★菅野の連続4試合完封の記録が掛った 巨人ー阪神戦を観ていたが、いま好調の阪神打線はあっさり1回に2点を取って菅野の完封記録試合の記録は実現しなかった。
3試合と言えば27インニングである。
それでも、プロ野球の世界では珍しい記録なのである。
★ 実は私自身は、『連続完封』には私がやったわけではないが、1年間神戸商大の大学野球の監督をやってた時代に、当時1回生だった小山修身くんが『64イニング連続無失点記録』を達成してくれたのである。
点を取られなければ、『野球は勝つ』と言っていい。 だから『野球はピッチャーだ』と思っている。
この小山投手のことを ずっと昔に、こんなブログで紹介している。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/d21821198f26da39c70d83cfbe7c6d12
ちょっとはしょって紹介すると、
旧い日記をめくっていた。昭和31年、1956年のこと。
大学の5回生の頃である。5年大学に通った。卒業できなかったわけではない。
卒業を1年延ばしたのである。・・・・・・・・
野球部のキャプテンをやっていたが、満足できていなかった。
もう1年延ばして監督をと野球部長に奨められたりした。ちょっと身体を壊したりしていて、それも理由の一つであった。
結局、野球部長のゼミだけ残して、卒論を書かずに残留して野球部の監督をしたのである。・・・・・・・・
秋のリーグ戦のことである。
1回生の投手小山修身君が凄い記録を作っている。これは、意識的に『造った記録』である。
11月2日市大戦。7-1で勝つ、小山完投、ここからスタートしている。
1週間空いて後半戦
11月7日市大戦。2-0と快勝した。
11月8日工大戦。1-0で勝利、小山の連投で順調にリーグ戦を立ち上がった。
11月9日工大戦。0-09回引き分け、3連投である。
ここまでは、惰性できた。3連投も凄いし無失点も凄い。前週の市大戦からだと29イニング連続無失点である。
7-1と1点を取られた1点もエラーからだから、36イニング連続無自責点である。ひょっとしたら『新記録ではないか』と思った。
ここからは正直記録を意識した。本人もひょっとしてチームメイトも記録については知らなかったと思う。
翌日の経大戦は『行けるところまで』と記録を意識して小山でスタートした。
11月10日経大戦。4-0 9回2,3塁の危機を見逃しの三振で完投完封。
そして翌週、ここまできたら小山しかない。
11月14日経大戦。4-0とまたも完封勝利。5試合無失点である。
11月15日薬大戦。13-3ここで記録は途切れた。
小山修身君の記録は53イニングス連続無失点64イニング連続無自責点である。
薬大戦の1点目も野手の悪投によるもので自責点記録は更に2イニング伸びて64イニングだったと思う。
これは、間違いなく学生野球の記録で、たぶん今も残っているのではないだろうか。
少々、無茶苦茶だが連日連投、記録の間一切他のピッチャーは投げていない。
小山君とは今でも家も直ぐ隣町で、年に何回かゴルフもするし野球部のOB戦でもお会いする。
この話も昨年出た。彼は記録のことは途切れるまで知らなかったと言う。
昔はホントに記録など眼中になかったのである。
明石高校の頃、チームが夏の予選で灘校相手にパーフェクトゲームをやったが、試合終了後球場の『この試合は完全試合でした』というアナウンスで初めて知った。
同期の溝畑投手である。
そんな時代だった、当時は新聞などでも取り上げられなかったと思う。
もう50年以上も前である。
大学の5回生の頃である。5年大学に通った。卒業できなかったわけではない。
卒業を1年延ばしたのである。・・・・・・・・
野球部のキャプテンをやっていたが、満足できていなかった。
もう1年延ばして監督をと野球部長に奨められたりした。ちょっと身体を壊したりしていて、それも理由の一つであった。
結局、野球部長のゼミだけ残して、卒論を書かずに残留して野球部の監督をしたのである。・・・・・・・・
秋のリーグ戦のことである。
1回生の投手小山修身君が凄い記録を作っている。これは、意識的に『造った記録』である。
11月2日市大戦。7-1で勝つ、小山完投、ここからスタートしている。
1週間空いて後半戦
11月7日市大戦。2-0と快勝した。
11月8日工大戦。1-0で勝利、小山の連投で順調にリーグ戦を立ち上がった。
11月9日工大戦。0-09回引き分け、3連投である。
ここまでは、惰性できた。3連投も凄いし無失点も凄い。前週の市大戦からだと29イニング連続無失点である。
7-1と1点を取られた1点もエラーからだから、36イニング連続無自責点である。ひょっとしたら『新記録ではないか』と思った。
ここからは正直記録を意識した。本人もひょっとしてチームメイトも記録については知らなかったと思う。
翌日の経大戦は『行けるところまで』と記録を意識して小山でスタートした。
11月10日経大戦。4-0 9回2,3塁の危機を見逃しの三振で完投完封。
そして翌週、ここまできたら小山しかない。
11月14日経大戦。4-0とまたも完封勝利。5試合無失点である。
11月15日薬大戦。13-3ここで記録は途切れた。
小山修身君の記録は53イニングス連続無失点64イニング連続無自責点である。
薬大戦の1点目も野手の悪投によるもので自責点記録は更に2イニング伸びて64イニングだったと思う。
これは、間違いなく学生野球の記録で、たぶん今も残っているのではないだろうか。
少々、無茶苦茶だが連日連投、記録の間一切他のピッチャーは投げていない。
小山君とは今でも家も直ぐ隣町で、年に何回かゴルフもするし野球部のOB戦でもお会いする。
この話も昨年出た。彼は記録のことは途切れるまで知らなかったと言う。
昔はホントに記録など眼中になかったのである。
明石高校の頃、チームが夏の予選で灘校相手にパーフェクトゲームをやったが、試合終了後球場の『この試合は完全試合でした』というアナウンスで初めて知った。
同期の溝畑投手である。
そんな時代だった、当時は新聞などでも取り上げられなかったと思う。
もう50年以上も前である。
小山君の名誉のためにこのブログを贈りたい。
★私の野球人生は、いいピッチャーに恵まれたので、いい経験をさせて貰ったと思っている。
明石高校時代の甲子園出場も。同期の溝畑圭一郎というピッチャーがよかったからである。
彼は卒業後、神戸製鋼に入って、都市対抗野球に10年程連続で出場している。神戸製鋼も強かったし、三菱が勝っても川重が出場しても、補強選手で毎年後楽園に行っていた。
小山修身くんは、1年生の秋が最高によかったのではと思う、
写真などないのだが、これは商大野球部のOB会、後ろ向きの帽子を被ってるのが小山くんである。
菅野の記録は敗れて、いま4-1で阪神が勝っている。