日本航空がお送りいたしました、ジェットストリーム
そろそろ、お別れの時間が近づいて参りました。
皆さまのお相手は、わたくし、城達也でした。
25年間、わたくしがご案内役を務めて参りましたジェットストリームは、
今夜でお別れでございます。
長い間本当に、ありがとうございました。
またいつの日か、夢も遥かな空の旅でお会いいたしましょう。
そして、来年(1995年)1月2日からは、装いも新たなジェットストリームが旅立ちます。
夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が、美しくあなたの夢に溶け込んでゆきますように。
では皆さま、さようなら。よいお年をお迎えください。
1960年代、東京FMの前身のFM東海の営業部長だった後藤さんは、オープニングで船の霧笛の音を鳴らしていたラジオ関東(現・ラジオ日本)の人気番組をヒントに「これからは飛行機の旅になる」と、旅をテーマにした新番組の企画を日本航空に持ちかけた。
そして、霧笛の代わりにジェット機の噴射音を使い、航空会社がスポンサーだった米国の深夜放送も参考にして、67年7月3日、日本航空の1社提供で番組がスタート。案内人には「声が重くなく軽くなく、イメージにぴったりだった」と、当時35歳の声優、城が抜てきされた。
ほどなく、「名調子」とうたわれた城のナレーションとイージーリスニングの音楽を中心とした構成がリスナーの心を引きつけ、「城達也」の名はジェットストリームの代名詞になった。
番組開始から27年がたった94年秋。久しぶりにタクシーで番組を聴いた後藤さん(当時は社長)はショックを受けた。自分が知っている城の声とはまるで別人だったからだ。翌朝、制作スタッフに尋ねると、彼らも声の異状に気付いていたが、「城さんはこの番組が生きがいだと言っている。声がおかしいとは、とても言えない」と打ち明けた。
それから後藤さんは1週間続けて番組を聴き、「やはりこのままでは彼のイメージが壊れる。私から(降板を)伝えよう」と決断。11月末に城を社長室に呼ぶと、「ご心配かけました。腹を決めました」と自ら降板を切り出したという。
その年の12月30日、「では皆さまさようなら。よいお年をお迎えください」と語ったのがオンエアの最後の言葉。
2か月後、食道がんで城は、空に旅立った。
その後、番組の案内人は城の弟子だった声優の小野田英一(~00年)、フリーアナウンサーの森田真奈美(~02年)、伊武雅刀(~09年)、を経て、現在は5代目の大沢たかおが担当している。後藤さんは「いずれ、宇宙への旅が実現する時代まで、番組が続いてほしい」と目を細める。
( 以上 読売新聞 から)