スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

読書三昧 (3)(司馬遼太郎)

2011年09月24日 | 雑感
司馬遼太郎の作品を一冊
司馬遼太郎は生涯膨大な書籍を著し、現代人に多大な影響を及ぼした作家で
特にバブル期におけるサラリーマンに人気がありました。

空海の風景 

平安時代の天才宗教家・二人の仏教思想・関わり合いを通し描かれた作品で、
司馬の仏教に対する造詣の深さに感銘をうけます。

桓武天皇の命で、空海と最澄は唐の国へ遣唐使として留学。
第一船には空海・第二船には最澄が乗り込みました。
第三・第四船は途中難破。当時としては命がけの留学でした。

二人は、同時期に唐の国で密教他を学ぶのですが、最澄が先に日本に戻ります。
空海は約3年で日本に帰国。

(当時の遣唐使の契約は20年であり、契約違反は死罪との厳しさでありましたが、
 密教における師であった青龍寺の恵果が亡くなったこと等も起因し、特別な許可
 による短期間での帰国であった。)

最澄は一年にも満たない短期での帰国でもあり、学んだ密教は当然空海が一枚上。

密教とは、心の中にある秘められた宇宙(慈悲の心)を導きだす修法。

帰国後、最澄は空海に弟子入り入門することとなります。
(最澄は空海より当時の僧としての権威も年齢も上ですが、そこが最澄の偉いところ)

しかし、最澄の学ぶのはあくまで文章修業。空海の目指す実践修業に合致せず。
ある時、最澄は密教の根本経典である『理諏経』借用要請をしますが、空海は
それを拒絶します。
その時期同じくして、空海のところへ入門していた泰範(最澄の弟子)が空海に
心酔し、最澄のところへは戻ってこなかったことも重なり、、、空海と最澄の間に
確執が生まれ、絶交に至ったのである。

以上の様子が司馬の仏教解釈と併せ、余すことなく描かれております


尚、空海における唐に渡っての足跡では  『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』
~夢枕獏の著作があります。長編ですが、獏さんの作品なので読みました。
唐の国で鬼とあい対峙する空海の姿を、空想も交え面白く描いている作品です。

夢枕獏は御存じ(陰陽師)シリーズでお馴染みの作家で、釣り等多才な方。
今度は唐から帰国した空海の姿を描きたいとのこと。期待したい。

獏さんの作品では、他に
『神々の山嶺(いただき)』という作品がお薦めです。  
わが山岳会局長からの紹介で読んでみました。
エベレスト無酸素登頂を目指した主人公のスぺクタルな読みごたえのある名作。


空海が24歳の時に著した
『三教指帰』(さんごうしいき)があります。

儒教・道教・仏教の三つ比較論で、その中で仏教が最も優れているということを示した書物ですが、その文章力といい深い知識といい、正に天才としか言いようのない筆力があります。
書にも優れ、三筆(空海・橘逸勢・嵯峨天皇)とも呼ばれておりました。

空海というと、四国霊場八十八ヶ所のお遍路が有名ですね。

阿波(徳島)で発心・土佐(高知)で修業・伊予(愛媛)で菩提・讃岐(香川)で涅槃入る
これって出来すぎですよね。きっと江戸時代に誰かが作ったのでしょう。

八十八ヶ所は当初九十ヶ所以上あったようですが、最終的八十八ヶ所(ハ十八の煩悩に由来とも言われる)にまとまり、江戸時代に入ってから急激に人気を博し、現在に至っているとのようです。
お遍路の経験ありませんが、十数年前に高野山に足を運んだことがあります。

高野山はユネスコ文化遺産に登録されており、空海真言宗・総本山金剛峯寺や
弘法大師が眠る奥之院御廟がある山岳信仰の聖地です。

海抜千メートル。 敷地は東西6キロ・南北3キロもあり、森林に囲まれ、
修業の場(根本道場)にふさわしい凛とした雰囲気のあるところでした。
(現在は電車・ケーブルで登ることができ、敷地内はバスもでているんですよ)

とある宿坊に2泊3日宿泊し、瞑想等(座禅のようなもの)も体験しました。
(当然、まったくもって悟りにはいたらず、、、でしたが)

宿坊で一人の若い僧(部屋にお膳を運んでくれた)と話す機会がありました。
(実は、私の意地悪な質問に答えてくれたのであるが)

ある宗教団体の悪口を延々と語り始めたのである。

“ん~!”、、、人生いろいろ、、僧もいろいろ、、、だなあ。

と思いながら食事をしたことを、鮮明に覚えております。


でも、とっても熱い語り口でした。


あの時の僧は、、今頃どうしておられるのでしょうか?


桃太郎物語

2011年09月23日 | 雑感
太平記って聞いたことありますよね。
楠正成・足利尊氏・新田義貞が出てくる南北朝時代の軍記物語です。学校で習いましたし、映画やDVDも、、、。

でも、《梅松論って名前も知らない人が多いんじゃないでしょか?実は私も知りませんでした。
足利尊氏寄りの視点で書かれた、これも軍記物語です。
戦った同士は、同じ条件では取り上げられない。、、、これが現実

世の中、体制側のいいように静かに且つ、必然的に変容していくのが常です。

楠正成は天皇の為に殉じたヒーローとして
皇居前に大きな像になっております。

楠正成が招いた後醍醐天皇が復活し、建武の新政をスタートさせました。

正成像のそばに、室町幕府初代将軍・足利尊氏像があったら大変なことになります。

あの《日本書記》だって、天武天皇以前の日本のルーツ自体が、書き換えられる
までに、、大きな謎があることは承知の通りです。
タイトルにある桃太郎伝説~これも実は同類

ご存じ~桃太郎が猿・犬・キジ・を従え,鬼が島の鬼を退治する物語です。

全て実際に存在した話のようです。

雄略天皇の時代、大和政権・吉備一族が抗争していた頃です。

桃太郎は吉備津彦命 ・ 鬼は 温羅(うら)・ 猿は楽々森彦 ・犬は犬飼 健
・キジは留玉臣 

吉備一族も制圧する側にあったり、屈服する側に回ったり古代の軍事的存在も
かなり変容していたようです。

江戸時代にはいってから、桃太郎物語は生まれたようです。

桃太郎は体制側、鬼は反逆するもの。

歴史は作られるってよくいわれますが、どのような構図でつくられるのかしっかり、、、。

物語・伝説に騙されてはいけません。 
それ以外のものにはなにとぞ寛容に、、、!?

仏教談話 (1)(法事の起源) 

2011年09月22日 | 雑感
法事の起源

中国の南北朝時代民族宗教がさかんな頃、「十王説」という話がありました。

人が冥途に往くとき、十人の王(裁判官みたいなもの)が、その罪の度合いにより、天国から
地獄への段階をすみ分けしていたといいます。

そのことが唐の時代になり、仏法が乱れ、王に対し金銭等を積むことにより罪の度合いを免除
する、といった方向に捻じ曲げられていったのです。
この悪習が日本・江戸時代に取り込まれるに至った。

これが法事の起源と言われております。


法事については、もともとインドでは初7日忌・49日忌迄しかありませんでした。
(49日は、あの世とこの世の境目、中有あるいは中玄といいます)
それ以降はあの世へ往ってしまいます。

仏教においては、もともと霊魂は存在しないはずなのですが、その後中国に入り
100ケ日・1周忌・3回忌となり、
日本国に入ってから7回忌・13回忌・33回忌等が新たに追加されるに至ったのです。
50回忌もあるようです

現在仏教における法事は、何回忌何回忌などと何の疑いもなく、執り行われております。

他界した方を忘れない為にこれからも必要なこと?
人間の利害をも取り込んだこのような慣習は、一考する必要あるのでは?

との二通りの考えがあるのも事実です。

賢治の声聞

2011年09月19日 | 雑感
何年か前に

東北を旅したことがある。

岩手の宮沢賢治記念館にも足をのばした。
記念館は大きな敷地(公園のような)を有し、結構な人が集まってきていた。
賢治が他界してから、そうとう月日が経っており、現在でも変わらぬ人気があることに
驚いたほどである。
館内では、賢治の童話映画が日々上映されているとのこと。
当日は『注文の多い料理店』が上映されていたので、どんなものかと入館した。


注文の多い料理店は、日常人間は動物の肉を食し生きているが、この童話はその逆。
動物に人間が食される怖さを通し、人間の業と思い上がりを厳しい視点で表現していた。

賢治の童話はどれも凄い。強烈である。そしてやさしさも。

なめとこ山の熊
もしかり。熊うちの小十郎が熊を殺すことで一家を養う。殺すほうの小十郎も
殺されるほうの熊も、、。
小十郎は、母熊と子熊が月光を浴びて会話を交わしている和やかな光景を見て、鉄砲を撃たなかった場面など、、。
この作品の最後の場面では、人間が熊の霊を天上に送り還す熊祭りの
代わりに、熊たちが小十郎の霊を天上に還す儀式の場面で終わる。
小十郎の「熊ども、ゆるせよ」という最後の言葉。
なんと切ない苦しみと悲しさ!

賢治作品は凄いとしかいいようがありません。


賢治には最愛なるトシという名の妹がおりました。
その妹は若くして病に倒れ、他界してしましました。
春と修羅という詩があります。賢治の唯一刊行された詩集です。
その中に、『永訣の朝』というトシを悼む詩があります。

トシが他界する日の朝、トシは賢治に“あめゆじゅとてちてけんじゃ”と懇願します。
あめゆじゅとは雨雪のこと。とてちてけんじゃはお国なまりで、
とってきてという意味です。

トシは、賢治がとってきてくれた雨雪を口に含み、死んでゆくのです。


・・・・・
ああとし子

死ぬといふいまごろになって

わたくしをいっしゃうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ


・・・・・
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)


祈りの詩として心に響きます。


賢治は、仏教特に法華経に心酔しておりました。
法華経の真髄・実践を、童話・詩を通して訴えかけているのです。

生と死をこれほどまでに厳しく見つめた稀有の人でした。
 (賢治の世界は、素粒子・岩石・地学・農業・植物・動物・宇宙と幅広い)

“正しく強く生きるとは、銀河系を自らの中に意識して、これに応じていくことである”
                                       『農民芸術概論綱要』

真っ暗闇の夜空・銀河系宇宙を
『よだかの星』のよだかのように、凛として進んで行きたいものですね。

読書三昧 (2))(藤澤周平)

2011年09月18日 | 雑感
時 代 小 説

ここ2~3年ですが、時代小説にはまっております。
現代劇とは違い、ロマンを感じるのは私だけでしょうか。

藤澤周平作品 四編 をお勧めします。

武家もの・市井ものの作品があるが、どちらもすばらしい。

海鳴り

紙問屋の主人公 すでに老境にさしかかった小野屋新兵衛。
身を粉にしてむかえた四十代半ば、放蕩息子と疲れた妻。
家庭に忍び込むすきま風。
そして人生に意味を与えてくれる人(おこう)との出会い。
老境の悲哀と、そこのさしかかった小さな希望(光)。

単行本上・下刊長編。 名作です。


『蝉しぐれ』

無残な父親の死を背負い、少年から大人へと成長していく主人公文四郎。
おふくとの心の交流。

最終章は単行本刊行時に加筆修正されたとのこと。
この最終章がまたいいのです。

藤澤周平の作品には救いがあるとよく言われます。

藤澤氏の生まれ育った環境も決して恵まれたものではなかったようです。
父の死・長兄の破産。教師を志すも肺病の為半ばで断念。最初の妻の死。
業界紙記者としての下積み。
やさしさ、そこからくる救い、、、読んでいて一時でも穏やかな気持ちになれます。



『用心棒日月抄』(凶刃)

用心棒日月抄シリーズの第四弾目(凶刃)。シリーズ最後の作品。
今回は用心棒の仕事はなく、一つの長編作品となっている。
16年ぶり、江戸への公務で登場。
藩の重大な秘密にまつわる展開の中での、女性(佐知)との別れ。


藤澤作品には魅力ある女性が多く登場します。
この佐知という女性もそうですが、映画で有名になった『武士の一分』に登場する
壇 れい扮する女性もしかり。
『武士の一分』は藤澤作品『隠し剣秋風抄(盲目剣つばめ返し)』の映画版。



橋ものがたり(約束)

幸助とお蝶の5年前の約束。
橋を舞台に展開。
事情あって一度別れ、5年後に橋のたもとでの再会を約束した。
幸助は時が過ぎても待つが、なかなかお蝶は現れず。
お蝶は遅れてやってくるが、お蝶は昔のお蝶ではなくなっていた。
月日がお蝶を変えたのである。

再会後の二人の会話もすばらしい。


市井ものの作品で、(約束)は橋ものがたり第一話です。
藤澤作品は短編ものもすばらしく、傑作です。



《 参 考 》

他、時代ものでは、山本周五郎 『歳月』 も重厚な内容で傑作です。
この「歳月」はあの高倉 健さんお勧めの一冊でした。
健さんは、意外(失礼!)にインテリで、読書好きでもあるのです。

そうそう、健さんもう80歳にもなるんですよ~!

待っていた甲斐があり、来年《あなたへ》という映画のクランクインに入るそうです。
6年ぶりの復帰ですよ! 
銀幕でどう覚悟を観せるか、今からもう楽しみなんです。
あっ!ついつい話がそれてしまいました。
生粋のファンなものですから、、、。


健さんの作品も三冊紹介します。時代ものではないですが、(エッセイ作品)素晴らしい優しさにあふれた
作品です。
  『あなたに褒められたくて』 『南極のペンギン』 『旅の終わりに』の三冊です

また、時代もの作家・宇江佐 真理(うえざ まり)の 『雷桜』 (らいおう)もお勧めします。
私事ではありますが、私の中学校の同級生なのです。
当時から、国語が好きな才女でした。

スノーマンとのロマンス?? 
ん~ どうかな~?!

「雷桜」は先般映画で封切られた原作でもあり、宇江佐の代表作。
蒼井 優(あおいゆう)主演の映画です。
時代もの・日本版「ロミオとジュリエット」素敵な淡い恋物語です。

宇江佐は、時代もの短編集「深川恋物語」で吉川栄治文学新人賞をとっており、髪結伊三次捕り物余話
シリーズもあります。

宇江佐はコラムでも、影響受けた好きな作品は、ここで取り上げた藤澤 周平の『海鳴り』をあげております。
是非『海鳴り』目指して、今後も素晴らしい作品をと期待しております。



美味放浪記 (1)(おいしいお店)

2011年09月17日 | 雑感
美味しい2つのお店(木古内町・札幌の各店)の紹介です。

まずは、木古内町(上磯郡)の寿司の名店から紹介しましょう。

清本鮨】~木古内編

木古内町はあの厳寒での「みそぎ祭り」で有名な町である。

店主は、さとるちゃん! 還暦を迎えたが、元気で明るくさわやかな人柄!

もちろん、奥様も元バスガイド、美人である。

店主、高校卒業後お店を継ぎ、早43年にもなる寿司の名店

当時は、高橋英樹似のハンサムボーイ (いや今でもである!~強調!)

新鮮な、にぎりはもちろんのこと、、 宴会料理も絶品である。

実はスノーマンの親友(高校時代の同級生)なのである。

函館観光・松前の桜見物・木古内みそぎ祭りの際には、是非!!

  宴会は(50名迄)収容可 ・ JR木古内駅から徒歩5分


農家の息子別邸】~札幌編

産地直送の北海道産野菜をふんだんに使った料理は絶品である。

なんといってもトマトジュースには感動した
(必・注文逃すでないぞ!)

もちろんトマトを使ったパスタもよろしい。

コースもあるが、単品で予約しておくのもいいのでは。

お店の雰囲気ももちろんのこと、お店の人たちもとっても感じが良い。

恋人同士・家族づれ・女子会にいかがかな。

地下鉄東西線西28丁目駅徒歩5分。

詳細は下記を、、、メニュー・クーポンも。
農家の息子別邸はここをクリック

日光街道歩き旅雑感

2011年09月17日 | 雑感
日光街道を徒歩で旅をした

3年前のことである。
東京日本橋から日光東照宮までの144キロの旅であった。
次には歩いたところ迄電車で行き、そこからまた歩くといった形。
5日間で踏破した貴重な経験をした。
平均一日28キロ。
ちなみに
江戸時代の旅は、平均で男は一日29キロ・女は21キロとのこと。
きっかけはと言うと
仕事の先輩・親友でもある、だいさんの影響であった。
ある時、だいさんから東海道歩き旅の話を伺い、よし何かやらねばと思い立ったのである。
ちょうどその頃松尾芭蕉にはまっていた時でもあり、北千住からの芭蕉「おくのほそ道」も
日光街道通り(途中若干異なるものの)と重なることでもあり、やってみようと発心したのであった。
今やなつかしい貴重な経験として心に残っている。

つい先ほどそのだいさんから電話をいただいた。
元気な様子で
全国 五街道歩き旅、あと残すところ奥州街道のみとのことであった。

すさまじい気力である。
今や離れた東京に在住。
是非お会いしたいものである。


また尊敬する(ん!)先輩に百名山踏破し、世界100ヶ国を目指している方もいる。
自分は昨年末、病で倒れ、退院したものの、常に体力回復に気遣っていただいている
大切な山仲間そして友もいる。
怠惰な自分には、刺激を受けることばかりである。

恵まれた環境・仲間・友に感謝しなくてはならない
 

読書三昧 (1)(檀一雄)

2011年09月17日 | 雑感
檀 一雄著書 おすすめ三冊

無頼派作家・破滅型作家と言われ、同世代親友に坂口安吾、太宰治等がいる。
娘には女優 壇 ふみ。


火宅の人

旅を友とし、殆ど自宅には寄り付かなかったようである。
破滅型作家と言われて世間の常識からは程遠く、家庭をも顧みず自由奔放な人生を
生き切った自らの姿を私小説として表現。
同じ生き方は到底出来ませんが、その生きざまは日々怠惰な生活に明け暮れている
我々、いや私には見習わなければならない一筋の光を感じます。

小説の中で、主人公である桂(檀)の次男の入院で、病院に見舞いに行こうとするのですが、
直接会うことに躊躇いがあり、病院近くの暗い夜道から次男の寝ている部屋に向かって
手を合わせ、祈る姿が印象的。

人間祈るしかない時もあるものですね。

檀一雄は、この小説の執筆途中で病に倒れ、小説の後半は病院のベッドで口述筆記にて書き上げたものです。

この私も昨年暮れから3ヶ月間、大病で入院。放射線、手術と、病院のベッドでの生活を余儀なくされた
苦い経験がありました。ベッドで“ああ人間ってこうして死んでいくのかなあ”なんて考えたこともありました。

檀はこの小説を書き上げ、まもなく他界したのですが、ギリギリまで麻酔を使わず
頑張ったそうです。
 
 
辞世の句は  

《 もがり笛 いく夜もがらせ 花に逢わん でした。
  もがり笛とは、ひゅーひゅーと吹きすさぶ風の音。
  きっと入院のベッドの外から聞こえていたにちがいありません。


いったい誰に?何に逢いたかったのでしょうか? 

リツ子その愛・その死

壇 一雄の先妻リツ子との生活・真実の愛があますところなく書かれている。
そのリツ子は、病に倒れ死に至るのですが、その最愛なる妻の死は(重いハンマーで打ちつけられたよう)と
語っております。
最後に、主人公(檀本人)と息子の太郎が、リツ子の葬式の後その骨壺を膝にかかえ、風吹きすさぶ中、
おにぎりを頬張る姿が印象的。

生きることとは、、、。
生きることへの貪欲さ、魂を鍛える力のもちようを考えさせられる一冊です。



真説 石川五右衛門


ご存じあの石川五右衛門です。

エツ!?檀 一雄の作品にこんなのがあるの?と思われますが、実はあったのです。
もう絶版になっており、書店には並んでおりませんが、、、。
図書館であるやいなや。私もたまたま図書館で何年か前に読んだものです。

この『真説 石川五右衛門』はあの直木賞受賞作品なのです。

檀流に五右衛門を表現しており、まさに檀が五右衛門の如く動き回った感がする面白い小説です。

檀が五右衛門に小説の中で言わせている一説があり、凄いといまだに記憶している一説があります。

周囲の人が五右衛門に対し、《悪の限りを尽くして夜眠れない時もあるでしょうに》
との問いに対し、五右衛門はこう答えます。

《 たとえ365日寝れなくとも生きてみせる 》
と言いきっているのです。

檀 一雄が小説の中で五右衛門に言わせているのですが、それにしても
すさまじい言葉ですね。


他に著作多数あり。 処女作花匡(はなかたみ)』名作です

花匡は、青春の煌きを見事に表現しており、かの三島由紀夫が絶賛したほど。

檀 一雄は詩人でもあります。

 壇 一雄は料理もプロなみで、旅には必ず包丁・まな板持参していたようです。
「壇流クッキング」「美味放浪記」等料理紀行文の著作も数多くあり。
ちなみに息子の壇 太郎「新壇流クッキング」その妻晴子「壇流クッキング入門日記」もあり一読されたし。

料理好きになること間違いなし


銀河宇宙の旅余談(山仲間)

2011年09月17日 | 雑感

山岳会メンバーと銀河宇宙の旅の話をした

メンバーの一人(白頭人)は、日本百名山を踏破し、世界百カ国の旅に挑戦中の自由人である。
現在100ヶ国を超えたあかつきには、メンバー全員で〈銀河宇宙の旅〉に往こう(この字を書きます)!
との話になった。

《所詮、メンバー全員はこの世で善行ばかり積んでいるわけでもなく、天国に往ける かどうかは??
であり、かと言って地獄には往きたくないとの意見多数で決まったのである》

銀河宇宙は、遥かかなたは135億光年とも言われているが、どこの星を目指すかは白頭人に全権委任。
例の小惑星探索機(はやぶさ)も今やイオンエンジンを使用で値段も高く、鉄道を使用するということになった。

「銀河宇宙の旅」計画のはじまりです。

全員で一緒に往ければいいのですが、これもまた人生ままならず。
先に往った人は途中下車し待つことになったのです。
(途中下車で待機する星も白頭人が探し、出来ればメンバーの希望でもある温泉があ り、雪見酒も出来るいいところ)

その時まで、お金は貯める必要はないが、健康には充分留意し、せめて列車内での
酒を飲む体力だけはつけておく様にとのこと。
それから肝心なのは、ボケて銀河列車を乗り間違えのない様に。

夢物語とお思いでしょうが、最も現実的な可能性100%の夢なのです!

銀河宇宙の旅は白頭人のホームページを参考にして下さい。
上記ホームページは笑岳会メンバーの一人(事務局長)で、日本百名山・海外登山・海外、国内行・料理等幅広く掲載している~宇宙欄は、ブログ欄の2011/2/7日 分に掲載されております
     

山仲間6名での黒岳登山


生憎の小雨模様の中、山岳会会長の決死の覚悟での決行宣言。(いつもは撤退宣言ばかり?)
メンバーが言う、我々は〈撤退する勇気は十分だが、決行する勇気がほとんど無い〉と。正解である!

せっかくですので、我会の紹介を少し。

わが山岳会はメンバーは正確には何名いるかも不明で、
山行・温泉・酒宴等不定期に集合している会である。
一応、山岳会(笑岳会~スマイル・マウンテン・クラブ)と名乗っている。

会長はメンバーの安全を絶対視し、めったに決死の覚悟での決行宣言はいたしません。

事務局長は海外の旅でほとんど日本にはおらず。先日も行先不明で大騒ぎになったほどです。
局長は以上の状況なので、最近頭角をあらわしている、みんみさんが局次長を担っております。
(局長は、今夏に行ったアポイ岳で足をつる等めっきり、、、これ以上は言えません)
、、、その後、私もギックリ腰になるなど上記の如く言える立場になく反省!~この行を慌てて追加しました(笑)。

個性が特筆しているメンバーがそろっていて、珍道中が多いのですが、これからも記憶に残る楽しい山行・旅・酒・温泉を続けていきたいものです。

メンバー全員それぞれ心根のやさしい人ばかりであります。 (よいしょ!!)

黒岳の話を続けましょう。
小雨の中、黒岳・無事登頂するも
、頂上は突風で
休む場所もなく、昼食済ませるや否や即下山。当日は層雲峡温泉に一泊での温泉三昧!


しかし、湯につかり夕食をとるやいなや、疲れと、ほんの少しの酒で早くも寝てしまう始末。
めっきりメンバー全員の酒量が落ちており、スタミナも今後の大きな課題として残りました。

課題解決は無理ですかね~! 無理でしょうねえ~

旭川から駆けつけた安ちゃんも加わり楽しいひと時を過ごしました。


当該山岳会では稀にみる小雨決行の山行であった。