スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

読書三昧 (11)夢枕 獏著 『シナン』

2013年05月18日 | 雑感


つい先日女優・中谷美紀さんが、夢枕獏の本『シナン』を片手にトルコ・イスタンブールを旅する番組がBS放映されておりました。

シナン、、1588年永眠するまでトルコ・イスタンブールで477もの祈りの場所とモスクを造って、100歳を生き抜いた偉大な建築家とのこと、、、実は初めて聞く名前でした。

昨年、わが山岳会局長(100ヶ国超を旅する自由人)からトルコの建築物は凄いと聞いてはいましたが、今回放映されていたドーム型モスクなど、幾何学文様等その建築様式・内覧のなんと素晴らしいこと、、すっかり魅了されてしまいました。 

放映でも感嘆するくらいですので、、実際は想像を絶するほどでしょうね、きっと!

すぐイスタンブールに行きたいのですが、そうもいかず(笑)。とりあえず夢枕獏著『シナン』を読み、当時の歴史を探ることとしました。

シナンは1488年トルコのカッパドキア地方のキリスト教の村に生まれ、24歳の時イエニチェリという兵士団に入る。この時イスラム教に改宗させられる。イラン・エジプト遠征に軍人建築家として参加(砦や橋などの土木専門家として)。
キリスト教徒が建てた聖(アヤ)ソフィアを凌ぐモスク(トルコではジャーミーと言う)を造ることを決意、スレイマニエ・モスクやセリミエ・モスクなどを数多く建築した人物である。しかも、像なき神を空間に描こうと。


【 時 代 背 景 】
シナンが生きた15~16世紀には、イタリアからのルネッサンス運動、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・宗教改革のルター等が活躍していた時代でもあり、その頃の日本は戦国時代の真っただ中。

当時のオスマントルコ・スレイマン大帝は、イラン・エジプトに遠征し、オスマン帝国最大の繁栄の基礎を造ってキリスト教国・ハンガリーにも進出していた。一方キリスト教も世界へ進出、各地の文化や宗教を根こそぎ滅ぼしていた時代でもあったのである。

勿論キリスト教同士も争っていた。スペイン王・カール五世(ハプスブルク家)は、フランス王・フランソワ一世(この時はオスマントルコと手を組んで)との戦いを制し十字軍計画に突入、トルコ人たちをアジアへ押し戻そうとして躍起になっていた。(これらの資金の為、中南米の巨大文明(アステカやインカ)が滅ぼされたのもこの頃)

イスラム教国とキリスト教国は何度も争いながら、時には何度も同盟を結んだりしているし、時にはキリスト教国と戦うためにキリスト教国がイスラム教国と手を組んだりもしていた。

○ 悲しいかな、現在もなお一千年以上も同じようなことを繰り返しているのです。

この本は、16世紀前後のオスマントルコやキリスト教の歴史が詳しく、しかも解かり易く描かれており、見事な力作であった。
著者・夢枕獏(通称バクさん)は、『シナン』上・下巻を書くのに8年を費やしたという。


バクさんは釣りが好きで世界各地を放浪したり、格闘技にも造詣が深く、著書は陰陽師シリーズが有名です。
せっかくですので夢枕獏さんの面白い3冊を紹介します。

『上弦の月を喰べる獅子』   
    ~SF・幻想小説。日本SF大賞受賞作。 
     螺旋(らせん)収集家と宮澤賢治の二人の魂が「スメール」と呼ばれる異次元世界
     に紛れ込む、、、こんな小説あり得るの?というほど稀有で衝撃的で不思議な作品。

『神々の山嶺』        
    ~我が山岳会局長からの紹介で読んでみました。柴田錬三郎賞受賞作。
     エベレスト遭難の謎に迫るカトマンズを舞台にした山岳小説。スリル満点。
     命をかけても否、命のある限り自分の夢に向かって歩き続ける。

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』全四巻
    ~あの空海が唐の国にて鬼と対決、陰陽師のようなSF的な作品。
     空海が唐から日本に帰国した後を次回作と考えているようでしたが
     切に待望しているのですが、未だ刊行されておらず、、バクさん遊び過ぎですよ。

余談ですが、冒頭の女優・中谷美紀さんって凄いんですよ。著書『インド旅行記』も出版しており、インドへ3カ月も、それも女ひとり旅、、、行動的な人っているものですねえ!

私も本ばかり読んでちゃダメですね。 それにしても、我が山岳会局長(通称白頭人)ときたら、先日ラオスから帰ったと思ったら、もう今はまたイランへ行っているのです。 間違って天国へ行かなければいいのですが(笑)


いや~また旅に行きたくなりましたが、、とりあえず白頭人のHPでも拝見して、行った気分にでもなるとしますか!!
白頭人『世界百カ国紀行』クリックしてください

私なぞはまだ2回(9ヶ国)ですが、皆さんは是非上のHPを参考にして、どんどん世界を観て来て下さい!

なんと194ヶ国以上あるというのですから、、、くれぐれも天の国に旅する前にね!

悪魔のはなし

2013年05月14日 | 雑感


清く美しい「富士山」と「月見草」の次は、なぜか「悪魔」の話です。

つい先日(2013年5月3日)、ニュージーランドで子供に悪魔(ジャスティス)の命名はダメとの報道がありました。

キリスト・メシアとかも、またむやみに長い名・階級を表す名等、子供の福祉を害し親権の濫用にあたるとのこと。

そういえば20年ほど前,日本でも「悪魔くん騒動」がありましたよね。

悪魔という名を付けようとしたが、行政側で却下し決着。世に大きな波紋が拡がったあの騒動です。


先日読んだ本にあった話ですが、、、。山折哲雄著『日本人と死の準備』より

実は、
お釈迦様が最初の男の子に、なんと「悪魔」(サンスクリット俗語で「ラーフラ」)という名をつけていたそうです。

「食するもの、すなわち悪魔」との意味が辞書に出ているとのことであった。
(もともとは日食・月食の食という意味、すなわちそれらを起こすのは悪魔の仕業)

どうしてその名前をつけたかについては、いまだに仏教の謎とのこと。

お釈迦様は、その生涯に二度家を出二度子供を捨てたとある。今流に言えば自分自身を発見する旅とはいえ、エゴイズムを充たす旅とも解釈できなくもなく、その息子は敵意を抱いたに違いない、、と山折氏はいう。

しかしそれがいつのまにか釈迦の弟子になっていたのです。

釈迦十大弟子の第9番目の弟子が、その「ラーフラ」漢訳・羅睺羅(らごら)なのである。


山折氏は、「この問題は仏教の要所であり、それを問題にしてはじめて仏教が2500年のあいだ世界に拡がった必然的な意味がわかるはず、、と思うようになった」 と記していた。


この後、なぜかしら「悪魔」のことが私の頭から離れない日々が続いてしまい、手当次第に「悪魔」と題する著書を読んでみました。  物好きもここまでくると自分でも呆れます(苦笑)。

その中の一冊ピーター・スタンフォード著『悪魔の履歴書』(原書房)に16世紀前後で起きた「魔女狩り」のことがありました。

○カトリックとプロテスタントのどちらもがサタン(悪魔)と力を合わせて、大陸中で組織的に魔女の陰謀を造り上げた。
○10万人にも及ぶ人々が火刑に処せられた。
○1468年に教皇パウロ二世が例外的な犯罪においては、自白を引き出すために拷問を使用してもよいと決定したことで魔女狩りの熱狂には更に勢いづいた。 、、、等々が記されていた。

ある宗教には善の神・悪の神があり、その両方を受け入れることが幸せに繋がるという。人と神・人と自然・人と人との調和が図れるともいう。 こんなふうにならないものなのでしょうか。

世の中、人間の歴史って、今も含めて「善」と「悪」の争いの数々、、、どちらも「善」を名乗り戦い続けている。

人間ってただでさえ自分が善であると思いたがるようにできているようである。
人間の「思いあがり」なのかも知れません。

「善」の中にこそ「悪」が潜んでいる。  人間ってなんて馬鹿なんだろう!って笑われながら、、、。


嗚呼!私の頭はこのまま悪魔悪魔で支配され続けられるのでしょうか!

笑いごとではないのである。 
 

富士山

2013年05月11日 | 雑感


数年前、南アルプス白嶺三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)を縦走した時の一枚です。
富士山が雲海に浮かぶ姿を見ながらの至福の登山でした。




北岳の山小屋に泊り、ほとんど一睡もせず銀河宇宙に輝く星空を眺め、流れ星に感動。
そして寒さに震えながら雲海からの日の出を今か今かと待っていたものでした。その時の一枚です。


富士山が世界遺産(文化遺産)にほぼ決まりとのこと。

富士には数多くの想い出があります。

上の写真の時の雲海からの眺め(この時は単独行)。そして山仲間との高山病を感じながらの登山(下山時、足を傷めて観光馬に乗っての下山)の思い出。
裾野に拡がる樹海への立ち入り体験。澄んだ富士の湧水を求めての忍野八海探索。
富士の清掃に注力中の冒険家・野口健さん講演の聴講等々。
川口湖から観る富士の美しさもまた良し。

「来て見れば 聞くより低し 富士の山 釈迦や孔子も かくやあるらん」
長州藩・村田清風の歌ですが、なんとなんと行ってみれば結構な迫力ですよ。


あの有名な太宰治『富嶽百景』の、峠から仰ぐ富士の驚愕するほどの大きさも印象深い。
「富士には月見草がよく似合う」、、、名言です。


せっかくですので、『富嶽百景』の一節から、、、そのくだりを抜粋。

何度読んでもいいですね、このくだりは、、、。

『 河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆(えいたん)ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(いうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥(いちべつ)も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。
富士には、月見草がよく似合ふ。』



富士は黙っていても生きていけるんですねえ。

あなたは、富士?、、それとも月見草?



読書三昧 (10)『愛と憎しみの豚』

2013年05月06日 | 雑感


まず、面白いタイトル。 その着眼点にも驚く。

なぜ豚は世界中で好かれ、同時に激しく嫌われるのか。

豚の謎を追って、灼熱のアラブからイスラエル・東欧・極寒のシベリア他世界の村々へ、安希流冒険の旅が始まる。(ドバイ・チュニジア・イスラエル・日本・リトニア・バルト三国・ルーマニア・モルバド・ウクライナ・シベリア他)


中村安希著『インパラの朝』(開高健ノンフィクション賞受賞作)『Beフラット』『食べる』に続く四作目の作品。

○イスラム教アラブ地域では遊牧生活の中、雑食で腐りやすい豚肉禁止の合理性、、コーランへの書き写し。
○ユダヤ教での豚肉の扱い、、イスラエルでの統治の歴史過程での豚肉に対する扱いの変化。
○豚も食べていた欧州での農耕文明時代、キリスト教(新約聖書)布教の邪魔になる為豚肉禁止をしなかった。

等々濃い内容となっている。
(また参考文献に新旧聖書・コーランとあるように、いたる処に聖書やコーランも散りばめられていた)

チュニジア旅で知り合った女性ジャーナリストの話が記されていた。

”イスラム主義者が求めること、簡単に言うと四つ。物事を疑わず、考えず、議論せず、想像せず。以上。”
”宗教のメッセージは分かりやすい。神を信じれば救われる、信仰を深めれば立派になれる。終わり。”
  など厳しい事も載せておりました。

以前コーラン(食卓の章メディナ啓示)を読んだ時、こんな言葉があるのを思い出した。

”信ずる人々よ、いろいろなことを尋ねてはならない。はっきりわかれば、かえってためにならないものだ。
しかし、コーランが下されているときにものを尋ねるなら、おまえたちにはっきりさせてくださるであろう”、、と。

断片的にだけみて全てを判断することは危険ではあるが、宗教とは、、学ぶきっかけにもなる著書であった。

また、豚を通しての歴史にも及ぶ。

リトニアが当時ソビエトに編入された頃、モスクワから豚肉生産を指令、拡大したがその豚肉のほとんどがソビエトにもっていかれ、リトニアには耳しか残らなかった~リトニア名物料理(豚の耳料理)はその名残り、、大国のエゴ(国欲)がこんなところにも。 

旅でのいろんな人との繋がり、フェイスブックで初対面からのアプローチ等にも積極的。更に情報が深まるらしい。

政治・文化・歴史・宗教・人種など、今を知るには、、、やはり旅なのか。


マイナス46度・極寒シベリア・プリアルグンスクでの最後のくだりは圧巻です。
軍事施設内(国境地帯)に無許可侵入。知らなかったとはいえ軍人に聴取されたが、豚関係について逆聴取する始末。

現在34歳にして命がけ、女性一人旅を続けるノンフィクション作家・中村安希の進化、いや度胸には恐れ入る。

読み終えると夜中の3時を超えていた。その後いろいろ考えてしまい、一睡もできずに朝を迎えたほどである。  これは歳のせいか(苦笑)

筆力も向上。初版本『インパラの朝』(開高健ノンフィクション賞受賞作)を凌ぐとも思える名著であった。


簡単すぎるレシピ

2013年05月04日 | 雑感


1) ≪オムレツ風じゃが≫
小さく角切りに切ったジャガイモとアスパラを茹でてザルにあげ、塩コショウで炒めるておく。フライパンにバターをひき、卵3個位に砂糖・醤油・少しの牛乳入れ溶いたのを流し込む。先ほどのジャガイモとアスパラを半円のところに入れ、半熟のうちにオムレツ風に折って、ハイできあがり。ケチャップかけて食べる。

2) ≪さつまいものジュース煮≫
サツマイモを洗い、皮つけたまま切る。手羽元と一緒に鍋に入れ100%のオレンジジュースを材料の顔が出るくらいに入れて煮込む。水分が無くなるころにからめてハイできあがり!

3) ≪ねぎひき肉炒め≫
長ネギみじん切りに茶碗1~2杯分(ひき肉の培くらい大量に)をごま油で結構炒める。ひき肉を入れ更に炒め、砂糖・醤油多め・酒・みりんを入れ、また炒めたらハイできあがり!白いごはんにかけて食べる。

4) ≪まぜごはんもどき≫
お米を炊くとき、シーチキン缶詰・ビンのナメタケ(醤油味)を入れまぜる。量は適当だから(とはいえ3合の時はひとビンひと缶が目安)あとは醤油と酒で調整を(あなたの腕のみせどころ)。あとはバター少しを入れて炊く。ハイでき上がり!


2は、あの悪女で名高い中国最後の清王朝に君臨した西太后のレシピ本の中にあったひとつ。 常時食卓には100皿以上が並んでいたとある。健康には執着心強かったとのこと。高級材料のみならず、こんなのにも手をつけていたのかなあ。

3は、作家壇一雄の著『壇流クッキング』のレシピである。材料に上記の他にビール1本と記してあった。
えっ!と思いましたが、長ネギを炒めながら飲むビールのことであった。 さすが壇さん、これぞ男の料理です!


あまりにも簡単すぎるレシピでしたが、、、。

時間もない、困った時に料理していただければ、、でも結構いけるんだなあ、 これが! 

よくつくるのは1と3かな?
 

今回は芸のない器で写真もいまいちでした。次は自作の織部焼の器でも使いもっとカラフルに挑戦します!