つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で、一頭の馬と一人の「馬」の思い出を記す。

2011年12月27日 21時55分51秒 | 追悼。
2011年もいよいよ大詰め。
何かにつけ一年を振り返る時期になった。
新語流行語年間大賞は「なでしこジャパン」。
今年の漢字に「絆」。
どちらも3・11後の日本人の「気分」を反映した選出である。
仮にあの災害がなかったとしても
「サッカー女子日本代表」の快挙は、国民の心を高揚させただろう。
しかし、結果としてあの悲劇は彼女達の活躍をより際立たせた。
仮にあの災害がなかったとしたら「絆」という言葉は、
これ程にも心に響かなかったかもしれない。
前回の投稿にも書いたように、他にも色んな事があった。
文字通り「激動の年」だったと思う。

…さて、変わって今回は個人的な2011年の思い出を2つ記してみる。
1つは「冒頭の一枚」。
縁あって、秋に「金沢乗馬倶楽部」へ足を運び、生まれて初めて鞍に跨った。
乗馬時の目線の高さ。
馬体から伝わる体温に独特の揺れ。
これまでに味わった事のない貴重な体験だった。
そして、サラブレッドの美しさに目を見張った。
よく発達した臀部と後ろ脚の筋肉。
脂肪など欠片もない堂々とした腹部。
太い頸に支えられた流線型の顔。
全てを支える、脆弱な足先。
速く走るために品種改良を繰り返した果ての「美術品」なのである。

…続いては遺影。
上田「馬」之助氏の死去だ。

 

「まだら狼」「金髪の悪魔」などと呼ばれ、悪役レスラーとして活躍した、
元プロレスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司)は12月21日、
自宅のある大分県臼杵市内で急死。
71年の生涯だった。
1960年(昭35年)に相撲界から日本プロレス入り。
1970年代から国際、新日本、全日本などを渡り歩き、
凶悪ファイトで、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げた。
70年代に「タイガー・ジェット・シン」と凶悪タッグを結成。
現役時代はファンの憎悪を一身に追い「どうやったら嫌われるか」を
常に考えていた素敵なプロ…希代の悪役が天国のリングへ召された。

三途の川の向こうで、閻魔大王をビビらせて下さい。
合掌…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする