つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町・虫日記②~薄暮の恐怖~

2010年07月19日 06時22分22秒 | 自然
きのうは、久しぶりに夕方から散歩に出た。
いつもは早朝が多いせいか、同じ道・見慣れた景色の中を歩いていても
新鮮に感じる。

その理由は、まず何といっても光が違う。

朝は太陽が昇るにつれ光の当たる角度が10分単位で変わっていくが、
それぞれが単色だ。
時間の流れに合わせ過去の色はすぐにかき消され、刻々と薄くなってゆき、
やがて、透明な世界になる。 後に残るのは、影が落とす黒だけだ。
彩りを楽しめる時間は意外なほど短い。

夕方は太陽が沈むにつれ、光の当たる角度がどんどん変わっていくが、
その変化には、過去の余韻がある。
夕陽から遠ざかるにつれ、黄金、橙、薄紅、藍、菖蒲、薄墨、漆黒…
複雑な色の波が広がるグラデーション。
時間の経過に歩調を合わせ、世界の色は濃くなっていき、
やがて、黒以外の色が無くなり闇になるまでの時間は、思ったより長い。

また蠢く動物たちが違う。

鳥に代わって、空の支配者の座に座るのはコウモリだ。
彼らは、光も音もない空間で超音波を頼りに獲物に近付き、狩りをする。
そして「今日の一枚」…まるで宙に浮いたように映る「蜘蛛」も
ハンティングに忙しい。
暑い日中より涼しい夕暮れの方が虫も多くなり、網にかかり易くなる。
しかも、光が急激に減っていく薄暮時は、秒単位で視力が奪われていくため
張り巡らせた糸は闇に溶け込んでしまう。
見えない罠ほど恐ろしいものはない。

(正確に言えば「蜘蛛」は昆虫ではないが「虫日記」とした。)
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津幡小学校、夏の香り。

2010年07月18日 20時45分16秒 | 日記
本日二度めの投稿。
本日二枚目の「今日の一枚」は、子供達の受入れ体制が整った津幡小学校のプール。
前回に続け、プールの思い出を投稿してみようと思う。

小学生の僕は、プールの「塩素」が楽しみだった。
正しくは「塩素系消毒剤」。
ちょうど手の平サイズで、低い円柱形をした大きなタブレットである。
プールの底から、そいつを拾うのが好きだった。

まず潜る。
大きく息を吸い、思い切って体を沈めると、途端に音が消え、
水面の水の動きに合わせて、ユラユラと姿を変える光の模様が見える。
青とも透明ともつかない水の中は、呼吸すらできない不思議な別世界。
ちょっとした探検の気分である。
そして、その底に置かれた真っ白な塩素の塊は、珍しい鉱物のようにも思えた。

触ると溶けた表面がヌルヌルする。
プール独特の消毒臭い匂いもプンプンする。
いかにもケミカルなイメージがプンプンと漂っていて、子供心にも、これは毒だと分かる。
触っちゃダメ!…と教えられてはいたが、口にいれなきゃ大丈夫だろうと軽く考え、
その「塩素」を友達に押し付けたり、自分の肌に押し付けたりして、
ヌルヌルした気色の悪い感触を楽しんでいた。

無知とは、恐ろしいことである。
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津幡小学校、校舎と校庭と夏空と。

2010年07月18日 10時47分59秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡小学校の上空、よく晴れ渡った朝の夏空。

きのう、北陸に「梅雨明け宣言」が出た。
平年に比べて5日あまり早い発令だ。
去年は梅雨明け時期が特定できなかったばかりか、記録的な冷夏になり、
夏を実感できなかったが、今年はそれなりに暑くなって欲しい。
やはり、夏は夏らしくいてくれるのが、精神的にも環境的にも何かと望ましい。
ま、これが「猛暑」となると、何かと不都合も出てくるのだが…。

ところで、夏休みの学校と聞き、真っ先に思い出されるのは「プール」だ。

今も津幡町に公営のプールはなく、また、海のない町である。
水遊びができるような川には、かなり上流へ遡らねばお目にかかれない。
だから、涼を取りに小学校のプールへよく通った。
近隣の子供も条件は同じで、皆集中するため、
確か、学年別にスケジュールが割り振られていたように思う。
但し、子供の数が多く一学年当たり9~10クラスもあるから、常に混雑。
まさに「芋の子を洗う」状態は、昭和51年の夏を境に、突然、解消された。

笠井小学校と津幡小学校の一部が、「太白台小学校」として統合され、
クラスメイトの3割近くが、新しい学び舎へと去ったからである。
僕にとって小学校のプールは、思う存分遊べる場所になったが、
観声が減り、蝉の声が大きく響く小学生最後の夏に、一抹の寂しさを覚えた。
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津幡町、夏来る。

2010年07月16日 23時53分42秒 | 日記
午後、夏らしい碧空を見て、本日思わず2度目の投稿。
…というのも、夏の旅の記憶が蘇ってきたからだ。
あれは、高校1年の夏。
友人2人と一緒に、能登半島へ自転車旅行に出かけた。
ちょうど、今日の一枚のように、空には白くて大きな雲が浮かぶ日だった。

目指すは、羽咋の柴垣海岸。
朝5時頃に津幡町・庄町を出発して、まずは宇ノ気の白尾海岸まで。
砂丘越しに海原が見えてきたら、潮の香りを嗅ぎつつ
海岸沿いを「能登海浜自転車道」を一路北へと向かった。

この道は、主に能登有料道路沿いを走るアスファルトの舗装道路。
歩行者、自転車専用のため、車や信号に邪魔されず、快適な道のりだ。

スタート直後は、よくしゃべった。
滅多にない早朝からの行動。
旅の興奮。
夏という季節が持つ独特の開放感。
そんな要素が僕たちを饒舌にさせた。

だが、疲労が段々と口数を奪っていく。
自分自身の荒い息遣いが耳につく頃、
道に映った孤影を見つめ、自己の内面に向き合い始める。
ひとしきり思案を尽くした頃、
ようやく柴垣海岸に辿り着く。

入道雲が浮かぶ碧空の下。
辺りに響くのは、岩に打ち寄せては返す波の音。
僕は大きく息を吐き、汗をぬぐった。
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津幡町、夏へ。

2010年07月16日 12時09分02秒 | 日記
先週末から降り続いてきた雨が止んだ。
東アジアの天気図や衛星画像を見ると、太平洋高気圧の勢力が強まっている。
何より、雲の切れ間から覗く空が碧く、高い。
そろそろ夏がやって来そうだ。
こんな空を見ると、旅に出たくなるのが常である。
かつて、僕にとって、夏は旅の季節だった。

人生で最初に「一人旅」と言える旅をしたのは、多分、中学3年生の夏。
津幡町・庄町の生家から、河合谷にある母親の実家へ自転車で向った時の事だ。
片道は10キロ少々。 
車で移動すれば20分余りだが、アップダウンのある山道が多く、
自転車だと軽く3倍はかかる。
庄町⇒舟橋⇒能瀬⇒中山と北上するうち、
少しずつ高低差が大きくなり、カーブの数も増えていく。
道に並行して流れる川の幅は狭く、底までは浅く、水量は少なく、岩肌が露わ。
緩やかな下流とはすっかり姿を変えている。
辺りの緑は次第に濃くなり、距離が近くなっていく。
「山の世界」へ分け入っていく実感があった。

一番の難所は「興津(きょうず)峠」の九十九折り。
歯をくいしばってペダルをこぎ進む。
ようやく上り坂を克服して自転車を止めると、
道の両側は杉や欅の大木が生い茂った薄暗い峠道。
聞こえるのは梢を渡る風の音と、自分の荒い息使いに、鳥の鳴き声。

顔を上げると、木々の葉の間から「碧い空」が見えた。
その時、僕は微笑みを浮かべていたはずだ。
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