KAZEの機関紙と二輪車新聞が相次いで送られてきた。
KAZEには今年のモーターショーの紹介記事である。
そして二輪車新聞はラスベガスで4日間行われたカワサキの全米デイーラーミーテイングの記事である。
どちらも二輪事業にとっては大きな行事である。
全米デイーラーミーテングには川重から大橋社長も出席されたようだが、
若し初めてならさぞビックリされたであろう。
その規模と派手さ加減は、想像以上のもので、日本で口で幾ら説明しても解らないと思うのである。
どちらも、今でも億の単位の予算だと思う。
大体二輪車の事業は、かって日本一般の企業が使うような飲み食いの交際費は極端に少なかった。
他の事業部の交際費の使い方に、何度も驚かされた。
ただ、モーターショーだとか、新車発表会だとか、デイーラーミーテングなどは逆にとてつもない規模でダイナミックに行われる。
商品とデイーラーは事業の大きな2本柱である。
特にアメリカのデイーラー会議はまた特別である。
あの広大な国の1500店の店を一堂に集めるだけでも大変である。日本と違って夫婦同伴である。
年に1回だから4日間、場所は今年はラスベガスである。
これだけで想像されても、費用が億単位になることは容易に想像できると思う。
こんなに、経費を使っても大丈夫なのか?
ところが、アメリカの流通システムは日本に比べて、極端に合理的である。
あの広い国で販売拠点は一箇所だけである。
セールスもそんなに多くない。
日本の流通組織は、最近でこそ効率化されつつあるが、まだまだである。
カルフォルニアより狭い日本に、昔は県毎に販売拠点を持ち人が居た。
こんな経費は、直ぐ億も大きい億の単位になるのである。
二輪事業は世界展開であった。
アメリカではアメリカの、アジアはアジアの、回教国は回教国の、ヨーロッパはヨーロッパのしきたりや、常識や、流通機構で事業が展開されてきた。
いろいろといいところを取り入れて修正などはされては来たが、
極端に言うと、「日本の常識が一番おかしい」のである。
日本でよく言われる構造改革などは、もっともっとドラスチックに、世界の常識で考えないといけないと思っている。
どうも日本人は、
今、自分たちがやっているやり方が 「一番正しいと信じたがる」 民族であると、
私は思っている。
モーターショーとデイーラーミーテングの記事を見て、
そんなことをまた思い出した。
KAZEには今年のモーターショーの紹介記事である。
そして二輪車新聞はラスベガスで4日間行われたカワサキの全米デイーラーミーテイングの記事である。
どちらも二輪事業にとっては大きな行事である。
全米デイーラーミーテングには川重から大橋社長も出席されたようだが、
若し初めてならさぞビックリされたであろう。
その規模と派手さ加減は、想像以上のもので、日本で口で幾ら説明しても解らないと思うのである。
どちらも、今でも億の単位の予算だと思う。
大体二輪車の事業は、かって日本一般の企業が使うような飲み食いの交際費は極端に少なかった。
他の事業部の交際費の使い方に、何度も驚かされた。
ただ、モーターショーだとか、新車発表会だとか、デイーラーミーテングなどは逆にとてつもない規模でダイナミックに行われる。
商品とデイーラーは事業の大きな2本柱である。
特にアメリカのデイーラー会議はまた特別である。
あの広大な国の1500店の店を一堂に集めるだけでも大変である。日本と違って夫婦同伴である。
年に1回だから4日間、場所は今年はラスベガスである。
これだけで想像されても、費用が億単位になることは容易に想像できると思う。
こんなに、経費を使っても大丈夫なのか?
ところが、アメリカの流通システムは日本に比べて、極端に合理的である。
あの広い国で販売拠点は一箇所だけである。
セールスもそんなに多くない。
日本の流通組織は、最近でこそ効率化されつつあるが、まだまだである。
カルフォルニアより狭い日本に、昔は県毎に販売拠点を持ち人が居た。
こんな経費は、直ぐ億も大きい億の単位になるのである。
二輪事業は世界展開であった。
アメリカではアメリカの、アジアはアジアの、回教国は回教国の、ヨーロッパはヨーロッパのしきたりや、常識や、流通機構で事業が展開されてきた。
いろいろといいところを取り入れて修正などはされては来たが、
極端に言うと、「日本の常識が一番おかしい」のである。
日本でよく言われる構造改革などは、もっともっとドラスチックに、世界の常識で考えないといけないと思っている。
どうも日本人は、
今、自分たちがやっているやり方が 「一番正しいと信じたがる」 民族であると、
私は思っている。
モーターショーとデイーラーミーテングの記事を見て、
そんなことをまた思い出した。
顧客のマインドとしては、「近くにいて欲しい」というのは、国を問わず共通なのでしょうけど、「何かあった時のために」と漠然と営業拠点を置く日本と比べ、顧客要求とそれに対する対応の想定が具体的なのかも知れません。また「販社」、「問屋」、「代理店」といった中間流通の守備範囲の違いもあるのかも知れませんね。
末端ユーザーをお客と認知せずに、中間流通をお客とする業界優先体制は日本独特のものですね。
ですが、現代はモノ余り。さらに高齢化もあって、両親+子供2人の4人家族モデルでは、一般消費財でさえ、まともなマーケティングが出来なくなってきています。生産者も中間流通も、ようやく末端ユーザーを認知せざるをえない状況になりました。
ライフスタイルマーケティング。多様化する末端の顧客の生活を起点にする考え方ですが、何かを掴んでいる企業、単なるスローガンになってしまっている企業、色々です。
ITとかインターネットは、機能すると思っています。