ザラゴーザにあるはずのキャンピングプラッツは町を通り過ぎて10kmほど西、午後2時ごろに着いたけれどそれらしいものがどこにも見当たらず、カフェーで聞いたところ、その近くの村ではないかと言われ2周りもしたが見つからない。何しろ小さな村がシエスタに入っていて人影は見えず、まるで廃墟の静けさだった。
とうとう諦めてここから北へ50kmほど行った村ボーバ(Borja)にキャンプサイトを見つけた。
メイン道路を外れて小さな村ボーバを通り抜けたところにキャンプサイトはあった。レセプションにもレストランにも誰も居ず完全に閉まっている。それでもサイトのゲートは空いているから中に入りトイレ・シャワールームの近くにキャンパーを停めて電気をつないだ。私たちのすぐ後に英国キャンパーが一台やってきて、ここは夕方7時ころまで誰もいないんだという。このサイトはあたり一面真っ黒のオリーヴの実が熟れていて、いつでも収穫できそう。
夕方7時を過ぎてもだれも来ず、そのころには電気も切れてしまった。だからサイトは真っ暗闇・・・・とはならずこの夜は満月であたりは青白く見える。夜9時過ぎにまた電気が入りオフィスに誰か来たのかと思ったが誰も見えない。
翌朝8時に目覚めてみれば近くに停車した英国車はもう出かけていない。ということはキャンプ代を払わないで逃げたらしい。なんという英国人。朝食を終わり出かける準備が完了した9時過ぎ、支払いのためあちこちうろうろするもだれも居ず、亭主はキャンパーの警笛を派手に鳴らした。
それでも誰も現れずとうとう私たちもただ泊まりで逃げ出してしまったわけだ。
昨日村に入ってきた時とは違う道を行ったため、メイン道路に着くまでずいぶん遠回りになったと思うが、田舎道を走っている間に丘の上に古城をいただくトラスモス(Trasmos)という村の入り口を通った。こんな片田舎でも相当家屋が込み入っている。村の中は入らずなおも行ったところで深い谷間に入る手前の対岸にダムを見つけた。
谷間に下りていくと小さな村ロス・ファホス(Los Fayos)という部落が高い崖にへばりついたように並んでいた。あのダムが決壊したらどうなるのだろうと要らぬ心配をしながら通り過ぎる。ここでも一人も人影を見なかった。
やっとメイン道路に着き今日はプラサンティンまでの341マイルを予定して走り出したのに、キャンパーのエンジン具合がおかしい。まるで去年汚れたディーゼルで動かなくなった時と同じ症状を見せる。小さな上り坂は時速30マイルが精いっぱい。最高速度が50マイルほどしか出ず、普通車ならず大きなトラックにも追い越され続けて亭主は欲求不満の塊になってしまった。これではプレサンティンどころではないと予定を変更してソリア(Soria)から高速111でマドリッドの南へ向かった。
今夜のキャンプサイト・アランフェズ(Aranjuez)に100kmほど手前のグアダラハラ(Guadalajara)の町でディーゼルを満タンにして貰う。
するとキャンパーはまるで今までの機嫌を直したように時速70マイルで突き進むようになった。昨年にもこんなことが2度もあってガレージへ行ってフィルターや管をきれいにしてもらったのにまだどこかに汚れがあって時々気まぐれに詰まってしまうらしい。はじめの200kmに5時間半ほどかかり後の100kmは1時間ちょっとで着いてしまった。
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