青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
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速記掲示板 その六百五十七

2022年05月28日 16時30分48秒 | 投稿

(・・・・・・・・・。)
・・・・・・・・・。
神妙な顔付きを、二人の内どちらかが灯すとなると、残りの顔を染色しゆく、と両者は自然概括している。
二人いずれもが、灯さないとなると、状況が役を担いいき、必ずその表情を二人に伝えいく。
ここまで、概括したるが、三者。
では、発生しゆく二人の爆笑に仕える、全身の筋肉はどうなるのだろうか。
それを、二人が知っていく、推移への仕えすら、激痛で不可能らしい。
かなり、きちー。
神妙さを灯さずへ、懸命な顔付きを選ぶ二人は、概括する。
この対話の機に臨むに当たり、文明視野、人間眺望理解、璽奥を駆使しての話法は、この状況を通じ、人間の筋肉という、血流、筋肉、骨格三者を、乱暴縫合したる即興概括名詞による頭部支え力を嘲笑しゆく。
疲弊せし知性や、到達してしまいし人間感慨が、神妙な顔付きを表示す。
これは、筋肉への嘲笑指示役を担う。
筋肉は、璽奥駆使話法への貢献程度が、少量故。
この概括の成立へ、何故状況が、有益な免疫成分として振る舞うのか。
ここの床、空中の無から漏れ沸くが如くの光、その変色現象、漆黒の闇で見えぬ壁、遠方同士らしき二者から成る状況を、二者が駆使したる璽奥の成立への貢献因子として、二者が確かに識別した試しは無い。
しかし、とにかく、二者による遺憾無き璽奥、駆使、串刺し続け会話は、この状況を以ってして、“とにかく、二者による遺憾無き璽奥、駆使、串刺し続け会話”の続きに資さしめる事にしたらしい。
知性が疲労し、神妙な顔付きに至らないなら、状況が代わりに灯すから、神妙な顔付きを次にお前らも灯し、もっと会話を続けろや。
ところで、筋肉は、会話の展開へは貢献してはいない。
筋肉に、璽奥駆使会話への貢献能力は無い。
この概括へ、まだ二者は至らずであった。
璽奥串刺し続き会話に、そうされし、奇譚無き状況は、神妙な顔付きを灯し、そして会話を続けろと迫る。
二者は、この概括へはまだ、至らずである。
明らかに、これを故として選び、状況に対する串刺し現象は発生した模様。
筋肉の激痛と、爆笑の発生は二者にとっては等価なる、勘弁事として立っている。
では、神妙な顔付きによる、筋肉への嘲笑とは何であったのか。
璽奥充満会話の継続への協力を迫っての相ではない。
発生せし、状況への串刺し現象との、不可避なる一相補ごととの相は観察されない。
嘲笑は、筋肉に関する未概括について、知性を咎めてはいない。
この状況に在りながら、無協力との闇に対する光の淵を、ふぽふひひひひひ、光の淵を、ぱほふむぉほひひひひ、光の淵、はもほほほほほほ、光の淵、知性による翻訳、まもほほほほほふ、光の淵、知性による翻訳は、嘲笑対象を捜索、なのだ。
即ち、無属性なる対象を捜索する、ではなく、知的嘲笑として妥当な対象を、捜索する、でもなく、即座なる嘲笑を、無疑問にて冠詞としてまとう対象を捜索する、だ。
然るに、光の淵への知性による翻訳たる、嘲笑対象を捜索、とは、知性を動かす、として評される文ではない。
即座なる嘲笑を、無疑問にて冠詞としてまとう、との対象を知的吟味する可能性を、既に横暴権力で無視す、知性に対しては、王権神授説文なのだ。
かくなる概括が、成ったとして、いやまだ、未成立であったとして、高濃度の璽奥を処方箋として常用する医師段階の人間は、この概括の鮮度を維持しゆく。
この種の人間は、無協力領域との闇と光の間、接合面を常時、眩しく感じるべく、瞳孔は収縮と拡大する皮膚診察の日々に在るのが常だからだ。
二者は既に気付いていた。
嘲笑が、あらゆる概括に、先行していた事に。
今まで長く、この概括には至らず続けであった事に。
この概括の周辺には、間違い無く、尊厳は何ら存在しない事に。
嘲笑を作為にて潜航させし知略は、何ら存在しない事に。
一連を、毎朝詠唱する日々にあったとして、闇と光の接合面への知性の翻訳、嘲笑対象を捜索、の純正を損ないいく、医師段階人は居ない。
嘲笑対象を捜索、があらゆる概括に先行す、との概括の純正は、文明人にとって、断崖の向こうにそびえる霊峰、勇者の神の会話を伝える伝説が如く神聖。
何故。
追う医師は、勇者の轍わだち、を追い、霊峰、神、会話、伝え、伝説、神聖の成り立ちを追唱し、これを純正さの根源法典と見なすまで。
嘲笑対象を捜索、があらゆる概括に先行す、との概括の純正は、文明人にとって、断崖の向こうにそびえる霊峰、勇者の神の会話を伝える伝説が如く神聖、に故は無し、を医師は明かさずの故も、同様の措置とする。
しかし、人間は概括に向けて、嘲笑対象を捜索しゆく、肉体運動や、知性主催の時を過ごしてはならない。
あらゆる概括に先行する、嘲笑対象捜索を主催するは、精妙さ、これのみ。
二者による遺憾無き璽奥、駆使、串刺し続け会話による、この状況への串刺しが該当する。
即ち、資さしめ。
即ち、即ち扱い価値。
すなわしめ。
概括の結集物たる知的論文執筆、理解、記憶にとっての指、手首、目、呼吸の鼻、全て。
話は全く変わり、俯瞰上、この対話の機は、こう唱えていた。
いい加減にしろ。
二人は爆笑や、筋肉痛が辛い。
真剣沈思にての神妙な顔付きは、とにかくもういかん。
孤高の文字、たる。
これは無理です。
いや、このゲロかかりの花の前でただ、佇む。
私は無能な人間です。
嘲笑対象捜索の主催に関する精妙さ、による占有性を追った。
自己意識を主催中の人間は、概括の成立に向けて、嘲笑対象を探してはならない。
新たな概括が欲しいとして、人間は影の作用を待つ他はない。
真剣沈思はもういかん。
どうしよう。
二人は言葉に窮する。
しかし、真剣沈思はもういかん。
どうしよう。
ここらそこら中がゲロくせーよ。
いたたまれねー・・・。
作用を待つ相手たる影は、ゲロ以外ねーよ。
これ以上臭くしてどうすんだよ。
それにもうゲロねーよ。
資し過ぎだよこの状況に。
泣けてきた。
涙が出て来る。
くせーの何の。
開いた両膝に両手着いて概括しまくっても、追唱し、これを純正さの根源法典と見なすまで、だの無根拠との循環参照が、知性の中で響鳴し続けていたたまれねー・・・。
翻って、我が鼻孔と脳内判定の間でも響鳴ごとが発生して大いにくせー。
嗅覚を司る脳の原始的領域を経て、ゲロが思い出を、遺憾無く串刺しにしてくる。
俯瞰上、ゲロの成分として資さしめられゆきとる感が否めん。
神妙か顔付きはしてはならんけん、取り合えず平然な顔付きが我が顔の表面ば覆っとる。
我が顔、原始的領域を通過する形で、思い出とゲロが、顔を串刺しにしてくる。
私はゲロだ。
思い出と現在がゲロだ。
やっと分かった。
人間に対し純粋に在るがままの、ある概括の純正を汚した末路だ。
あらゆる概括に先行する嘲笑対象捜索を主催する精妙さ、の唯一性だ。
私の人生は、精妙さを押しのけ、概括の結集文に主催を担わせていた回数が、膨大なのだ。
そして、ゲロ人間なのだ。
いちいち云わずである、至らずである、奥なる概括を知らずままであるのを、いい事に、私とは、あの下品極まる、食糧庫主権認定思想たる資本主義を実践していたのだ。
概括を、資本として確保していったならば、結集が次の概括の捜索を実践しゆく。
欲望、妄想が派遣する、木造家屋都市の楽屋の璽奥への、電波指令受信端末隠しの財閥私兵だ。
けだものだ私は。
故にゲロ人間なのだ私は。
何故楽屋の璽奥の伝播を、廊下で嘘の笑みを灯す端末握りの財閥私兵が担うのだ。
主催を担うのは、感激者の丁寧な理解、これが唯一なのだ。
私は概括や文明視野を集めては、いる。
私の立ち位置は、ゲロまみれのこの花か。
くせー・・・。
花弁が、逃げられない。
俯瞰上、くせー・・・。
概括したとして、せずであるままとして、やはりくせー・・・。
神妙、平然、いずれの顔付きが言い放つとして、同様にくせー・・・。
あらゆる概括に先行する唯一性だ。
人間の気付きだ。
異性の魅力を判定する際に、私は複数の手で痴漢を働く事で唯一性を汚してきた人間なのだ。
得た視野は、気付きとは、言わんのだ。
純正ではないのだ。
気付きの概括の純正を汚しているから、得た気付きも純正ではないのだ。
それを、気付きとしては、知性は判定せずべし、へ至るのだ。
とにかく、それは気付きとは言わないのだ。
この花弁は、ゲロから逃げられない。
俯瞰上、そして実際に、くせー・・・。
いたたまれねー・・・。


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