スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

神さま 仏さま

2015年04月27日 | 雑感
以前当ブログでも記したように≪回忌法要≫も七回忌以降は寺院の経済基盤が成り立たなくなるとの理由で
作られたものとの説もあり、日本文化のかなりの部分にいわゆるフォールスメモリー(偽の記憶)が我々の
生活の中に埋め込まれていることが往々にしてあるという。
 


先日もテレビで話題の 『ぶっちゃけ寺』 という番組の中で、ある仏教僧が≪厄年≫についても江戸時代に
≪語呂合わせ≫ で作られたものだとも語っていた。


例えば厄年の33歳は「散々」から・・などと。  じゃ19歳はとの質問には 『 ん~? 』
だいたいこんなものなのか。  それじゃ信じるものも救われないではないかと思ってしまう。

まぁ そんな屁理屈ばかり言ってもだめだ。

ただ ≪偽の記憶≫ ≪妄想≫というもので我々人間の 文化や 伝統や 風俗が作られてきた面もある
ということは一理あり、そろそろ見直すことも必要ではないか、と私なぞは思ってしまうのですが ・・・。


   

かの大乗仏典もそのほとんどが≪偽経≫であるという苫米地英人氏なる人もいて、あの有名な『般若心経』
というお経も中国で書かれた≪偽経≫の一つだという。
 


未だ修行者である観自在菩薩が、釈迦の直弟子である悟った人、すなわち仏陀であるサーリブッダ尊者に対して
教えを説いている・・・というとんでもない形態に成っていると指摘。

舎利弗に舎利子というようにサーリブッダ尊者を卑下しているとも。

それに加え、釈迦は呪文や呪術的なものを禁止していたにも拘らず、『般若心経』自体が呪術的な(マントラ的な)
形態となっているのもおかしい・・・というのだ。

浅野典夫という人の書いた『ものがたり宗教史』という本にもこんな記載があった。
大乗仏典に書かれた教えは全て偉大で ≪仏陀以外にはこのような素晴らしい言葉を述べられるはずがない≫
という理屈を展開して中国から伝えられたようだと。 
『般若心経』 『維摩経』 『法華経』 『無量寿経』などのお経の出自も皆このようなものだそうだ。

そうは言っても 自らの命を削って書いた僧たちに、偽経 偽経 と言ってはバチが当たる。 

疑うことばかりしていると どうも 入っていけない 自分になるようだ。                                      

当ブログ(般若心経雑感)


三枚の写真

2015年04月21日 | 雑感
ピューリッツア賞という新聞・写真報道・文学・作曲など21の分野で与えられる米国で最も権威ある賞がある。

先日TVで戦場ジャーナリスト(カメラマン)の討論会が放映されておりました。

報酬も少なくそこに命を賭ける。 ちなみにピューリッツア賞の賞金は1万ドルと以外にも安いようです。
世界的に有名な写真(報道写真)ともなると億を超える高額な金が動くともいわれる奇怪な世界。 


過去のピューリッツア賞(写真部門)すべて凄いものばかりですが、そのうち三枚を選んでみました。


  
 
1968年
人の目とは、裏も表もある一枚の写真だ。
一見、罪人を処刑している残酷な警官の横暴な写真にしか見えない。 
残酷には間違いはないのだが 、大勢の警官を射殺した事件の組織的首謀者だった。 サイゴンの警官を皆殺しに
できない場合、代わりに彼らの家族を標的に殺害するとして実行。移送の途中警察幹部に射殺された写真だ。
ピューリッツア賞で評判になるやアメリカ国内で喧々諤々の論議が。 一番評判の悪いと名高い写真でもあるという。


  

1994年
この写真には沈黙せざるを得ない。
内戦と干ばつにより深刻な飢餓が起こっていたスーダン。 食糧配給センターに向かう途中で、飢えのために
倒れる少女と弱るを待つハゲワシ。
撮影したカメラマンは「なぜ少女を助けない」との非難を浴びその一か月後自殺したという。


  

2006年 
どうみても 女性にはかなわない。 
この写真はイスラエルのヨヨルダン川西岸地区、アモーナで撮影されたもの。
イスラエル政府はアモーナが違法な移住者のキャンプであると判断し、彼らをその住処から強制的に立ち退きをさせるよう警官10,000名に指示した。それに怒ったある一人の女性の反抗する姿には驚愕する。


番組放映中、使命感か?功名心か?との質問に4名中3名が ≪功名心≫ と答えていたのが印象的でした。
崇高な思いというのは 何事も後付けなのかも知れませんね。


本日の朝刊から (2015/04/17)

2015年04月17日 | 雑感
今朝の道新9面に作家・村上春樹さん「時代と物語を語る」と題してのインタビュー記事が掲載されていた。

≪善と悪≫についてこんなことを語っていた。

  『 先日≪アルジェの戦い≫という映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で
    独立のために闘うアルジェリアのたちは善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。でも今、これを
    見ると、行われていること自体は、現在起きているテロとほとんど同じなんですよね。 ・・・ 』

  『 60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるんです。
    でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう 』


著書【IQ84】を引き合いにだして ・・・ 。

  『 この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない 』
  『 善悪とは静止し固定されるものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ 』

                                                      というのだ。

いま【法然の哀しみ】(梅原 猛 著)という本を読んでいるのですが、法然の生きた時代は天変地異
(飢餓・飢饉・疫病)や社会不安(戦乱・略奪・宗教や政治の腐敗)が起き、騙し 騙され 殺し 殺され、
それこそ魑魅魍魎が往きかう時代(平安から鎌倉の末法の世)だったようです。

1052年始まった末法の世は一万年も続くとの説がある。 現代もその真っただ中にいるのかもしれませんね。

村上さんは  『 自分の中にある羅針盤を信じるしかない 』 という。

善い方向を示す羅針盤はどこから生れるの ・・・ との質問にこう答えていた。

  体を鍛えて 健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きする。これが意外と効きます。
    一言でいえば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが ・・・・・ 』


善と悪を語るなぞ そう簡単なことではないとは思いますが、とりあえず しっかり生きるしかないようです。

     

あなたの羅針盤はいかがですか?  そう やっぱり 狂ってますか ~   懺 悔  懺 悔 ! 




永遠のテーマ

2015年04月15日 | 雑感
トルストイの小説 『 復 活 』 の最後半に登場する奇怪な老人。 政治犯で服役している受刑者同士の会話。

おまえ、何でお祈りしねぇんだい。
  老人 ~ 『 祈るってだれにだね 』

きまってらぁな、神様によ。
  老人 ~ 『 だったら、そんなものがどこにいるか言ってみい 』

どこにだと? 決まってるじゃねぇか、天上によ。 
                             ・・・ おまえはどうやら異教徒らしいな 穴ぼこ野郎!

  老人 ~ 『 なんの宗教ももっとりやせん。他人を信じて、おのれを信ぜぬからさまざまな宗教が生れるのよ。
          わしも前には他人を信じて、森の中に入り込んだように踏み迷ったもんだ 』


老人はこうも言う。
         『 おのれの額から反キリストの烙印をとりのぞけ、そうすれば泥棒も人殺しもいなくなるこったろうさ 』

ん~なるほど・・と思ってしまう自分がいたが、トルストイがこれほどまでに無神論を老人に言わしめ、その思想
ここにありと思いきや、そのあと≪マタイの福音書≫など聖書引き合いの文字がまた延々と続く。

ロシア正教会に破門されたトルストイ、神から離れられないというトルストイの底に潜むDNAがそうさせるのだろうか。

作家・石川達三氏はトルストイの宗教論についてこう語る。 (別冊あとがきより抜粋)

  『 トルストイが宇宙の整然たる秩序のある運行は、神を考えずには理解できないといい、神はあるのだ・・・
    という結論を出しているのには、がっかりした。 神が無いと思う方がずっと合理的だ。 』


            

神はいる いないは 人類の永遠のテーマだ。   どうか 神様 教えて下さいませ !


読書三昧 (25) トルストイ著 『 復 活 』

2015年04月13日 | 雑感
以前 『 戦争と平和 』 を読み始めたが途中でくじけて中断、DVDに切り替え映像で観たことがあった。

私の読書歴もざっとこんな軟弱なものだが、今回はリベンジでこのトルストイ晩年の長編 『復活』 を読み終えた。

ストーリーは愛のドラマだが、19世紀末の帝政ロシアは農奴制度も残る時代、支配階級への腐敗暴露や形式ばかりの
教会の権威への反抗、そして罪と罰。 人はいかに生きるかを追求し続けたトルストイならではの不朽の名作だ。

       

この小説 『復活』 のあらすじはこうだ。

  若い貴族ネフリュードフ公爵は殺人事件の裁判に陪審員として出廷するが、被告人である若い女を見て驚く。
  彼がかつて愛し捨てた女・カチューシャであった。カチューシャは彼の幼い子供を亡くし娼婦に身を落としていた。

  殺意はなかったとして、情状酌量に値するとの結論だったが手違いでシベリア4年への徒刑が宣告された。
  ネフリュードフは罪の意識に目覚め、恩赦を求めて奔走し彼女の更生に人生を捧げる決意をする。

  心を閉ざすカチューシャと罪に苛まれるネフリュードフ ・・・・。


一貫してネフリュードフの罪を問い正す。 トルストイ いや 読者自らに対する如くに ・・・・。

トルストイといえば無抵抗・無教会・無政府主義のユートピアを築かんとし、時のロシア正教会から破門(1901年)
されたこともある反骨の作家である。


そのユートピア思想を引き継がんと1万人ものトルストイアンが、シベリア牧草地帯近の旧ノヴォクズネツクにコミューンを作った
ことでも知られ、当時のスターリンにより解体を余儀なくされ、兵役への拒否で収容所へ送られもした歴史をもつ。

この『復活』では虐げられた農民への共感そして国家権力にも反発、土地所有にも言い及ぶ・・・。

 『土地というのは個人の私有財産の対象にはなりえないんだよ・・・・だから土地のもたらすものは
  すべて、あらゆる人々の持ち物というわけさ』


当時のロシアでは当然検閲も厳しく、上記の箇所を削除されたり修正を余儀なくされたとのこと。
(本書は完全復元版でしたが、他修正・削除された箇所もかなりの文字数に上っていたようだ。)

人間は誰でも限りなく罪深い存在であり、自己の罪を棚上げし他人の罪を裁くものだ。
この裁くなかれの思想や、悪に対して憎しみで対抗してはならずの思想もしかり。私有財産への思いも・・。


これらは、現在の世からすれば 一笑に付される ≪極論≫ そのもの なのかも知れない。 

でも所詮 妄想・迷信・偽善ばかりに固められた今の世の中でしょうが ・・・ ≪ 極論 ≫ でいいじゃないですか。  

ロシア民謡・カチューシャ (クリックしてみて下さい)

カチューシャとはロシア女性の愛称だそうで、髪に飾るカチューシャはこの小説『復活』の主人公・カチューシャに由来とのこと。

それにしても トルストイは ロシアは 深い。


どうもおかしい教科書検定

2015年04月07日 | 雑感
今朝の道新に 中学教科書検定のことが掲載されていた。

文部科学省が、政府見解に基づき従来は認めていた表現について修正を求めたという。

その中で、≪北海道旧土人保護法≫(1899施行)についての記述修正(下記)はどう考えてもおかしい。

【従来の記述】 
        狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。                  
【修 正 後】 
        狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。

まったく正反対への修正ではないか。  当然、北海道アイヌ協会や有識者からも批判が相次いだ。

  『歴史の全体像を抜きにして、該当部分だけ修正して記述するのであれば、間違った歴史認識を
   子どもたちに教えることのなる。承服できない』 

                                   (北海道アイヌ協会阿部副理事長)

  『北海道旧土人保護法に至ったプロセスが書かれていなければ、アイヌ民族が事実上、土地を失った歴史
   が分からない。教科書のページ数の制約があるとはいえ、言葉がたりない』

                                   (北大アイヌ・先住民研究センター落合準教授)

確かに同保護法が困窮者対策として施行されたのは事実で、その内容を法的に解釈して上記の記述にまで
及んだと主張するが、和人への同化を迫ったとの批判も多い同法でもある。


≪歴史は勝者によって作られる≫を鵜呑みにさせる教育はいかがなものか。首を傾げざるを得ない気がする。

中学生といえば、これからの日本を背負う人達だ。 

もっと歴史を多面的に考えられる教科書であってほしいものである。

以前韓国の歴史教科書を読んでみたことがあるが、なぜ歴史を学ぶかという序章に15ページもの記述があった。
それと比べ日本のそれは、ほんの1~2ページほどだったのを記憶する。

勿論、韓国の教科書内容には首を傾げる記述も相当あったが、日本は≪歴史をなぜ学ぶか≫の点では劣る。

     
   ≪シャクシャインの戦い≫~1669年・当時の松前藩に対してアイヌ民族が蜂起した戦い。

東北の勇者・阿弖流為(アテルイ)と同様、弱者は歴史の彼方に忘れ去られる運命なのだろうか。

当ブログ東北の伝説の勇者・阿弖流為(アテルイ)


不思議な法律

2015年04月07日 | 雑感
柳橋博之著(東大教授) 『 イスラーム家族法 』 という本を読んでみた。

800ページにもわたる分厚い本で、婚姻・親子・親族関連に関しての法律が書かれている。

イスラム世界の大部分の国は、その法の領域からいうと欧米法がほぼ継受されているようだが、
家族法の領域に関する限りは、多くの国においてイスラム法が比較的忠実に踏襲されているという。


    

   欧米諸国のメディアでは厳密な区別はされず、どれも(つまり、顔を覆い隠すブルカやニカーブ
   顔を隠さないヒジャブなどを区別せずに≪ブルカ≫と呼称されることが多いという。


コーラン第24章第31節にある 『 女性が男性に見せてもよいとされる(露出している部分)』 ・・・とは。
目と鼻? 顔と手? 足(脚)と指?  適齢期になったらどうする?  眼だけ見て相手を決めるの?

これが学派によって異なるというのだ。 

イスラム学派は大きく分けるとシーア派とイスラムで9割を占めるといわれるスーニン派。

しかしこのスーニン派だが、その発祥地や慣行・啓示法源の解釈などのより幾つもの学派が生れてきた歴史
があり、その中で喧々諤々持続正統派と認められるに至り、四つ学派に絞られてきたようだ。


 ● ハンバル派~サウジアラビアに多い          ● マーリク派~北アフリカからサハラ以南に多い
 ● ハナフィー派~エジプト、シリア中央アジアに多い    ● シャーフイフィー派~東アフリカ、東南アジアに多い

シャーフィイー派とハンバル派は男性が女性を見ることが困難であったり、こっそり見る場合は誰か身近な女性に
頼んで相手の女性を見てもらい、その報告を受けることができるともいわれる。

ハナフィー派においては、求婚した後相手の女性から承諾を得られると確信した場合のみ可能というのだ。

マーリク派も同様だが、じゃ求婚を伝えるだけでいいのか。 それじゃ安易に許すことになるので承諾が
必須だという少数派もあるとのこと。

女性の承諾を得る必要はないという考えのハンバル派もあるという。 

これだけじゃない。 この家族法には婚姻・婚姻の解消・親子親族関係に至るまで詳細に決められ
これらの法律は、四つの派によりそれぞれ異なる解釈がなされているのだ。
 

解釈の幅が 広いというのか 狭いというのか ・・・ どうも摩訶不思議な法律に感じた。
異文化・文明・歴史を理解・尊重することが肝心 ・・・ と人は簡単に言いますがね。


銀河鉄道の旅

2015年04月04日 | 雑感
母からいただいた一枚のはがきが、いつも私の枕元の横の茶たんすに立てかけてある。  

裏面が私の生れ育った函館山からの夜景の写真だ。

この写真、昼間は下のようなものだが、夜寝るとき明かりを消せばくっきりと夜景が浮かぶというしろものだ。

       


銀河宇宙・・・137億年かかって光が進む距離(137億光年)、最近の研究ではこの観測可能な宇宙の果ては
さらに永遠に・・・いやこの膨大な宇宙が別次元でさらに無数に存在するという理論もあるという。


        

仲間と銀河宇宙への旅の話をすることがある。

気のあった仲間同士で酒を酌み交わしながら巡る、なんとも粋な銀河鉄道・宇宙への旅。

先に往った人はどこか気に入った星で、途中下車して仲間が来るのを待っているという寸法だ。

この旅は出かけたらもう二度と戻れない旅なのか ・・・・・ まぁ それも良し。

  
       ≪ 銀河鉄道始発駅・函館山山頂・午前零時発・不定期便 ≫

あえて急ぐ必要もないようです。 誰もが いつかは必ず行ける 旅でもあるのだから ・・・・・ 。 
とにかく今は 授かった命を大切に あなたも私も 懸命に しっかりと 生きる。


明日にはまた 眼が覚めますように と念じつつ 懺悔の眠りにつく ・・・・・ おやすみなさい。



妄想とは失礼なり

2015年04月03日 | 雑感
先日とある大切な人の葬式に参列してきた。

その時の坊さんがとても印象的で、髪もひげもぼさぼさ・・・その風体を聞けば修業の途中だという。

坊さんの修業といえばあの高倉健さんが心酔していた酒井雄哉(1926年 - 2013年 )さんを思い出す。
(酒井さんは天台宗の僧侶で、比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる)

その髪もひげもぼさぼさな坊さん、修業中の話をしておられましたが、まだ若い坊さんのようでした。

私の知りあいの関係者の話では、坊さんにお布施の話をしたところ ・・・。
その坊さんは、『 そんなにいりません その半分以下で結構ですよ 』 と答えたというではないか。

その話を聞いて、いまどき珍しい そんな坊さんもまだいるんだ、と感心したものです。

今朝の道新記事に、あの空海密教で有名な高野山で、開創1200年記念の大法会が2日に始まり21まで連日
営まれる。奥の院では、華やかな袈裟を着た約70人もの僧侶が練り歩き法会の無事を祈願したとのこと。

   

金堂では僧侶ら400人が集い本尊(薬師如来坐像)が開帳されたとも。

豪華さ華やかさには莫大な金が動く。
勿論金の流れで世の中が成り立っているというのは分かるが、どこかが違う気がする。


期間中30万人も見込まれるにせよ、仏教ってこれでいいのかな ・・・ とも思わずにはいられない。

空海の「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)という著書にこんな言葉がある。

  『 頭を剃って 欲を剃らず、衣を染めて、心を染めず 』 ・・・ と当時の仏者に対しこう戒めている。

先日記した当ブログ 『 フォールスメモリー 』 じゃないけれど ・・・。
人間の歴史、文化文明、そして宗教までも妄想妄想で固められ ・・・ 現在の形になってきたのかなぁ!

それにしても 妄想とは ・・・ ちょっと言い過ぎ 失礼しました。


下のブログをもう一度クリックしてみて下さい。 日本の年忌や戒名、経典に至るまで摩訶不思議の連続です。


   ≪日本不思議考3≫


至高の音楽

2015年04月03日 | 雑感
百田尚樹著に 『 至高の音楽 』 というのがある。

ベートーベン≪エロイカ(英雄)≫から始まる25曲のクラシック音楽のエッセイだ。

ベートーベン<エロイカ>バッハ<平均律クラヴィーア曲>モーツアルト<交響曲第二十五番>ショパン<十二の練習曲>ラフマニノフ<ピアノ協奏曲第ニ番>ベルリオーズ<幻想交響曲>ワーグナー<ヴェルキューレ>・・・・・等々が続く。

        

本人によると19歳の時からクラッシックを聴きはじめて、既にクラッシク歴40年も経つとのこと。

百田さんの言動とか、『永遠のゼロ』とかのベストセラー小説はどうも好きにはなれなかったのですが、
このクラシックエッセイは素晴らしく読み応えがあった。


クラシック趣味を持つ人は同じ曲を違う演奏で聴き比べるという、いわゆる決定盤選びを極致とするよう
ですが、百田さんは「名曲は誰が演奏しても名曲なのだ」・・と断言。 
一応参考にと推薦CDを挙げてはいるが、「虚心に音楽を聴いてもらいたい」と薦める。   納得。

作家の音楽好きは、かの村上春樹さんが有名ですね。 
クラッシックのみならずジャズにも造詣が深く、若かりし時ジャズの店を開業したこともあったようです。

       

作家・村上春樹氏の著した音楽エッセイ本 『 意味がなければスイングはない 』 の中で~シューベルトの
【ピアノ・ソナタ第17番ニ長調】
を最も愛した曲だとの紹介がある。年代別・指揮者別等になんと15種類もの
同曲のレコード・CDを所有しているとのこと。

百田さんもこのシューベルトを絶賛。彼にとって「神」といえる作曲家は四人いるという。
バッハ・モーツアルト・ベートーベン・ヴァグナーだが、別格に最も好きな作曲家としてこのシューベルトをあげていた。


『シューベルトの音楽で、悲しくない曲なんて知らない』・・・ともいう。

生涯独身のまま、1000曲近い曲を残し貧困の中で三十一歳の若さでこの世を去ったシューベルト。
その名が知られるようになったのは、死後何年も経ってからのことであったようだ。

ヴィヴァルディの次はシューベルトを聴いてみることとした。

それにしても 音楽って 素晴らしいですね。 

もっと若かりし時に知っておけば・・・悔いるばかり・・・あぁ!