた一大水軍で、総大将は間宮隼人といい、間宮林蔵の祖先にあたります。ちょうどこの頃伊能忠敬の研究をしていたので、この神社の発見をきっかけに伊能忠敬つながりで間宮林蔵、間宮水軍を調べようと思うことになりました。しかしその後、転勤となり忙しいのにかまけてズルズルと時間だけが過ぎて今となってしまいました。気持ちが高まれば、また伊能と間宮についてもう少し勉強したいと思っています。樺太北部の気の遠くなるような複雑怪奇な地形を、間宮がどのような気持でそして、どのような工夫をして測量したのか知りたくて知りたくてたまりません。今だったら、google mapあたりで一発で地形を知ることができる・・・何と不便で味気ない時代に自分がいるのかと思うと悲しくて仕方がありません。

 話は変わりますが、今朝ほど、「鳥」の目について少し書き込みましたが、人類の空へのあこがれは昔も今も変わらないと思います。人類が鳥にあこがれ鳥になろうとした時代は、何と冒険とロマンにあふれていたのだろうと思うとその時代に生きた人たちを嫉妬せずには居られません。

 全日空は今の塗装の前は、ダビンチのヘリコプターマークを使っていました。空を生業として、空への憧れを表現した素晴らしいマークだったと思います。ひょっとしたらその当時の全日空の社員は本気で「鳥」になりたかったんじゃないかと思ってしまいます。全日空のバイカウントの機体に塗られたダビンチ塗装は、お世辞抜きに世界一格好がいいと思っていました。それがその後、例のロッキード・トライスターに塗られたモヒカン塗装・・・・かろうじてダビンチのヘリコプターマークは残ったものの、何かしらしっくりしませんでした。そして今のANAマーク塗装・・・・本当にがっかりです。ピカチュウ塗装やクジラ塗装などの特別塗装もいいけど、バイカウント時代のダビンチ塗装のANA便が出現したら何回でも乗りに行くと思っています。「鳥」になれる気がしそうですから。

すみません、また話がそれてしまいました。
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そして、武四郎 (sogo)
2009-06-16 01:08:18
芋焼酎様。
おはようございます。
伊能忠敬と間宮林蔵の話、興味深く読ませていただきました。
伊能忠敬や間宮林蔵に比べると、知名度はそれほど高くありませんが、
北海道の内陸をくまなく踏査して、北海道(北加伊道)という名前の素を考えた人物として、
「松浦武四郎」という探検家がいます。
石狩川の上流、旭川市忠別川沿いの番屋を中継点として、
層雲峡や先日までシリーズでお伝えした美瑛方面まで調査をしました。
そして3度にわたる蝦夷地実地調査を『蝦夷日誌』全35巻に著し幕府に献上したそうです。 
蝦夷地の“輪郭”は、武四郎以前の測量士、伊能忠敬・間宮林蔵が、
そして、探検家、松浦武四郎はその“中身”を肉付けたということも言えるのでしょうか。
アイヌと共に生活しながら探検を続けた人は、ほとんどいない中で、差別心を持たない人権感覚に優れた人物としても知られているそうです。
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Res:そして、武四郎 (芋焼酎)
2009-06-16 07:07:12
sogo様

 松浦武四郎の名前は以前、花崎皋平という哲学者がアイヌ民族について著した本で知りました(が、その本もどこかに行ってしまい見当たりません)。sogoさんのおかげで、昔の記憶がよみがえってきました。花崎氏は北海道大学で教鞭をとる最中、全共闘の学生を教職員として支持し、それがもとで若くして大学を去ることになるのですが、一貫してマイノリティーの側にたって物事をみている人物で今も健在だと思います。その頃の私は花崎の方に興味があったので松浦武四郎のことはスルーしてしまいました。

 その後松浦の名前を目にしたのは、妻とお伊勢参りをした時です。ガイドブックを見ながらの旅だったのですが、松阪市内に松浦武四郎の銅像(だったかな?)があるということが書いてあったのでぜひとも行きたいと思いました。しかし、その日のあまりの暑さに負けてしまい、結局は素通りしてしまい、赤福本店に直行してしまいした。ですから松浦武四郎の名前を目にしたのはその時以来になります。

 それにしてもsogoさんの素晴らしい写真のおかげで、話題が次々と広がっていきますね。本当に一枚の写真が与えるインパクトは大きいですね。私はというと、昔の記憶が次々とよみがえってきてありがたいです。私の老化防止にもとても役立たせていただいています(劣化のスピードだけは落ちませんが・・)。

 (書き込んだ文章、後で読み直すと内容に誤りがあったり、日本語になってなかったりして恥ずかしいです。投稿ボタンを押す前に読みなおせばいいのですが、勢いで書き込んでいますのでお許しを・・・)



 
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古き良き時代 (sogo)
2009-06-16 22:27:25
芋焼酎様
こんばんは。
芋焼酎さんのコメントをいつも吸い込まれるように楽しく読ませていただいています。

“花崎皋平”という方、知りませんでした。どんな方なのか?興味津々です!
著書があれば読んでみたいと思います。

先日、このコメントでご紹介いただいた星野之宣『宗像教授伝奇考』、面白いです!
歴史のこんな見方があるのかと…

“バイカウント”というと、ロールス・ロイス、ダートというターボプロップ!!
キィ--------ンという独特の金属音は、忘れることができません。(乗ったことはありません)
古き良き時代を思い出します。
そういえば、YS-11も, R・R、ダートでしたね。(空からの眺めは抜群でした)
なつかしいなーーーーーーー

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