青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜百一

1583年04月15日 00時00分00秒 | 投稿

あ、体吹き用の“ああうおふんすはぁん”、“すはぁん”は早く発声、は足拭きより、更に面積が広い一枚が、帽子掛けと似る家具に掛けられていた。
素性は、足拭きと、似ている。
使用後は、必ず廃棄。
この決定は、足拭きが、牽引していた。
思案の検討を、提唱検討中者は、大勢居た。
あ、脱衣所と呂雨濾の間の間に敷かれていた麻の絨毯も、毎回捨て。
これは製作が簡単らしく、どこにでも有ったらしい。
伏見区役所辺りで、主婦が手作業。

呂雨濾の湯は、紐を引っ張ったら四分二十秒ぐらい、降り続けた。
呂雨濾の穴の規格を、損壊しない水勢を維持し続け。
立派に水の柱を形成し、吹き続けおる。
各階の間、階段の折り返し部分で開く扉の向こうに水甕みずがめ、が置かれ、配管が繋がっている。
これらと共に、水甕に据え付けられている水圧増幅機も月製で、これらは高圧なる水を、天井裏を巡る配管の中を走らせていた。
呂雨濾の傍の紐を引っ張り、四分二十秒後、扉が、配管の中で水圧を閉じるべく、降っていく。
水甕の保温性能は地球文明曰くの、原子炉周辺に見える。
水甕は、一つのみで一階の使用水量、一ケ月分に耐えたが、階の間には、複数個が置かれており、季節を余裕で越えられ、閉館季へ至れた。
水甕の表面は完全に土器、土鍋で、水圧増幅機の即時判明印象は、呂雨濾が如く、眩しき銀色、マシン丸出し、配管は、わざとらしいざらつき、機械的配列なる、つまりは化粧をまとう暗緑色の濃度、恒常にて、視認者の知性に、異文明間転送への穏便馬車軸、と成文させる力強さに満ちている。
ぶっ飛び文明が、あなた達にあげるよ、と。
水甕を、ねお各階の天井裏に据え置いた方法は、西の美福びふく、通り、北の郁芳いくほう、通り、に休館期、櫓やぐら、を組み立て、ねおの壁、開閉設計領域を開いた、だった
櫓で、上空へ水甕を牽引し、小さな車輪と板を床に敷き、奥へ引き入れていった。

現在、二条公園内、玉姫大明神、こちらがご鎮座の社は、ねお存命期より、始終自然庭園の中に在らせられた。
こちらの存在に気付きし者は、ねおの職員は、地図を見る上層部のみに限られていた。
ねお存命期、誰一人、参らず続け。
しかしとにかく、何と、俯瞰上、ねおの生き証人。
そのようなお捉えは、至極、不可避ごと。
断固、姫は、ねおの生き証人。
あ、ここは石碑が、一度交換され、そして二十世紀に社が建立、だった。

呂雨濾の間、かくなる諸元、湯気と芳香に隠れし諸元は如何に。
異人種の利用は控えめだった。
別の方法で、体を浄化しおった。
異人種の利用は、存在した回数全ては、専ら文化研修。

インドのガネーシャ象と似ておられ、象牙無しで、鼻がお長い方には大変人気だった。
ご身長百九十糎、男性のご体重は九十キロ代、堂々のご体躯が、水質を吟味しておられた。
“実に生き生きとしている。”
眼は画像と似ており、耳は、地球人と似る。
肌は黄土色。
名は、呼ばせず続けらしき、ある宇宙空間に属する異空間文明人。
ねおの無人の広間に瞬間移動。
月人作曲の曲を、中京区の少年公家達が合奏、との舞台を鑑賞しておられた。
舞台との接点は、稀な方だった。

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