青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その六百七十一

2022年08月14日 19時32分07秒 | 投稿

“うをいめさば”の屋上で実践なりし、飛行機降下実験の効能。
屋上から空中へは、月伝来の合成素材なる棒が差し出される。
清、梅州市の北東、多宝村の地下、四十キロに穿孔されていた大規模な有人工場で製造されたこの合成素材は、南中国海へと出る長距離の穴を通る有人潜水艦で、沖縄南東での海上取引に資されていく。
四国の南西、土佐清水市から沖の海底で、潜水艦暮らしにあった月人はこれを受領し、四国の南東、美波町沿岸の壁無しな小屋に、機械で搬入する。
難波政経に引っ掛かるこれは、近畿広域を動く月人の外貨と捉え、現代人は正解感慨を得る。
現代人が手触りするとなると、これは、堕ちし虚ろ船、未確認飛行物体の外殻。
壮絶なる文明彼我、漏らし伝えを選びし故は、互いの涙腺を厳しく咎めるが定めと、文明精髄の哲学者、総結論、全人生でわななきしは、衣食住、全欲求貫通なる見苦しき赤子四肢、肉体偏在なる憐憫。

赤黒く、荒い手触り、これらのサビ風体を無視し時折顔を漏らすは、薄い緑の光沢を湛える洗練金属。
粗雑極まる頻度で棒を襲来するは、焼灼による焦げ風体。
人が触るも、一粒すらの鱗粉りんぷん、は漏らさずとの、高潔統御なる蝶の羽の根。
文明のあらゆる階層の知性に、完全分析論文の主筆を担わせず、当惑を伝い、文明を貫くは、棒をまとう、しつらえ配剤知性。
文明彼我を無視し、送達を実現す、には。
文明を牽引する学者知性に、首の骨の柔みを、心配させず、高層よりの自在俯瞰を許す、には。
文明内の窯業の煙、煙る肺、咳を隠しての笑顔、これら業を、火傷を、野放図に無視するは、突如奔出なる鋭敏知性青年。
学者は、いちいち、たじろかず、とお在りになって欲しい。
たじろく代わりに勝利へ、高潔に、邁進していって欲しい。
勝利との、革命思想家の書斎絵画、頭脳内想像快楽、自己中心的追及の時へ。
以上の含意、別表現捉えに至っていたのが、うをいめさば屋上に立ちし実験団、一人残らずだった。
これを、首の骨にお選びになる。
これが、飛行機模型を吊るす糸をお咥えになる。
二文は時系列を無視し、同時成立。
そう見なしいくは、外界を詳細に顕微しゆく、科学実験。
日常常識からは外れし科学的視野にての、綿密注視への没入の時。
かような、成文を左から右へ、幾度となく成立せしめゆく、非、常識な人間在り様。
この首の骨が、飛行機模型を下降させていった。
綿密顕微を、強いられていきしは、首の骨周囲で僧帽筋気取りなる我ら。
文明の眼輪筋をいずれ気取りいく我らは、左から右へ次々と、のうのうと、成文。
非常識ではあるが、とにかく綿密顕微、堂々実践の機を彼ら科学者は、欲した。
左から右へと成りいくと、自他誰もが疑わずの成文の機を。
科学的厳密駆動なる四則演算の機を僧帽筋、眼輪筋への血流に、混ぜ込んでいきたかった。
実験の目的は、科学象限のみを、醜く拘泥せず、文明全体の浮遊衝動、負荷霧散気運の増幅、拡散。
人間と科学の間、これに実験は厳密に仕えるべし。
屋上の巻き取り構造の取っ手を握る手、三人掛かりに連なっていた飛行機模型は、ゆっくりと降下していく。
各階と階段利用で窓ガラス越しに注視する項目は、揺れ具合だった。

昔の京都人にとっての古語。
しもなまら:庵は京都市役所東、ホテルオークラ、つまり成山荘の近く。
ここに次々と届いてくる書簡に載る指標を、どうにかするが、二十六の女性の仕事。
人はどうしてこうも、難儀な政経判断を次々と強いられいくが定めの、京暮らしを逃れられぬのだろうか。
難儀、政経判断、京暮らし、逃れられぬ。
し、も、な、まら。
しかし、人は、こう、言い易く、し得る、肺を京で宿す、といちいち克明に識別せずの自己をだらしなき、と叱らず、在らしめる。
難儀、政経判断、京暮らし、逃れられぬ、と、し、も、な、まら、の間、ここに人は在る。
在るの故を、識別せず学派、野放図形成が人。
大気の成分、筆記法に関する口論、これへの故無き耽りが、俯瞰上、人の日常の悩み、言語掌握法の価値。
しかし、かくなる、言い捉えを、浴びせられたとして、人の悩みは、消えず。
俯瞰上価値を知ったとして、当ての無い愕然が沸くのみ。
この、愕然の質や指向の先を、鋭敏察知する事、数回。
京に在りながら、難儀に非ずの政経判断に耽りつつ、文明暖色、恩典に至りし者がたむろする方角を察知していく事になる。
この時に自己を包みいく、感慨の繁茂推移を詳細に把握する。
何故、察知を強固、高級と即座に信じる自己は在るか。
何故、方角の誤謬を疑わずの自己は恥を恐れようとせずであるのか。
感慨の詳細把握は、自己の思考を闘争的に染色しゆく。
たむろを、懸念しゆくようになる。
たむろは、有害無益也。
こうとの概括が、頭にたむろしゆく。
しもなまらと、たむろ捉えの間は、如何に、明晰に、在るか。
明晰に、在り得ず。
この時、在り得ずにかかる品詞は、明晰に、が常也。
たむろを捉えゆくに当たり、やはり人は、明晰に在らねば、ならず。
一連の起点たる、漂着書簡の捉えとは如何に。
まず出元は、しもなまら。
書簡が、しもなまらから、沸き出てくる様とは、現在の自己に、強固なる納得をもたらしいくであろう知的刺激物であると、毎秒強固確信中なる自己言語殿の数秒に、捉えを依頼する。
この時の自己の内にこだます、無数の衝動は、依頼周囲のたむろ。
そうした、劣等さ、言語捉えを浴びねばならず。

書簡を捉えいく作法。
これを、人が知らず、から知りいく推移とは、どう在るべきか。
まずは、しもなまら、を捉えねばならず。
たむろ、なる捉えを恐れねばならず。
踏み順は違えられずなる、推移を要す。
書簡とは、しもなまら、よりいずる也。
指標がまとめ載る書簡の素性を捉える、は意味が重い事だった。
人々の頭を、自己一人が図鑑に載せゆく危険を恐れず、につき。
ここで、開示は留める。
指標分析業、“ふはぬここにあるあすわ とぅうくあくくとぅくくああくあくん”。
趣味は週二、河原町に物見。

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