飛行機が福岡空港へ着陸体制をとる前に大きく左側に旋回するが、その時に真下に見える島が相島である。相島は玄界灘に浮かぶ周囲6.1キロメートル、人口430人の島。 新宮漁港から渡船で20分ほど。島は東西に長く「勾玉」の形を連想させる。島の南側に漁港、集落が開けている。
江戸時代、日本と唯一国交のあった朝鮮の通信使の定宿(客殿)が置かれた島だった。通信使は都合12回の往来しているが、うち11回相島に立ち寄り、黒田藩が饗応している。
古くは阿倍島と呼ばれることもあった。相島は、大陸、筑紫へ、あるいは唐津、長崎へ向かう船人が立ち寄ることもあった海上交通の要衝の島。島のあちこちに古跡が残る。
江戸時代、日本と唯一国交のあった朝鮮の通信使の定宿(客殿)が置かれた島だった。通信使は都合12回の往来しているが、うち11回相島に立ち寄り、黒田藩が饗応している。
古くは阿倍島と呼ばれることもあった。相島は、大陸、筑紫へ、あるいは唐津、長崎へ向かう船人が立ち寄ることもあった海上交通の要衝の島。島のあちこちに古跡が残る。
いつもご覧いただきありがとうございます。
昨日は、興味深い「相島」のお話ありがとうございました。とても楽しく読ませていただきました。
手元にあった「相島」の写真を早速アップしました(あまり良い写真ではありませんが)。
芋焼酎さんの、軽妙なキャプションを、お願いします!
このコメント欄に入れてくださればありがたいです!!
UPしていただいた相島の写真をじーっとみるとやっぱり歴史を感じさせられます。しかも古代に繋がるような歴史を・・・。UPされた写真を見て改めて感じたのは、形が勾玉に瓜二つということです。勾玉がこの島からヒントを得たように感じるほど勾玉そのものの形をしています。この辺も古代ロマンへと誘う要因かもしれません。
「道は曲がっていなければならない。」と言い切ったのは唐十郎だったか寺山修二だったか定かでありませんが、わたしもまっすぐな道は好きではありません。もちろん唐か寺山もこんな静かな島を想ってそう言い放ったのではありません。その反対の東京の雑踏の裏町のくねくねした道や曲がり角の向こうに未知の世界が待っていることを、比喩的に表現したと思います。しかし、私はこの言葉が妙に残っていて、こんなにも静かな相島を上空から曲がった道をみて、フッとこの言葉を思い出したことを記憶しています。多分、福岡に帰る前夜、新宿花園神社で唐十郎のテント芝居を見たのが原因だと思います。
余談ですが、「相島」とキーボードを打つと
「愛の島」が初めに出てくるのはいいですね。どこかの旅行業者がキャッチコピーに使いそうですがそうなれば興醒めですが・・・・。
私の中では「一度はどうしても行きたい島」としてこだわろうと思っています。
話は変わりますが、相島のすぐ近くにある能古島もいいですよ。飛行ルートからやや外れて上空から見えませんが(通っている便もあるかもしれませんが・・)とても素晴らしい島です。ここは何度か行ったことがあります。博多湾と玄界灘の境にあり、元寇の舞台にもなった島です。島が台地状になっていて、春には一面菜の花が咲き乱れます。
能古島は博多湾と玄界灘の境にはありません。博多湾内にあります。もうすこし慎重に書き込みますが、これからもミスが出そうな気がします。