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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

20年ぶりのニッポンー名古屋植物園

2025-04-28 00:40:58 | 旅行

昔から一番大好きな植物園。ここは初めてだったけれど桜が素晴らしかった。

写真写りが悪くてピントが有っていないが此の名前が面白い。一体どんな人が名付けたものか?

山桜。本当に日本画にでてくるような素晴らしい花。

 

本当に名前の通りの艶やかさ、一番気に入った。

写真のとり方が不味くてごめん。大山桜、

丘いっぱいのあらゆる種類の桜ですばらしかった。写真を撮る人たちでいっぱいだった。

色とりどりの花が咲き乱れる中で此の兼六園菊桜だけは硬い蕾だった。残念。

 

これも艶やかなピンクで花びらがひとえ。

 

数本の此の木があたりを華やかに染めていた。

 

良くもこんなに多くの種類があるものだと驚いた。

ソメイヨシノの白っぽい花から見れば、こんなに色とりどりの桜を鑑賞してとっても楽しい半日でした。

 

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20年ぶりのニッポンー徳川園

2025-04-26 19:19:23 | 旅行

徳川美術館に隣接する徳川園は徳川御三家筆頭の尾張藩第二藩主光友が元禄8年(1695年)自らの隠居所として造営されたが第2時世界大戦の戦災で消失し、その後名古屋市は平成13年(2001ねん)から日本庭園の整備を行い平成16年(2004年)に開園。

初めて見る桜の種類。

こうぞの花

 

シャガ、能登の山にはどこでも咲いていた。イギリスにはない花

大曽根の滝落差6メータの3段の滝、此の庭園の巨大な湖龍泉湖との標高差は11メーターある。

 

 

 

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20年ぶりのニッポンー徳川美術館

2025-04-26 18:27:18 | 旅行

徳川幕府の創始者家康が名古屋出身であることなどここに来るまで知らなかった。もう60年前から7年間京都で働き暮らしてきたが、名古屋には一度も足を運んだことが無かった。

此の名古屋には徳川御3家筆頭の尾張藩があり、歴代の家宝や国宝がここ徳川美術館に収められている。

陶磁器類は当時の中国からのもの、

 

説明がほとんど無く写真も一眼レフは禁止、スマホのみ可という厳しさ。

当時の武家のゆいつの娯楽であったろう能衣裳。さすがすばらしい。

此のかごは3代将軍家光の第一子に生まれた千代姫が乗ったものとされている。

此の徳川美術館会館90周年記念にあたって特別展国宝初音の調度が4月12日から6月8日まで公開される。

此の調度は千代姫(1637-98)が2歳6ヶ月で尾張徳川家2代光友に嫁ぐ際の婚礼調度として誂えられた日本一豪華な嫁入り道具です。

 

その中の一部がここに公開されていました。

江戸時代の初音蒔絵70件はすべて国宝だそうです。

 

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20年ぶりのニッポンー名古屋城

2025-04-26 03:15:50 | 旅行

京都駅から名古屋駅まで新幹線では1時間もかからない。

名古屋駅で待っていてくれた人は私の姉のようにして育った従姉妹の親友で、ロンドンの我が家へも来た事がある人。とっても元気で医者の薬は一切飲んでいないという。

まだ午後早い時間で、早速訪れたのが名古屋城。重い荷物はロッカーにおさめて晴天のお城へ向かった。

入ってすぐのところに凛々しい若侍、一緒に写真をと並んだら そなたは大和の生まれでござるか? と聞かれた。大笑いしたけど,ワラワは加賀百万石の金沢の生まれぞと答えてあげればよかったと思った。残念。!!!

外堀も中庭も桜が満開。ただただ素晴らしいに尽きる。

東南隅櫓 名古屋城は戦災で焼けて戦後復興させたが、本丸もコンクリートでできているという。

金曜日というのにたくさんの人出、もちろん外人の観光客も多かったが、素晴らしい陽気と満開の桜に誘われた市民も多かったと思う。

よくぞ再建してくださった。こんな素晴らしいお城、どんなに多くの人々を楽しませてくれるだろうか。

 

名古屋城本丸御殿は尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年徳川家康の命によって建てられ、昭和5年には天守閣とともに城郭として初めて国宝に指定されました。昭和20年の空襲により全焼、平成21年から復元工事が始まり平成30年完成公開されました。

本丸御殿は日本を代表する近世書院造りで総面積3100平方メータ、13棟のたてもので構成され室内は花鳥風月などで豪華絢爛に飾られています。これらは旧来の工法や材料を採用し史実に忠実に復元しました(名古屋城説明案内書より)

2室からなる玄関の襖絵。

表書院本丸御殿で一番広大な建物。正式な謁見に使われた。

3大将軍家光の上洛に合わせてつくられた豪華絢爛の上洛殿。

部屋の用途や格式によって欄間の作りなどが変わっている。

名古屋城といえば金の鯱が有名ですね。 

 

翌日の名古屋の新聞によれば、名古屋城内外周辺の300本の桜が満開だった。

 

 

 

 

 

 

 

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20年ぶりのニッポンー再び京都駅

2025-04-25 03:05:33 | 旅行

京都駅へは12時に10分ほど前についた。12時に合う約束の場所がわからず、あちこちウロウロ、それでももう30年以上も会っていないドクターTでは変わっているだろう。

このドクターT は私が英國へ来る1年前、京都御池通りに有った日赤救急病院で一緒だった。ほとんど年齢も同じでまるで仲間という感じだった。

彼とは今でも忘れられない思い出がある。

ちょうど英國へ来た1972年の元旦、私は除夜の鐘のなり始めた12時から朝8時までの深夜勤。ドクターT は近くの医院でアルバイトをしていたらしい。

そこへ生まれて数日の赤ちゃんがミルクを飲んでも全部吐いて脱水状態。小さな赤ちゃんは脱水状態で皮膚はしわしわ、すぐ呼吸が止まるので、全身がどす黒くなる。

すると背中に手を入れてそーっと持ち上げると呼吸が戻る。このドクターTは急いで私が働いていた真夜中に赤ちゃんと駆け込んできた。内科の病院では何もできなかったのだろう。

すぐ点滴をして保水しなければ此の小さな命はない。小さな赤ちゃんの腕の静脈は糸くらいの太さ、ドクターTは薄い表皮を切り開いて糸のような静脈へ一番細い針で点滴をしようとする。その間何度も呼吸が止まり背中を持ち上げて呼吸させ、糸のように細い血管に針がうまく刺さって生理的食塩水が少しづつ小さな体に入っていったときのあの安堵と喜び。今まででも一番忘れがたい新年の夜明けだった。

明け方近く呼吸も正常化しつつあり、赤ちゃんは看護室の隣の部屋で母親が付き添っていた。母親にはもし息が止まったらこうすると教え込んだがそれ以降は大事に至らず8時に勤務交代、赤ちゃんはすぐ第2日赤病院の本院へ送られ、手術になった。

赤ちゃんの胃の噴門(胃と十二指腸の間にある丸い輪の筋肉)がきつく収縮して吐き出すばかり。実際の手術は簡単であっという間に終わったらしいが、赤ちゃんのはじめをみていなかった手術医は私達が苦労して此の子を復活させたことを知らない。

ドクターTが此の救急病院へ連れてきていなかったら、確実に赤ちゃんは死んでいただろう。今何事もなく生きていたら53歳になっているはず。

京都駅で1時間以上も待ったけど、とうとう会えず新幹線で名古屋へ向かった。

 

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20年ぶりのニッポンー奈良

2025-04-24 06:40:07 | 旅行

奈良のJR駅で2時間だけ見るにはどこがいいか?と聞いたらバスで奈良公園へとすすめられた。荷物をロッカーに入れて身軽にバスですぐ近くの奈良公園へ。

お天気が良く桜も満開、たくさんのお腹を空かした鹿が観光客の買ってくれた鹿せんべいを欲しがってまとわりついている。

私も200円の鹿せんべいを買ったらすぐに回りを取り囲まれ、後ろの鹿などコートの裾を引っぱってここにもいるよと催促する。

広大な公園を歩き回って

立派な建物は東大寺大仏殿・国立博物館だという。時間がないから中を見ることはできない。

バス路線の向かい側が素晴らしい桜の花に覆われていて、写真を撮りまくった。

 

吉野の恨みをここ奈良で晴らせとばかりに桜の花を撮りまくって駅へ向かった。

 

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20年ぶりのニッポンー吉野

2025-04-24 05:41:46 | 旅行

日本への旅行の2日前、近くの若い英国人の家族で娘がアートスクールへ通っているのを知って、アートの本を10冊ばかり上げた。

私が日本へ行くことを知って彼はロンドンで桜の名所はグリニッチだと聞いたから行ったけどまだ咲いて無かったと言った。グリニッチの20数本の八重桜は4月半ばに咲く。 日本の桜は3000本も咲くのだよ。と自慢したらぜひその写真を送ってくれと頼まれた。

京都からJR線で2回乗り換えて、やっと吉野駅に着いた。

ところが沿線でも花盛りだった桜が咲いていない。ここ吉野は山の中、平地より気温が低い。ものすごくがっかりして一駅手前にある吉野神宮駅へ引き返した。

イギリスで宿泊ホテルを探したときに、ここに安い民宿を見つけて予約していた。

駅前に停まっていたタクシーの運転手にその民宿を聞いたけど知らないという。そしてすぐ近くの郵便局へ聞きに行ってくれた。 郵便局ではインターネットで調べてくれて、電話番号を書いてくれ、電話すると若い男性が車で迎えに来てくれた。

此の民宿が変わっている。オタクのような此の男性が一人で留守番をしていて、こたつのある部屋の壁一面のマンガ本、全部読んだのかと聞いたらもちろんとのこと。

すごーい!!!此の人やっぱりオタクだろう。 此の家の近くにレストランはないが川向うにコンビニがあるからそこで夕食を買ってきなさいと言われた。

早速出かけて川縁や道端に数本づつの桜が咲いていた。

此のコンビニで食べ物を買ったが本当に欲しかったのがしいたけのほだ木、一本700円で売っていた。喉から手が出るほど欲しかったが、持って帰れない。

此の民宿誰とも会わず、キッチンが整備されてお茶やコーヒー飲み放題。夕食を食べて何をする気にもならずすぐ寝てしまった。

翌朝6時半には民宿をでて駅へ向かい、7時頃の電車で京都へ向かった。京都駅で12時に昔いっしょに働いた脳外科の医者と会う約束をしていた。がまだ早くて途中の奈良で下車した。

 

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20年ぶりのニッポンー京都・花背

2025-04-23 20:12:06 | 旅行

京都は英國へ来る前の7年間働いていたところ。もう53年も経っていて当時の看護婦仲間は音信不通。今回立ち寄ったのは昔働いているときの仲間ではなく、スキー仲間で仕事とは関係なかったのに、いつの間にか京都市役所のスキー仲間と遊ぶようになった。

それで中でも男7人、女2人のグループで京都周辺の山から蔵王まで遠征したことも有った。此のミセス・T とは気があって、魚釣りや山登り金沢の実家にも遊びに来たことが有った。

普段は音信不通にしているのに、今回の帰国で彼女に会いに行った。

姫路から新幹線で京都駅、地下鉄で京都国際会議場の駅まで行って、ミセスTが待っていてくれたのにお互いがわからなくて、モーバイルで呼び出したら彼女は真後ろにいてとっても驚いた。お互い年取ってわからなかった。

35年前父のお見舞いとお葬式に金沢へ行ったときに、彼女はご主人とインドからの帰りにわざわざ金沢に寄ってくれ,一夕どこかのホテルで会っておしゃべりしたことが有った。(此のときの写真をもらった。)

彼女は私より1-2歳上、ご主人が今でもスキーをするという山男で、彼らの住む花背は海抜700メータの山の中、お家も山小屋風の素敵な作り、

雪深い山中、冬中の薪の積みがすごい。

吹き抜けの2階屋でストーブの火が暖かく、素敵なお住いだった。

庭にはしいたけ栽培、夕食に新鮮なのをいただいた。

庭の片隅にはふきのとう。彼女は裏庭の畑にあらゆる野菜と果物の木を植えている。このあたり鹿やイノシシ、熊がでるそうだ。

お水は井戸からポンプで汲み上げているが、冬に停電が続いたときには水が来なくなるので此の水が永遠に流れ出ている。流れている水は凍らない。

今まで見たことのない屋根の形は、昔の藁屋根を現代風に直したものだそう。わら屋根は葺き替えが大変でお金もかかる。

雪深いこのあたり、まるで北欧の感じがする。

翌朝ご主人がお正月についたお餅を炭火で焼きお雑煮にしてくださった。

今年始めてのお雑煮だった。涙が出るほど嬉しかった。

朝9時過ぎのバスで、京都市内へ行き、京都駅から吉野へのJR 路線をご主人がしっかり調べてくださり、心配なく吉野へ行けた。

此のニッポンの杉林には目を瞠るものがある。どれも真直ぐよくぞこれほどまっすぐにのびたものだ。

 

 

 

 

 

 

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20年ぶりのニッポンー太陽公園その2

2025-04-23 05:00:03 | 旅行

白鳥城と名付けられたコノ城はかの有名なドイツ・バイエルン州のノイシュヴァンシュタイン城のコピーだが実際の城の3分の2のスケールで作られている。

遠くから見上げるお城はとってもすばらしい。

2009年キャンピングカーでドイツやオーストリア、ハンガリーなど廻ったときに此のお城に行ってみた。たくさんの観光客だったが中の見学時、写真禁止で素晴らしい青と金を使った内装が撮れなかった。

それで此の白鳥城はコピーというからには中のデコレーションもコピーされているかとすごく期待して行った。

中に入ってがっかり、期待に反して中は子供向け、くるみ割り人形の作りかけから色んなサイズの人形が並んでいたり、ドイツの民族衣装らしいものが並んでいた。

 

 

カメラトリックの部屋が有って周りにいた若い人に撮ってもらった。

手足の不自由な人たちが口で描いた素晴らしい展覧会が有って、これには感激した。

此のお城には短いモノレールがあってお城の外壁へ行けるが、全体に期待ほどには感激せず早々に降りてバス停への10分の道のりをほとんど駆け足で行き、トータル4時間で全部見て回った。

私の友達で知っていた人たちは一人もいなくて、写真を見せてあげるとそのうちに行きたいという人が数人いた。

バスで姫路駅まで行き、東横インのホテルに預けた荷物をとってすぐ新幹線で京都へ向かった。

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20年ぶりのニッポンー姫路 太陽公園

2025-04-22 16:50:31 | 旅行

奄美大島から大阪伊丹空港に到着、大阪駅へ行くのに間違ってバスで新大阪へ行った。親切な大阪在住の若い女性が大阪駅へ地下鉄のプラットフォームまで送ってくれた。

大阪駅で1週間のJRパスをチケット翌日から有効に変えてもらい、姫路までのチケットは別に買った。

姫路駅で予約を入れたがまだ支払っていなかったホテルへ重いスーツケースを引っ張って歩いているときに、駅近くで東横INNのホテルを見かけた。友達からのおすすめだったのでいいなー と思いながら通り過ぎ、一応予約したホテルへ着いたが、予約が入っていないと言われ、それなら東横インへといそいそと行った。

此の日の夕方は姫路駅付近を歩き回りコンビニで夕食を買いショッピングモールを歩き回ってモダンニッポンを満喫。

翌日ホテルには無料の朝食がでてたくさんの宿泊客が楽しんでいた。

此の日の太陽公園は一人のブロ友さんの紹介でぜひ行ってみたいと思って計画していた。駅前のバス停が時間によって3箇所から出るので、わからなくて2時間もロスして、太陽公園近くのバス停についたときは11時を過ぎていた。

此の公園は世界中の有名・無名な石の彫刻や建物など実物大で展示されている。すべてがコピーなのだけれど、広大な土地にあらゆるものが1日で見られるのは素晴らしいの1言!!!!

インカの巨像やベルギーの小便小僧まで有って写真をとりまくり、

一度は見てみたかったイースターアイランドのモアイ像。

韓国の石塔?

1000体に上る実物大のテラコッタ・アーミー これらは中国で制作され送られたものとのこと。

ここは此の軍人像が発見された当時を再現したものだという。

万里の長城への入口。

東南アジアの島々で流通した石のお金。それにしてはあまりのモダンすぎ。

こんな大きなお金ではちょっとショッピングにはいけません。

 

500羅漢、日本各地にこんな石像があるらしいけど此の表情豊かな500体は大分県の像らしい。

天安門

 

韓国の実物大の鐘つき堂 そーと登って1回だけ突いてみたがあまりに大きく響いてフラフラして降りてきた。

あまりに広大な土地にあらゆるものがあってここに載せることができない。明日は白鳥城の事も載せないと・・・・・

 

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20年ぶりのニッポンー奄美の自然

2025-04-21 17:03:54 | 旅行

奄美の2日めの午後、民宿のおじさんは彼の車で奄美大島世界遺産センターへ連れて行ってくれた。

入場無料、中は亜熱帯のジャングルの模型とここで生息する鳥や小動物の模型が展示されていて壁に映る素晴らしい花に魅了された。

説明書によれば此の花 サガリバナ は夏の夜一晩だけ咲き、幻の花と呼ばれている。

素晴らしい木工細工。

 

大島紬の染料を採るシャリンバイの木。

素晴らしい模様の数々、着物離れの昨今此のような高級布が生き残れるのだろうか?

ソテツの実は真っ赤に熟したものを毒素を抜いて粉にし食料にしていた。

これも一応観光の1つ 石抱きカジュマル 巨大な石の上に生育した木が石を根で覆って成長したもの。

 

 

モダマ自生地として有名な此の周辺には太いツルが縦横に伸び、長さ1.5メートルにもなる豆のさやに豆のサイズも巨大で直径4.5-7.5cmほどの豆が実る。豆の真ん中は空洞で水に浮くため流れ着いたものと言われている。

 

 

巨大なグリーンの豆のさやが見えるだろうか?

英國のおとぎ話ジャックと豆の木は此の豆のツルの太さから考えられたものではないかと言われている。

山の麓で、此の上に滝があるから行ってらっしゃいと言われて傘をさしながら、カメラを持って山へいってきた。 フナンギョの滝という。

こうして自然観察にまわった後、バス停に行く途中のみちすじでスーパーに寄りサトウキビから作った焼酎をお土産に買い、此の夜の食事を買い、宿に戻った。

翌朝バス停まで送ってもらい、空港まで約1時間ほどバスに揺られ、12時5分発大阪行のJALに乗った。

民宿Guest in Shallman のおじさんには本当にお世話になったが、奄美の皆さん誰もが皆親切だった。

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20年ぶりのニッポンー奄美の民宿

2025-04-21 05:37:01 | 旅行

奄美へ行くまでの羽田でのことを書いた ニッポンDay 1 という記事を書いてリリースしていなかったので、もう一度前に遡ってご覧いただければ幸いです。

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空港の観光案内所で連絡していただいた民宿のおじさんは87歳の元気なお年寄り。

奄美パークから電話して今からバスに乗ると伝えたら奄美市の中心街名瀬のしまバス本社前まで車で迎えにきてくださった。

このお家は奥さんが生前では美容院を経営されていて

内装は美容院のまま、そこにバンクベッドをおいて民宿にしたもの。

とっても気さくで話よく、まるで以前からの知り合いのようになってイーメールの交換もしてきた。お家の中はあらゆるものがひしめいていて2-3年後に福岡へ移られるとのこと、引越荷物がたいへんだろうと思う。

小雨の中を家の外へ写真を撮りに行き、珍しい草花を撮ってみた。

この黄色の花は大きな木一面に真っ黄色になって咲き、どんな遠くからでもすぐ目に入る。

さすが熱帯雨林の様子でこんなパパイアが実をつけていた。

こんな片田舎のお店もないようなところで自動販売機があちこち見られて驚いた。

熱帯雨林の山は内地の山と違い木々がふさふさ、自由気ままに成長している気がする。

1年の内300日は雨という、私の2泊3日の内毎日雨だったのも頷ける。熱帯というから熱くて泳げるかと思って水着も2枚持っていったのに、気温は15度前後。

2日め近くにカレーのお店があると聞いてお昼をそこでと思ったのに、閉まっていて、結局おじさんのお家でご飯と大根のブリのあら煮をごちそうになった。

また田中一村以外の観光など考えてもいなかったので、車でいたるところへ連れて行っていただき珍しいものを色々見てきた。

3日めの朝、小雨の中を急いで家の近くを見て歩いていたらこの島では一番キレイな鳥と言われるルリカケスが飛んできた。上の写真は観光案内所の絵をコピーしたもの。下のは私が写した。

 

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20年ぶりのニッポンー奄美大島

2025-04-20 17:33:25 | 旅行

羽田から奄美は飛行時間2時間ー午後1時半には到着。奄美の地図をもらおうと立ち寄った観光案内所ではとっても親切にしていただき、あらゆるインフォメーションから今夜宿泊の民宿のおじさんにまで連絡していただき、バスで2駅の奄美パーク・田中一村記念美術館へいった。

よく手入れされたパークの玄関は南国のプランツが茂り

パーク本館から渡り廊下で一村の博物館へはヤシの木が茂っている。

ここが長年夢見た一村の美術館。バケッツリストの1つが叶った。

展示場は写真禁止のためここに載せることはできないがこの入口の記念品売り場での写真を載せることにする。

 

彼の大胆な構図と繊細な絵は感激物。ただ一枚だけ日展で入賞したという巨大な白い花と言う絵は写真を買って来た。

彼は自信作の出展した絵が入賞せずこの白い花が入賞したことで怒り、入賞を取り消したという。ニッポンのゴッホと言われるくらい、生前は貧しく辛い生活をしたという。骨皮になっても絵筆を捨てなかった写真が残っていて、本当に気の毒だった。

展示された絵の中に私が壁にかけてある絵が2枚入っていてやっぱりとっても素敵だと感銘。まだまだ他所で展示されているのだろうと全部見たいものだと思った。

 

 

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20年ぶりのニッポン Day 1

2025-04-20 16:25:54 | 旅行

3月29日午後5時半羽田空港に着いた。

日本航空プレミアム・エコノミーは素晴らしい。料金も日本円で約64万円(日本円換算レート194円)もするから、ロンドンのヒースロー空港のBAラウンジでは食べ放題、飲み放題。

羽田空港のクロネコヤマトで大きなスーツケース2個のうち大きい方を金沢に送り、モノレールと山手線で品川プリンスホテルに着いた。

ロンドンにいる間に聞いたインフォメーションでは英國で使用しているスマホの電話が通じない。ニッポンのSIMカードはコンビニで売っていると言われてきたので、ホテル周辺のコンビニを3軒回ってどこでも空港に売っていると言われた。

この品川プリンスホテルは1泊朝食付きで2万681円 もちろん一人部屋でシングルベッドとその横50センチくらい通路の幅しかない狭い細長い部屋。朝食は小さなパン1個とひと皿のサラダ、コーヒー1杯。

7時にはコンビニでパン2個を買って空港へ急いだ。

ターミナル1のインフォメーションでSIMカードを売っているお店を聞くとこのターミナルにはあるがこの日はお店が閉まっていてターミナル2へ行けと言われた。

ターミナル2は1からながーい廊下を通ってエレベーターで上った2階の奥にそのお店は有った。ところがここには2週間1万1千円のしかなくて、3週間いるにはどうする? 結局3-4週間有効のSIMカードはターミナル3へと言われ、空港内サービスのシャトルバスで、ターミナル3へ。重いスーツケースを引っ張っての移動でほとほと嫌になった。

ターミナル3の3階片隅にあるお店でやっと4週間9,900円というのを買って入れてもらったが、セキュリティが邪魔してなかなかうまく稼働しない。4人の男性たちが協力してやっとうまく使えるようになった。

11時に奄美大島向けに出発するのに後1時間くらいしかない。焦ってターミナル1へシャトルバスで行き、長い行列の後についてイライラしながら待って、やっと飛行機に乗ることができた。

 

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コーンウォール旅行ーアザラシ救護センター

2025-02-26 05:15:15 | 旅行

水曜日の朝もジュードはパトリックにボディボードをしたいとしつこくおねだりして、とうとう海へ入ったが、高波でふたりとも波に投げ出され、とうとう諦めて帰ってきた。

それでパトリックは午後はインターネットでお仕事、私達3人でアザラシのレスキューセンターへ行くことにした。

この日はあまり寒くはないが、曇り空ににわか雨が度々やってくるような嫌な天気だった。

昔まだ息子がジュードの年頃だった時、このコンウォールの南海岸で二人で小さなボートに乗って私が漕いでいた。すると突然耳のない動物がヒョコっとボートの横に顔を出した。突然のことで きゃー犬!!!と言ったら、息子が何言ってるんだ、これはシール(Seal)だよ。その小さなアザラシはよほど私達が珍しかったのか、ボートの周りに神出鬼没、面白い思い出だった。

孤児の赤ちゃんは大事に個別の部屋で授乳されて眠っていた。

怪我をして保護されていたこのアザラシは珍しくグリーンがかっている。

センターの案内板。

一頭づつ小さなプールに入れられて怪我や病気の回復を待ち、近くの海に開放されるそうだ。

 

このプールの巨大なアザラシは目が見えないそうだ。それでもこの保護センターなら生きていけるけれど自然界では無理だろう。

 

3頭が一緒のこのプールでは大きな一頭だけがなにか話しかけたい様子で私達を見ているが小さな2頭は追いかけ回し戯れていっときもじっとしていない。

このプールが並んでいる一角にパフィインの入っている円形の建物があった。

ちょうどこの時センターの係員が中にはいって1羽ずつに生魚を食べさせ同時に秤に乗せて体重を測っていた。ここで生きているパフィンは以前アイスランドや、英國北部の島で見たときのような精彩もなく色彩もあまりなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

翌木曜日朝から激しい雨で、朝10時にはこのアパートメントを出なければならない。急いで朝食を済ませ、皿洗い機のお皿を棚に戻し、使ったタオルはシャワールームに置き、シーツは全部剥がしてランドリーバッグに入れろとの指示。

冷蔵庫もすっかりカラにして、ドアを締めたのが10時、雨の中をひたすらロンドンへ向かった。途中2回休憩、充電、パトリックは雨の中を運転しながら会社の女性のリポートに耳を傾けていて、よく集中できると感心した。私等途中で寝てしまい、目覚めたらまだ女性が話していて驚いた。

帰宅したら5時過ぎだった。

 

 

 

 

 

 

 

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