スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

どうもおかしい教科書検定

2015年04月07日 | 雑感
今朝の道新に 中学教科書検定のことが掲載されていた。

文部科学省が、政府見解に基づき従来は認めていた表現について修正を求めたという。

その中で、≪北海道旧土人保護法≫(1899施行)についての記述修正(下記)はどう考えてもおかしい。

【従来の記述】 
        狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。                  
【修 正 後】 
        狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。

まったく正反対への修正ではないか。  当然、北海道アイヌ協会や有識者からも批判が相次いだ。

  『歴史の全体像を抜きにして、該当部分だけ修正して記述するのであれば、間違った歴史認識を
   子どもたちに教えることのなる。承服できない』 

                                   (北海道アイヌ協会阿部副理事長)

  『北海道旧土人保護法に至ったプロセスが書かれていなければ、アイヌ民族が事実上、土地を失った歴史
   が分からない。教科書のページ数の制約があるとはいえ、言葉がたりない』

                                   (北大アイヌ・先住民研究センター落合準教授)

確かに同保護法が困窮者対策として施行されたのは事実で、その内容を法的に解釈して上記の記述にまで
及んだと主張するが、和人への同化を迫ったとの批判も多い同法でもある。


≪歴史は勝者によって作られる≫を鵜呑みにさせる教育はいかがなものか。首を傾げざるを得ない気がする。

中学生といえば、これからの日本を背負う人達だ。 

もっと歴史を多面的に考えられる教科書であってほしいものである。

以前韓国の歴史教科書を読んでみたことがあるが、なぜ歴史を学ぶかという序章に15ページもの記述があった。
それと比べ日本のそれは、ほんの1~2ページほどだったのを記憶する。

勿論、韓国の教科書内容には首を傾げる記述も相当あったが、日本は≪歴史をなぜ学ぶか≫の点では劣る。

     
   ≪シャクシャインの戦い≫~1669年・当時の松前藩に対してアイヌ民族が蜂起した戦い。

東北の勇者・阿弖流為(アテルイ)と同様、弱者は歴史の彼方に忘れ去られる運命なのだろうか。

当ブログ東北の伝説の勇者・阿弖流為(アテルイ)


不思議な法律

2015年04月07日 | 雑感
柳橋博之著(東大教授) 『 イスラーム家族法 』 という本を読んでみた。

800ページにもわたる分厚い本で、婚姻・親子・親族関連に関しての法律が書かれている。

イスラム世界の大部分の国は、その法の領域からいうと欧米法がほぼ継受されているようだが、
家族法の領域に関する限りは、多くの国においてイスラム法が比較的忠実に踏襲されているという。


    

   欧米諸国のメディアでは厳密な区別はされず、どれも(つまり、顔を覆い隠すブルカやニカーブ
   顔を隠さないヒジャブなどを区別せずに≪ブルカ≫と呼称されることが多いという。


コーラン第24章第31節にある 『 女性が男性に見せてもよいとされる(露出している部分)』 ・・・とは。
目と鼻? 顔と手? 足(脚)と指?  適齢期になったらどうする?  眼だけ見て相手を決めるの?

これが学派によって異なるというのだ。 

イスラム学派は大きく分けるとシーア派とイスラムで9割を占めるといわれるスーニン派。

しかしこのスーニン派だが、その発祥地や慣行・啓示法源の解釈などのより幾つもの学派が生れてきた歴史
があり、その中で喧々諤々持続正統派と認められるに至り、四つ学派に絞られてきたようだ。


 ● ハンバル派~サウジアラビアに多い          ● マーリク派~北アフリカからサハラ以南に多い
 ● ハナフィー派~エジプト、シリア中央アジアに多い    ● シャーフイフィー派~東アフリカ、東南アジアに多い

シャーフィイー派とハンバル派は男性が女性を見ることが困難であったり、こっそり見る場合は誰か身近な女性に
頼んで相手の女性を見てもらい、その報告を受けることができるともいわれる。

ハナフィー派においては、求婚した後相手の女性から承諾を得られると確信した場合のみ可能というのだ。

マーリク派も同様だが、じゃ求婚を伝えるだけでいいのか。 それじゃ安易に許すことになるので承諾が
必須だという少数派もあるとのこと。

女性の承諾を得る必要はないという考えのハンバル派もあるという。 

これだけじゃない。 この家族法には婚姻・婚姻の解消・親子親族関係に至るまで詳細に決められ
これらの法律は、四つの派によりそれぞれ異なる解釈がなされているのだ。
 

解釈の幅が 広いというのか 狭いというのか ・・・ どうも摩訶不思議な法律に感じた。
異文化・文明・歴史を理解・尊重することが肝心 ・・・ と人は簡単に言いますがね。