Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 8 アウシュヴィッツ

2011-08-25 08:52:20 | 東ヨーロッパの旅 2011




クラクフから南西に2時間世界でも悪名高いアウシュヴィッツ強制収容所がある。6年前のチェコの強制収容所(テレジン)ではじめて見た残虐行為の写真集は思い出すだけでも涙がにじむ。アウシュヴィッツもあのような残虐写真を見せるのだろうかと恐れつつ、この国に来たからにはやっぱり行くべきだろうと思案した。

カーナビは落ち着いた中年女性の声で(私たちはその声にミセス・ナビと命名した)行き先を言ってくれるが、どうしたことか亭主はミセス・ナビの言うこと全部に逆らって南西に向かったものだから、後10Kmで目的地へ着くというところで、とうとう小さな川のフェリー乗り場にたどりついた。乗用車2台を乗せて川を渡るもので、キャンパー一台でも長すぎると断られた。
また迂回してやっとアウシュヴィッツの収容所が見えたときにはホッとし観光バスがたくさん停まっている駐車場にキャンパーを乗り入れた。

英語のガイドツアーに入って一グループ40人ぐらいずつにイヤフォンが配られた。ガイドは若いポーランド人の女性で英語がとっても上手。外国人(私も含めて)特有の変なアクセントがない。彼女の巧みな先導で狭い収容所の廊下や地下室などを歩き回り、展示されている日用品の大量の山や捕虜が押し込められていた蚕だなのような3段ベッドを見た。他国語のガイドが連れて歩くグループが多くて、どこの棟でも観光客で詰っていてにおいも悪く気持ちが悪かった。




収容所の周りには高圧電流を通した鉄条網が2列に並んで逃亡を防ぐようになっている。実際この収容所に送られた百三十万人の収容者の中で逃亡に成功した人たちは百数十人、収容所から強制労働に出かけた先での逃亡だったそうだ。





ナンバーが書かれた収容棟の中には髪の毛の山が展示されていた。これはドイツに送られカーペットや軍服に織られたもので、死体を焼いた灰までが肥料としてドイツに送られたという。死体からは利用できるものはすべて取り上げ、リサイクルされたというから恐ろしい。たとえば金歯や義肢、義歯、めがね、など、食糧難の戦中時死肉を食べなかっただけが、ナチの罪をわずかに軽減することが出来るかも知れない。









第11号棟は死のブロックといわれ、SSが暗躍、ありとあらゆる拷問と下の写真の壁で収容者を射殺した。この壁は戦争終焉数日前に爆破して証拠隠滅を図ったものだが、戦後この記憶を消滅させないために再生された。





この収容所から2Km離れたところに第2アウシュヴィッツと呼ばれるビルケナウの強制収容所があり、アウシュビッツから無料のシャトルバスが運行している。
ここはアウシュヴィッツよりもさらに広大な土地に多くの収容棟を持ち、一大殺人所であった。



この引き込まれた線路はヨーロッパ各地から送り込まれた百十万人のユダヤ人、15万人に近いポーランド人、2万3千人のルーマニアからのジプシーや1万5千人のロシアの囚人などをこのプラットフォームで選別し、体力の在りそうな人を労働力として収容所にいれ弱い人や年寄り女性などはシャワーに入れると称して全裸にしてガス室で大量殺人をしていた。



この棟は男子用トイレと洗面用ブロックで、トイレは朝、晩2回のみと決められており、どれほど体力のある男性でも3-4ヶ月で衰弱、ガス室に送り込まれたという。このトイレで働いていた囚人たちが最終的には生きながらえた。というのは悪臭のトイレブロックにはドイツ人監視人も近づかなかったためそこで働く囚人たちは比較的自由が在ったという。





ここにも3段の蚕だなのバンクベッドが在り,冬季の寒さを防ぐために棟の両脇に暖炉が備え付けられ真ん中にレンガのオンドルが通っていた、・・・しかしほとんど火がたかれることは無かったという。





ここの死体焼却炉も終戦2日前に、証拠隠滅のため爆破されて今でも崩れ落ちた瓦礫の山がそのままにしてある。周囲の草原からはのどかなひばりのさえずりが聞こえる。




この焼却炉のすぐ近く、すべての死者を悼む国際慰霊碑が建っていて、その脇にも20箇のヨーロッパ諸国の小さな慰霊碑が並んでいた。急に降り出したにわか雨の中あわてて写真を取り慰霊碑に手を合わせた。




男性棟とは線路をはさんで反対側のレンガ造りの棟も女性用の収容所で中は同じく3段ベッドがひしめき合って、どんなにうらみや悲しみがこもっているだろうと思うと落ち着かない気持ちになった。






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