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五島列島を飛ぶ (12) - 野崎島

2010-08-16 | 九州



与助は、フランス人神父から、リブ・ヴオールト天井をかける方法や幾何学を学び、また、さまざまな教会建築の技術を身につけた。

与助は建築技術の指導者として神父達に終生深い敬愛の念を持ち続けていた。
神父たちに接すれば接するほど、その人格に惹かれて行った。それは同時に、カトリックへの熱き思いであった。

しかし、与助は、敬虔な「仏教徒」だったのである。

若き与助は、悩み、カトリック入信に傾いたこともあった。
「先祖代々の信仰を、自分の代で改宗しては、ご先祖様に申し訳ない」と
ようやくのこと踏みとどまった。
入信を勧めた神父も、「信仰は個人の自由の問題だ。残念だがやむをえない」と言って以後その話をすることがなかったという。

カトリック教徒の中には、
「聖なる天主堂の建設に仏教徒の力を借りることなど、もってのほかである」
と与助の参加をかたくなに拒む信者が少なからずいた。

しかし、与助の人柄と仕事ぶりを目の当たりにしたとき、与助に冷ややかだった彼らの目の色は徐々に移ろいをみせていった。
「鉄川でなければ、天主堂は建てきらん」ということばがささやかれるようになってきた。



天主堂建築に生涯を捧げた男、
鉄川与助は、1976(昭和51)年7月5日、97歳でその生涯を閉じた。
多くの有能な神父との出会いを大事にしながらも、自らは信徒となることはなく、終生仏教徒を通した。

与助の墓は、生まれ故郷である新魚目町丸尾郷の山腹に、神父達の故国、遥かな西欧を望むように建っている。





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