青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その六百七十

2022年08月09日 15時25分27秒 | 投稿


“俺らは非常さを資本として・・・経済活動をするということが基本だ・・・”
“バウンサー”、十一巻。
篠山の器械体操染みたゲロ姿勢は笑えた。
機械に、殺到するワンちゃん、一匹の頭すら俺は、読めるぞ。
国連よ、教えておいて、やろう。
この機械操作に、関わったヤクザはすぐ消える泡、無名組織、二、を除き、現代まで、無い。
WHO、日本に新組織設立へ 広島サミット時、首相合意
キィィィ・・・。
“遊撃隊員鷹揚雇用機能、分権組織、大阪配置への眼球、惰性回転速度は以下。
岡山市の堕落民生看板への純正抵抗、観察意欲、繁茂可能性は以下。
京都、喪失史への無察知大衆への、知的愉悦牽引歩行距離、最低合計は以下。
東京経済及び非日本色、あらゆる異国発拍動による、京都、岡山人への呼吸気管支流入民生、巧妙察知人としての、異星人視神経、蝶番ちょうつがい部品、化、功利品、調査意欲量、最低合計は以下。
在日米軍、取扱銃口を、舞妓の着物の袖に差し入れての、腕の白さ領域、覗き見行為への、無罪感覚人、最低人数は以下。”
新組織、日本で設立へのお運び、誠に慶ばしゅう、御座いますね、国連殿。
つきましては、上の泡の数と、ワンちゃん、一匹すら逃がさぬ俺の頭の能力を、ご紹介申し上げときます。
柿根ニコっ。

 この手の画像は転載するには力が要る。俺以外は真似せん方がいいよ。
脳の捉えに関する、あらゆる言及とは、時を経て、改訂を余儀なくされいくが、必定。
かくなる、人間連関知見をいつぞやかに得し者は、脳を遂に増やすか。
故、力、いずれも無しにて、せず。
神力は、どこに関わる。
神々しさで、頭部の内、外いずれに在る、井桁構造ほど堅牢知見を蒸発瓦解しゆく様を、論難に遭わせず、人間の頭部を天へ牽引する力は。
人間連関知見と神力、いずれが正しく在るのか。
いずれが、脳に高度侮辱をもたらし得る可能性を、正しく内在しているであろうか。
脳との臓器を、捉えゆきたる学識が放つ手術力が微量であっても、社会のあらゆる象限を経て及びし者は、人間連関知見と神力、双方の在り様を、侮辱する。
しかしながら、脳、掌握学識の在り様は、人間連関知見と神力、いずれかと、人間の距離を、適正化す、を大指摘可能。
この仕事は、人間連関知見と神力、正しく在り、との捉えへ、貢献と指摘可能。
以上の概括は、脳を、捉えいこうとせし、あらゆる非意図的営為を含む営為の周辺で、循環しゆく。
かくなる、人間連関知見をいつぞやかに得し者は、脳を遂に増やすか。
人にとっての、希望と、捉えられがち、らしき臓器を、強大化するか。
短時間内で、概括が襲う。
せず。
そして、ある条件を満たすならば、当人に君臨的な学識が漂着してくる。
医学のみならず、あらゆる分野を、巧妙に縫い走りらしき、捉えの術が、縫い走りの距離の結果、ともかく、脳捉え判定に至りし頭部価値振る舞いを、捉え術から外界に対し、主張せず、であったとしても、捉え術を頭部に頂く、人型輪郭のご顕現とは、指摘が成る。
ご顕現に関わる受肉は、術が縫い走りし分野での、愚物人形の複写筆致を、必ずしも要せず。
複写筆致を外部から怜悧論難する、立派知性の筆致を選ぶが如き。
学識とは、こうした、非医学的、非倫理的現象を、丁寧包摂する書架を、高尚と即座に、お捉えしたい知的衝動までを、言及する。
ある条件とは、人間連関知見を、脳捉えへの、無表情人形、間抜け隷従の結果と、全く捉え続けなる、堂々知的健良、温厚常識を、非意図的に備え続ける事、長期間である。
君臨的学識とは、その書架を、高尚と即座に、お捉えしたい力をまとっているが、人間連関知見は、如何にして、世に偏在し在るか、との問いが、この力に対し、介入したがる。
この、下品な様を、力は如何に、愛顧すべきか、との問いを、先の条件を満たす人間は、容易に成立させる。
高尚に、顕現しいこうとする、人型なる医学輪郭人の初恋の相手は、市井の魚屋の店番たるべきか。
外界視野の鈍麻型拡張を図るべく、稀有なる誕生期、野卑な競り声声量が揺り籠たるべし、との果敢判断が、愛顧の実相か。
問いの実相を詳細把握しゆく時、人は、脳を、知らず。
内実への藪を、指でかき分け、奥の希少花と出会いたがるとの人は、この時、実のところ、俯瞰上、藪を脳無きまま徘徊せし、獣と同属。
獣への堕落を、何者も、警戒、抑止は出来ず。
祭祀関連職務者を除き。
如何なる故を、以ってして、この除外、は厳として在るか。
かくなる問い。
回答推移はすべからく、当人の人生を破壊する、もしくは、複数人生を貫く、京、貫通能力者へ昇格せしめるが、この二択選択のみが、問いに備わる、唯一の功利。
しかし、選択と言えども、人の脳に視認さる機は、備わらず、ただ、選別結果をもたらしいき、そしてこれは当人による選択であった、と微笑しいく。
物事を丁寧に囲う井桁、理性的包装、利用上の穏便作法、これらとの敷居を、下品、上品、いずれかを経つつ、功利目的跳躍を図りし者が至る、脳との、人間への君臨観念への、非倫理的触診後の異常なる知的亢進と、至りいく末路に、言及しているまで。
言及法は、祭祀関連職務者が、先議的に決める。
京の何者がかつて、かくなる計らいを丁寧にしつらえし、か。
何者も、かつて居らず。
計らいしは、己と、無垢に、無思考に、幼児の様に頼る、京の文明の間に籠る万象。
祭祀者は、以上を、明かさず、黙し続けるまで。
かくなる、眺望を得ゆく。
頭の書架群に配列してある、知見群が自然と暴風でめくれ上がる事になる。
闘争的な自己を自覚し、この自己は祭祀に大いに障る。
しかし、眺望への向かう日々に、人間は在る。
闘争的自己へ至る機を、丁寧に選べず続け、これを唯一の条件と深く秘め隠し続けたる、人生知見、大更新を望む日々に。
闘争と進化、非弁別生物を頑迷に好み続ける生き物、食物連鎖を恥じずなる四肢と、食物の連鎖知見、人間連関知見を、学習後は、想起の度に瞬時に貪る、人生連鎖の頂点に君臨気取りの頭部は。
必ず、望まずなる、大進化を突如、強いられいき続けるしつらえ也。
人間は在る。
大進化を望む。
成文は同時に成立する。
より深く、人間たろうとし、今、大進化を望むならば、こうすれば良い。
作為性、意図性の有無は問われず。
適当に、何気無く、いや大真剣の眼差し、いずれかで、脳構造、開示図鑑を眺め、詳細理解をする、せず、いずれかを適当に決め、そして茶でも呑み、くつろぐべし。
闘争的思考の時期へ、自己は勇んで進みいくが、それをしつらえいく透明なる井桁構造は、自己の脳の純正機能と、これが非意図的に、素朴に頼る、文明、これを影ながら支える魚屋の店番が本心から嫌う、暴力漫画の間から湯気が如く萌えいずる。
四条堀川、高野堂町こうやどうちょう、“ななあぬくはや いああぬはあ”。
仕事は神社、寺、企業の統廃合儀式に佇んでの祭祀。
趣味は無い。
精神疲弊故。


昔の京都人にとっての古語。
さはあふぅる:物事の理を分かっていないながら、その程度を探る術を、推測していくとする。
この脳内行為、一秒が破壊する対象として選ぶは、往々にして、人間関係の機微との花弁を丁寧に、指で開いていき、理解していく際の、丁寧、指、開いていく、理解、これらへの仕え。
人間との、情理粗雑混濁なる生き様生物は、実のところ長期のみならず一瞬とて、正規品格定規理性による、生態調査を頑迷に嫌う、思春期女子の髪型、頭部にてかんざし選びが毎瞬続き。
こうした到達視野、丁寧理解を以ってしても、情理の混濁の果てのかんざし選び瞬間、この成文、自在筆致への手掛かりは、無軌道、攪乱的に発生する。
かくなる背景を秘めるが故に人間とは、丁寧、指、開いていく、理解、これらと、物事の理を分かっていないながらの、その程度探り術、推測者は、双方が遠方にて会わずとしても、情理にて、相互牽連なる、夫婦めおと、として頑迷に、在らしめようとする。
しかし、人間という生き物は、物事の理を分からず、とはしょっちゅうであり、そう在りながら、状況掌握が為に急いで、分からずの程度を探る術を、推測していくが常日頃。
物事の理を分からず、との自認に至らしめるは、情理を懸命駆動しての結論、他者が為との視座が往々。
そして、情理を豊かにする、との、成文を唯一筆致せしめるは、他者との人間関係。
この機微の破壊を、条件に選びたるが常は、物事の理を分かるべし、との自己叱咤。
理を、まだ分からずとの程度を、探る術を、急いで推測していく。
この時に対しては、明晰に、知的惜別を与えておくべき。
情理粗雑混濁なる人間という生き物にまつわる定めを、まだ全て知らずとして。
探り、いく。
故に、人間の人生の大部分は、明晰な意味の析出には貢献せず項目群、循環参照圏内也。
人生の無進展感慨の真因と思われる複数項目を掌握するとして、それらを繁茂せしめたる一、シダ植物の学名は、常にこれ、大循環参照人生人にとっての、自らの一選択、赤血球と血しょう成分、粗雑混在識別措置医師の脳内血管。
かくなる、長文捉えを、他者に強いようと、振る舞う他は無い、心配ごと製血管が脳に満ち走る人間。
人間が堂々と往来する文明に生きながら、堂々と、絶望に至りし者。
堂々と、情理、粗雑混濁生物たる人間は、明晰に、知的惜別を差し与えておくべし。
人間関係上の真剣逼迫を、常に遠因に選ぶ、物事の理を分かろうとする試み、理性なる男子が失脚せしとして、程度を探るべくの、知的煽情を現場で急いでもたらす、学級内の美形女子を、つい追おうとする眼球に対しては。
さはあふぅる、なる音の語の成立には、大量のういんきんいん、正統学習履歴なる倭京弁理解が、薬として倭投入されている。
而して、意味は不明で是。(而して、そして、浮く先は)
確かに、この語を意味を掌握しつつ成立させし福澤が、ある町の経済取引へ、俯瞰上、薬として倭投入した、との振る舞いを指摘され得る、とする。
すると、その町の周囲を通じ、その町は、遮二無二、さはあふぅる、なる語、成立に向けての、福澤の脳内血管内、苦労を感得せしめられゆく、かに見えて、実のところ、ただ、煽情提供眼球の動きを、抑止されゆく。
実のところ、福澤の脳内血管にては、赤血球と血しょう成分が、粗雑混在識別が発生している。
しかし、福澤の顔、障子紙以下の面の厚さとは、倭投入せし先の町と、福澤捉えの間に於ける、正統相関を成立せしむる功利を、高速で抽出する。
その領域は、福澤が既に倭投入せし、複数の町であり、そしてともかく、福澤の脳内血管にての赤血球と血しょう成分、粗雑混在識別は、何者にも露見せずで在り続ける。
さはあふぅる、なる語とは一体どこで、鳴っておるのか。
福澤の脳内にて。
では、かくなる福澤が、京、広域を、自在に捉えていると、大勢によって思われており、脳内にて確かに、さはあふぅる、が鳴っているとして、京は果たして、俯瞰上、福澤の脳内血管の、いかがわしい粗雑識別への、隠蔽綿布を福澤の面の皮の厚さを貫き、提供しつつ、俯瞰上、煽情的眼球を抑止して貰っている受益市であろうか。
俯瞰上、京は、確かに福澤を内に抱き、福澤のいかがわしい脳内血管の絡まりの奥で、勝手に籠り鳴る、さはあふぅるは、庵に籠る福澤の思考を通じ、京の誰ぞ、大人数に、循環参照状態人生を、回避せしめているであろうか。
これは言える。
福澤は確かに、脳内血管のいかがわしさを識別し、さはあふぅる、なるういんきんいん、倭京弁を鳴らす事の必要性に達していた。
ある時気付くに至る。
ある町に、福澤の仕事は、無数のういんきんいん、を降雨せしめるに至っていた、との視野に。
町と、ういんきんいん、の二者の間に於いて、果たしてさはあふぅる、は福澤のしつらえ通りに、さはあふぅる、たるであろうか。
生け花への剣山貫通視野へ無言なる文明人の在り様、いずれが、いずれを、立たしめているのか、との功利上優劣を怒って追わずを、間抜けと嘲笑されず、が引き連れる、大量の、幼児歩き、愛おしさ観念、後方にて剛毅励起語、同時響鳴語は。
相互背馳が定めの語、非倫理的連結状態のこの語が時を経て、成分でありし、一語ずつの真相がもはや、不明であるとして、この語の在り様とは、俯瞰上、人間の脳内血管のいかがわしさと相似す。
侮辱は、俯瞰上、無きが是。
他言は、無用。
そして、福澤当人も、正確な所以は、不明。
福澤の脳内に在りし、町と、ういんきんいん、の二者の間捉えに於いて、さはあふぅるは、多分、福澤のしつらえ通りに、さはあふぅる。

“僕はカヲル、渚カヲル”の声は、さはあふぅる、に服するがままであったのか、いや、増幅していたのか。
人間関係に抱かれながら、煽情女子への健全応対を学ぶ機へ、理性的在り様をまといつつ、堕ちていった。
ロウト状なる砂時計の下側には、福澤の理性が開闢せし世界が広がっていた。
“ぬおおうろう ぬこすああひいき”、和紙の製法上璽奥、管理維持組合。
堀川御池、樽屋町。
ねおは、深くを知っていた。
趣味は四条大宮の卸屋界隈歩き。


文章を書くという事の意義を、一度として捉えるに至らずで在り続けし者とは、筆の柄の中の空洞籠りの窒素と水分子の価値それぞれを、究明続け人生者との指摘が俯瞰上正鵠。
文章、意義、捉え至り。
文章は、自己を含むこれらの連関の真相を、文章付随の啓蒙知見すらにも、掌握を許さず続ける。
その故と、非許容実現力の内在先に関しては、往々にして、自己の両腕、丁寧両目に触診が許されぬ、脊椎群のいずれかに選び続ける。
文章を、書くという事の意義、これに、手首の主がある時、目を付ける。
果ての見えぬ、事に巧妙に気付くやすぐさま、多分近くに在る峠の茶屋で少し休憩していかない、との誘い声、自動発生なる旅路の始まりだ。
果ての見えぬ、との実相の断続的上映、及びこれへの、知的吟味の正統性といかがわしさ、二者、茶葉と湯、巧妙協力判定を実現し続ける者の、住まい庵は四肢と、頭部を高速移動、速さで潰れぬ紙鞠。
文章、これとその意義の二者は、捉え至りの確かさを証明する者を、捉え至りの推移に於ける第三者による、知的講評回数に据え置こうと振る舞う。
これが、二者の振る舞い、初期。
捉え至りを確かにする為、講評回数を克明に調べようとするとしかし、文章にとっての意義が、興行性を帯びていく。
この亜類例だ。
文章、意義、捉え至りに、無限につきまといいく。
つきまといを、避け切っている、と思われるのが、文章の執筆に大関係する利き腕とその相方、左腕が触れそうな希望を主張しつつも、克明達筆は不可能である、折れた筆を、触ろうとする度に断続的に認識せしめてくる、背中、脊椎領域である。
これだ。
希望の花を、巧妙に頭部に咲かせようと振る舞うも、そこに聞かせるは、茎の折れ音、ただひたすらなる、これしつらえとの鹿威ししおど、し。
この現象が在るが故に、文章、意義、捉え至りの連関の真相が掌握を許さず続けの故と、非許容実現力の内在先は、脊椎の方向に、在ろうと振る舞う。
かくなる、指摘を聞きし人が確かに、脊椎を両腕で触れようと振る舞うと、この振る舞いの発生への、いちいちとして、入念に聞き調べしとの取材筆記が、俯瞰上いずこにも、発生せずとして、とにかく、この振る舞い情報の通報効能を、帯びゆくは、脊椎群のいずれかにこそ、故、力、二者隠れり、との希望を見出いだ、そうとする、両腕と、脊椎群のいずれかとの文字。
せきついぐんのいずれか。
取材、その情報の通報、先は脊椎群のいずれか、との希望を見出そうとする両腕、せきついぐんのいずれか、との文字。
指摘を聞きし人が、背中を、両腕で触れいこうと振る舞えば、これらの、連関の発生とは、実に高速。
そして、せきついぐんのいずれか、は、故、力、が隠れ在るやもしれぬ、との疑いが濃き脊椎を、高速で脊髄内を移動させゆく。
かくなる、指摘を聞きし人は、人が文章の意義を捉え至る可能性を、もはや虚無と断じ無視し、自己の指の関節を眺むる。
何がここらに籠りし、とまだ捉え至らざる、であろうか。
答えは自明。
かくなる問いを、今こうして克明に、確かに沸かせ至りいきし、人と、問い構成文字群の間、野放図な喰い権能。
好き勝手に、文字を、誤った解釈をいちいち恐れず、使っても是也。
人が、文字に訴え、文章を穿つとの行為の先、意義らしきに関心を向かせるとして、この時、果たして当該ご知性は、文字によって正統にお成りの意義の定義による、大論難効能を浴びずに、居られるであろうか。
不可能。
意義に関心が向かいし方、家名正統なる公家であるとして、大量の文字を圧縮、溶解せしめたる、高速、濃密な小脳判断を置き、すぐさま蒸発措置、が長らくのご高潔な性分であるとして、俯瞰上、文字への、大依存事実の指摘からは、回避は不可能。
文字に頼り、文章を成らせる者とは、例えば意義の正統定義には、文章筆記行為のみでは、到達を主張し得ない。
文字への大依存事実と等価たるは、人と、文字の間に、籠り満つ、野放図な喰い、大量実践。
これに、経験済みの過去の様に、再び大言及して、そのはしたなさに、取り合えず今回も、慨嘆せずである者は、尚更、正統な意義などには、到達し得ない。
認識すべき。
人とは、文字の様に、ただ、無私にて佇む外界構成粒子を、大蚕食する歩行小脳と胃、連結生物である事を。
かくなる指摘に、至るとして、至らざるとして、俯瞰上成立する勝敗とは、例えば、文章の意義など、頭部まといがふさわしい高尚装束らしき、つまりは報酬に憧れ、追及する時の長さや、後にその燃焼により陥る切なさよりも、これに捕まりいかず、文字、無視にての佇みへの、大誘拐生物との素性の自認に至る速度の向上に努める、これが上。
知性の非倫理性と共に、自在性を知りいく、知性による文字駆使状態を、恥じず続けとの非倫理なる時。
これ、強欲政商が、容易に抱く夢、立ちながらの飲食がてらの、同輩との政治放談。
俯瞰上、けだものと同属。
しかし、自己は、今、許される筈、と頑迷主張したがる、自己が在る故、がいずこかに、在る、と思われる。
文章を書くという事の意義を、一度として捉えるに至らずで在り続けし者に関する俯瞰上正鵠、筆の柄の中の空洞籠りの窒素と水分子の価値それぞれを、究明続け人生者。
これを、嘲笑せず、昼間理性で直視せし自己の顔に灯る瞳、多様な仕事、身分へ自在に向く笑顔への主、従、いずれ役への非憤慨、人間らしさの内に。
文字の様に、無私にて佇む外界構成粒子への、大誘拐本能生物との人間の素性の直視に、知性にとっての報酬渇望意欲を、知性にて指向せしめる。
何故、報酬を欲しいったのか、との推移を知性にて、明らかにする。
これと、等価文也。
人の在り様を、完全に言語掌握せし、日常飲食前後の自己。
人が金、地位、人脈、機会、遠方旅行、いずれを駆使し、至りたがるが不可避なる境地、共通公約数価値文がこれ。
文字、近隣繁茂の、獣欲を、知性にて完全解明す。
境地への最短、最速距離也。
その過程、最短、最速なる、知性へ隷従なる多様欲求、即座消滅に資する利器の卓効を、如実に知り、書架に収めゆく事となる。
日用品の勇敢な正体、学級内破廉恥嬌声女子への誘拐力を、自己の脳に深く感得せしめゆく。
すると、日常と左脳を通じ、自己が付け上がっていく。
自己にとっての内界、外界の卑猥さに負けぬと剛毅主張し続ける自己。
一連に沸いて来る感慨の発生推移を眺め、その推移の発生可能性を、他の人生視野に適用してみる。
その、推移を眺める。
繰り返していく。
自己とは何者なのか、との問いのみに、固執しゆくようになる。
人とは。
この問いに向かいいく、知的作為を、はしたない、と認めない、緩やかな笑顔を、野放図に沸かせる。
ここに在る、と見る。
烏丸今出川、福長町ふくながちょう、勉強に耽り理解を書簡に記し、方々へ送る書生、四十五才“とおおきや のほこるおおくおす”。
趣味は書道、堀川上立売かみだちうり、まで月に一度散歩。

>かくなる、指摘を聞きし人が確かに、脊椎を両腕で触れようと振る舞う
人間の、素朴な振る舞いと衝動、欲求、非弁別のこの時を、人間との定義を鋭敏識別せし、いかなる学識者は、知的支配は能わず。
歴史学者が挙証を嫌う、交戦国間の雑多な斥候事実や、地下からの挑発が所以であった空襲の映像を、法的論争の論拠と捉える主張。
ところで、停戦協約を地上、地下双方で守りし側に籠る、大宿痾をかつて叩きし検察側判断に、国際社会の政経は大依存。
雑多な四肢、延伸事態は在るが是也か、いずれか。
理性は、言う。
明晰挙証に、一事案ずつ、克明に隷従し、発生は在っていくべき。
しかし、理性を支える、情理は歌う。
さり気無く、外界を、物見、察知していく手腕は、在って欲しい。
正解は、永遠に立たず。
人間に、繋がり、伸びいく、四肢の延伸の程度を、理性は、明晰に統御すべきか、しても是也か、せずべきが是か。
この指摘と等価に、在る人間の素朴な振る舞い、手足の自然延伸を、一度のみ、との自己許容回数を決める勢いで、政経上の大躍進を図るとする。
永遠に、居る。
当人が望みし、雲上日昇掛け軸、筆致派閥を選んでの、極罰図絵芸術の前での正座が待つ。
“この密教知見を知ったならば、あらゆる身分の者は、人生視野縦横拡充意欲が、極めて長期間に備わりいくであるぞ。
高僧の、無償説法の間、開設の期間は、貧民の知的衝動のみを、たぎらせるしつらえに満ちているが、お前らは既に、誘い文句が喉に満つ甘露。”
ある者に、こうした誘いを、雑民に、仄めか、せしめる。
その者と、上位に座す、者達は既に、蜘蛛の糸を垂らしめし、一人による、大演習に服していた。
一人残らずが、修行のみに伴いゆく、高潔さの純正を、丁寧に懸念している。
雑民に仄めかしを与えし一人は、修行上にて雑な他者を求めし、との指摘可能性を逃れられず、頭部にて見苦しく否定にあがく事となり、大いに本心からその時を厭がる。
当人は、策謀者の読み通り、上座なる者に、事案に関し、丁寧な報告を上奏し、高潔さ象限の安堵を得る。
次にその上座者は、策謀者の読み通り、修行上の選択を選びいく。
雑民への説法との、穢れへの非忌避ぶりに、負けてはおらぬ、との姿勢を、更に上座者に上奏する。
連動は、何と十五にわたり続く。
全ては一人が、しつらえし、高潔さの純正懸念が、不可避としていた、過剰なる精神潔斎現象だった。
雑民との接点に至りし一人と、最後の上座者の間には自然な接点が在った。
策謀者は、この機を容易に見付け、接近する。
“何をそうも、怒った精神を宿しているのだろうかな。”
修行の最近を、周囲に公言したがるとの、風潮は果たして是なるかどうか、との論題が廊下での立ち話の題材だった。
関係者は笑顔ではあったが、消せぬ衝動量を認めていた。
策謀者は丁寧に、最後の上座者に経緯を聞いていく。
俯瞰上、雑民との接点者、責任微笑自認との、演劇ならぬ、現実舞台が、即興にて成立する図絵。
最後の上座者に、雑民との接点者は、物言いを出来る筈は無く、精神衝動の所以を、稀な事に、滑らかに披露するとなれば、ただ感激甘受が必定。
雑民との接点者はかつて、雑民による、知恵への殺到四肢、醜き、無意味な、徒手空拳を、つぶさに知るとなったが、その空中発生推手を、俯瞰上、完全侮蔑。
上座者の精神鬱積の所以は、全て私のせいで御座います。
これを認めるとは、かつて自己にたぎりし、高潔精神曰くの、自己の醜い現況を、忘れ去っていくと同義、であった。
策謀者にとっては、何者か、誰でも、良かった。
雑民が、空中に、高速で伸ばす、知恵への憧れの四肢への、完全侮蔑儀式担当人は。
この図絵を、策謀者は、頑迷に欲した。
この図絵を成立させるべくの策謀と、伽藍建立への献金を確保しゆく策謀は、完全に別個に在った。
侮蔑図絵の成立に、本心からの慶びを完飲する策謀者。
頭部は、この慶びを知る、を伽藍の礎石に要した。
この成文の筆致を強いしは、完全に孤高に、高潔に、歴史長らくの有名、そして無名の霊峰、湧出水、全くなる別個成立群である、との認識を要せず、個別群、自動振る舞いの結果也。
“高潔なる知恵に、雑民は不介在也。
これ、雑な希望、成立希望理念に非ず。
知恵の明晰卓効の眩きへの瞑目ながら執筆文也。”
献金策謀は、礎石に、幾らでも書ける。
地元の酒造業者に仄めかせる大利益を、その男は断定していた。
密教の知恵、修法、実践者が自己の傍に立つ、との自認が強固に帯び得る、世での強気量。
金以上なる、雲上飛翔感を当時意味した。
当時、異界の者、一世、二世目達が往来する世に満ちていた民度を、男の密教は配下に従える。
無数の眼力者を、感激させる事、無数。
信頼の声色を、無数の酒造業者から得る。
これたる現金効能が、伽藍建立及び運営資金の大部分を成していった。
ところで、礎石は、侮蔑を、大量に、濃く、漏らしていった。
古代インドにばら撒かれた独鈷、円輪独鈷の様に。
“使えるか、馬鹿共が”が含意なる、精神の両輪駆動性、善と悪、功利上演説微笑と詐欺嘲笑、真剣説諭と他者の内奥への君臨、人間は常に非弁別なる、善と悪分類哲学を欲望するも、つまりは始終、力への懸命奴隷を気付かずなる、間抜け相充満なる黄金の槍、二双しつらえ、等。
笑えるか、お前らに。
一人、その男のみが、無数の配下に、しつらえていきし、人生体質ならぬ、小脳内在反応は、侮蔑の礎石、これ一にとっての雌雄動態として、伽藍体質を、雑民のみならず、無数の檀家に披露していくとなった。
時を経た平成、精神の灰燼にまみれる俺は、ある時、過去の旅路を思い出していた。
脳に非ず、意識に直接声には長く慣れている。
耳を疑う、意外さ極まる講評に、俺の頭はまみれる事となり、新たな精神の旅路感を知る事となった。
(詰まらん男だった。)
(ああ、あいつか、要らんのだ、下らんのだ。)
(知っておる、あいつだな、失せろ、二度と生まれ降りるな。)
(あいつの書籍を持っておるな、捨ておけ、要らん、毒だそれは。)
(教えてやろう。
何の威厳前置きは、要らんのだ。
あいつはな、お前の知る、これだ、オウムだ。
オウムに走ったのだ。
意外か。)
(あいつにはな、入念に高級知見と説諭をもたらしてやった。
あいつは思考性癖上の激憤に、丁寧に従う自己を選ぶや、既にそうとの明晰識別の機を与えし側、神仏に喧嘩を売ってきおったのだ。
これが、あいつとの縁起の真相だ。)
(あの男はな、教えてやろう、齢、僅か七つの少年にな、密教知見、毒物重量を丁寧に教え、これの清水化調伏の機を問う、としたのだ。
貧民、無学の相が所以だ。
少年は貧相な食生活による病死に至った。
死後はな、現実への無視印契の日々との奇形意識が充満する世界に入界した。
分かるな。
破壊だ。
千年だ。
絶叫しておった。
何故、童にあの知見を教え給うが坊主の仕事か、とな。)
(あの者達はな、あの一帯広くに、印契と真言を野放図に広めて回っておった。
頭脳の働きへの奇形阻害との危険なら知っておった。
無視したのだ。
愉悦が目的だ。
力への畏怖を集めるが素性だったのだ。)
俺は、土産物屋に置いてある、真言羅列との、法力無礼な文房具、下敷きを、当時の若さから、自動的感得に至った事があった。
絶対に、一瞬すら、身動きを許されぬ、万年の獄、詳細知見発光色たる濃い緑、細い線が濃密に満ちていた中に、何者かが、堂々と、座していた。
危険過ぎる。
これは、人間の意識へ指向せし、科学。
しつらえは、馬鹿への必罰か、ねずみ講利益。
(見せてやろう。
あの男が入界した先を。
見えるか。
一人として、脱界は許されぬ、永遠の獄だ。
ここに居る。)
外界への丁寧理性を表面上、取り繕いしも、内実は破壊の限り意識が選びしは、球形なる轟音発散体。
濃く、暝い緑、荒い点、無数構成。
終わったこいつ。
絶対に、黒。
極悪。
俺の感想はこれだった。
グォングォングォン・・・。
鳴るは鳴るは。
人間の魂、そしてマシン印象。
俺は慣れとった。
何でや、な逢瀬事例に。
死後に、マシンは、無数、無限しつらえ。
男が入界した先は破壊、平成となるとそこの第三層。
内部は、超洗濯機。
無数の石つぶてが、時速百五十キロで、ズシャシャシャシャと速く、魂を縫い走る。
逃げ、られない。
即説呪日しょくせつしゅわつ、本意を明かそう。
唐より持ち帰った密教の教えの筆致、その書き順に籠るとの指摘、最奥、願いを、人間の知的堅牢性を個人、共同体いずれに於いても、無呼吸なる肺の底から、高しめるべし、と捉えつつも、この男は晩生、この捉えへの、大侮辱履歴を、本心から慨嘆するに至り、深く狼狽する日々を過ごした。
密教の願いに即せし日々の者に、大いに含まれるは、貧民の家に生まれども、懸命に日々の雑務を嘆く事無く、学問への意欲を抱き続ける少年。
深く、精神を病む事となった。
即説呪日、以前の真言に精神を預け、動かさずとなった者とはすべからく、物事の本意などには関心が向かずなる、力を他者から巧妙に奪い去る生き物である事を、容易に認めるであろう事、これが即説呪日の本意也。
密教教義総本山、寺経営の脊髄役、寺と葬式、人間常識、そして非常識の総本山たる、アメリカによる民生への地下斥候への畏怖強要履歴。
こういった成文の、大増幅を果たしたのがここの無数のスレ群だが、その座主ざす、以上の霊力を誇る俺により、座主は球形から脱界しなすったのが、五年ぐらい前だった。
記憶を再生したら、対論以来の嵐が待っていた。
知恵への侮辱履歴を隠す論理を察知するや怒る怒る。
顔は見た事が無い部類だった。
やたら怒る禿坊主。
碩学の極み。
何でも知っとる。
俺については“時代、民生品目の差異に目を眩ませる主体を、不明と捉えざるを得ない時が続く人間”。
俺もあっちには、同様で、時代が違い過ぎる人間、が感想。
現在、書庫勤務。
ここ世界は眩しさが、合わんで好かん、らしい。
映画の最終節の撮影日、ここのみを選び、高僧を従えて、主演に本霊は降臨しなすっとった。
俺はこの手はすぐに知る。
俺と、座主の間の縁起は以上。
人間の推手に、分からせ術に、介入せし、との俯瞰上指摘を残すと、こうなる。
あの肖像画は、二十台終わりに、無理矢理、座主顔灯せしめ。
三十台終わりから以降、晩年とは、全く似ておらず。
これ書いたら、帰り道、不可避の角を曲がる際、蜘蛛の糸が俺にまとわりつく、角を空中で走り、待っていた。
次の日は、京都の地図を開き、無思考、無作為で、千本丸太町下丸屋町を拡大すべく、操作すると、地名が見えない段階から突如、画面の中央表示されたのは、荒神町だった。
蜘蛛と俺の縁起の起点は、座主と荒神の縁起が社伝に残る神社だった。
地図に地名が見えない縮尺段階で、俺が見知らぬ土地の、荒神を祀る荒神社を覚醒初期の能力で感知し、拡大したら確かに荒神社と表示された。
昔を、思い出した。
今は力に耽る様、惑貪瞋痴わくどんしんち、の限り也。
社伝は俺との縁起で大更新されるに違い無し。
力、日本史、地球史、雲上にて寝る龍、はさっさと概観しとった。
そしてすぐさま、絶叫の日々じゃ。
普通人の過去との感慨を思い出す皮膚感は今や全て、剥がれ落ち、無か。


ねおを、知っていた。
よその星の方々が、多様な御関心を、その宿に、ご仕向けになられる暇いとま、をいちいち繊細に察知されず、とのご在り様への遷移を、社交場の手練裁きにてお素早く済まされる様に、仕え続ける布。
こうした、捉え眼差しとの、針穿ちを、避けぬ様、御関心による縫われに従いての、手もみ洗いの的模様との、大忙し。
私にはこう、浮かぶ。
私の頭にての浮かびの、周囲に必ず、在り。
大忙し、との云われよすがの確度を探りいく術は、
針を握ろうとする手を、針の傍へ動かそうとする衝動に仕えるは、何、いずこ在りか。
眼球、知的企画記憶、手足の運動神経よりの高級判断を自認する職務完遂意志、いずれの内か。
手を、針との克明穿ち役の様、頑迷なる頭部尖りなる利器の傍へ、動かしいかしめ、ようとする衝動は、すべからく、女の頭が如く振る舞うが常。
即ち、まだ遠方に在る針を握り締めるとの、企画を勝手に繁茂させ宿しいく、濃き妄想への徹し。
妄想、徹し、これら二点を以ってして、不可避的にまとう特徴は、何、いずこ在り、誰何すいか、への嬌声ながら否定の故、その声の連唱指令の存在仄めかし時間帯への、埋没隠蔽。
針との、物事を克明に穿とうとする、理性が在るとなれば、人、文明、物事の理、連関駆動なるからくり工具、あらゆる殿方は、空間を隔てつつも、必ず夫婦めおと、なる関係相手の存在を、俯瞰上指摘可能とする筈。
物事を分かろうとする、に毎秒仕えるは、既に過去、在るらしき理ことわり、をそうと賛美する文字にて穿たれし雑誌の自然科学記事との、物云わぬ布。
ところで、この布を毎秒、克明理性の証明物として成立させしは、糸を布へ、編みいく厳粛理性なる針か。
それとも、物云わず編まれいく糸か。
自然科学記事が、複文士、書生による暇乞い作業に非ず、現場前線に立つ秀才の努力の口伝への毎秒隷従筆致であったとする。
ならば、尚更、針と糸は混濁に在る筈。
糸とは、必ずしも、克明理性に仕えるいかがわしい嬌声連唱とは限らず、現場筆致なる新鮮記事なれば、糸は未来の自己がまといいくと思われる、洗練なる若手学者像の疑い、これの息吹、未来から現在への吐息漏れが該当する。
布との、文明に見える一程度面積なる、生え、在り姫は、ともかく、克明理性と嬌声を混濁させる、稀有さを唱える。
その稀有さは、稀有さ、唱え、の定義、を克明理性と、克明理性と嬌声の混濁に挑戦させるとして、稀有さ、唱えの在り様を毎瞬、遷移させ掌握を許さず。
挑戦者は素早く迷う。
針による縫い、と針は縫いにより動かされての隷従、いずれかの捉えを必要になり、いずれ捉えの間で。
この時の素早さには、何者も知的挑戦はならず。
掌握はならず。
ならず、との概観に至る、とする。
布に仕えし人の頭の価値が等しき先は、頭部を広く包む、美しき布たる、夜空、ここを美しく彩る、星々の内、いずれか一つ。
文明にて、ただ人の眼前に在るだけの、布、これを世に在らしめようとする営為を、俯瞰上所掌する領域を収める骨格、頭部はすべからく、天を彩る神々しき、墨汁飛沫たる星。
その御内側を伺うには畏れ多く不可。
ねおの在り様を、探りいく術は、浮かびし捉えの周囲に必ず、在り。
今、かくなる、縫われ密度なる、布を針と糸の混濁と見る。
針はねおと外星人の克明理性、糸はねおの給仕、外星人のろうみいにに、感激し切りながら勤務と、捉えられよすが。
ねおの在り様との布を、そう捉えしその時、人の頭部、夜空の星を眺め見る自在感慨を収めゆく器、可能性には、人の器、理解可能性が流入しゆく。
人とは、ねおの給仕、外星人のみならず、ねおの在り様との布が頭に浮かびし推移に仕えし、あらゆる針と糸を、俯瞰上所掌すると指摘さる頭部に繋がる。
この時天に昇り、地を眺むるが如く。
あまたの星々を抱く予定が在ったかに見える布の切れ端として。
この時の感慨、発生推移は、人の民生視野、縦横疾走意欲にとっての針の素材を担う。
人、特に女子にとっては、人生の全てを見初める感なる男子がこれ。
民生品目の真価、自己中心的でも是なる、完全掌握感慨を、やはり自己中心的にもたらしてくる神経。
針、糸、堂々混濁なる布の在りかを捉えゆく機に、堂々と出会いいく日々を過ごすは人。
密度高く編まれし品目が既に在り並ぶ街への角を平然と労無く歩きいく足の医学的構成を、いちいち知らずままなる、統べ歩き。
非倫理的、敷居またぎ、内に満つ所以、非識別続けなる、針、糸、布への出会いいき生物。
針、糸、布、これら相互の出会いいきの気運を編んでいくべしとの使命を浴びいくが定めなる、回転する両目は、カエルが如く、時にはしつよう凝視。
針、糸、布を捉える者は、頭に浮かびし世相の真相を洗う術を、すぐに分かる。
近くに、在り。
こたびは我が頭に世相を浮かばしめす、との政経拍動、鷹揚露呈姫のお足取りを伺いいく術は。
浮かびを所以として至るは、天。
他者への俯瞰地位。
もたらすは、民生品目の真価掌握感慨神経。
千本丸太町、下丸屋町しもまるやちょう、刺繍業、刺繍とその璽奥、離反非許容人生、三十五、“あゆくいじま のおうおうふく くおふぬるふくぅおぅ”。
趣味は考え事。
年に一度、四条河原町。
頭が疲れるから、厭。
書簡を送って、書籍を注文。
食材は月に二度、朝の玄関前に届いている。

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