つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

名もなき草に学んだ、津幡町。

2010年07月15日 01時26分07秒 | 日記
まったく毎日蒸し暑い。

人間にとって不快に感じる高温多湿のこの時期は、植物にとって“おいしい季節”。
何故なら、ふんだんに手に入る雨や湿気も、
雲を通して上空から降る適度な陽の光も、
光合成にとっては欠かせない要素である。
成長のスピードを上げる絶好のタイミングだ。

先日、散歩の折に廃屋の瓦屋根に根を張る草を見つけて、シャッターを切った。
それは、植物の逞しさが伝わる一枚であり、
同時に日本家屋が自然素材でできている証でもある。
瓦は元をただせば土だ。
漆喰の白壁は石灰や藁が原材料。
添木の板は言うまでもない。
そのまま放置しておけば、やがて土に還るのが「日本家屋」である。
だから、苗床にだってなる。

自由に動き回れない植物にとって、雨や陽を遮らない瓦屋根は、絶好の棲家…。
いや、逆に考えれば、植物は動き回る必要がないのだ。
そこに留まる事で生きる糧が得られるのだから。
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津幡町に残る、謎の80’sサインボード。

2010年07月14日 08時25分48秒 | 日記
きのう、ラジオで「佐野元春」特集を聞いた。
一曲目は1980年のデビュー曲「アンジェリーナ」。
年甲斐もなく「あの頃」が蘇ってきて、思わず口ずさんでしまい、
初めてラジオからこの曲が流れてきた瞬間を思い出した。
この記憶再生能力が、音楽の持つ魅力かもしれない。
今日の一枚…津幡町の片隅に残る古い看板のように、掠れて色あせた過去が、
急に鮮やかになった感じがした。

「アンジェリーナ」が、ニューヨークから流れてきて、
愛を探して、誰かの車が来るまで、闇にくるまっていた30年前。
出来事や流行を書き連ねてみよう。

皆、何となくクリスタルな気持ちになって、ホコ天では竹の子族が踊り明かし、
新宿で放火されたバスの炎を横目で見ながら、ジョン・レノンの訃報を聞いた。
A地点からB地点まで、もみじまんじゅうを買いに行ったら、
ゲロゲーロ、ツクツクボーシ、ホーホケキョの大合唱に大爆笑した。
子供たちが空に向かって広げた両手の先には、暮れなずむ街に、ハッとしてGoodした。
ソ連がアフガニスタンを攻め、大勢のオリンピック代表選手が悲観にくれ、
僕はルーマニアの白い妖精の演技が見られず遺憾に思った1980年。
…何やら騒々しい一年だが、この年は第2次オイルショックの影響で景気も悪かった。
そして、プラザ合意から金融緩和、バブルへと進んでいく。

それにしても、時代を感じる看板は、一体いつ、誰が、何のために設置したんだろう?
有機な人の記憶と違って、時にさらされ風化した「物」は、もう元に戻らない。
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平成22年夏の陣。世界でも、日本でも、津幡町の路上でも。

2010年07月12日 07時41分21秒 | りくすけ
2つの戦いが終わった。

1つは、南アフリカ・ヨハネスブルクで行われたサッカーの世界一決定戦。
接戦を制したのは、スペインだった。
もう1つは、昨日投票が行われた第22回参議院議員選挙。
与党勢力の敗北である。
この結果、日本の舵取りはすんなり行かなくなった。
実質、船長が2人になってしまったからだ。
何かと大変である。 混迷の時代は、いつ終わるのだろうか?
いや、そもそも時代とは常に混迷の中にあるものなのだろうか?

僕は、社会人になるまで「現在と比べ、世界は安定していた」という感覚がある。
そんな思いを抱くのは、当時の自分が子供だったせいだろう。
実際には色々と大変な出来事があったが、
僕は社会の荒波とは無縁の環境で過ごし、夢を食べて生きていた。

@例えば、漠然とした海外への憧れがあった。
 インターネットや衛星、航空網、金融の発達によって
 世界との距離が縮まった今に比べ
 正確な情報は少なかったが、不透明だからこそ、
 夢と想像をかき立てられた。
 海外旅行は珍しく、百科事典や「兼高かおる世界の旅」
 「すばらしい世界旅行」「シルクロード」に「マルコポーロの冒険」
 などが情報源。
 来日する外人レスラーも謎が多くてドキドキした。
@例えば、「55年体制」があった。
 冷戦の終結の頃まで続いた、日本社会党、自由民主党による二大政党制。
 振り返ってみれば、古代ローマ帝国の「元老院」のように
 存在感と安定感があった。
 日本人は、ちょうどいい湯加減の世の中で、鼻歌交じりに夢を見ていた。
@例えば、高度成長から安定成長-バブル景気。
 何の補償もないが、漠然と好景気が続くような気がして、
 夢や希望を持ちやすかった。

やはり、経済が安定しているという事は、何より大切だと思う。
人はパンのみに生きるに非ず。 されどパンなしに人は生きられない。
まず空腹が解消されてこそ、次のステップへ行ける。
働こう!


そして、津幡町の路上ではもう1つの戦いが終わった。
今日の一枚…「りくすけ」と野良ネコのにらみ合いは、
お互いを傷つけないままの「ドロー」だった。
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在りし日のスカールメモリー~津幡の寿がきやラーメン~

2010年07月11日 10時43分51秒 | 日記
今日の一枚は、昨日画像を掲載した「KFC」と同じ
「アルプラザ津幡」の一角にある和のFast Food…「スガキヤ」。
ペット連れでは店内に入れないため、自動ドアが開いた瞬間に、看板を撮影した。

本社は名古屋。 価格設定は全体的にリーズナブルで、庶民に嬉しいチェーンである。
力を入れているメニューは、メインキャラクターの「スーちゃん」を見れば一目瞭然。
お下げ髪の女の子は、右手にラーメン、左手にソフトクリーム。
麺類と甘味が充実している。
また、食器にレンゲとフォークを合わせたような、
独特の「ラーメンフォーク」でも知られている。
ラーメンスープは、魚介の香りが立つ、あっさりした豚骨風味。
細麺は、やや伸び気味だったりする。
そりゃあ、本格的なラーメン店に比べれば、チープかもしれない。
しかし、コストパフォーマンスを考えれば、満足の味。
そして、僕個人にとっては、今は無き「ショッピングセンター・スカール」の思い出と共に
忘れ難いノスタルジックな味わいでもある。

このブログでも度々名前が登場する「スカール」は、
2001年1月28日に閉鎖された大規模小売店舗である。
ここの1階には、カタカナ表記になる以前の「寿がきや」があった。
確か僕が小学生頃の値段は…ラーメン140円、肉入りラーメン200円、特製ラーメン250円。
よく、学校が終わり一旦帰宅してから、一人で食べに出かけたものだ。
スカールまで自転車を走らせ、店の前へ着くとポケットの中を探る。
出てきた小銭を数え、今後の小遣いの使い道を思案しながら、悩みに悩んで食券を買う。
もっぱら一番安い「ラーメン」だったが、たまにチャーシューが5枚入った「肉入り」や、
半熟玉子付きの「特製」を奮発出来た時は嬉しかったっけ…。
運ばれてきた丼から立ち昇る湯気に顔を近づけ、まずは、和風豚骨の香りを楽しむ。
次に、ラーメンフォークでスープを一口味わって舌鼓。
続いて、卓上に常備された粉末状のホワイトペッパーをたっぷり振りかけていただくのだ!

当時はラーメンと言うと醤油味ばかり。
しかも、小学生がインスタント以外のラーメンを口にできる機会なんて滅多にない。
それが、自分の金で食べられるんだから、嬉しい事この上ない。
一心不乱に麺をすすり、スープも飲みきった後、僕はこう言って席を立つのが常だった。
…「あぁぁぁぁ~美味かったぁ…」。

食事途中も食後も、水は飲まない。
なるべく長い時間、ラーメンの余韻に浸っていたかったからだ。
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遅かった?津幡町のFast Food。

2010年07月10日 21時01分20秒 | 日記
僕が生まれたころ、まだ日本にFast Foodはなかった。

1970年、海を越えアメリカから最初にやってきたのが
「ケンタッキー・フライド・チキン」。
続いて、「マクドナルド」「ミスター・ドーナツ」
「ロッテリア」「モスバーガー」などが後を追って上陸。

僕が中学生になったころ、まだ津幡にはFast Foodはなかった。
しかし、既に金沢には「ケンタ」と「ミスド」があった。
「ケンタ」は武蔵ヶ辻の交差点角「名鉄丸越」の裏。
「ミスド」は香林坊・広坂交差点の角。
たまに訪れると、どちらの店内も人でいっぱい。大人気だった。
店員がお揃いの制服姿。 マニュアルに沿ったそつのない接客。
待ち時間が少なく素早い提供。 何よりアメリカンな店内の雰囲気と味わい。
「新しい食」の在り方に驚いたのは、ついこの前のように思える。

そして、21世紀…津幡にもFast Foodがやってきた。
今日の一枚、アルプラザ津幡店の中に参入した「ケンタ」である。
だが、ようやく登場した時、既に世の中の価値観は変わってしまっていた。

90年代の終盤辺りからSlow Foodなる言葉が浸透し始め、
早い、うまい、安いが身上の食品に警鐘が鳴らされるようになった。
また「ヘルシー」という曖昧なカタカナ・キャッチコピーが幅を利かせ始め、
ノンオイル、オフカロリーが持てはやされる様になってきた。
きのう、東京・渋谷には“次世代店舗”とやらの第一号店がオープン。
何と、チキンを揚げずに、オーブンで焼いたメニューがメインになるそうだ。
…それでは、「ケンタッキー“グリルド”チキン」じゃないか?!
これは個人的な好みだが、僕はケンタの「オリジナルチキン」が好きだ。
何より、創業者の「カーネル・サンダース」の伝説が好きだ。
様々な職業を渡り歩いた苦労人が40歳の時に、
11種類のハーブとスパイスを使ったレシピを開発したというアメリカンな浪花節…
カントリー&ウエスタンのようなサクセスストーリーが、たまらなく好きだ。

こってりしていても、いいじゃないか。
カロリーが高くたって、いいじゃないか。
看板で、あるいは人形になって福々しく笑う「カーネルおじさん」に敬意を表し、
僕は必ずオリジナルチキンを注文することにしている。
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