雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキジェットスキー物語 2

2018-11-24 11:07:06 | ジェットスキー&KAZE

★何となくスタートした『カワサキジェットスキー物語』なのだが、ひょっとしたら結構長く続くかも知れない。

カワサキの二輪関連については、いろいろな記事も多いのだが、ジェットスキーについては、そんなに多くの記事が載っていない。Googleで『カワサキ二輪車の歴史』と『カワサキジェットスキーの歴史』と検索するとその差は歴然なのである。

何故かな?と思うのだが、多分ジェットスキーについては、特にその初期のことなど『語れる人』が極端に少ないからだと思う。

ジェットスキーについて語れる人』と言えば、今回この物語の発起人のような『福井昇・田崎雅元・私』それに具体的にヨーロッパ・国内・JJSBAを創っていった鶴谷将俊さんあたりが発信しない限りいつまで経っても、世の中には出ないのかな?と思ってしまうのである。

 今回はひょんなことから『この物語』はスタートするのだが、その核になった3人は『福井昇・田崎雅元・私』なのである。

 福井昇さんは。川崎重工業出身だが、川重の職位は単なる一係員だった。田﨑雅元さんは川崎重工業の元社長・会長を務めたトップなのだが、この二人を繋いで、『何かを仕掛ける』のは今回が初めてではなくて、実は2回目なのである。

 

      

 

 今はもうすっかり定着して神戸市と川崎重工の名物イベントになっている『ミニ鉄道フェスタ』だが、このイベントの発起人は、福井昇くんなのである。

 その案がなかなかオモシロそうなので、当時川崎重工の会長だった田崎雅元さんに繋いだのが私、川重の会長室を訪ねて最上階の専用レストランで豪華なランチをご馳走になったのが、2008年1月30日のことだから10年程前の話なのだが、鉄道マニアでもある福井昇くんの案を気に入って、翌日1月31日神戸副市長を田崎さんと私の二人で訪ねて『メリケンパークの使用』をお願いして、このプロジェクトは、その年の秋に第一回が立ち上がったのである。

スタートしてから3年程軌道に乗るまでは、私も福井くんも積極的にメンバーの核としてお手伝いしたし、田崎さんも熱心に参加して頂いたのである。

 言いだしべーは福井昇くん、イベントとして具体的に軌道に乗せたのは、写真のこの3人なのかも知れない。

 一番後ろに乗ってるのは、『500メートルレール』を作ってくれた古橋賢一さんなのである。

 

  

 

★そんなこともあったのだが、『福井昇・田崎雅元・私』の『トリオでの企画・実行』は今回で2回目なのである。

 一係員であった福井昇くんの案でも、『オモシロい』となれば、素直に受けてすぐTOPが動く身の軽さみたいなのが、カワサキの単車の持ち味だし、良さである。ちなみにこの舞台にもなった『カワサキワールド』は田崎さんの現役社長時代の産物なのである。

 今回の『カワサキジェットスキー物語』も、田崎さんから私へのメールからのスタートなのだが、私は昨日のうちに『福井昇』くんに繋いで、当時の事柄を時系列に並べて貰ったりして、『これはイケル』というような確かな感触を得たので、スタートしたのである。

 田崎さんからは『カワサキジェットスキー物語、面白くなりそうですね』というメッセージを頂いたりしてるので、ホントにオモシロいものに仕上げたいと思っている。

 

★スタートしてから『走りながら考える』これが私のやり方なのである。

 今まで殆ど誰も語らなかった『カワサキジェットスキーの物語』それを語ることができる、現存するメンバーは、『福井昇・田崎雅元・私』とヨーロッパ・国内市場とレース関連、JJSBAを先頭に立って引っ張ってくれた鶴谷将俊さんの4人だと言ってもいい。

 そんな鶴谷さんの写真、昨日は田崎さんから送って頂いた。

 

  

 

 そんなことで、スタートすることにする。

 カワサキの当時の『事業展開のやり方』がこの『ジェットスキーの事業展開』で具現されたと言ってもいい。

 それはどんな展開であったのか?

 『カワサキジェットスキー物語』どんな展開になるのか? 

 ご期待頂いていいと思います。

 昨日に続いての投稿だが、以降はもう少しゆっくりしたペースで頑張ってみたいと思っている。

 

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神嘗祭と新嘗祭 昨日は勤労感謝の日

2018-11-24 08:00:17 | 発想$感想

★昨日は勤労感謝の日の祝日だった。

朝からジムに行き筋トレをしてそのあとランニングさらにプールで泳いで昼前に家に戻った。

祝日だと解ったのはいつもの通り8時10分に家を出たのだが三木体育館には5分ほど早くついてしまった。休みで通勤のための道の混雑がなかったのである。

勤労感謝の日』だとかどうも馴染めない。

昔の新嘗祭で、神嘗祭と共に小学生の時に覚えた。『神嘗祭は神様が、新嘗祭は天皇陛下が今年出来たお米を召し上がる』と覚えたが満更間違いでもないらしい。最近の方、この字が読めるのだろうか? ニイナメサイ と カンナメサイである。

私たちのこどもの頃の祝日は、紀元節・天長節・明治節など新嘗祭や神嘗祭は休みだったのかどうか?

いずれにしても、最近は毎日が休日だから、別に祝日も有難くはない普通の1日なのである。

 

★それにしても昨日は、結構忙しかった。

 朝、『カワサキジェットスキー物語』をスタートさせたら、Facebook にいっぱいコメントが来て、その返事を書いたり、田崎さんからも珍しい写真などいっぱいの情報を頂いたし、福井昇くんからは、私の質問に丁寧に答えて頂いた。

人間の記憶はホントに頼りない。

昨日のブログにも書いたが、明石で『ジェットスキーを単車事業部の正規の事業にしよう』と熱心に言いだしたのは武本一郎さんである。

これは間違いないのだが、当時の単車事業部の明石には、ジェットスキーの担当する人など一人もいなくて、たまたまオーストラリアの社長から戻ってきた鶴谷将俊さんに『ジェット・スキーをやってくれ』と言ったら突然のことで憮然とされたことだけはよく覚えているのだが、発動機から福井昇くんをもらい受けたのと、どちらが先だったのか、全く解らなかったのだが、福井くんからの返答で、鶴谷さんが先だったのが明確になったのである。

カワサキのジェットスキーがアメリカ以外の国々で順調に伸びて行ったその中心になってくれたのは鶴谷将俊さんなのである。

彼の活躍がなかったら、こんなに上手くは行かなかったと思う。当時の熱っぽさはホントに素晴らしかった。

そんなことを思っていたら、午後田崎さんからこんな写真を頂いた。

こんなコメント付きである。

 

1987年7月30日 直入町芹川ダム 「森と湖の祭典」J/S 試乗会 

ラジオ大分の女性達と鶴谷課長 神戸大学のプロライダーを連れていきました。

 

    

 

 私は、記録は持っているのだが、当時の写真がなくてどうしようと思っていたのだが、田崎さんにこんな写真を送ってもらって大助かりである。

 勤労感謝の日に、当時JSプロジェクトをいろいろ援けて頂いた鶴谷・福井さんに改めて大いに感謝したいと思っている。

 福井さんから頂いた資料を見ると、発動機のジェットエンジン開発には、私と同期のお二人が直接担当されていたことも解った。

 

 資料不足でなかなか書けなかった『カワサキジェットスキー物語』もいろんな方のご協力で何とかなりそうである。

 今年の『勤労感謝の日』にはこんなことがあったと、多分忘れない1日になったと思っている。

 

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