雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

2020年は カワサキ単車事業60周年   5

2020-02-08 07:04:36 | カワサキワールド
★カワサキの60年にもなる単車事業の歴史の中で、
第一線の販売会社が明石の事業本部をリードしていた時代が何回かあった。

カワサキの単車事業がスタートした時代は国内市場しかなかったのだが、
当時の販社が『カワサキ自動車販売』で、
そのトップは川崎航空機の専務が兼任されていて、
販売・生産会議などでも、常に販社が明石工場をリードしていたのである。

その後、アメリカ市場を浜脇洋二さんが引っ張った時代も、
明石工場の事業本部をリードしたのはKMCだったような気もする。


私自身は40年の現役生活で、企画の分野なども担当したのだが、
その中の半分以上の期間は国内市場担当で、
国内販社に3度出向したのだが
その3度目が1988年から1997年までの10年間で、その集大成のような10年間だったのである。


★当時の事業本部長は髙橋鐵郎さんでカワ販の社長も兼務されていて、
1988年の10月に私に『カワ販を担当するように』指示されて、
同時に『7万台の販売』という途方もない目標台を与えられたのである。

こんな大きな目標台数達成は、
普通に一生懸命、販売に努力してみてもダメだと思ったので、
従来の仕組みを根本的に変えた
遊んでいても自然に売れる新しい仕組みの創造』を目標に、
私流に展開しようと思って、いろいろやっていたのだが、
運も手伝って』こんなムツカシイ目標が達成できたのである。


   



★この10年間の時期も間違いなく販社が事業部をリードしていたと言えるのではなかろうか?

ちょうど川崎重工業が大庭浩社長の時代で、
大庭さんの単車本部長時代の番頭役を務めていたので、
何を提案しても、殆ど問題なく通ったそんな時代だったのである。

そんなことで結構自由にいろんな新しいことが出来て、
国内で初めての『一般ユーザーが走れるサーキット・SPA 直入』や
  
  


川重で初めての『遊びのソフト会社=ケイ・スポーツ・システム』の設立、
更には、『ユーザークラブ・KAZE』など

普通には説明のムツカシイ『ソフト分野の基本施策』や『新しいカワサキイメージの創造』に関するものばかりが中心だったのだが
要は『バイクの遊びをネタに展開していた』のである。


遊んでいても自然に売れる仕組みを創る
この発想は、若い頃からレースや広告宣伝の世界で育ったから、自然にそうなったのだと思うが、
マーケッテングこそ我が命』と思っていたのである。



★『7万台への挑戦・新しいカワサキのイメージ戦略』と題して、
事業本部の課長さん以上の方に、
スピーチしたものがこんな冊子に纏められているのだが、

    



これは髙橋本部長から、
事業本部の課長以上に『国内マーケッテングの考え方を話すように
との指示があったのだが、
私一人で喋るのももう一つだと思ったので、

●ケイ・スポーツ・システムの南常務
●当時のカワサキレーシングチームの重本部長
●広告宣伝課の小林課長
の3人にも加わって貰って『ぶっつけ本番』で喋って貰ったのである。

この時代、その活動の中心であったのが、
ケイ・スポーツ・システム』という遊びのソフト会社であったし、
具体的な展開としては『レース活動』と『広告宣伝』であったから、
自由に喋って貰っても大丈夫だという自信があったのである。


この冊子の具体的な説明を関係会社社長会で、川重全役員にも説明するよう、
大庭社長から要請があったりしたのだが、
この講演会の話はなかなか評判が良くて、当時の事業本部の販売促進課がその骨子をこのように紹介してくれているのである。
この担当部長は私といろんな仕事を一緒にやった『岩崎茂樹』くんなのだが、
彼は二輪業界にも顔が広かったからご存じの方も多いはずである。




 

日本国内市場を担当するカワサキオートバイ販売が、ここ数年の間、取り組み且つ相当の成果を上げ得た一連のマーケッテング活動をご紹介致します。
これはさる1月29日、明石に於けるCP事業本部内関係者約250名を集め、講演会の形で披露されたものを、要約することなくそのまま文章にしたものであります。
皆様方にお汲み取り頂きたいのは、そのユニークな手法ではなく、なぜそうしたのか? 何を狙っているのか? といった、
一貫して中を貫いている ”哲学”=基本的な考え方であります。・・・・

などと紹介されていて、
英文にも翻訳されて世界の販売会社に配布されたりしたのである。

これを発表した時期は、1991年1月だから、
国内担当以来3年の年月が既に経っているのだが、非常にムツカシイ目標であった『国内7万台の達成』がほぼ実現できる目途が立った時期だったのである。
 

★この最後の10年間は、
 7万台の目標達成もあったが、
● 国内ジェットスキー販売も軌道に乗り、JJSBAなどのレース組織も完成したし、
● 念願の鈴鹿8時間耐久レースの優勝
● KAZEユーザー5万人の達成、
● 二輪自動車専門学校の設立などのほか、

いろんな意味での『ソフトウエアの確立』が出来た時代で、
ホンダの親しい友人に『ホンダはカワサキに10年遅れた』と言って頂いたし、

これはあまりご存知の方はおられないが、
KAZEのノウハウをホンダさんと協働して、業界でも展開しようと、
ケイ・スポーツ・システムと一緒に、ホンダの青山を何度も訪問しているのである。

私自身は、大して大きくもない二輪事業界の中でシェア競争などするのではなく、
業界が協調』して『業界自体のパイを大きくする』ことがお互いのためだと思っていたし、今でもそう思っているのである。

 

★この時期の10年間はカワサキにとっては、
一言で言って『非常にいい時代』だったのだが、
当時の本部長でもあり、カワ販の社長を兼務された髙橋鐵郎さんをはじめ、
私の周囲にいた『いろんな人たち』がいろいろと援けてくれた成果なのである。

それは単に、
カワサキの従業員だけではなく、
カワサキの販売店も、
レースライダーも、
カワサキファンも、
他メーカーの人たちも、
みんな好意的にいろいろと動いて頂いた結果だし、
  
"Kawasaki Let the Good Times roll!"

 Kawasaki に出会う人たちがみんなハッピーになるような活動がホントに展開出来た時代だったと思っている。

遊んでいても自然に売れる仕組みの創造』は私が担当をしたのだが、
その中で動いてくれたのは、みんな『仲間たち』だったのである。


★私がこの国内専務の辞令を頂いたのが、1988年10月1付なのだが
一番最初にやったのがこのレースOB会で、10月15日に芦屋の竹園旅館に一泊どまりで豪勢に展開したのである。

7万台を売るためには『新しいカワサキのイメージ創造』が必須条件で、
その『一番のベースになるのがレース』だと思ったからである。
 
こんなメンバーたちに集まって貰っての『私の決意表明』だったのである。




 この2月1日に、神戸ポートピアホテルで、
 『片山義美を偲ぶ』 が開催され170名もの人たちが集まったのだが、
 上記の写真の中で、『片山義美さん』と一番親密に繋がっていたのは、
 前列の真ん中に座っておられる 
兵庫メグロの西海義治社長とカワサキの山田熙明(川重副社長)さんなのである。


 『片山義美を偲ぶ』には上記の写真の中から
 大槻・清原・山本・和田・古谷・星野・多田・杉本 と8人が出席しているし、
 
当日はこんなメンバーが集まっていてカワサキに関係のあったメンバーが結構多かったのである。
私自身は、レース業界の旧い方たちとは殆ど面識があって、この会でもホントに懐かしいいい時間が過ごせたのである。

 
 



★カワサキの独特のイメージは勿論強烈な個性のあるハードの商品からの部分が大きいのは勿論だが、

このようなライダーたちが果たした役割は大きいし、
カワサキに乗る末端のユーザーたちの動きも大きのだと思っている。
かって1990年代には各メーカーのユーザークラブの活動も活発だったのだが、
30年経って残っているのはKAZE だけなのである。

なぜ? 
それはスタート時に仕組んだ 『JCBと組んだKAZEの会員カード』の仕組み にあると今でも私はそう思っている。

当時、『会員カードをJCB と組む』と言ったら、周囲の人はみんな『なぜ?』と言ったのだが、年会費が3000円要るのだが、1年経つと継続しない限り会員資格は
切れてしまうのである。 
それをもう一度勧誘して継続するのは手間が掛かってなかなかムツカシイのだが、
JCB のカードにしておくと、むしろ『止めるのがムツカシイはず』という『私独特仮説』がその『仕組みのベース』になっていて、その通りになった結果だとということなのだろう。
この仕組みなども『ケイ・スポーツ・システム』というソフト会社があったから、より専門的に中味の濃い活動が出来たのである。


★流通業とは自らの仮説の正当性を問うビジネス』と言われている
仮説に基づいて『いい仕組み』さえ創れば、その中での展開は、そんなにムツカシクなくないのだが、その仕組みが上手く創れる人が少なくなった。
私自身は現役時代40年間 『仕組み創り』ばかりをやってきた。

二輪業界で素晴らしい仕組みの数々を創られたのは『本田宗一郎さん』だと思うし、その恩恵を二輪業界の後輩たちが受けている。
二輪独特の販売網も、委託販売も、SFも、レースも、鈴鹿サーキットも・・・


★ カワサキの単車事業の60周年と言うことで、60年を振り返ってきたが、
今回はこれで終わることにする。
最後の10年間は、具体的にオモシロい話もいっぱいなので、また機会があれば纏めることにしたい。

  

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