スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

倫太郎 くん

2015年08月25日 | 雑感
23日(日)24時間テレビを観ていたら、重い心臓病を患いながらも明るく逞しく生きる男の子がいた。

周りから 【 師 匠 】 と呼ばれ、親しみの持てるキャラクターの・山田倫太郎くん(13)。  

      

倫太郎くんには10歳ほど年の離れた恵次郎くんという弟がいる。

恵次郎くんが4歳になったある日、「医者になってお兄ちゃんを治す」と言い出したそうです。
それを聞いた倫太郎くんは、将来医者になるであろう弟や、将来医療を志すであろう若者たちに向けて

8カ条からなる 『 理想の医者 』 を綴りました。

  ① 患者さんの家族、趣味など、患者さんの生活全体を見て接しよう

  ② 患者さんは、誰もが自分の受ける治療や検査などに、不安を抱いている。しっかり、
    分かりやすく説明してあげよう

  ③ 患者さんは、いつ苦しみだすか分からない。大事なのは、その時に、君が患者さん
    のために、とっさに体を動かせるかだ

  ④ 入院している患者さんにも、自分の生活がある。検査や治療は出来る限り患者さんの
    生活に合わせてやるべきだ

  ⑤ 入院している患者さんにとって、ベッドは我が家のようなものだ。
    採血や問診に行く時は、人の家に行くような感じで行こう

  ⑥ 患者や患者の家族は、手術や検査の結果を心待ちにしている。
    終わったらすぐに知らせてあげよう

  ⑦ 患者さんとの関係は、治療が終わればおしまいという訳ではない

  ⑧ 医師はどんな状況でも諦めてはならない。思わぬ治療法があるかもしれないし、
    悪い状態は一時的な ものかもしれないからだ。医師が絶望的と思っても、
    患者さんや家族にとっては違うかもしれない


本にもなっているというこの8ヶ条。  山田倫太郎著 『 医者をめざす君へ 』

世の医者のみならず、日常生活する 人とのつながりの中でも 大切な8ヶ条なのかも知れませんね。
                                        山田兄弟に 幸多かれと 祈る。


女性哲学者・池田晶子

2015年08月24日 | 雑感
先日当ブログ  早朝に てつがくを  に書いていた哲学者とは、この池田晶子さんのことでした。
       (このブログの生と死の問答は著書 「あたりまえのことばかり」 から抜粋したものだ)

著者をすぐインターネットで検索してみたのであるが、8年前 46歳の若さで他界していた事を知る。


その後早速 彼女の著書 『 帰ってきたソクラテス 』・『 残酷人生論 』・『 41歳からの哲学 』 を読んでみた。
 2007年腎臓ガンで既に他界した気鋭の女性哲学者・池田晶子。 

難解な哲学を明快な言葉で一刀両断。 凄い人もいたものだ。 それにしても 残念でならない。 

          

その一端を紹介してみます。 宗教について こう喝破している。

 『 法王選出のためのコンクラーベとは、完全な政治である。 名誉と利権そのものである 』

 『 宗教とは、よくできたシステム。 じつによくできた うそ である 』 

 『 考えることなく信じている、これを信仰という。 世のほとんどが無宗教信者 』

 『 信じる人は困ったものだと皆が言う。信じる人は馬鹿なのだ、知的な人間は信じないものだ、と。
   これ、うそ。この両者、おんなじ。 信じている人も、信じてない人も、考えることなく信じていたり、
   信じていなかったりするのだから、まったく同じ。 つまり 考えなし 』


在りし日の著者(テレビ出演)    Wikipedia(池田晶子)

クリックしてこのテレビ出演を観たが、これだけでは勿論理解できない。 みなさんはいかがでした?

 『 考えることは 悩むことではないという。 人が悩むのは 考えていないからにほかならず、
   きちんと考えることが出来るなら、人が悩むことなど 実はあり得ないのである 』 


まだ数冊しか読んでいないが、人間が存在するとは、神とは、生死とは、宇宙とは、善と悪とは、
まだ多くの著作があるそうです。 読み続けてみたい そんな気がする 魅力のある哲学者(文筆家)だ。



                                               





未 来 恐 慌

2015年08月22日 | 雑感
今週、世界経済はギリシャ問題や中国消費の悪化などから世界同時株安の状況が続いている。
持ち直すとは思われるが、貪欲な経済活動はとどまるところを知らず。 未来恐慌の予兆とならねば良いが。

機本伸司著 『 未来恐慌 』 という新刊本がある。  近未来のサスペンス小説だ。
                    (著者は1956年生。 「神様のパズル」で第3回小松左京賞受賞している)

さてこの小説。 世界規模の 「ウエブ万国博覧会」 が2030年の開催されるとの設定。
主人公は、この博覧会のアンバサーに公募で選ばれた破天荒な女子高生・灘城小梅とアシスタントアドバイザーの若者。

        

最新技術を駆使した近未来のシュミレーション「E計画」で、スパコンがはじき出した日本の未来は 【破滅】 だ。

株価暴落・物価上昇・貨幣価値下落・銀行取り付け騒ぎ・暴動破壊・政府機能不全・通信網麻痺 ・・・・。

人口問題や再生可能エネルギーへの転換など初期入力の変更修正も焼け石に水。
主催者側は、政府責任も含めその 【破滅】 回避に躍起となりシュミレーション結果を隠蔽する。

ついに「ウエブ万国博覧会」日本館が出した明るい未来を描きだしたシュミレーションは、実は嘘っぱちとの
暴露記事がインターネットで流れだす。 

その週明け、ニューヨーク市場売り注文が殺到。 日本のみならず世界経済はHFT(高速自動取引システム)による
大量の株を瞬時に売られるビッグ・フラッシュ・クラッシュに陥った。


こうなれば、経済学も学問というよりまるで投資マニュアルで、人間の欲望の道具でしかなくなる。

最悪のシナリオは、通信網の麻痺・政府機能不全・武器が幅を利かすようになり、全ての都市が遺跡と化す。

以前 知の巨人・立花隆氏が その著書 『思索紀行』 のなかでこう語っていたのを思い出した。

     『 いかなる文明もやがて滅び、すべての巨大都市はいずれ遺跡となる、、
                  いずれ東京も遺跡になると私はいまも思っている、、、』 
と。


ちなみにこれからの都市の遺跡化は、過去の古代文明とは異なるところがあるという。

鉄筋コンクリートのため遺跡としても長持ちはしないだろう ・・・・・・ とは ≪笑えない話≫ であった。 



早朝に てつがくを

2015年08月21日 | 雑感
川柳にこんなのがあった。  ≪ 目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ ≫

哲学ファンタジー本『ソフィーの世界』を読んでから夜は寝られないし、朝はまだ暗いうちから目が覚める。

ニーチェ じゃないけど発狂しそう!(笑)

ある哲学者が ≪生死について≫ こんなことを言っていた。

 『人間生きている限り誰も死んでなどいない。 逆に死んでしまったひとは、死んだことを
  語ることはしないから、今生きている人は誰一人として実は≪死≫というものを知らないのだ。』


なるほど。 

 『じゃ死とはなにか。 無になるってことだ。 無というのは無いから無なわけでしょう。
  無があったら それはもう無ではない。 無は存在しない。 存在しか存在しない。
  したがって 死ぬという無はないということになる。』


なぜかプッと笑ってしまった。 

 『にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのだろうか。 可笑しくないですか。
  確かに毎日人は死ぬ。でも死ぬのはすべて他人であって、誰も自分が死んだことなどは無い。』


可笑しいといえば 可笑しい。

 『日常誰もが生きるの死ぬのと口にはするが、実は自分で何を言っているのか誰も理解していない。
  ほとんどの人はそれを知っていると思って生きて、そして悩んでいるのです。
  世の中のほとんどがこの ≪生死のからくり≫ に騙されて悩んだり、動いている。』


ん~。 どう考えても なるほどだ。


無としての ≪ 死 ≫ なんてこの世のどこにも存在していない。 生き死には、実体などではなく 
人が便宜的にそう言っているにすぎなく、つまり ≪ 言 葉 ≫ にすぎないというのだ。 


やがて死ぬ どうせ死ぬ なんて言えなくなっちゃいますね。  

                よしっ!! 今日からこれでいこう。  単純な てつがくしゃもどき より。

戦後の憂鬱

2015年08月19日 | 雑感
8月15日・戦後70年安倍首相談話が発表され、北海道新聞にも(全文)が掲載されていた。
      安倍首相談話全文

≪ 不戦の誓い 疑念(おわび遠回し)と評価(市民が動かした)≫ 新聞紙上でこの二分の反応が目立った。

首相の談話を読むと、自らの歴史観と過去の談話そして日本世論の動向との間でかなり揺れ動いた
苦心の末の談話と感じた。 よく言えばそうだ。  でも悪く言えば 総花的自己矛盾内包型談話。


以前自民党の谷垣幹事長が戦後問題で、【首相は「なんで日本だけが悪者にならなければならないんだ。
誤り続けるのはやめたい」と思っている】と語っていたという。 あえて持論を微修正で網羅し、総花的
な談話にしたのでは。 そんな感じがしたのは私だけではあるまい。

過去の中国や韓国の過激ともいえる対応にも安倍首相の鬱積した思いがあったに違いないとも思う。

本文に『隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み』とあったが、インドネシア・フィリッピン
はじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国と列挙、この二カ国を最後に列挙していたことからも覗えた。

先日水間政憲著『ひと目でわかる日中戦争時代の武士道精神』を読んでいたらこんな記述がありました。
(南京事件は中国共産党の抗日プロパガンダであるとの思いから書かれた本)

この本を書いた水間氏は、主に右派が投稿する≪SAPIO≫という雑誌によく出てくる人だ。

昭和39年、社会党の佐々木委員長に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶されて、
毛沢東は、『 何も申し訳なく思うことはありませんよ。 日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。
中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力無しには我々が権利を奪うことは
不可能だったでしょう。』
(著書『毛沢東思想万歳』下巻)

歴史認識も為政者や体制が変われば変わるものだが、それでは困る。

もちろん首相もそうだが、歴史観って 人により右から左まで大幅な開きがある。
なにが 事実なのか どれが 真実なのか 国民は しっかり 見極めなければならない。 


日本では戦後生まれ世代が人口の8割を超えているという。  談話で一番肝心なのは次の箇所だ。

『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を
 脊負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面
 から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります』


朝鮮文化に無念さは決して忘れてはならないという ≪ハン(恨)≫ という文化が脈々とあるという。
日本はというと、 ≪水に流す≫: ≪恨みは水に流すべし 恩は石に刻むべし≫ という文化だ。


終戦記念日にあれだけ埋め尽くされていた終戦・戦後の記事やテレビ番組も、数日経つと殆ど消えて無い。

日本らしい といえば それまでだが ・・・・・。



百 禁 書

2015年08月16日 | 雑感
   『 人は禁じられると、かえって興味をかきたてられるものだ 』  ー モンテーニュ ー

≪表現の自由≫ってなんでしょうね。 ケン・ワチェスバーガー編 『百禁署』 という本を手にとってみた。 

検閲を受け禁書となった世界各国100作品のそれぞれのあらすじと検閲の経緯を紹介した本である。

      

【 政治的理由・宗教的理由・性的理由・社会的理由 】 それぞれの理由で弾圧された作品が並ぶ。

≪聖書≫・≪コーラン≫・≪悪魔の詩≫・≪アンネの日記≫・≪チャタレー夫人の恋人≫・≪わが闘争≫・・・等々。

このへんはなるほど、と思うのですが、≪ドクトル・ジバゴ≫・≪怒りの葡萄≫・≪若きウェルテルの悩み≫・
≪アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)≫・≪赤と黒≫・≪デカメロン≫・≪アンクルトムの小屋≫
等には驚くばかり。

これらを含む「禁書」扱いの作品などはなんらかの形で弾圧を受け、学校の教材から外されたり、
図書館の棚から回収させられたり、教会が糾弾して信者に読むことを禁じたり、版元が出版を拒絶したり、
いや言葉や力のみならず宗教上の破門、撃たれたり、刑に処せられたり、火あぶりの歴史もあったという。

先日当ブログでも ≪発禁本パートⅠ≫≪発禁本パートⅡ≫でサイィド・クトゥブなる人の著書を紹介したばかり。

手に入るか否かは解りませんが、読んでみたい本が結構ありました。 

アーサー・R・バッソ著 『20世紀の捏造』 ~ナチス・ドイツによるホロコーストがプロパガンダ目的、独から賠償金を引き出す
                        ためのシオニストの陰謀か、ユダヤ人人口統計等も網羅しているという本。

トマス・ペイン著   『人間の権利』    ~1700年後半、イギリスは主要な植民地から離反され、アメリカ自由主義思想
                        が当時のイギリス・君主制を脅かす存在となっていく。
                       イギリスに内在する≪悪≫を攻撃した本。
                       アメリカ史の中でもペインほど議論の的になった人物もいないとも言われる。
                        
あとは、反ヴァチカン・反教会権力の姿勢を貫く、まだ読んでいなかったスタンダールの有名な 『 赤と黒 』
ジョルダーノ・ブルーノ著 『 無限、宇宙および諸世界について 』 ・・・等々の本。 

人間って極限にはなかなか立たされないもの。 これらぎりぎりの書をもって全てを云々言うつもりはないが
なんでも自由 自由とは には、必ず問題も残ります。  勿論 節度も自由には含まれるとも思う。

だからこそ 心して読まねば ・・・・ そんな気がする。



キャパの十字架

2015年08月15日 | 雑感
沢木耕太郎著 『キャパの十字架』 という本を読んでみた。

下の写真はフォトジャーナリズムの世界ではつとに有名な ≪崩れ落ちる兵士≫ の一枚だ。

演習中での撮影ではないのか、いやリアリティーがある等々その真贋はいまだに不明。

この一枚をめぐり科学的な検証(使われたカメラからの検証・前後の状況及び写真撮影背景からの検証など)、
キャパの生い立ちや生き様、キャパの他作品、恋人ゲルダとの隠された物語にまで迫った一冊である。


  
                                    ≪崩れ落ちる兵士≫

1936年スペインで内戦が勃発、その時共和国軍兵士が敵である反乱軍の銃弾に当たって倒れる瞬間
を撮ったとされる写真だが、実際に共和国が崩壊してからは、その為の栄光と悲惨さを象徴する写真
として広く世界中に流布されるようになる。 撮ったのはロバート・キャパ。 一躍時の人となった。

ロバート・キャパ(1913年~1954年)ハンガリー生れ。 報道写真でロバート・キャパ賞があるくらい有名な報道写真家。

(日本では報道写真家・沢田教一氏プロフィールクリックが死後カンボジア難民の写真でこの賞を受賞している)

当時から違和感を抱いた人は少なくは無かったようだが、この一枚が疑惑の写真として問題になった
のはキャパの死後15年も経ってからのことだという。


本当に撃たれているのか、本当死んでいるのか、調べていくうちに謎が謎を生む。
著者はこう語る ≪キャパの虚像を剥ぐということではなく、ただ本当のことを知りたかっただけだ≫ 


キャパもこの一枚については多くを語らなかったようだが、真実はいづこにあったのだろうか。

情報が過多の現代においては、≪本当のことを知る≫ ことは至難の業。

勿論写真も精巧に修正どころか合成も可能な時代、情報操作もある意味では簡単に出来うる時代だ。 
真贋は不明だが、ある国においても反体制派が株価操作をし暴落を促し世界経済を揺るがせもした。

私たちはこれからの時代、何を信じていいのだろうか。 そんなことを思う一枚でもあった。

【 沢木 耕太郎 】
ノンフィクション作家でインド・イギリス他乗合バスの旅を中心とした紀行小説『深夜特急』や妻(ヨソ子)の側から見た
作家・檀一雄を描いたノンフィクション作品『檀』が有名。 1947年生れ数々のノンフィクション賞や文学賞を受賞している。

キャパといつも一緒だったカメラマン・恋人ゲルダはスペイン内戦の激戦地であったブルネテで暴走戦車に轢かれて死に、
その17年後にキャパもインドシナで地雷を踏んで死んだ。

一枚の写真の謎が謎を生みだしたとしても、著者のキャパに対する親愛の情は変わらないと語ってはいたが。

2015年の芥川賞

2015年08月11日 | 雑感
今年の芥川賞は、又吉直樹 『 火花 』 ・ 羽田圭介 『 スクラップ・アンド・ビルド 』 の二作品に決まった。

芥川賞も直木賞も所詮は出版社のなんとか、と言ってしまえば身も蓋もない。 取りあえず読んでみた。

    
  楽しく読めました。 おめでとう。           君は龍之介じゃ ないのだ! 

『 火花 』  お笑いの世界での芸人魂というか、こだわる姿には驚いた。

  受賞インタビューであの太宰治の暗い小説「人間失格」の中にまでも≪笑い≫を見つけ出さんとする貪欲さにも。

  作家・元外務省の佐藤優氏も『火花』の特徴は、マイノリティー(社会的少数派)とマジョリティー(社会的多数派)
  の視座が交替して、人間を立体的に描いているところにある。・・・と結構好評価していた。 
  
  佐藤氏は以前又吉氏と会ったとき、「マイノリティーとマジョリティーの間を行き来しながら物事を見ている」との
  又吉氏の言葉が印象に残っている、と記していた。 笑う哲学者 なのかも知れない。

  お笑い芸人であるからこそ書けた小説との批評も確かにあるようだが、一発屋にならぬよう期待する。

『 スクラップ・アンド・ビルド 』  もスムーズに入り込めた。 作者は芥川賞候補これで4回目での受賞とのこと。

  祖父と孫との介護を題材にした愛憎小説だが、肉体を鍛える孫(健斗)と鍛えてもどうにもならない
  老いる世代(祖父)との心理ドラマが実に微妙だ。 日本中に蔓延している≪老い≫をも問う。 

 「価値観の合わない相手の顔が見えた時に人間が何を思うか」という問題意識を軸にしたテーマだいう。
 
  若干30歳とは思えぬ着眼点とレベルの高さだ。

私なぞ素人が言っても始まらないが、肝心の選考9委員の論評内容はいつもながらのお粗末さ。

その一人・村上龍 の評 はこうだ。
 【『スクラップ・アンド・ビルド』には、共感を覚えなかった。だが作者の技量は高く、他の何人もの選考委員
  が魅了されたのも理解できる。描かれた世界が、わたしの個人的な好みと合わなかっただけだ。】

石原慎太郎氏が選考委員を降りたのも頷ける気がした。

ある人から、今三島由紀夫『豊饒の海』とこの『火花』とを並行して読んでいるが、大人と子供の違いを感じる。
との言葉を聞いた。 私もそう思う一人だが、これも好きずきなのか  それとも ・・・・。 


それ以上は お互いに落ち込むといけないから あえて 言うまい。 

音楽の捧げもの

2015年08月10日 | 雑感
夏風邪をひいて寝込んでおりました。  そんな時は6畳の自称隔離部屋に籠りっきり。

寝込んだ時にいつも繰り返し聴くのはバッハ。 特に「音楽の捧げもの」という曲が最高です。 

第1~第19楽章までの約1時間ほどの曲なのですが、これがまた気持ちが下がった時などにピッタリ。
抑揚のあまり無い、静かで、まるで銀河宇宙を彷徨っていると錯覚するような ・・・・。
                     (実際は熱にうなされて彷徨っているだけなのですが)

やはりバッハって不思議な魅力がありますね。 

バロック後期もしかり、教会や伝統技法にがんじがらめの時代ではあったのでしょうが、バッハの音楽には
「よくみせよう」とか「感動させてやろう」とかの厭味がまったく感じれないんですね。


自由な時代より束縛されていた時代の音楽の方がなぜか ・・・ これも好のみなのでしょうが。

勿論バッハも人の子。音楽家だから技法を駆使し優れた曲を、という気持ちは当然ないはずは無いのですが
生み出された音楽には、なぜか不思議とそれが出てこない。 やはり 大バッハ と呼ばれるゆえん。

ぜひ寝込んだ時には ・・・・・。 元気が一番ですが、人生 ものは考えよう ですかね。