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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

コーンウォール旅行ーボディボード&アフタヌーンティー

2025-02-25 06:46:42 | 旅行

火曜日の朝、娘の家族は3人でショッピングに出かけた。買ってきたのがジュードとパトリックのウエットスーツ、まだ9歳のジュードはウエットスーツがきつくて息ができないとグズグズ言っていたのに、長い急坂を降りて海へ入るときは、真っ先に足を突っ込んでいった。

2月の海もまだ冷たいこの時期、多分5分で諦めるだろうと娘と話し合っていた。

うまく波に乗ってできたときの嬉しさは特別なもの、ジュードの喜び方も半端じゃない。何度でも繰り返し繰り返し波に乗っていた。

この日は薄曇りから弱々しい太陽が出たり入ったり。砂浜でタオルを持って立っている私達が寒くなってきているのに、ジュードはなかなか海からあがってこない。

散々波に乗って満足した後、アパートメントへ帰ってシャワーの跡熱い風呂に入って元気いっぱい。ウエットスーツではスーツの中に水も入るが激しい運動をしているから、体は相当熱くなっている。

私もまだ結婚したての頃、ポールとこのコーンウォールの海岸線で波乗りをしたことがあった。ボードを持って波に向かっていくときはすごく体力を使う。それを何度も繰り返すとヘトヘト、だからジュードがあんなに頑張っていたので体も暑かっただろうと思う。

娘はこの日の午後2時半に海辺の素敵なレストランでアフタヌーンティーの予約をしてあった。

英國へ来て53年初めてアフタヌーンティーなるものを食べた。最初に好みのお茶が各自の小さなポットにカバーを掛けて現れ、まるでお雛様が食べるくらいの小さな食べ物が次から次へとあらわれる。それぞれの一口で食べれるようなものはとっても美味しい・・・・のだけどすべてが終わったところでも、満腹には程遠いような気がした。

これで一人づつが何10ポンド?ポルトガルで美味しいステーキが食べられるほどの2倍以上の料金だった。

海は一応晴れてはいるがあまり温かい陽の光ではない。

翌朝パトリックはまだインターネットで仕事だと言うのに、ジュードがしつこく海へ行こうと頼み二人で行った。娘はベランダから見ていて私がタオルだけ持ってついて行った。

この朝は波が高くてジュードは自分の背よりも高い波に恐れをなし、大きな波が来るたびに、パトリックを壁にして隠れていたが、まるで大木にセミのようだと大笑いした。

 

 

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コーンウォール旅行-2月17日ーイーデンプロジェクト 2

2025-02-23 20:06:37 | 旅行

大ドームの熱帯雨林は暑く湿度も高く冬のコートを着て汗だく。

 

この素敵な丸葉の大きいこと。直径1メータ以上ありそう。

 

この大ドームの一番上20メータくらいのところに展望台?

これはまたなんと素晴らしいお花だろうか。 アブリルさんが探してくれますよね。

 

こんなに太い竹はスリランカで見て以来もう30年も見たことがない。

上2種の花はつる性であちこちの壁を這って花盛りだった。

上空20メーターの吊橋。たくさんの人が歩いてわざわざ揺らそうとする。

この赤い花はカリアンドラ 最近アブリル様のブログで知ったばかり。

小屋の天井に張り付いていたヤモリ? もう70年以上も前穴水奥の昔米倉だった警察の駐在所へ引っ越ししたとき、家のガラス戸にいつもヤモリが張り付いていて怖くてトイレに行けない7歳の少女でした。

生まれて始めてみたカカオの実、こんなものからチョコレートができる?!!

 

毎日何万人もの人が出入りするこのドームでは、人間など怖くない。まるで鶏がそこらを歩き回る感じでゆうゆう歩いていた可愛い鳥。パンクみたいな髪を逆立てて愛嬌満点。

最近アブリル様のブログで知ったこの花はマルソルヤハズカズラ。

葉が生姜やみょうがに似ている。

このまっすぐ伸びた木の根元の説明文によれば ビーチアーモンド(Beach Almondo)アーモンドによく似た実ができると書いてあった。

 

この熱帯雨林ではこの素晴らしいシュロににた葉にまさるもの無し。

 

この建物の中には大きなレストランからお土産店も多数あり、そこで記念にと買ったのが Baobao Fruit powder。Baobaoは木が逆さまに植わっている感じで太い木の上が根元みたいに見えるとこからUp side DownTree と呼ばれる。珍しもの好きで買ってその夜試してみたけどちょっと甘酸っぱいだけで対して感激することもなかった。

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コーンウォール旅行-2月17日 イーデンプロジェクト 1

2025-02-23 05:04:51 | 旅行

月曜日、パトリックはインターネットでお仕事、私と娘、ジュードの3人はイーデンプロジェクト(Eden Project)へ出かけた。

コーンウォールは昔から良質の陶土の産地で、この陶土を掘り起こした広大な土地を2001年に巨大なドームを作って温室にした。

私はまだ作って間もない頃にここへ来たことがあり、今でもはっきり覚えているのが、3種類の綿のプランツ。普通は白の綿の実が、ピンクとグリーンの綿の実が弾けて顔を出していた。なんと素晴らしい、自然の妙味。

学校が休みだから家族連れが多くカーパークも1,2,が満杯、やっと3のカーパークで駐車して、目的までは遠い。

 

陶土をほった巨大な凹み部だから、どんどん谷間に降りてゆく。入口近くはヘザーの花盛り。

 

入口に立っている素晴らしい馬2頭、古木をアレンジして作られてた。

Visitor Centre を通るまで巨大なドームは見えない。そしてこのドームは小さな4つが地中海気候で、巨大な4つのドームが熱帯雨林の気候に別れている。

娘はまずVisitor Centre から近い右側のCore へむかった。

この奇怪なポット?はきれいなセラミックでできていて、あちこちの穴から煙が輪になって出てくる。一体どんな目的が有ってかは分からない。

娘はジュードと甘いものを買うとかで売店の前の長い行列に着いたから、私は先に地中海気候のドームへ入った。冬服のコートを着たままで入っても、温かいが汗をかくこともない。

中では南米の音楽がなっていたから近寄ってみた。沢山の人達が楽しんでいた。

いろいろ珍しいお花が咲いていた。

今回は綿の木は見つけられなかったが、ポルトガルでも見たことのない木の花がいろいろあった。

上2枚の写真は花のがくと下から見上げた花で面白い。

この花は見かけたことがありそうで、はっきり覚えていない。でもなかなか変わった花だと思う。

 

 

 

 

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コーンウォール旅行ーテート・ギャラリー

2025-02-23 00:32:28 | 旅行

テート・ギャラリーはロンドンだけでなく英国あちこちにあるのだと、このとき初めて知った。娘がインターネットで調べて連れて行ってくれた。わたしも娘もアートパスというのを持っていて、この日の入場料は半額の6.5ポンド(約1300円)

英国の美術館では日本のように長い行列を作ってなどは今まで経験したことがない。以前従姉妹が来英した折、サマーセットハウスにあるコートウルド(Courtauld)ギャラリーに連れて行った。世界的に有名な絵が沢山飾ってあって、ほとんど人がいない。

従姉妹の感激ぶりは今でも忘れられない。

このTate ST Ives もホリデー客が入ってきているが、込み入っているほどでもなく、気に入った絵の前でいつまでも写真を撮って眺めておれた。

UK の画家でパトリック・ヘロン(Patrick Heron)(1920-1999) セント・アイヴスの港の窓の2人の女性 というタイトル。色彩が私の好み。

Arshile Gorky (1904-1948)アルメニア生まれでUSAで制作。題名がWater fall なんだけど、どう見ても滝に見えない。

Wassily Kandinsky (1866-1944)ロシア生のカンデンスキーはドイツ・フランスで制作、この人の絵はひと目で分かる。昔サウスバンクのギャラリーで展覧会が有ってそれ以来私の好きな画家の一人。

タイトルがSwinging と書いてあるけど、意味など気にしないで見ている。

Denzil Forrester 1956年生まれ、今も生存しているグラナダ生まれの画家。

タイトルがCottage Lover 確かに2人が描かれているが・・・?

Joan Miro (1893-1983)スペイン生まれのミロ、面白い絵を描きこの人の絵も一目で判る。 タイトルが月光の下の女性と鳥 どこからこんな絵の発想が出るのでしょう。

Itell Colquhoun (1906-1988) ブリティッシュ生まれの女流画家。タイトルがNativity(キリスト降誕の図)1929年作 これ以降この人のコレクションが展示されていた。

同じくItell Colquhoun の作品 titleがDeath of Lucretia  ローマ時代の有名なストーリーでローマの王の息子がこのルクレチアを強姦したことから自殺した。彼女の夫と父親が復習を誓う。

同画家の作品 titleが Aaron Meeting Moses 後にこのtitleを Horned Gentleman with Bejawell Lady と変更した。

同画家 titleがLimked Senses 1946年作。意味などわからないが色合いが素敵。

 

アートギャラリーを出て通りを歩いている時に見つけたお屋敷の玄関?入口?

これがとっても気に入った。

 

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コーンウォール旅行-2月16日

2025-02-22 04:46:56 | 旅行

ホリデー1日目は薄曇りから晴れ間が見える温かい日になった。朝食後今日はセント・アイヴス(St Ives)まで歩くという。海岸べりの崖の上、細道を登ったり降りたり。

20数年前に痛めた膝が忘れた頃の3週間前ジムのやり過ぎで、痛みが出てきた。やっと痛みも取れてきて歩くのも無理しなければOKだったのに、娘一家は皆早足、写真を移しながら必死に追いついて歩いていたが、St Ives につく頃には痛みがぶり返してきた。

道端に蕗の葉みたいな葉が群生している。匂いを嗅いで見ても蕗の匂いはしない。そしてとうとう花が咲いているのを見つけた。対してきれいな花でもないが、このプランツは蕗の家族ではないのが判った。

崖際の道を必死で歩いていたら、急に岬の小さな町が現れた。あれがセント・アイヴスだと言う。

道端の叢にスノードロップの花が咲いていた。今年始めての春の花。

通りの玄関先にはとっても大きな椿の花が咲いている。

 

セント・アイヴスの港は引き潮で船が砂浜に座っていた。

このセント・アイヴスはコーンウォールの最先端に近い一番賑やかな街で、ちょうど学校の休みの時期だから家族連れが多い。

もう40年も昔、子どもたちが小さかった頃、わたしたちのホリデーはコーンウォールかデヴォンだった。このあたりは大西洋の暖流が流れていて温かいらしい。でも実際の体感温度は日本の夏の海と比べれば、雲泥の差、一度ポールとスノークリングをして、大きなかれいを突いたことが有ったが、その水の冷たさは並でなかった。水から上がって1時間近く震えが止まらなかった。

狭いショッピングストリートは結構ホリデー客で混雑していたが、特に買いたい物はなかった。ただこの街には有名なバーナード・リーチの陶芸店がある。そこへ行きたいと思ったが、街の中心から30分も歩かないといけない。この日はこの街へ歩いてくるのに無理をしたため階段を降りるのが苦痛だった。

不思議なことに日本では有名なバーナード・リーチの陶芸店は英国ではあまり知られていない。娘もパトリックも知らなかった。

2時間ほどこの街にあるテートモダーンの美術館(ロンドンの分館)で絵画鑑賞し街のレストランで昼食を食べて、電車で帰ってきた。

 

2両編成の車両でたったの一駅、田舎の海岸を走るひなびた電車だった。そして降りたのがこの駅カービスベイ。膝を痛めて必死で歩いたのにたった数分で帰ってきてどんなにがっかりしたことか。

 

 

 

 

 

 

 

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コーンウォール旅行 2月15日

2025-02-21 07:45:31 | 旅行

2月17日から1週間は英国全部の小、中学校の休み(ハーフタームと言う)1週間ほど前に、娘夫婦からコーンウォールへホリデーに行くから一緒に行きたいか?と誘われもちろん即答。

出かける1日前に彼らのためにもとおにぎりをいっぱい作り、その夜は娘宅で泊まった。

この日は朝から雨で暗い雨の中9時過ぎ、パトリックの運転でロンドンから南へ向かった。彼の車はかの有名なイーロン・マスクの会社のテスラ。コーンウォールへの200マイル(320km)までに2回も高速道路のテスラの充電機で充電しその間トイレや昼食にありついた。

数年前にこの車でスコットランドへ行ったときは、テスラの充電地帯しかなかったけれど、今回は2種の別立て電動車の充電機も並んでいたから最近の電気自動車も多種出回ってきているらしい。

せっかく彼らのためにもとおにぎりをたくさん作って持っていったのに、高速道路の休憩所では、ジュードもパトリックもバーガーのほうを食べたいと言って、私は2日間昼と夜はおにぎりと野菜に煮付けを食べる羽目になった。

車はソーズベリーとストーンヘンジの間の道路を西に向かっていた。この道路が完全に渋滞して30分ほどのろのろ運転。対向車はスイスイくるのにとおもったら、皆がストーンヘンジの写真を撮るためにスピードを落として・・・・とのことでもちろん私も望遠で撮った。

午後の4時頃に予約していたAir BnBについた。インターネットで予約して鍵のありかなどもすべてインターネットで済ませているから家の持ち主に会えることもない。

3ベッドルームはまだ新しくきれいで、BB(ベッド&ブレックファスト)と違う気楽さ。

2階の娘夫婦のバスルームにはサウナまで有った。

キッチンもすべてが整っていて、朝夕クッキングができる。

リヴィングルームの窓の外に小さなヴェランダと、雨がやんで明るくなってきた素晴らしい砂浜が見える。

 

アパートメントから急勾配の道路を降りて海岸に出ると,2月とも云えどロンドンよりは温かいと感じるのは気のせいか。このあたりの素晴らしい家は、ロンドンのお金持ちの別荘だという。

大人は全くの冬装束なのに子どもたちは裸足で水の中を歩き回っていた。

6時近く夕闇が迫ってくるまでジュードは海から帰りたがらない。

 

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スヴォルバー(Svalbard) 帰国

2024-10-31 21:39:38 | 旅行

私とパトリックが帰国したあと、残った娘とジュードが訪れた Global Seed Vault (種子保存機関)2人の博士がここを管理しており、中には誰も入ることが出来ない。

ここは1984年ノルウエーの農産物の種を冷凍保存するために作られた場所で、過去の炭鉱跡を利用して、永久保存していてノルウエー遺伝子バンクが管理している。

2001年国際協定により、食料と農業に関する種子の遺伝子を保存するための機関として、カナダやグリーンランドにも設立された。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

6日目の朝まだ暗い9時、夜中に雪が降ったため外は真っ白になっていた。

ホテルの裏にまた新しいホテルを建設中らしい。早朝8時から仕事開始。

ホテル前の衣類とお土産の店。未だ開いていない。

裏山はきれいに雪化粧

飛行機は2時半発、バスが12時15分に迎えに来るから、みんなで初雪の中を歩き回った。

此の上の山は雪崩予防の為の作られた柵。

フィヨルドの向こうの山も完全に雪化粧。あと8日後にはマイナス10度になるとの予報。

此の街の2本のメインロードを外れると、寂しい道路になる。

12時15分バスは時間通りに来て、街を一廻りして、客を乗せたあと、

街から10KMの空港へ向かった。

SAS (スカンジナヴィア航空)は一日2便、空港のランウエーは一本だけ。

飛行機が飛び立って数分後、スヴォルバーの街が見えた。 娘に写真とメールを送りあなた達が歩いているところが見えたよ と書いたら、Really?(ほんとに?)と返事が来た。

早朝7時の便はオスロまで一直線に飛ぶが、午後2時半の便は北極圏内では一番大きな都市、トロムソに降りて2時間後にオスローに向かう。

此のトロムソは2013年の北欧キャンパー旅行のとき行ったことがあるが、特に忘れられないのが此の街の地下にはトンネルが縦横に走り、地下にラウンドアバウトがあること。これが見たくてトンネルの入口を探して右往左往して、人にきいたところ どこに行くのか と聞かれて いやーラウンドアバウトを見に と答えて変な人達と思われただろうと、二人で笑ったことが思い出された。

トロムソまでの乗客は空いていて、私は3人がけの椅子に一人で座っていたが、、ここからオスローまでは満席になった。

オスローで2時間のトランジットの飛行機が1時間遅れて、ヒースロー空港に着いたのは10時半過ぎ、荷物を引き取って空港を出たのは11時過ぎ、パトリックの会社の運転手が迎えに来ていて、我が家まで送ってくれた。家に付いたのが12時15分m、スヴォルバーのホテルから我が家まで12時間かかった。実際飛行時間は少ないけれどあちこちで待つ時間が多すぎ、夜中の2時半までかかって写真をダウンロードした。

 

 

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スヴォルバー(Svalbard)5日目

2024-10-30 00:04:07 | 旅行

水曜日此の日はローカルガイドに連れられて、郊外のツンドラウオーキングに行った。朝9時に車に乗って途中でスペインのバルセローナからのカップルを拾った。

此の日は小雨の降る暗くて寒い日で、特に感激することもなかったけれど、私達が地球温暖化の片棒をかずいているのかを考えさせられた。

此の湿地帯は凍っていて、ガイドは一人ひとりにアイゼンを渡して、氷の上もすべらず歩けた。

途中の木箱のなかにガンが設置されていて、これは白熊が出たときのための用心にとツアーの人たちに警鐘するためなのだそう。ノルウエー人のガイドはリュックにライフルを背負っていた。

夏には此の凍った土地にもワタスゲが生える。

此の写真は2007年ノルウエー北部で撮したもの。

これはツンドラ内の夏と冬の水の測定のため設置されていて、グリーンランドとカナダの北部にも同じものが設置されているとのこと。雨が多いのは夏よりも冬のほうだとのことで、夏に水が少ないとツンドラ内の植物が育たなくて、生態系に異常が出る。

わずかに生えていたグリーンのモス。これはレインディア(カモシカ)の食料になるものだろう。

此の写真は2007年ノルウエーの最北端で撮したもので、岩にしがみついて咲いている、ここでも夏には花が咲くらしく絵葉書が売られていた。

写真がボケてしまったが、叢に小さなきのこが生えていた。

風が冷たく寒い日で、完全武装のジュード。

ただ一軒だけ建っていた小屋でお茶をいただいた。小屋の外にはイヌソリまたはスノーモビルが引くそりが有った。

結構大きな小屋で、周りのベンチに沢山のカモシカの毛皮が置いてあり、中で眠れるようになっていた。

此の地図は19世紀に作られたもので、北極を回ってアジアへ行こうとした人たちが氷に閉ざされて動けなくなり、氷の圧力で壊れた船の材料を使って、今ここに座っているような小屋を作って一冬過ごしたそうだ。スヴォルバーは赤丸で囲んだ。

此の島にはレインディアーはいなかったが、戦後1000頭くらいをノルウエーから移住させた。それで今では25000頭くらいに増えているそうだ。レインディアは赤みの肉で脂肪が少ないため、冬眠前の白くまは多くのレインディアを殺さないと太れないとのこと。

上2枚の写真は2007年のノルウエー北部のもの、レインディアも蚊がアタックするのが嫌で森から道路に出てくる。それで交通渋滞が起きる。夏は毛皮が変わるときで、汚く見える。

 

 

 

 

 

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スヴォルバー(Svalbard) 3日目

2024-10-27 20:29:40 | 旅行

昨夜ホテルの斜め向かいにあるトラベル・インフォメーションで犬ぞりの予約をしてきた。此のインフォメーション・ センターも玄関で靴を脱いで、皮のスリッパが置いてあって履き替えなければならない。

朝9時ホテルの近くに車が迎えに来て、犬たちが居る郊外まで連れて行ってくれた。

9時では朝焼けが少しだけ出ているが、あたり一面はまだ夜明けには1時間はありそう。

街の至る所にスノーモービルが並んで雪が降るのを待っている。

遠くから明かりがこうこうとついているところが見え、近寄ってここが犬ぞりの場所だと知った。

ハスキー犬でもいろいろな色の犬が居ると初めて知った。ここでは147匹の犬を飼っている。今の時期観光客は少なくて此の犬たちに出番はあまりないが、クリスマス時期が一番忙しいそうだ。

雪がない此の時期はイヌソリならぬ犬カートで8匹の犬が此のカートを引っ張る。道路は泥だらけでぬかるみが多く、わたしたち全員が帽子からつなぎの服、靴、手袋まで全部着替えさせられた。

まずは犬との交流をというわけで、抱きついてくる犬は泥だらけ、服を替えてよかった。

カートに8匹の犬を繋いでいるときの他の犬たちが姦しい。皆ヤキモチなのかものすごい大合唱で吠えまくり、最後は全部が遠吠え。

走っているときには泥ハネが多くてカメラもだせない。後ろからついてくるパトリックが御者のカートを停車した時に写せた。

帰り道もひどい泥ハネで、犬たちが泥水にまみれて、まるでハイエナみたいに汚れた毛皮で見るも悲惨。それで小屋の前に付いた時に彼らを洗ってあげるのかときいたら、そのまま小屋に入れておくのだそう。そのうちに雪が降り出すと犬たちは雪の上で寝転んで毛の掃除をするそうだ。ここでは全身を震わせて水をはじくだけ。

着替えをする前に案内人のアダムが子犬の居る犬小屋へ連れて行ってくれた。

 

一つの小屋はまだ生まれたばかりで小屋から出てこない。4匹生まれたそうで、あと2匹の妊婦はまだ生まれていなかった。

着替えして、手や顔を洗って置いてあるのはおしぼりサイズのタオル。ここでは紙で手を拭くとゴミが公害になる。レストランなどのトイレでもタオルが置いてあった。

それにしても上下水道が完備していなければ、北極からして公害にまみれる。本当ならば飛行機もクルーズシップも地球温暖化の原因になるだろう。

そして此の島は今後ますます観光客が押し寄せてくる。

私が知らなかっただけでなく、此の島を知っている人たちはあまりいないと思う。

昨夜から読み出した児童文学の黄金の羅針盤 ライラの冒険 フィリップ・ブルマン著ではオックスフォードの大学研究者と11歳の女の子ライラの冒険ファンタジーで、この本でもスバールバルと翻訳された此の島がでてくる。

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スヴォルバー(Svalbard) 2日目

2024-10-27 03:05:54 | 旅行

日曜日の朝、私は残っていた2個のおにぎりをおかゆにして食べた。娘たちはインスタントラーメンを持ってきていたのでそれを食べたという。

この街には大きなスーパーマーケットがあるが日曜日は午後の3時からしか開かない。

朝日が登るのは10時半とかだが街の周囲は高い山になっているから太陽が見えないだけで、9時過ぎるとあたりは明るくなってくる。

街は緩やかな坂道になっていて、フィヨルドの海辺の方の下り坂にウルトラモダンな博物館が有った。ここでもまず最初にコートを脱いでハンガーに掛け、靴も脱いで棚に置き、リュックはロッカーに入れて鍵を掛ける。

この街でいちばん大事なものがこのスノーモービル、これが旧式なものかは判らなかった。

上の写真はクジラの背骨。

 

スヴォルバーは氷河で切り刻まれた小島の集まりで、この島はグリーンランドから別れてできたものだそうな。大西洋から英国とアイルランドの横を通ってノルウエーから北に流れる海流は北極海に注ぐ。此の海流は暖流でロンドンは北海道と緯度がほとんど同じだが北海道ほどに寒くはならない。

ここスヴォルバーも北極に近いながらも、此の日の気温は0度。ものすごく寒いと思って厚着をしていったら、汗で下着がびしょびしょになった。

夏にはあらゆる海鳥がここで繁殖する。

此の島で昔からいる生き物はポーラベア(白熊)で戦後の乱獲でその数は激減し、今では保護動物になっている。此の街にも冬には1-2頭が餌を求めて現れ、警察が麻酔銃で捕獲して山へ離すそうだ。

昨今のクジラ捕獲反対が大きく叫ばれているが、ノルウエーはクジラを食べる。これらはクジラの厚い脂肪層で、私も子供の頃は大いに食べたことがある。ベジタリアンのジュードとヴィガンの娘は此の写真を見ただけで、嫌がっていた。

ここはミュージアムのお土産コーナー、ノルウエーはすべてが高い。

此のスヴォルバーは北極点に行き着く最後の寄着地である。此の島は少しづつ動いているという。

現地の人たちの家屋で、炭鉱夫たちは1970年ごろから、タイランドへ行って、花嫁をもらってきたので、タイ人やインドネシア人たちが多いらしい。でも数日の滞在ではあまり見かけなかった。

 

博物館を出たあと、コーヒーショップへ行った。ここももちろん玄関で靴を脱いで入らねばならぬ。ハスキーが2匹いて大人しくとってもきれいな犬だ。

スポーツ店には冬服コートのたぐいと、ピストル、ガンが売られている。これらは現地の人たちが山や海辺で働く時に、白熊の襲撃に備えるためらしい。

此の巨大なスーパーマーケットはあらゆる品がノルウエー本土から輸送されてくる。したがってほとんど全部が値段が高い。

スーパーの入口のガン禁止のマーク

ノルウエーはヨーロッパ中でも一番豊かな国で、生活水準も高く、物価が高いのも頷ける。ここのスーパーの品物を見て回って本当にそれを実感した。

今昼は此のレストランで昼食を、私とパトリックはビーフバーガーとチップス。娘たちはサラダとチップス。本当にヴィガンには食べるものがない。

此の写真は私とパトリックが帰国したあと、金曜日にジュードと娘は日曜早朝まで居るとのことで、世界で一番北方の寿司ショップで食べたと報告してきた。

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スヴォルバー(Svalbard) へ

2024-10-26 06:41:25 | 旅行

10月19日土曜日の朝、娘一家と私は6時起床、7時にはパトリックの会社の契約の運転手が迎えに来た。パトリックはオーストリア出張で昨夜10時に帰宅したばかり。

早朝のロンドン市内はまだ睡眠中か道路が空いていて、バタシーブリッジもすいすい通り過ぎたのに、あとヒースロー空港に1.4マイルというところでものすごい渋滞に遭って、10時半の飛行機に間に合うだろうか心配になった。

いくつかの赤信号とラウンドアバウトが近くて車がほとんど前進しない。それでも運転手のマークは慣れたもの、慌てず騒がず、9時過ぎヒースロー空港着。

無事10時半に飛行機はオスローへ向けて離陸した。私達バラバラに飛行機の予約をしていたから娘とジュードは一緒、私は3人がけの真ん中に両側知らない人ばかり。パトリックもどこか離れて座ったよう。

オスローの空港内はがらんとしていて、スヴォルバーへは私達だけかとおもったが。 昨夜作ってバックに入れてきたおにぎり10個、朝食に2個食べ、娘はご飯に混ぜた野菜ふりかけには魚の匂いがするから食べないという。孫のジュードもいつもは大喜びのくせにいらないという。

結局オスローの空港で、パトリックと私が昼食におにぎり2個づつ食べて残りは持っていくことに。娘とジュードは空港内のお店でなにか買って食べていたらしい。ノルウエーは物価高、特に空港内はTAXフリーだって外界より高いのに。

オスローからスヴォルバーまで3時間、飛行機は100人近く乗客がいた。私は全然下調べもしないでいったから、そんな北極に近い島に行きたい人がどれだけいるだろうと思っていたので割と多い乗客に驚いた。

過去2回ノルウエーをキャンパーで周り、ノルウエー最北端のノールキャップの近くの村は20戸くらいの寂しい漁村だった。こんな寒いところでどうやって生活していけるのだろうと思っていたから、スヴォルバーも貧しい小さな村くらいにしか思っても見なかった。

オスロー4時発、スヴォルバー夕方7時着。空港内ではポーラベア(白熊)がお出迎え。気温はマイナス1度、道路は凍っている。小さな空港の外に大きなバスが2台止まっていた。

ホテルの名前を行ったらあのバスに乗りなさいと英語で言ってくれた。

バスの中では先に出た人たちで一杯、私達4人別々に座ったが、バスの運転手が荷物を積み終わったあと乗車料金はクレジットカードで払うとのこと。この旅一度も現金のノルウエー・クローナーを払うことがなかった。

スヴォルバーホテルのレセプションはレストラン続きの一階で入口で靴を脱がなければならない。おまけに私達が予約したところは2-3軒離れたワインバーの2階でクッキングができる。

玄関の入ったところで靴を脱ぎ、皆ソックスかスリッパ(持ってきた人は)で2階に上がる。娘一家も私も2ベッドルームに広いリビングキチンと、大きなきれいなバスルーム。

部屋は暖房が効いてて暑いくらい。何しろ寒い国だからと厚着をしてズボン下まで履いているくらいだから。自宅ではベッドルームに暖房は一切せず、この暑さでは眠れない。とうとう窓を開けて寝ることにした。

この街はもともと炭鉱夫のために作られたもので、今でこそ観光が主になりつつあるが、立派な大学が有って科学者や環境研究者がここで地球の自然を研究している。

ここは学生寮、さすが雪道でも自転車で走っている。今のところ必要ないがいたるところにスノーモービルが駐車してある。そして目に付く車の殆どが日本車なのだ。

 

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