スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

中世最大の反逆者

2015年05月30日 | 雑感
構想45年、あの塩野七生がどうしても書きたかった ≪男≫ だったという。

その著 『 皇帝・フリードリッヒ二世の生涯 』 (上・下巻)を読んでみた。

     

十二世紀末ローマ法王(イノンケンティウス三世)後見のもと、シチリア王にわずか三歳半で即位したフリードリッヒの生涯。

当時のシチリア王国は、現シチリア島のみならずナポリをも含む南イタリアを領土に持っていたという。

≪ローマ法王は太陽で 皇帝は月≫
            と称したのは後にフリードリッヒ二世が反逆するこのローマ法王・イノンケンティウス三世だそうだ。

   

シチリア王国の王であったフリードリッヒが、下図神聖ローマ帝国の皇帝にまで駆け上がる中世とは。 
現代もそうであるかのように、中世も国・為政者・宗教などの思惑が微妙に絡まった複雑な歴史を持つ。

   

フリードリッヒは母方から世襲でシチリア帝国の王として君臨していたが、聖権と俗権は地位は王権(諸国の王)より
上とされていた為、世襲権は認められておらず。 各国でこの聖権(法王派)と俗権(皇帝派)による壮烈な
主導権争いが繰り返されていたという。

ローマ法王はあくまで ≪ローマ法王は太陽で 皇帝は月≫との見方なのだが、フリードリッヒ二世は違っていた。
≪皇帝のものは皇帝に 神のものは神に≫ と世俗主義を貫こうとしていた。 現代版の ≪政経分離≫ だ。


神聖ローマ帝国の皇帝に君臨してからも毅然とローマ法王と対峙した姿は まさに≪中世最大の反逆者≫

ローマ法王の十字軍遠征要請に幾度も延期。約束期日に実行しなかったのを理由に、二度にわたり『破門』。

第六次十字軍で遠征したが外交努力で1229年無血で講和を成立させたことでも知られる。
                                      ≪無血十字軍≫と呼ばれている。

しかし当時は、「異教徒との講和などすべきではない」 などと双方に反対の大合唱が巻き起こったという。


  ( 講和内容より抜粋 )
  ・イスラム側はエルサレムをキリスト側に譲り渡す。ただしエルサレム市内に東側の三分の一にあたる地域は
   イスラム教徒のものとして残し、非武装のイスラム教徒が管理する「イスラム地区」とする。
  ・双方の捕虜たちの全員の交換も話し合う。
  ・巡礼と通商を目的とする人々の往来は、双方ともが自由と安全を保証する。
  ・この講和の有効期間を十年間とし、その後も双方が同意すれば更新する。 ・・・・・・等々。

キリスト教側に巻き起こった反対の凄まじさは、イスラム側の反応をはるかに超えていたとも言われている。
しかも エルサレムを奪回したにもかかわらずだ。  悲しいかな いつの世も変わらないものですね。
 

事実講和成立の1229年~1248年までの二十年間、共生は完璧ではないにせよ継続できたと歴史は語る。

これを破ったのがイスラム側ではなくフランス王のルイ九世だった。 第七次十字軍を率いてエジプトに侵攻した。
しかし、十字軍は未曾有の敗北。捕虜の身に堕ちたフランス王の釈放を願う手紙を送ったということだが、
フリードリッヒ二世はこの1年後に他界。 第七次十字軍については何も書き残してはいないという。

塩野七生が描くヨーロッパ、特に中世を描かせたらピカイチですね。 それにしてもかなりフリードリッヒ二世に心酔・
恋しているようで、逆にすべてこれがフリードリッヒ二世かと、どっぷり信じ込むにも一抹の不安は感じますがね。

≪あばたもえくぼ≫ っていいますからね(失礼)

              でも さすがの筆力にはいつもながら感心します。 一気に読まされました。

塩野さんといえば、結構過激ではあるが的を得た記述で当ブログでも紹介したことがある。
右クリックしてみて下さい。 なるほどザ・ワードⅡ(塩野七生編)

   

発 禁 本 (パートⅡ)

2015年05月23日 | 雑感
 幾度も読みなおしてみました。 アルカイダの教本というだけあって、やはりこの本凄いものでした。 

 どこが凄いって?    そりゃ何が凄いというか 宗教 いや 人間のもつ業(ごう)の恐ろしさ ですよ。 
                この世の人間社会への分析力も 凄い。


    

 写真 クトゥブ思想に共鳴した原理主義者たちがサダト大統領を暗殺、容疑者らは鉄格子のまま法廷に。
 クトゥブは以前当時のナセル暗殺未遂事件首謀者として処刑されたが、今ではその不関与が明白な事実と判明。

 この本には ≪ジャーヒリーヤ≫ という言葉が多く出てくる。

 ムハンマドが神の啓示を受ける以前の時代、及び現代の西洋価値観に支配された状態を指す。
 この無明時代とも訳される ≪ジャーヒリーヤ≫ を反イスラームとして反駁するという。

  (アメリカのあの「9.11」はクトゥブ主義者による ≪ジャーヒリーヤ≫ への攻撃だと言われている)
 共産主義・偶像社会・ユダヤキリスト教社会・アラブ諸国の世俗主義までもジャーヒリーヤであるとする。
  (偶像社会にはインド・フィリピン・アフリカ・そして日本も名指しされている)

   『 万物が「物質」と「自然」から創造されたと信じ、その歴史も「経済」と「生産手段」で形成
    され、他の神々を崇拝し、邪神を祭るため手の込んだ礼拝儀式の体系をも創案した。
    アッラー以外の存在に立法権をも委任してその権威に隷属、それを根拠に彼らのシステム・伝統・
    習慣・法律価値観と基準、すべての生活の実践を導き出す。世俗主義のなにものでもない 』


 クトゥブがアメリカに2~3年滞在していた時アメリカをこんな風にも感じていたようだ。

   『 理性にも良心にも調和しない三位一体、原罪、聖餐、贖罪などの概念を考えてもみよ。
    そして独占、高利貸し、その他の不正に基づいての資本主義を考えてみるがいい。
    利己的、自由主義、法の強制によらなければ維持できない人間的思いやりと家族への義務、
    精神を退化させる物質重視の態度、男女交際の自由という名の野獣的行為、女性の解放という
    下品さ、実践生活の要求に対し不公正で煩わしい維持と離婚にかかわる法律に、邪悪で狂信的
    な人種差別、これらすべてに注意せよ 』
 ・・・と。  これって当たってませんか?

 三章に。 『人の上に人をつくるな』 どこかで聞いたような言葉もある。

 イスラムには ≪ 人間が人間を支配する法則、あるいは人間による人間への隷従に基づいた
         すべての体系と政府を排除することを目指す ≫ という強烈な理念がある。


 ん~なるほど なんて納得してしまう自分がいる。

 しかるにこの本、説教によって努力奮闘して自由のための道を切り開くこともジハード・ビッサイフ
(剣による聖戦)も同じ意義であるなど、随所にその危険思想ともとれる言葉が散りばめられている。


 ≪ アッラー(神)以外に崇拝すべき対象はない ≫との言葉や≪ ムハンマドは神の使徒なり ≫をも繰り返す。

 宗教は恐ろしいとか、原理主義は攻撃的だ 等と言うのは簡単だが、この本を取り巻く深い闇というか、
 内に潜む人間の持つ業(ごう)なるものをもっと知る必要ありととにかく読んでいてそう感じたものだ。


 サイイド・クトゥブは40年間≪人間科学≫分野の研究を続けてきた経歴を持ち、分析力も凄いんです。

 内容ははダーウインの『進化論』批判から科学にまで及ぶのですが、こんな言葉も印象に残った。

   『 人々にイスラムのことを語りかけるのは、人々が我々を迫害する可能性もあるにもかかわらず、
     我々は彼らに友情を説き、彼らの幸福を望んでいるからである。 ・・・・・』


 なぜ 何から この本が生れ なぜ どうして この本から ≪終わりなき戦い≫ が生みだされるのか。

 こういう本を ≪発禁本≫ にしている間はこの地球に平和などは、しょせん無理。 そんな気がした。

発 禁 本 (パートⅠ)

2015年05月20日 | 雑感
思想・風俗・差別などの事由で、発禁処分(発行発売頒布禁止)という方法で人目から隠されるものがある。

世の中表現の自由・自由と叫ばれているが、これも時代によって変化するものなのか。

アルカイダの教本とも言われる 【イスラム原理主義者の『道しるべ』】 という発禁本がある。
あの過激派・アルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンが師と仰いだサイィド・クトゥブなる人の著書だ。


      

図書館でも除籍扱いで読むことが出来ず、札幌市内の書店でも数か所探し苦戦するも さすが紀伊国屋書店。
発行元に数冊残っているとのことで、ようやく発注していただき手に入れた。

(インターネットでは図書館の除籍本も【除籍済】シール付きですが、3割引位(送料別)で手に入ると後日判明)

勿論読んだとて即 ≪IS≫ 行きに繋がるとはなるまいが、持つ手が震えたといえば大げさか。

さて、サイィド・クトゥブ(1906~66)とはいかなる人物なのか ?

オスマン帝国支配下のエジプトでナポレオン遠征混乱の中にアリー朝が生れる。西欧文明による近代化を促進したが、
急速な市場開放で逆に社会に歪が生じ、経済も不安定となり財政が破綻。 英国が植民地支配に乗り出す。

サイィド・クトゥブはその西欧文明化に反発。民主主義を批判しイスラム法にその秩序を求めムスリム同胞団に入り活動。
当時のナセル政権から弾圧・投獄され15年の強制労働を余儀なくされる。 その獄中で『道しるべ』を出版。
反逆罪としてナセル政権により死刑が宣告され2年後に刑が執行されたという。

コーランに ・・・。
『 信者が信者を殺すことは絶対にあってはならない 』<メディナ 第4章女人の章92より>とあるのだが ・・・。

コーランで戦えとするは不信仰者・異教徒だけだが、≪不信仰者のリーダーによる統治は無効≫と反駁した理論を
展開、ナセル大統領は世俗主義者だとのレッテルを張り痛烈に批難し、当時のムスリム社会を霊感させたという。


この思想は18世紀に起こるワッハーブ派の拠りどころとなっていく。

かの過激派≪IS≫なる自称イスラム国はスーニン派にある四学派の中のハンバル学派に属するとのこと。
そしてこのハンバル派を支持するのがワッハーブ派。 このワッハーブ派を遵奉するのがサウジアラビアという構図だ。
とにかくムスリム社会は複雑に絡まっており難解極まりない。

そういえば≪IS≫に参加する外国人は16000人にも達するというが、第一位はアラブの春の先陣をきった
チュニジアの3000人。 次いで多いのがサウジアラビアの2500人だそうだ。 なんとも頷ける気がした。


このような背景でアルカイダの教本と言われる 【イスラム原理主義者の『道しるべ』】 が生れたようです。

この本は、池上彰さんが選んだ『世界を変えた10冊の本』にも選ばれている。
(『アンネの日記』『聖書』『コーラン』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『資本論』『資本主義と自由』
 『イスラーム原理主義の「道しるべ」』『沈黙の春』『種の起源』『雇用、利子および貨幣の一般論』)
 


昨夜から読み始めたばかりなので、その内容については次回パートⅡで記してみたいと思います。 


チューリップバブル

2015年05月14日 | 雑感
咲いた 咲いた チューリップの花が ♪ ・・・ こんないじらしいチューリップの花に奇怪な実話があったという。
1637年オランダに起こった世界で初めてのバブル。 ≪元祖バブル≫と呼ばれている。

トルコから持ち込まれたチューリップの球根が最初は王族や貴族のものであったが、それが一般市民及び
世界の投機筋にまでに波及するや否や価格は急上昇、65ドルで買った球根が直ぐに800ドルにも。


当時の平均年収×8年分位迄に上昇。 珍しい球根は家一軒と交換されるにまでに至ったという。

その後国や裁判所が救済に乗り出したが止めることが出来ず、案の定暴落。
最終的に100分の1になったものもあり、数千人が一文無しとなり国中に破産者が続出したとのこと。

人間の成せる業(欲)って凄いものですね。     近くの公園でチューリップを撮影、このへんが花だ。

  
 札幌・百合が原公園に咲くチューリップが満開だ。       公園内を一周するリリートレイン。廃油でノラリと走る。

  
 園内には日本庭園もある。季節の花々が咲く。        これは中国庭園を模している。

    

    

    

    

    

    
    な~らんだ な~らんだ 赤白黄色 ♪ どの花みても きれいだな~ ♪

    
    ≪クロユリ≫も咲いていた。園内のユリはその殆どが6末~7月に咲くが、クロユリは早いという。

  これ(下図)がそのチューリップバブルの最高値の花のようだ。 
                              (ローマ初代皇帝の名をとり センバー・アウグストゥス)

            

司馬遼太郎のエッセイ 『 司馬遼太郎の風景⑤(オランダ紀行)』 にもこうある。
「 最も有名で高価だったものは、センバー・アウグストゥスという名のチューリップです。ある人物は、この球根
  一つに家一軒と四頭立ての馬車、それに現金二千ギルダーを支払いました 」

                                    (当時の大工の労賃は一日一ギルダーという)

 この縞模様、じつはウイルスが変じたものであったようだ。 人間も≪欲≫とういウイルスに感染したようですね。

   

 公園に咲いていたこのチューリップ。 違うかなあ!? なんて ・・・ 私の欲も まぁ同じようなものか。


アンデルセン

2015年05月09日 | 雑感
≪マッチ売りの少女≫ ・ ≪おやゆび姫≫ ・ ≪みにくいあひるの子≫ ・ ≪裸の王様≫ ・・・ 等々

誰もが知っているアンデルセンの童話 。 あらためて読み直してみているところです。
これがなかなか凄い。  童話あなどるなかれです。  

≪モミの木≫なんかもいいですね。  ある森に立つ一本のモミの木の話なのですが ・・・ 。

     

   若木へと成長したもみの木は、クリスマス飾りにするため伐り倒される。 家の中に運び込まれ、
   飾り付けられる。 楽しい祝宴が終わると用を追え、屋根裏部屋に運び込まれる。
   一人ぼっちになったもみの木は失望する。 春になると今や枯れて変色したもみの木は、
   今度は庭に引き出され、小さく割られて燃やされる運命に ・・・。


そんな話なのですが、このモミの木にこう言わせている。

  『 ぼくは、もうおしまいだ・・・ぼくはなぜ、楽しめる時に楽しんでおかなかったのか。
    今、花々がそうしているように。 おわったんだ、 全部おわったんだ。
    ・・・・・・・・・・
    それに、わたしの話も終わりとなる。 以上で、おしまい。 どんなお話にも終わりがあるものだから 』


こう結ばれたら なんともいえないよね。  しっかり生きなきゃ そう思いますよね。 

あの宮沢賢治もアンデルセンに傾酔していたという。      

そういえば、童話≪よだかの星≫などは≪みにくいあひるの子≫の言い回しやストーリーにそっくりでした。
法華経的とキリスト教的人生感の違いはあるものの、忘己利他思想には共通のものがあるのかも知れません。

もちろん世界に知られているのは童話によってではあるが、アンデルセンは人生の大半が旅から旅であったらしく、
旅行記や小説も多数あり、それに詩歌もあるんですが、これがまた実にいい。


≪臨終の子≫という詩 
          お母さん、ぼく疲れた、ねんねしたいの。
          あなたに抱かれて眠らせてください。
          ・・・・・・・・・・
          お母さん、ぼくのそばにいる天使が見えますか。 
          あのきれいな音楽が聴こえますか。
          ・・・・・・・・・・

こう始まる詩なのですが、なにか泣けてくるような詩も書くんですね。 

なんとか大賞などの下手な小説に騙されず 是非 今一度 アンデルセン。   お薦めです。



ギャンブラーの錯誤

2015年05月06日 | 雑感
最近心理学にハマりそうである。 こんな話がある。

硬貨を放りあげたとき、オモテとウラが出る確率はほぼ半々。 たまたま連続してオモテが出た場合、
人はそろそろウラがでるのではと思ってしまう。
脳はその出る確率はほぼ半々とは理解していてもだ。
  これを≪ギャンブラーの錯誤≫と呼ぶのだそうだ。                                   ロバート・レ・パーク著 ≪ブードゥー・サイエンス≫(邪悪な科学)より

      

こんな話もある。
例えば、潮の干満は月相と関連があるという冷静な科学的な脳が、こんどは星位置が戦況にも関係がある
とする占星術などを作ってしまう。
  人はこんなありもしないパターンを勝手に作り上げる習性もあるようだ。

少し極端かも知れないが、古くには祈祷で雨が降るとかの≪雨乞い≫やら生けにえを捧げれば神の怒りが
収まるとか ・・・・ 。  現代でもそうで、あえて例は出しませんが特に宗教に多いようだ。 

日本の神事や祭事もしかり、私みたいなものでも なぜこんな形でこんなことをしなければいけないの?
・・・なんて感じることもしばしばだ。 

異文化や民族の宗教観の違いやなどは国同士の争いにまで発展し、懲りもなく永遠と続いているのも現実。

人間は旧態依然の 『信じたがる脳』 を持っており、いったん信じれば潔く自説を放棄したり修正したりする
という自己修正機能が殆ど働かなくなってきているという。

信じようとする行為と、それを捨て去る行為を比べれると前者のほうがはるかに強く、また新たに何かを
信じようとする方が、脳にとっては簡単なのだそうです。

古代以来言語の出現と文字の発見で、現代でもインターネット情報などで自分の経験値で信じるより、他人との
関わり合いの中での情報が過多となり、逆に他人に自分の情報を操作される時代になってきているようだ。


≪ギャンブラーの錯誤≫に陥らないよう心せねばならない。

月光と酒あらば

2015年05月03日 | 雑感
中国最高の詩人といわれる 『李白』 ・・・ 詩仙とも酒仙とも呼ばれ、杜甫と共に敬愛される大詩人である。

杜甫が実直・世俗の人ならば、李白は悲運なる生涯にめげず、酒をこよなく愛した自由奔放なる風狂詩人。
現存する李白の詩は千首もあると言われるが、なんとも風雅な詩ばかりです。 

≪ 静 夜 思 ≫                  ≪ 山中与霊人対酌 ≫

   牀前(しょうぜん)に 月光を看る           両人対酌 山花開く
   疑うらくは是れ 地上の露かと             一杯一杯 復(ま)た一杯
   頭を挙げて 山月を望み                我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)しばらく去れ
   頭を下げて 故郷を思う                明朝意有らば 琴を抱いて来たれ


≪ 月 下 独 酌 その一≫              ≪ 月 下 独 酌 その二≫

   花間 一壺(いっこ)の酒                 天若(も)し 酒を愛せずんば
   独り酌んで 相親しむ無し                酒星は 天に在らざらん
   杯を挙げて 明月をむかえ                地若(も)し 酒を愛せずんば
   影に対して 三人と成る                 地には応(まこ)とに 酒泉無かるべし
                                  天地 既に 酒を愛す
   月 既に 飲を解せず                  酒を愛するは 天に愧(は)じず
   影 徒(いたずら)に 我が身に随う
   暫く 月と影とを伴い                   己(すで)に聞く 清は聖に比(たぐ)うと
   行楽 須(すべか)らく 春に及ぶべし         復(ま)た道(い)う 濁は賢の如しと
                                  賢聖 既(すで)に己(すで)に飲む
   我歌えば 月 徘徊し                  何ぞ必ずしも 神仙を求めん
   我舞えば 影 繚乱す
   酔後は 各々分散す                   三杯 大道に通じ
                                  一斗 自然に合す
   永く 無情の遊を結び                  但だ 酒中の趣を得んのみ
   遥かなる雲漢に 相期す                醒者の為に 伝うる勿かれ



酒に絡む詩が実にいい。 余程酒が好きだったのでしょうか。
それにしても月をさかなに酒を呑むなんて、粋ですねぇ。

『 酔後は天地を失い 忽然として孤枕に就く 吾が身 有るを知らず 此の楽しみ 最も甚だしと為す 』

私も仲間とたまに呑むのですが 、風雅どころか あっちが悪い こっちが痛い の話ばかりだ。
                                          あっこれは私だけか(失敬!)

    

   李白には、舟を浮かべて湖面に映る月を追い求めて亡くなったという伝説もあるという。


May (2015)

2015年05月01日 | 雑感
早いものでもう5月。 札幌・百合が原公園内に咲く花をハンディカメラですが撮ってみました。(2015年5月1日)

  公園内の桜は数本しかないのですが、どれも見事に咲いておりました。
  

  

  

  

  

  真っ白いモクレンも真っ盛りです。
  

  

  赤いモクレンもあるのですね。
  

  黄色い花は、モクセイ科のレンギョウという花だそうです。
  

  チューリップはもうすぐかな。
  青いムスカリはもう咲いておりました。

  

  ムスカリの花はブドウの実のようで、ブドウヒヤシンスの別名を持つそうです。
  

  6月中旬になると、この藤棚がことしも咲けるや。
  

  このふじの花は昨年(2014年)撮ったものです。  
    


読書三昧(26) 梅原 猛 著 『法然の哀しみ』

2015年05月01日 | 雑感
哲学者・梅原日本学ともいわれる梅原 猛氏の代表作でもある 『法然の哀しみ』 を読んでみた。

善人尚ほ以て往生す況や悪人をやの事 (口伝これあり)。  私に云はく、弥陀の本願は自力を以て
  生死を離るべき方便ある善人のためにおこし給はず。 極重悪人、無他方便の輩を哀みておこし給へり 』

                (法然の愛弟子・源智の書いた 『醍醐本』 と呼ばれる法然上人伝記より抜粋)

親鸞の 『歎異抄』 にある言葉とばかり思っていたのですが、法然のパクリだったのですね。(親鸞さんに失礼か)
                     
平安末期から鎌倉時代初期は、源平の内乱状態・飢饉や天災火災疫病が蔓延する魑魅魍魎が往きかう時代。

鎮護国家の巨大な権力を補完する役割を担い、財力や教養ある貴族や知識人を救済の対象に、庶民の救済
は二の次であったようだ。  法然の易行念仏思想とは、そんな既存の仏教に対する否定でもあったという。


この法然の凡夫・悪人・平等往生の思想はどこからくるのだろうか、梅原猛氏はこう語る。

『法然が15歳の時、父母とも殺害された、このことが決定的に法然の人生感を左右したのでは』 と。

その父・時国は押領使であり、血なまぐさい争いの当事者でもあったようで、源定明という人物に殺害される
のですが、不思議とこの殺害犯が罰せられたという話はどこにも存在していないという。

押領使とは当時衰退の律令制強化の為に、それを乱す悪党を統制する為に設けられた悪党の中から選ばれた官僚で、騙して領土などをかすめ取るなどの悪行三昧が、その当時の押領使のやり方であったようだ。
ちなみに、後世にいう≪横領≫という言葉は、この押領使の「押領」から転じた言葉であるという。

『悪いのは父・時国の方にあって殺されたのでは』  との梅原氏の推論だ。

『そう思わないと法然がもっぱら悪人を救済しようとする宗教的情熱は説明できない』
というのだ。

山田繁夫著 『法然と秦氏』 という法然の出自と秦氏に関し詳細に調べ上げた著書があり読んでみた。

それによると、法然の出自は渡来系民族・秦氏であるとのこと。(秦氏の祖は朝鮮半島の新羅からの渡来人)

この秦氏一族というのは、鍛冶や陶器・養蚕・はた織物・漆器・雅楽など日本の伝統文化の基礎を築いた
ことでも知られ、陰陽道や修験道の祖として山岳信仰ネットワークに深く関わってきた一族。

各地にある<一つ目小僧>の伝承は、鉄や水銀の精錬(タタラ鍛冶)に従事する職業病を暗示したもののようだ。

             
             ≪比叡山東塔に掲げられた一つ目姿の慈忍和尚≫

これらの金属資源を求めて、諸国の山岳地帯を渡り歩いた秦氏ら渡来系の人々が、修験者・山岳信仰に
結びつき、比叡山などのいわゆる山の宗教のネットワークを作ったともいわれる。


加賀白山にある秦氏出自の泰澄が開いた山岳修験信仰もまた新羅の白頭山(ペクトサン)信仰を伝えたもの。

我が仲間に白頭人と名のるハンドルネームを持つ人がいる。 この方の出自は後醍醐天皇の末裔だと自称する。
そういえば後醍醐天皇の南朝樹立の背後にも秦氏や修験道がいたのは確かなようですが。  ん~!?

朝鮮半島からの渡来は弥生時代に始まるといい、4~6世紀には高句麗に侵略された百済や新羅の人々が
続々と渡来するようになる。 7世紀に入ると今度は唐が新羅と連合し百済を攻める。日本は支援のため軍
を派遣するが敗退(白村江の戦い)。 連合軍はさらに高句麗をも滅ぼし、新羅が朝鮮半島を統一した。

この時期にも百済や高句麗から亡命者が続々日本に渡来し各地に分散したようだ。

役行者・行基に加え、なんと最澄や空海までもがその出自は朝鮮半島渡来系と言うではないか。
これら秦氏・漢氏・賀茂氏一族ら朝鮮半島からの渡来人が日本文化を牛耳ってきたのは事実のようです。 

日本は朝鮮の領土だ なんて話にならなければよいが ・・・ 。 でも ありえる話なのかもしれませんよ!?

いや~長くなってしまいました。 ごめん。

            南 無 阿 彌 陀 佛