一行は客間に入っていく。
迎えるは“たかねみゆいひき”、“あろう”、“なゆみ”、“ああけみやひにき”、“えりりきし”、“ととのいしさわりあさもえ”、“まなきありしや”、“そほこり”、“そおりんき”。
部屋名は全て一字表記で、漢字風貌に似る、または全然似らず。
昼食を旅館へ注文した記憶は無く、夕食、膳の間へ赴くべくの時間帯は六時半から八時までの間。
月語表記の腕時計は常に叱咤してくる。
“七十進法の短針と長針群、計四周構造の利便性への依拠を衝動せしば、無知を、希望の文章に変えるべし”、と。
時間を眺めようとする衝動は、こうして沸いて来る。
“現在の自己は、未来を、希望を開拓する事が出来ず、それへの機能を欲するべし”との衝動への屈服量に比例し。
人間は腕時計とやらをかつて、このように眺めた。
“自国の挨拶文法は午前午後を四区分化しており、挨拶文法は未来の希望を堂々と招来し得る。
ところで、この月製の時計構造を理解していきし際に費やした時間はかつて、この未来の希望を投げ捨て、こま切れに処す。
その先は、自己が直視せずでありし、恐らく内部に満ちる奇怪金属、緻密歯車しつらえ。
月製時計の利便性に宿りしは原罪。”
機能への屈服後、宣告されし文は以下。
“涙もろき人種、遠方への開墾の夫の帰りを待つ冬よ、春を知るべし。
自国の挨拶文法が堂々と招来する未来への希望が、確実に太しまりいくとの安心を。
断定人数との車輪を回しめしは馬車の車軸。
頭部積載品目、文章は、希望満つ月由来の交際上雅量は、渡来利器により到達が確実。”
しかしながら、まだ腕時計を眺めようとはしておらず、現在への開拓能力を確信している、との自己の存在を確信していた。
腕時計側への接近可能性に於いて、かくも緻密に敷き詰める文字盤の存在を知っていながら、まだ当人は現在という、空中存在、透明なる文字盤、時、状況と苦闘していた。
漆黒の月製旅行鞄、現代の空港に見える風貌品、底には車輪が四つまたは七つ回り、を部屋の角に置く。
入館者は入口で靴を脱ぐべし、との式目は先んじて入手済みであった手書きの館内地図に掲載されし筆記文にて知っていたが、身体への随行物、旅行鞄や楽器入れ箱の底で回る車輪へは無言だった。
ねおの要望とは、靴のお脱ぎ。
そして、お荷物の車輪はそこらで回って良し。
“人間の靴底を横から見た際、厚みを中央分割する線は、人間にとっての致命的刻印也”。
かくなる主張のよすがが、ちり取りを通じ、頭部に、かき集められた者がねおに居る。
“人間にとっての致命的刻印”とは、二足歩行を無垢な顔付きで許容し続ける靴の裏、の裏、たる、人間認識の間、裂け目に籠れり、との主張が可能となっている、らしい。
そこ、裂け目とは、靴の中に見える底の裏の裏の裏・・・と長く続いた先、靴底を横から見て分かる厚みの中央、いと薄き線、らしい。
これとは、人間が靴を通じ、歩行上の便益を通じ、自己のツラの皮の厚さを通じ、“致命的刻印”
との、人間理性、一最大警戒観念とやらを、“忘却していきし”、との以上の二点の指摘可能性を通じ、成立が、強固に主張可能なる、“致命的刻印”との人間理性、一慨嘆対象記号が隠れる先、らしい。
“致命的刻印”とやらの素性は、例えばこうした解釈が可能。
“人間の精神、肉体重量双方にとっての、神経の逆撫で行為也”、と。
精神は、肉体重量との他者に対し、野放図、無知ぶりを教え諭しいく時間帯に、優越知性に訴え、相手が乗る体重計の針を凝視している、と。
肉体重量にとっての、神経の逆撫で行為とは、以上。
そして精神にとっての、神経の逆撫で行為とは、“他者に対し、野放図、無知ぶりを教え諭しいく時間帯に、優越知性に訴え、相手が乗る体重計の針を凝視している”、との指摘行為が該当する。
人間が靴の厚みを横から見ようとする際に、無数なる横線を想像する、とする。
しかし、如何に人間知性が横線を楷書想像したところで、一定数の横線は成立しない。
歩行便益へ、無垢な顔で仕え続ける靴の底の厚み、これの鈍重さ印象とは、歩行便益という花瓶に咲く、自己の立派知性にとっての、“致命的刻印観念”を遮二無二招来し続ける。
その結果、例えば、人間知性による楷書想像、無数の横線の内、一定数は、上下に、醜く攪乱してしまう。
人間認識の間、裂け目とは、楷書想像なる無数の横線に挟まれし、上下、醜く攪乱なる横線を、広く指す。
人間精神が狂気と無縁であるとする。
しかし、人間精神の内奥いずこかに於いて、以上との成文の意、と必ず響鳴し合っている。
靴の厚み、その無垢な鈍重さ印象を通じ、そのように指摘可能で在り続ける。
無垢さ、大量を日々、自在に操れると、ほくそ笑み続けたい、との強欲さを何者の辣腕態度に指摘せしめずべし、が文明与党、無言総意であるとの、容易指摘可能性が世の細路の果てまで満ちている、と思われるので。
ねおは、神経の逆撫で行為履歴有り、との指摘可能性を、客人に思い出さしめる事は無し。
そうした配剤、各種をしつらえている先は、人間認識の間、自在なる指摘可能性。
まずは靴をお脱ぎになって欲しい。
館内専用、歯車付き台車は、自然着想されていた。
しかし、客人へのこれの提案は人間精神を重くする、とされ台車は幾度となく壁の中へ押し流されている。
ねおとしては開館以来、館内の清掃は、旅行鞄を引く客人の御数、有り、無しを問わず、玄関、廊下、客間全てへの徹底を図るのみ、との揺れを待たず、知らずの暖簾、棒、応対だった。
ねお側の歩、ふ、客間での床への素寝すね、ご提案は本格的攻め役、飛車角の裏面だった。
これは寝台が据え付けられている客間では求められず、だった。
寝台へのねおの捉えとは内実、精神にやかましき宝石用置き皿の輝き。
配置とは鴨川流しの屋形船。
女性の御身おんみ、の重きへお仕えの調度品、その仕様書面の文は明晰。
これよりも頭脳に重く、貴きは篤きご関係、逢瀬ごとの頻度は毎月。
鴨川の水面に一時映る月光は、橋の上、理性への背反逢瀬が客、瞳。
寝台の据え付けは全室に対し無作為で、評判の良さが長く堅牢である客間なら多く置くべし、ではなかった。
ちなみにねおは、客間の品格を格付けする衝動などは、廊下歩みの給仕には今、食欲在りきとの指摘可能性よりも遠きに置く。
そは北極営為。
雑誌で国別ranking reloded 2020, Japs lowerでIrishおれすげー、の継続。
客室への寝台据え付け傾向に特徴は無く、客室に等級が見えるとして、これを反映してはいない。
寝台が無いなら、お床で寝ておくんなされ。
それがねおの要望だった。
ねおの趣向しつらえ人の顔がな、俺の親、全波動帯、あらゆる世界で存在可能性、既に皆無である、泰治たいじ形象と双子でから、俺に驚かれるまでもなく、短期長期どこ見とるか分からん眠気顔の悪党。
何言っても無駄とぞ。
笑えるぞ。
アマチュア運動選手渋川操氏
鼻は正面からは大きな三角形見え で声は全然違う 俺とは何もかんも違う
氏をお若く、かつ色白にしたなら、ねおに大勢。
https://www.youtube.com/watch?v=7BrtTFmlFHA&list=WL&index=18&t=491s
(還暦男性が独自研究で極める『階段駆け上がり』!?日々のハードトレーニング~大会本番まで密着取材(2020年3月2日))京都駅で開催らしきこげな興行は俺は知らんだった
“素寝ばかましたら、四の五の言わんと、認識の間、認識不成立との裂け目には、裂帛が張り詰める事になりますよ。
身体輪郭どこぞとの、素寝に貢献せし線、からすぐ内側にて、描画を仮定可能な線群に於いて。
素寝により、自己の体重を、認知せしめられしとの精神量が、厳しく堅い床と、顎同士で、喰い合いいく様は幾何学紋様。
ご疲労の果て、素寝をお選びになりいく、ご精神総体のだるさが、かくなる正鵠指摘の顕現を司る行司。
そして喰い合いの利益とは皆無也との愕然は、堅き床に、何も抗弁出来ず。
このような、指摘可能性が、人間という、認識不成立なる裂け目、だらしなさ、人間らしさを、健全予定する生き物に、張り詰める事になりますよ。
その内、そうした裂け目には、人間に耐えられずは必定なる透明の配剤、その実相とは無知への喝、が訪れる事になりますよ。
指摘可能性が張り詰めている状態を、いちいち言語で言及しつつ、精妙にご認知との実態からはお遠き、とのご清祥ぶりを経由し。
ねおどこぞの何か、窓の輪郭線やら膳の盆、廊下素材への皮膚感、中庭の庭園やらを、正統ご理性にて、堂々とお見知りになられる可能性を、素足で、急いでお踏みになっていく矢先。”