青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

速記掲示板 その五百一

2020年09月20日 19時16分15秒 | 投稿

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クッ・・・痛って!
クソッ・・・マジかよ!?
蓬莱島の地下行く前に落ちてたなんて・・・
マジか・・・
一時間以上も・・・
はは・・・マヌケもいいトコだ・・・・・・
本当・・・・・・嫌ンなるぜ・・・


よう・・・
李登輝・・・・・・
クソッタレが・・・・・・
久しぶりではないな・・・李登輝
なあ、お前エヴァンゲリオン旧劇場版、というアニメ知っとるか。
・・・詳しくは知ってはいません
あれな、人間を最後に溶かしおるんだ。
人間捉えられ輪郭をだ。
アニメの絵の動きやら光、難解設定の刺激の後にな。
ところで、作品の制作意欲、鑑賞者よりは先に知的先鋭段階を自認側、はこれを選びいったようだった。
それは、溶かし刺激描写たるや、これ、への無言落ち着き、居座りだ。
鮮明説明とは、何とあんまりではなく、全く言わんままの、光の啓示刺激、鑑賞者とは四の五の言わんとこれを喰らえ、だ。
光る、生命の樹、の描画だ。
何やこれ。
よう分からん。
アニメ業界も含め、鑑賞者とはこれ、光りの開始を、何と追及出来ん。
光が、あまりに勝手だからだ。
理由の描写はな、神秘具象への逃げ込み効果ではなく、お前捉えの招来観念とは異なる、人間の頭上での光明ごとが常なる、神秘、非神秘いずれであるとして、また知的に解明されいく程度の神秘姫だったとして、それへの時を与えられるとして、いや与えられゆかぬとして、とにかく、作品の知的鍵盤設定の展開速度が、開示されたであろうとの、通念の後には、その快楽故、人間輪郭溶かし力、の前にただ、佇むのみ、それが制作者側の概括だったからだ、と俺は概括との光らん文字に頼る、そう佇む。
では、神秘具象雰囲気の生命の樹とは何ぞや。
それが神秘具象雰囲気を、通念上、まとってしまっているとして、制作者側、そしてこれの存立の歴史双方が、知的に合意したらしい、制作推移という大樹への立たしめの添え木、だ。
それをいちいち、鑑賞者に明かさんでいい。
そして、先の二者双方は、光を追っていた。
制作者側は察知していたよう、だ。
アニメの光、人間の頭上での光明ごとが常なる、作品の知的鍵盤設定の展開速度、への照らしは光への添え木を、遂に露出させた。
これ以上の光は、もう無いよみんな、とも捉えられる。
人間輪郭溶かし力の説明とは、こうなると神秘に逃げ込む事は無くとも、溶かしを本心から知的に解明しようとする意欲が、作品の知的鍵盤設定の展開を追及し続けるに終始する。
人間に望みを与えよう。
アニメの光ばかりを感じさせ続けよう。
気持ちいいだろう。
こうなるんだ。
無理矢理、溶けるんだ。
君は現実を生きていけるのか。
こうした、アニメ業界にとっての原罪感由来の問いから逃げられないのは、人間の溶かし力を、作品から明かそうとする者、だ。
お前捉えの、招来観念とやらの方はどうだ。
お前は、それによる捉えられゆき推移を、正確に認知せずとの、危険性と比較した対象を選びし様、招来観念何ぞや今回は強力かどうかの判定役及びその仕事がてらの捉えられゆき推移招来の、大気恩典への微笑感激状態被判定を担う、国内、そしてどこぞ沿岸無指向の不特定多数、これらはお前の深奥欲望などはまだ見抜けぬが故。
そしてお前は開始した危険性比較の後の、危険性無視判定などは待たぬまま、微笑感激量増加せしめたる招来観念の強力なる、性能判定力、の収集に勤しみ始めし事、実に、お前の主体意識の介在とは、無し。
被律動だったんだお前は。
お前自身も正確には識別せずのままの、内部繁茂が常の、道草への舐め喰い欲望、これを強力化、正当化していきたいという、肉体欲望的、政治宿願的、いずれを何者にも問われず、との愉悦、明らかにお前内部のに。
お前は眺望、渇望していたな。
いずれ、我が国そして近隣どこぞが、いちいち遠方の政治政党の綱領への硬質なる敵対的姿勢を標榜する事無く、民生上の自然願望と近未来に関する政治意思が自然混在の、利発な行動、何らかを発しゆく事だろう。
そうすれば、自然人間、そして自然人間文明とは乖離明白なる綱領に与する側とは、その非利発さ故、何も標榜を迫られずのまま、瓦解の推移透明なまま、自然さ側に屈しゆくであろう。
利発な行動何らかとは、行動力機敏である路上演説連射型の若手政治家の拡声器近くでの、二十代前半の若者、ネット利器多用へ非忌避系がいい、これらが、身の危険性を微量も訴える事無き闊達な表情で、労働環境の是正要望の範囲の拡大が、職場近傍の自販機辺りの机、椅子といった歓談施設への衛兵観念の累乗化推移、に隷従している様への自らの意思を指す。
累乗化推移とは、いちいち任天堂社の職場四肢へ刺激的なる大型風船人形やら、幼児向け遊戯施設のパンフレットの色がそこら充満しとらんなら、我、マリオの活躍への隷従社員は笑顔で憤慨、だのの、いちいちとして環境掌握への裂帛の空手の型理性、何ぞは働かせん、ひたすら、だのの、の常時成長
への膨らみ中風船人形による、路上演説への突っかかり欲望、これが説明書類の封筒名に近い。
演説在りき、ならば、これあれそれ、だのの、何らかが突っかかりゆく。
資本主義、自由主義いずれも違う。
我が国の過去を見た、とは言わぬ。
政治政党たる、固体印象、一個人よりは強力者を前にした我が近隣の人間が、在るべき健康指標を、厳密に捉えた。
これが満たされているならば、お前の言う路上での突っかかり業態関連利益への協賛者が、自覚、無自覚いずれながら頑迷に嫌う事、路上人間にとって最も敵わん印象たる政治政党、これが真剣に大衆に語り掛ける際の、主他双方の認知能力にとっての仕え、語り掛け姿の映像時間とは、まずは地下憎悪の対象、文化豊穣もたらしめぬ、漆黒の満月となりゆく。
人間の自然な太陽の下での歩み、昼間の歓談、文明導く政治関連論題への突っかかり機会の漸進的増量、太陽輪郭の拡大とは、いずれ、非自然政治体制を、非自然具象として、自然に憎みゆく。
お前は、そして、逃げていたな。
主体意識の介在無きまま、その逃避の起動と、逃避事実発生への蓋然性を、呑んでいたな。
空気の様に、自然に吸いいき、つまりは自己の政治姿勢の存立の一要
として認めいっていたな。
お前は、かくした成文推移を、主体意識の手首が筆致しゆく時を、恐れたのではなく、主体意識を長らく支配せし、最大議席政党、愉悦増大化欲望に、真剣に従い続けた故の振る舞いだ。
お前の政治宿願、台灣独立。これにとっての一大路上政局らしき、路上での突っ掛かりとは、お前を支配する愉悦増大化欲望が、お前の主体意識支配の人生を攻略する業態とは似てはいない。
愉悦増大化欲望と、お前の主体意識支配の人生が関連する政治政党議席の相関を、お前のみならず地球上誰も、知的眺望は不可能だった故の欲望無介在の結果だ。
そしてこうした似ておらず、との指摘は清貧との形容を浴びん。
説明はダリいが、とにかくここらの、二者間の無関係ぶり、を原因として、お前は被律動を始めし後に、大清国債と異星人技術群の間の悪貨が、お前の口頭及び電話指示の相手の、政治政党関係者の職能人生に及びゆく可能性を、全く無眺望だった、そして、後にお前は同じ原因により眺望を強いられ、深く、本心から後悔ではなく、罪悪感を感じ始めたな。
そして、だ。
お前はこの痛飲の時に、何故、故に、今は、との自答と苦悶答弁を繰り返す事、何故、故に、今は、との取扱重量品詞、政治家自認量、大量なる者にとっては、尚更、の連射業態。
その後にお前は、逃避業態と、正視が必要の緊急ごとの二者のせめぎ合いの果ての、大清国債と異星人技術群との間の口論で、一大型異星人技術、に勝たしめすついでに、勝者内部繁茂らしき法的難解手続きの後の欲望利益が、ついで前、の勝たしめ主体の眼球を遂に逮捕。
お前の、政治腕力の根源とは、筆致に、死後科を要すなる、溶解欲望への、無恣意のススキ態様。
ここらとは本心から、無作為。
お前は、お前曰くの重要なる、人間の自由指標、路上での突っ掛かり事を確認すれば、段階を探し、配下にある者を陽動していくつもりだったな。
懸命ではある、民主主義以前の学生の自由作文に、光明なる詩編を知ろしめす、と。
さすれば、二カ月か半年以内ぐらいに、突っ掛かりとは、現実変革への具体的な風穴を見つけ、殺到しゆくだろうと。
段階の見抜き、殺到の誘いとは私の務め、と自認していたな。
自由作文、夕闇を認めぬままとは、光明への隷属への推移、それすらをも認めぬ危険にあると。
そして段階を経てゆけば、いずれ民は、光明の文字の内側で呆然と佇みつつ、頑迷の葛転がりの轍、文明的には非自然を焼き尽くしゆくであろう、と。
お前の構想への支援映像とは、報道番組で見た、日本の電気店で店員の説明を受ける台灣人観光客とこの状態へ一瞥すらくれず、奥へ殺到しゆく他の多くの同胞、そしてそこらでどこぞへ無指向の連射笑顔にある店員達、熱烈歓迎の声の様子だったな。
お前は、奥を観た。
いいや、主体意識が、お前の奥の何者ぞにより、命ぜらるる形で、観さしめられた、が真相だ。
形成を命ぜられし観念に、お前の主体意識は、観念を形成している感じがする、という捉われ、感じ使役の漢字、感ばっかを呑みいった、だ。
電気店での同胞の台灣人達は、映像ではどうあっているのか。
説明聞き、電気機器内在の利便性、熱烈歓迎観念の奥内在となると連射時とは特に主他非弁別の矛、麺周りの辣、といった映像内の同胞を現在強烈に強いるらしき、強いの的を、その使役力により認識させぬ特徴を、お前といった人生観念溶解人種誰ぞが偶然政治界象限の奥により、碗に入れられゆく推移へひたすら協力的だったな。
お前、一切主体意識は操作せぬ被支配観念そのものへ。
碗はそして、お前の主体意識を無視したまま、お前自認の務めとやらへはやたら協力的。
浮かしめすは麺。
何でや。
私が居らず時なろうとも、葛転がりの轍焼きだの、漆黒の満月への憎みだのを開始せよとの光明真言、これの詠唱を、無作為誰ぞ、人生観念溶解気味と認定され易きとの路上大衆、辣なる利便性の奥とは無縁属性に強いゆくのみの自由以前の、自然じねん、人間の惟神観念、お前標高の喝への淫乱誰ぞは勃興しゆくであろう。
その指標とは既に踏破してある。
お前はそう認識したらしいな。
お前が、韻を踏む事、人生関節の曲げ苦労大の必要性を要す、こうした要すへの一切の非嘲笑への真剣さを要す、の徹底を踏みは強いる、と知る詩編の詠唱を、ある政治宿題五項目を思案した後に、実践が成立したから、のようだ。
自己に課していたな。
さて、いつぞやに詠唱は成るや否や、と。
そして、詠唱とはお前惟神の意識、内側より、命ぜられた。
指標とは踏破せし、と我見なせし、か。
良かったな。
ところで非嘲笑な様真剣であった人生関節の曲げ苦労とは、いかにお前は耕せしか、をお前とは意識内部から、眺望とは許され得ない観念操作欲望の権化であり、その属性を硬質自我とはゆっくりと知りゆきたる人生だった。
電気店内の観光客の同胞達、麺浮かしめす碗映像への歓びが、人生関節の曲げ苦労以前の、無数の政治象限への眺望を可能たらしめ、そして得た知見が導いた苦労と知見、これらの密合がお前の意識内部の溶解観念収集欲求との碗へ、漏れ入っていきし、田んぼらの溝へ流入する雨水だった。
お前とは、苦労を踏破しとらん。
麺浮かしめの奇術の碗ば利用しとるからだ。
お前とは俯瞰上、立派苦労とは無縁であると、辛うじてでも認識に至るべきだったんだ。
そして、お前は指標は踏破しとらん、と認識、しろ。
で、だ。
お前の人生とは、詩編の詠唱を成功させゆこうとする時の流れに乗る麺として、確実に路上無作為誰ぞへ、我喰わしめられの番也との、頭の上へ浮かしめの腕と碗との興奮、実に台灣独立期気運を既にもたらせし異界人技術属性。


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