★ もうすぐお盆である。
お盆の墓参りに行かねばならない。
昨日は長寿院のお坊さんが家まで恒例のお参りに来られた。
日本人は殆どが仏教徒だが、日頃は特に信心するわけでもなく、家に仏壇もあるが、仏壇についてはずっと母の担当であった。
お墓参りは正月と春夏の彼岸そしてお盆の時は墓参に行くことにしている。
お寺は明石の長寿院、それで画像検索すると幾つもの写真が現れた。
便利な世の中である。
長寿院は明石藩松平氏の菩提寺です。
寛永4(1627)年空澤養運上人を開基にして融国寺と号する禅寺でしたが、越前大野藩から明石藩に入部した松平直明の帰依を受け浄土宗西山派の寺院長寿院となりました。
昭和20(1945)年7月6日の空襲により、諸堂于を焼失しましたが、明石藩主の御霊屋とその門は戦災を逃れました。
旧明石藩主松平家廟所は、松平直明から斉宣までの藩主とその家族の墓があります。御霊屋は11代将軍家斉の25男で松平斉韶の養子となった松平斉宣の霊屋です。
弘化2(1805)年、松平慶憲が斉宣の墓前に建てたものです。
このような記述も現れた。
こちらがお殿様のお墓である。
由緒あるお寺と言うことになっている。
多分一番左が、本家の墓である。
★昨日は、長寿院の住職の息子さんのお坊さんが初めて家に来られた。
まだ30代の若いお坊さんである。私も初対面だったので、ちょっとお話もさせていただいた。
明石高校卒、で普通の大学理工科卒だが、卒業後途中から住職の道を目指されたそうである。
私は子どものころは、伯父に連れられて、先々代の住職さん、今日来られたお坊さんのお爺さんによく可愛がっていただいた記憶がある。
夏、お盆には当時は松平家の子孫の方が墓参りに来られて伯父の家に泊まられていた、戦前のことだが、当時はお殿様としての扱いで、子ども心に大層なことだなと思ったりもした。
私までは、ちゃんと明石まで墓参りには行くのだが、
息子の代になったらどうするのだろう、とても鎌倉から墓参りに来るわけにもいかないだろうと思う。
一族が同じ場所に暮らしていた、昔の日本の文化は消えてしまっている。
核家族にとって檀家は大きな負担になっていくのではないかと思う。
★伯父は仏事に対しても非常に几帳面だった。
新宅の父はそうでもなかったし、その息子の私は、輪を掛けていい加減である。
息子とは、こんなこと話したこともない。
息子の息子、孫に家紋は?と聞かれて答えられなかった。
妹が覚えていてそれを孫には伝えたが、伝えた本人はまた忘れてしまった。
そんな日常生活に関係ないものなど、どちらでもいいと思っている。
★年に3度ご住職がわざわざ三木まで、お参りに来て頂く。
お経を挙げて頂いても意味は解らぬし、ホントのところはそんなに有難いと思っているわけでもない。
最近の若い方などこんな仏事についてどのように思っておられるのだろうか?
これは山本隆くんのお墓である。
自分でちゃんと用意しているのである。
彼は結構ちゃんとしてる。
先程の家紋も『そんなの知ってて当たり前』と笑われた。
彼は息子さんは加古川だから、大丈夫墓参りにも来てくれるだろう。
★今日初めて来られた若いお坊さん、
何となく話し易くて、明石高校の野球の話などしていたら、
上の写真の商売道具を忘れて帰ってしまわれて、あとで取りに来られたりしたのである。
これはなかなかいい音がする。
私としては、お父さんのご住職より、息子さんの方で実はホッとした。
仏壇は母の部屋にあるのだが、最近は母も特別老人ホームなので、この部屋には、滅多に入らない。
今朝、クーラーをつけようとしたら、電池がなくて機能しない。 あわてて、扇風機を持ってきたのだが、如何にも暑いのである。
『いや、大丈夫ですよ』と言って頂いたが、恐縮した。
それでも、まだ若いご住職だったから、若いんだから暑いぐらい我慢して貰うかと勝手に思ったりしたのである。
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