後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

古希

2011年05月25日 | Weblog

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季節はずれのスイートピー
新芽はヒヨドリに次々と食べられてしまい
やっと育って花をつけた


先週の土曜日は「みどりのつどい」
30年以上前から続くイベントだが
一時期中断し、10年ほど前から復活した
「せんぼく菜の花プロジェクト」のスタッフとしてお手伝い
隣は堺市のNPO「ASUの会」による竹筒ロウソク作り
子ども達に竹を切ってもらい、廃食用油でロウソクを作る
竹は不思議おじさんの職場から供出(小高い丘全体が竹やぶに囲まれている)

さて表題の「古希」は杜甫の詩「曲江」に由来する
杜甫47歳の作である
杜甫は59歳で没している
自分が70歳になった感慨ではないことは明白だ

では杜甫はどんな文脈で「古希」と言う言葉を使用したのか
「70歳まで生きるのは珍しいことだ」
だからどうなんだ、どうする、と言っているのか

曲 江  杜 甫
 
朝 囘 日 日 典 春 衣 
毎 日 江 頭 盡 醉 歸
酒 債 尋 常 行 處 有
 人 生 七 十 古 來 稀

朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、
いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
酒代(さかだい)の借金は普通のことで、行く先々にある。
この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、
今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。

杜甫は、当時は砂を噛むような日々を過ごしていたらしい
そんなこともあって、飲んだくれていたのである
少しばかり堕落し、刹那的な感情に包まれて歌った詩である

このところ体調がいま一つ不調である
「順調に歳を取っている」証拠ではあるが
飲んだり食べたりに差し障るのは辛い

歯はずっと以前にインプラントを中断して中途半端である
あまり固いものは噛めず、部分入歯のせいか味がよろしくない
糖尿のA1Cは、入院寸前の数値で推移している
もちろんγGTP値は高く、肝臓に苦労を掛けている
中性脂肪も少なくは無い
そんな内臓系統に加えて心筋梗塞の疑いと検査結果が出た

さらに15年前の白内障手術で入れた眼内レンズが
もともとの強度近視が原因で水晶体の袋が緩み
頭を下げると回転するため見えなくなってきた

こんな健康状態を考えれば、杜甫の心境に近くなってくる

と、わざわざ杜甫を持ち出すまでもなく35年も欠かさず晩酌をしているが
「取りあえずビール」を止めてみた
代わりに、まずは野菜を食べ
純米酒のヌル燗を頂いている
少し調子は上向いてきている

冬でもないのに10度以下のものを食べたり飲んだりするのは
これは自然の摂理に反している
35年前の真夏に行った中国では、北京でも南京でも上海でも
冷たいビールなど全く無かった

節電対策とは全く関係ないが、
「とりあえずビール」とは家ではオサラバである。
さすがに飲み会ではやはり「とりあえずビール」の魔力から
逃れられるほどの決心はまだ無い