青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

大仏の与願印

2021年10月10日 00時00分00秒 | 投稿


“ファッスァゥ”
今から二千三百七十年前、弥勒菩薩は天竺へ降臨なさっている。
ネパールの山岳地帯の地下から、認識操作または、座禅中での認識への到達により、ファッスァゥ星人が瞬間移動している。
山道で仏が、野太い声で、真言を詠唱している。
“オン、オゥルォウス、ンムクァ、ゲヲホク、ダムザァッ、ッティーリィーニィッ”
喰い物、水、排泄は仏に不要。
異空間技術。
沐浴と睡眠は、菩提樹の下での戯れ。
知恵への乞食共を、如何に、仏性へ正しく導くか。
かくなる一大堂々題目の満願が為、今日も仏は己が仏性の守護を厭いません。
仏はある人間をお気に入りになります。
仏の白毫を避けず、知恵への乞食ぶりを堂々と露呈する視線在るがまま、真言の意を汲もうとするスジャータは己の喉を潤そうとする手と食道を弁別せず。
・・・この乞食に、力を与えてやりましょう。
すると、どうでしょう。
何と、その人間は、梵字の書き方と発音を異空間技術で脳内指導される状態に至ります。
感激のあまり、この人間は自らの意思で、梵字を広める青空教室を開き、徒弟の数を増やしていきます。
ある徒弟は、不届きな事に、仏から恵まれし大蔵経、原典を前に、璽奥を貪りたしとの欲望を口から漏らすままの人間共と、つい出会います。
傍らには、仏の歩みへ群れるべく自動的に転送されし法具の数々。

これは、精神の躍動、冷静、二者の相互注視能力との両輪ぶりを、つい、中央の取っ手を通じ、注視せしめ、人間の霊性にとって肝心なる、当該両輪ぶりを、仏門に人生を捧げる覚悟へ、堂々と入定せしめるべし、が製作意匠なのですよ。
こんなものを握っていると、物事の表裏、二双、何事に籠る、強欲な面を注視したがる衝動が沸いて来るのです。
云わんでいい事を、何と、具現化済み。
それが例えばこの独鈷。
浅ましき、知恵への乞食が平然と握るはその取っ手。
・・・どういう事なのでしょう。
はて・・・。
何故、仏の行脚あんぎゃ、の周囲に、かような仏具が自動転送される運びとなったのでしょうか。
・・・浅ましき、知恵への乞食が多過ぎるからなのです。
要するに、人間が霊性を自ら捨ていく、これは止められようは無いという事なのです。
ならば、急いで仏門に人生を捧げれば良いのです。
仏の曼荼羅に座せば良いのです。
仏の行脚に群れるべく転送されいく、法具店への各種納入品目に含まれる曼荼羅図絵、経文は仏が口語で恵みし教えを反映しています。
物事の表裏を共に、重んじるべし。
仏教を成すは顕教、密教。
・・・浅ましき、知恵への乞食が、仏の教えを世に在らしめるべくの支え、跳ね板の裏、壺隣の柱たる、密教のフタの淵を舐め味わうとします。
その偏りの姿勢には呆れるばかりです。
己の仏性の拠り所として、明朗、公明に在る、顕教を軽んじる、に非ず、密教への傾注を通じ、己が歩む廊下の板材に処す。
至るは、憤怒の相を隠す、多手なる阿修羅像。
己の詠唱にてただ顕教の広まりに仕えるのみ。
ただ力のみの希求を選びし者は、明朗、公明なる顕教の教えと、己の仏性の対話を無視する顔は、ただ憤怒。
まだ、力が足りておらぬ。
自らの意思にて魂にて穿ちし像が肉体の死の後に動き回る様はただ、憤怒と共に、顕教の広まりの力の過剰増幅を為すが如く。

認識を成そうとする営為に、瞬時のみ、懸命に、愚かに、仕えようとの評価を浴びる、人間眼球上の水分、未来の立派論文学者の徒弟段階疑いが敷き満ちる事により存在する、緑色の枠線が無限に連なるファッスァゥ科学が開闢せし空間、ここに収監されし後に、身動きは一瞬すら取れぬながら、見事に浴びる評価は、まだホウキ持つ作務坊主。
諦めてはなりません。
高しめるのです。
何もかもを高しめるのです。
密教の実践のみに魂を委ねし者との力への淫乱は、死後も仏の教えの伽藍の柱の礎石たるのです。
教えてあげましょう。
即説呪日。
伽藍の柱の礎石空間でもまだ屯田兵が握り締めし古めかしい三本鈷の取っ手部分こそが・・・・・・あなたに真の力を与えし召し、白帯僧兵が学ぶ基本の全定印であり全ての間違いだったのです・・・・・・。



仏の血脈に連なる、これ自らの意思。
弥勒菩薩、辛坊治郎、これ肉体全器官は三本鈷の取っ手。
遠くの星に属する異空間文明で、長距離を商用で移動中であった仏具業者が千三百年台の明、徐州に、いつぞやかの間に転送。
言語は問題無し。


釈迦涅槃像


https://hypebeast.com/jp/2024/4/matrix-5-in-the-works-with-drew-goddard-as-director-news

七十二 ニキ


見抜けないとでも思っているのですか。

この程度とのホウキまたがり少女段階なる作務坊主の首に投げはめられし数珠つらなりの図絵如き。
仏の、行脚あんぎゃ、の日々に旧皮質深部より憧れを抱きし、下等なる活動絵巻業界の参謀が、事の推移の色合いが良ければ、仏像鎮座伽藍の廊下の跳ね板裏の蜜飴棒の壷を覗こうなど、作務衣の袖裏に、仏の瞬間移動技術への興奮を即興真言で固めし、庭の小石、これへの被使役、唯一の帰結なのです。
不遜極まり無い作務坊主な事ですねーーー。
・・・いつの間にか、第五作目・・・。
仏の行脚への憧れを、何作目まで表明し続けるつもりなのですか。
目からよだれを垂らす、だらしない勤行態度な事ですねーーー。

これはな、異星人に通報する、としよう。
まだ、こげな、体力を、やおら、欲望丸出し企画へ、傾注出来ますよ、な連中ですよ、と。


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