後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

「役割」 なんだってさぁ

2015年09月28日 | Weblog
先日投稿したと思っていた記事が
まだ未投稿のまま残っていました
年寄りのやることはこんなことです


2年前までは草の生い茂る耕作放棄(断念)地
約40メートル×3列の畑を借りて1年半が経過した
今畑にあるのは里芋と

定植を待つイチゴだけ


この畑を耕すのは当面は不思議おじさんしか居ない
それが不思議おじさんの゜役割」だと一応は思っている

この畑の草を取るのに4日間も費やした
土の乾くのを待って借りた耕運機で耕す

一応は畝立ての器具も取り付けて畝を作ったが
結局は鍬で畝づくりが必要になった
体力のほとんどを費やしてへとへとに
仕方なく一本だけ畝を完成させて大根の種を撒いた
それから3日間、ちょうどよいほどの雨が降った
如雨露を買ったが、その必要もなく
今日は身人な発芽を確認した


しかし雨でぬかるんだ土は粘土遊びをしている状態になり
畝立てはまだ完成せず 人参や法蓮草(次郎丸)を撒けない

自宅庭にはまだ唐辛子(万願寺)2本が元気だ

一本で週に10個は収穫できる
先週日曜にたくさん収穫したのに、
今朝もボール一杯採れた
天麩羅、焼いて醤油を掛けて、炒め煮などに調理したが
さすがに食傷気味である

股関節を痛めながら時々の畑通い
日本民謡の唄とその鳴り物(主に太鼓)の練習
飼い犬の世話(日に4回の散歩や給餌、シャンプー等々)
小妻の運転手
小庭の手入れ
隔週の公園掃除
… …
なんとまあささやかな「役割」であることよ

福田恒存は次のように人間を規定している
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私たちが真に求めているものは自由ではない。
私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。
そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、
なさねばならぬことをしているという実感だ。
なにをしてもよく、なんでもできる状態など、
私たちは欲してはいない。
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生きる喜びとは主役を演じることを意味しはしない。
端役でも、それが役であればいい、
なんいかの役割を演じること、
それが、この現実の人生では許されないのだ。
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「役割」がほとんどない毎日が続く
福田に言わせれば、
端役すら演じられない不思議おじさんに
生きる喜びがあろうはずがない
と、いうことだ
… が ???? !!!