Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 10 チェンストホーヴァ

2011-08-23 16:21:30 | 東ヨーロッパの旅 2011



カトリックの総本山であるチェンストホーヴァは、カトヴィッツェから首都ワルシャワへ行く途中にある静かなきれいな街で、キャンプサイトがヤスナ・グラ僧院の後ろ100メータのところに在った。着いた午後、街の見物に行こうとサイトの管理人に街の案内地図を聞いたところすぐ其処といわれ驚いた。
今まで観光中心地のすぐそばにキャンプサイトがあったことは一度もなかった。

カーパークを抜けると僧院の裏門につく。たくさんの人が出入りしていてなんとにぎやかなところだろう,昨日の世界遺産の礼拝堂とはえらい違いと思った。





僧院の礼拝堂はたくさんの人で今まさにミサが始まるところ。外から入ってくる男女はいずれも正面の石畳に膝まづき、胸で十字をきる。ここでも若い神父が素敵なバリトンで謳い、間にバスの話し声が入る。

しばらく聞いていたが、この僧院は非常に大きく見るところいっぱいで、博物館を覗いてみた。中世からのポーランドの歴史がよくわかるように展示され、1655年スエーデン軍がポーランドを攻めワルシャワも占領されたときにこの地で守備して撃破したという。

このときポーランドを守ったのが黒いマドンナと呼ばれるエルサレム・コンスタチノープルを経て送られた聖母像でこの僧院の守護絵になっている。実際の絵は1430年盗賊に傷つけられた聖母の右頬を傷をそのまま復元したコピーやタイル絵が僧院の壁や門に見られる。







  





博物館内は撮影禁止のため何も見せられないが、中にはワレサ大統領がノーベル賞をもらったときのメダルや故パウロ2世の遺品が展示されてあった。非常に興味深い博物館だった。






僧院の正面広場には大衆に見えるように高いステージが設けられていて、いすが整然と並んでいた。毎年8月15日の聖母被昇天の日にはポーランド各地から巡礼が集まり礼拝が行われる。ポーランドは95パーセントの国民がカソリック信者であり、それもこれほど熱心な信者はそれほどいないのじゃないかと思った。
街へ出かける前にもう一度礼拝堂へ行ったところ,鐘の音やトランペットの音楽の後祈りの言葉がスピーカーから流れ感激のあまり涙を拭いている婦人を数人見かけた。






僧院の尖塔がまっすぐ見えるように街の中心地は碁盤の目のようになっていて、広々としたメイン道路と幅の広い歩道が道路の真ん中を連なり、路面電車は僧院からのメイン道路を真横に横切って走っている。














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