つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の赤いベンチ。

2010年07月24日 20時00分52秒 | 日記
「今日の一枚」は、コカコーラのロゴが入った木製の赤いベンチだ。
今では見かける機会は少なくなったが、昔は至る所に置いてあった。
少年時代は、何度このベンチに腰かけて、飲み食いしたことだろう…。
とりわけ思い出深いのは、僕が十八の夏。
旅の記憶に登場する。

その旅の動機は、自分の無知だった。
大学の同級生から石川県・金沢についての質問を投げかけられ、
面積や人口、気候などのデータや観光地といった、
一般的な答えは返す事ができた。
だが、どれもガイドブックの域を出ず、言葉に実感が伴わない。
生まれ育った土地を離れて初めて、故郷の知識が薄い事に気付かされた。
そこで、考え、目標を立てた。

…『己の目で見て、耳で聞いて、肌で感じ、自分自身が納得できるようになろう。』
…『まずは、能登半島を歩いて一周してみよう。』
そして夏。
帰省した僕は、リュックに着替えを詰めて、津幡町を出発した。

見慣れた景色が徐々に遠ざかり、迎えた初日のゴールは羽咋市。
距離にして30㎞は歩いただろうか? あまりの過酷さに先が思いやられた。
志賀町、門前町、輪島市と外浦を北上し、珠洲の先端を回って内浦へ。
能都町、穴水町、七尾市、再び羽咋、そして津幡町に帰着する行程。
その間の寝泊まりは、屋根付きのバス停や駅の構内、漁師小屋など。 
要するに野宿である。

日の出と共に動き始め、予め定めてあったその日の目標地点までひたすら歩く。
腰に下げた携帯ラジオから流れる
「ロサンゼルス・オリンピック」の実況中継に励まされ、
「ルイ・アームストロング」の「ウィ・シャル・オーバー・カム」を一緒に歌い、
能登の潮風と雄大な景色を眺めつつ歩みを進めた。

そんな旅の気休めが「赤いベンチ」だった。
まだ、コンビニなどない時代。
集落毎にある酒屋や万屋は、飲料・食料を調達する拠点になり、
店先の赤いベンチは、休憩時間を設ける目安になった。
つまり徒歩旅行の一里塚である。

旅の途中、蝉時雨を聞きながら赤いベンチで、瓶コーラを飲むのが常だった。
散歩途中、朝日を浴びながらベンチを見ていると、あの日の僕が見えた気がした。
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津幡町・虫日記③~忍術使い?!

2010年07月23日 11時19分56秒 | 自然
今朝の散歩中、「ニイニイ蝉」を発見。
津幡町役場横の中央公園の立ち木に掴まって、元気に甲高い鳴き声を響かせていた。
10センチあまりの小さな体から、よくあんな大きな音が出るものだと、
改めて感心するほど、耳を打つ音量。
日本の夏には欠かせないサウンドである。

子供の頃、その鳴き声を頼りに沢山の蝉を捕まえ、
虫籠に入れて、長い時間、飽きずに観察したものだ。
管のように細長い口。 小ぶりな複眼。
音を発する筋肉を備え、共鳴箱(アンプ)を仕込んだお腹。
体長をしのぐサイズの薄くて美しい羽。
何しろ人間とはまったく異なるコンセプトで創造された蝉は、不思議がいっぱい。
…そして、思った。 

『こいつ「バルタン星人」に似ているな』と。
…でも、この着眼、順序が逆。
正しくは“「バルタン星人」が蝉に似ている”のだ。

「バルタン星人」の別名は<宇宙忍者>。
蝉も忍者のような<移り身の術>を使う。
掲載した写真の様に、やや下のアングルから見るとそうでもないが、
正面から捉えたら、木肌と一体化していて、なかなか見つかりにくい。
それは見事な擬態なのだ。
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津幡町、夏の日課・神秘の営み。

2010年07月22日 22時01分07秒 | 自然
今朝の散歩途中、偶然、ラジオ体操の集まりに出くわした。
低学年の小学生を中心に40名ほどはいただろうか。
住吉公園のベンチに置かれたラジオを囲み、そこから流れるアナウンスと音楽に合わせ、
皆、一斉に両手を挙げたり、体を回したり…。
暑い夏、体力の衰えを防ぐため定期的に運動する。
夏休み、生活リズムがだらけてしまわないための定期的なスケジューリング。
色んな意味があって、長年続く夏の日課だ。

また、「今日の一枚」…体操が終わり帰宅するタイミングは、
友達同士で、昨夜見たTV番組の話をしたり、遊ぶ約束をしたりと、
学校のない時期だけに、大切なコミュニケーションの時間だ。

僕も小学生の頃、夏休みになると首から「出席カード」を下げて、毎朝、足を運んだ。
当時の実施会場は、現在の場所よりやや北へズレた「住吉保育園」だったと思う。
体操自体は、決して面白いものではなかったが、参加するのが当たり前だった。

それに、たまには涼しくて、薄暗い夏の早朝ならではの収穫もあった。
例えば、街灯の下でコガネムシやコクワガタ、カミキリムシなどを見つけたり。
草むらでバッタやカマキリを捕まえたり。
どことなく夜の名残があって、暑い日中に比べれば、虫達も活動的だったのだろう。

そして、一番印象に残っているのは、広場から少し離れた立木で、
羽化したての蝉を発見した時だ。
彼は、数年間の地下生活を経て、土に小さな穴を穿って這い出てきたばかり。
幼虫とは全く違った、羽根を持つ体に生まれ変ろうとしていた。
まだ体は白く、体液の生き届かない羽根は伸びきっていないため空を飛ぶ力はない。
抜け殻につかまり、ひたすら準備が整うのを待っていた。

それは、何百年も前から繰り返されてきた、神秘的な夏の営みだった。
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ハローワーク津幡。

2010年07月21日 08時38分50秒 | 日記
近年では珍しく、夏らしい夏になった2010年の7月。
容赦ない陽ざしの下を行きかう人々は汗をぬぐうのに忙しく、
また、かなりの人々は糧を得るのに忙しい。

近年では日常となってしまった不景気の熱風が吹く2010年の夏。
「今日の一枚」…田園に建つ「ハローワーク津幡」には、
今日も多くの方が足しげく通っている。
僕もその1人だ。
…といっても僕の場合は職探しのためではない。
幸いにも、散歩のランドマークとして利用しているのだ。
家を出て、本津幡駅⇒しょうず⇒緑が丘団地を歩くコースなら、
行程の3分の一くらいの目安になる。
そして、正面出入り口に設置されたボックスから
「求人案内」を印刷した一覧表を手に取るのが、散歩の定番になり、
個人的には、景気を計るバロメーターの1つになっている。

ここ数ヶ月、一覧表の束は、薄い。
「りくすけ」と散歩を始めた当時、1年半前よりニーズが少なくなっているのは明らか。
早く、分厚い状態に戻って欲しいと思う。

世界同時不況が叫ばれはじめてから、かなりの時間が経った。
好天続きなのに、心は晴々としていない。…それは「不安」のせいだろう。
未来は誰にもわからないものだが、2010年の夏「希望」が持てない。
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津幡小学校、芝生に佇んでいる百葉箱。

2010年07月19日 23時48分04秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡小学校の「百葉箱」。
おそらく30年以上、同じ場所に鎮座している。

木箱の中には、中身は温度計や乾湿計など。
直射日光や雨などの影響を直接受けずに、正しく気象観測ができるよう、
外側は光を反射しやすい白で塗られ、風通しをよくする為に「よろい戸」を設け、
地面からの照り返しを防ぐため、
芝生の上などに、ある程度の高さを保って設置されている。

ネットで値段を調べてみたら、この大きさだと10万円では手に入らない。
なかなか高価な物である。
百葉箱は、全国各地の小学校に戦前から設置され、気象観測が行われてきた。
また、小学校だけでなく、気象台でもデータ収集に使われるのが一般的だったが、
1993年・平成5年、自動観測機器の普及に伴って、百葉箱での観測を廃止。
それ以降は、気象台の職員がボランティアで補修や維持、管理に当たってきたが、
老朽化が進むにつれて維持、管理が難しくなっていき、
次々と百葉箱が撤廃されているらしい。
こうした状況は、学校でも同じだ。

やがて、新しい校舎になった時、この百葉箱はどうなってしまうんだろう?
できれば残して欲しいと思う。
僕も、百葉箱当番になって、気温や湿度の観測をした記憶があるが、
願望は単なるノスタルジーだけでない。
自分の目や手で、貴重な情報を得るための、またとない教材の一つだと思う。
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