スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

読書三昧 (4)(2012年芥川賞)

2012年02月26日 | 雑感
芥川賞田中氏【共喰い】円城氏【道化師の蝶】に決まり、田中氏の『もらってやる』発言で一躍注目され本も売れているとのこと。
でも昨今の芥川賞はどうも面白く感じられないのは私だけでしょうか。

選考委員の論評もなぜか意味不明。

【共食い】  ~この作者の文章には遠近法があると感心した。しかし、それは世にも気の滅入る3D(山田永美)
        ~死んでいてかつ生きている猫の遠い息吹を感じました(川上弘美)

     ○ 意味不明の論評ではあるが、委員の評価はまずまずといったところか。


【道化師の蝶】~支持するのは困難だが、全否定するのは更に難しい(黒井千次)
         ~使用者のいない言語でかかれた小説(小川洋子)
         ~フィクションになりそこねた言語論としてあらためて読むと、妙にフィクションとして成り立つ(宮本輝)


     ○ 選考委員も解っているのだろうかと疑いたくなる、、難解!?な小説。

参考に今回の石原氏の論評は、、

共食いは、一番読みやすかったが田中氏の資質は長編にまとめた方が重みを増すと思われると一応の評価を下してはいたが、道化師の蝶に至っては、こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなはだ疑わしいとまで論評している。

毎回辛辣な論評の石原慎太郎氏が選考委員を今回限りで辞退した。
これまでの選考を振り返り、こう論じた。

《芥川賞という新人の登竜門に関わる仕事に期待し、この私が足をすくわれるような新しい文学の現出のもたらす戦慄に期待し続けてきた。しかしその期待はさながら打率の低いバッターへの期待のごとくにほとんど報いられることがなかった》

この機会にと思い、何冊か石原氏の小説を読んでみた。
実は、《太陽の季節》と《化石の森》2冊しか読んでいなかったのである。

《山からの声》《海からの声》《空からの声》《沢より還る》《聖餐》《ある行為者の回想》等々、、。 

さすが、辛辣に言えるだけの凄みのある作家と感心。
文章も重厚で、深みのある、読みごたえのある小説ばかりであった。


《山からの声》~日本アルプスの山並みのとある養老施設。テラスに座ってどこか一心に見つめている
痴呆症の老人。かつてのアルピニスト。その風景と老人の生涯との一体感がすばらしい。


《海からの声》~ヨットレースでの遭難。その妻に遭難したはずの夫からの電話。妻の再婚。
娘の結婚式当日、無言の電話、、背後に風と波の音が響く。時の流れと本物の愛。美しい小説。


《沢より還る》~奥利根の沢での単独行。大けがからの帰還。主人公の困難に立ち向かう覚悟のほどが
石原氏と重なる。海だけではなく登山にも造詣が深い。恐れ入った。


《 聖 餐 》~ホラー小説ともいえる石原文学衝撃の問題作。聖餐かぎりなし。生理的に好きになれない小説。


石原氏曰く《故にも老兵は消えていくのみ。さらば芥川賞》 寂しい限りである。 

宇宙のはなし (3) (創造主)

2012年02月11日 | 雑感

ここは、またまた長々としたブログになります。
だらだらと長々と、、、仲間の評判はいまいちなのですが、性格上修正がきかず! ご勘弁を!
疲れますので、くれぐれも興味ある人のみお読みください。

この世に神や仏は存在するのでしょうか?
人類永遠の謎? を追いかけてみます。
と、ここまでは最高の出だし! さあ、どうなることやら、、、。


『宇宙の創成には超自然的な存在である神の介入を何ら必要としません』

 車椅子の天才物理学者スティーヴン・ホーキング氏の言葉です。

 宗教者、特にキリスト教からの非難が多く寄せられたそうです。

『宗教はその多くは迷信』 『宗教はアヘンである』 そんな事も過去言われてきました。
 昨今でも、多くの物理科学者からも神は存在しないとの声があがるようになってきました。

物理科学ほど、ここ数十年飛躍的に進歩・解明されてきた学問はありません。

インフレーションやビッグバンで一瞬にして宇宙が形成され、未だに膨張(しかも加速)し続ける広大な銀河宇宙。

膨張と簡単に言いますが、例えると1ミリの砂粒が一瞬で10兆キロの一兆倍、さらに一兆倍位になるほどのものに。
(アインシュタイン《相対性理論》では光(秒速30万キロ)より速く動く物質はないと言っており、辻褄が合いませんが、
物質などが空間の中を移動することと、空間が膨張するために物質間の距離が離れることとは別なのです)


私たちの住む地球は~秒速30キロで公転しています。
地球を含む太陽系銀河は、なんと秒速220キロで動いているそうです。


みなさん、秒速ですよ! よく生きていられますね~!(笑)

我々の住む太陽系(天の川銀河)は何千億個もの星の集まり。

端から端迄28,000光年かかるそうです。  (一光年は光が一年間に進む距離で、約10兆キロメートル)

これらの銀河が更に数千億個あり。 一番遠い銀河迄144億光年もかかるとのこと、、、。


気の遠くなる話ですよね。 でももっと凄い話まで物理学は進んでいるのですから。

《超ひも理論》~これによると我々人類の住む現宇宙は四次元宇宙ですが、この次元が十次元まで存在するの
          ではとの理論です。
   とするならば今の我々の観る宇宙の他に、別の宇宙が無数に存在するのではとまで、、、。

物理学はここまできているのです。

(超ひも理論では、素粒子を「点」ではなく一次元の広がりを持つ「ひも」だとする
《ひも理論》(南部陽一郎氏~ノーベル賞)から生まれた理論です。 ※素粒子については、当ブログ宇宙のはなし(2)に記載)

ホーキング氏の言葉通りかもしれません。
しかし、どう考えても宇宙創生は神がかりとしか。

これを神のなせる業とするならば、やはり神は存在するとしか言いようがありません。


神は存在するか否かの論争問題(宗教戦争)の根源は、、、、何事も(神をも)体系化したがる人間の業(ごう)なのではないでしょうか。

キリスト教に、創造主・キリスト・聖霊 は一体との考え方(三位一体論)があります。

もちろん創造主も聖霊(有限~無数に存在)も共に創造霊です。

聖霊は聖書の実質的な著者との見解をとっております。
(実際は、聖書は何人かの人が記載に介入との研究見解がなされているが、、)


聖書(使徒行伝2章1-8節)では、 
キリストが刑死した三日後、弟子の前に現れ最後の教示をし天国に帰る際に、
『私は地上から居なくなるが、代わりに私と同質の創造霊であるところの聖霊が送られてくる。この方が、私が命じたことをしようとするあなたがたを助け、ことをささせていく。それによってあなた方は私がなしたよりももっと大きなことをするようになる』とあります。

  
これって、仏教でいう報身仏に対する考え方と似ていて非なるもの。

仏教(大乗仏教)でも三身仏という仏への解釈があります。

(法身仏~宇宙の真理・真如そのもの)
(報身仏~仏性のもつ属性、はたらき。あるいは修行して成仏する姿)
(応身仏~この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿)


それぞれの神や仏に関する解釈の仕方を比べてみてください。

一神教と多神教と言われるほどに、どれほどの相違点が見い出せるでしょか?


 『いまこの世にある存在のすべては、その宇宙創成時の「対称性の破れ」から生まれた「生き残り物質」の子孫なのである』

これは、あの小林・益川氏が2008年ノーベル賞を受賞した時の受賞理由です。


「対称性の破れ」とは
(宇宙には、同量の物質と反物質があり、互いに対消滅しバランスが保たれているのですが、しかし実際には、物質を構成する粒子より100億個について1個多い程度の微妙なズレがあった為、対消滅が起きなかったとする)


(ちなみに反物質は、ダ・ビンチコードシリーズ2作目『天使と悪魔』の中でバチカンと秘密結社、反物質(凶悪兵器)をめぐるトムハンクス主演のミステリー映画でご存知かと)

ちょっと話が逸れてしまいました!

宇宙創成から数秒、数分後に宇宙を構成する元素が次々と生じ、星が生まれた。

あらゆる物質はこうして奇跡的に生まれました。


「対称性の破れ」により、我々人間も・動物も・植物も・建造物も・岩石までも、、あらゆる物質はこうして創造されたのとのことです。

人間も星のかけらから出来ていると言っても過言ではありません。
~人間生命維持必須元素(主要元素12・微量元素15) 植物や岩石までもその割合が異なるだけなのです。

それらの物質全てに神が宿り、仏が現る、、、宗教者に変わり物理学はそう言っているのではありませんか?

キリスト教でいう精霊と仏教でいう報身仏。

物理学上での宇宙の創生・真理、このこととキリスト教での創造主と仏教での法身仏。

また、この世に生きてきたキリストと釈迦(応身仏)の存在と意味。


どこが違うというのでしょうか?

イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教と兄弟宗教といわれます。

アッラーはアラビア語で《神》のこと。 唯一の創造主。
創造主は同じもの。

坊さんも聖職者もおりません。神の前ではすべてが平等との考え方です。

またイスラム教では、あらゆる偶像を認めておりません。

至極、物理的な考え方じゃないですか!

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・新興宗教、、、等々宗教上の争いは未だ永遠に続いております。

互いに兄弟のように助け合い、生活していた時代もあったというではありませんか!


今や何百年たっても解決は無理、、、との言われ方をされております。

どこでボタンのかけ違いがあったのですか?


宇宙の謎に限らず、私たちのまわりにはまだまだ多くの「自然の不思議さ」が残されております。
究極の素粒子をめぐるミクロの世界、生命の神秘や脳と心の謎などなど、、、。


人知の及ぶところ≪絶対≫はありえないということではないでしょうか。

人は皆、諸々の出来ごとに対し人それぞれの解釈をし、それぞれの信念を持って生きているのも事実です。
でもどこかの時点で、ボタンをかけ間違い、、、そのことがもと(源)で永遠に醜い取り返しがつかない争いが続いているとしたら、、、。

極論ではありますが、≪宗教さえなくなればこの世は平和に≫と訴える人もおります。

もう互いの紛争の解決は出来ないのでしょうか?


銀河宇宙への思い、そこにおけるあまりにもちっぽけな人間、信じることの尊さ、神や仏を体系化してしまった人間の業(ごう)、そして争い続ける宗教上の悲しい歴史、、。

宗教家の方々、、、こんな状況を永遠に続けるつもりですか?

核戦争までいくつもりですか!?

自然発生的に、いや神がかり的に創造された宇宙の真理、、、どう考えても根っこは同じじゃないのですか!。

しっかりしてください!

互いの争いはいい加減、やめようじゃないですか!!