
88年10月、新しい任務に就いた。
与えられた目標
『売上台数7万台、売上高400億円』この目標を、
『新しいカワサキのイメージ創造』をベースにやろうとスタートした。
それまでカワサキの国内は、経営的に苦難の時代が長く、
常にその目標は『、経営の安定、利益の確保』の時代が長く続いた。
堅実ではあった、その経営ノウハウが確かに事業部経営に貢献したのは確かである。当時のKMCに冨永、日野君が逆出向したりもしていた。
ただ堅実であるだけで、博報堂の調査によればイメージ総量も小さく、
『玄人受けする個性的なデザインで、海外には強いが』
『レースに弱く、宣伝のセンスがなく、常にチャレンジしない』
と言うものであったのである。
こんなイメージではとても7万台などは 『夢のまた夢』 だったのである。
『カワサキの新しいイメージの創造』 がMUSTであると思った。
一番初めにやったのは、 『カワサキのレース25周年のOB会』 である。
10月15日、芦屋の巨人や中日の定宿で有名な 『竹園ホテル』 で1泊どまりで41名の参加で行なった。
『レースに弱い』 と言うイメージだけは、創生期のレース担当としてはどうしても払拭したかったのである。当時のメンバーの殆どが集まった。
その時の写真が手元のあるが、4列の集合写真は錚々たるメンバーである。
1列目は
西海兵庫メグロ社長を真ん中に山田、高橋さん〈ともに元川重副社長〉苧野、中村、大槻、糠谷さん、名物メカニックの松雄さんが並んでいる。
カワサキのレースを支えた人たちである。
こんな人たちの指示で当時のレースチームは動いていた。
2列目は
私と平井さんとそのヨコに田崎さん〈元川重社長、現会長、大西君これが会社側、
そしてライダー諸君は安良岡健、山本隆、金谷秀夫、和田将宏、岡部能夫、清原明彦君
そして3列目以降は
会社側には北村、岩崎、武本、井上、安井、井川君歴代のレース関係者など
ライダーは歳森康師、梅津次郎、星野一義、当時の現役で宗和や多田君の顔も見える。
星野一義君はまだ現役パリパリの頃で、
エレベーターで一緒になった中日の選手たちに、『うちの星野より有名や』などと言われていた。
星野が来てくれたので業界紙誌からも取材があったりしたが、この会合ではOBライダーの末席は星野と清原だった。
最近も、『もう一度OB会やりましょう』とよく言われる。
だけど、余程思い切らぬとなかなか難しいのである。それ以上に何かのきっかけが必要なのでである。
高橋さんの与えてくれた『7万台の目標達成』のためにという『名目をつけて』会費など一切取らずに盛大に行なったのである。
20年前だからみんな若い、私も田崎さんも55才前後である。
20年経った今も、こんな連中と結構接触がある。
田崎さんにはミニSLで今年も世話になっているし、『ひょこむ』のメンバーには山本、歳森、もいるし平井さんもいる。
4月2日にあるZ1会のゴルフは大槻さんが会長だし北村、井上さんもいるし、ライダーでは金谷、歳森、清原などもいる。
88年10月、『新しいカワサキの幕開け』は25周年記念のレースOB会でスタートしたのである。
いろんな重要事項があったが、『イメージ戦略はレース抜きにはやれない』と思ったのである。
そんな第1ヶ月目のスタートであった。
10月1日就任、10月15日開催、結構詰めて一生懸命やって初めて実現した。
ライダー関係は『清さんがまとめてくれた』と記憶している。
もう二度とやれないかも知れない。
あれから20年、苧野、松尾、白瀬、武本、岩崎。5人の方が亡くなられた。
心からご冥福を祈りたい。