スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

哲学者・座頭市 『道徳を斬る』

2015年09月30日 | 雑感
『 他人の書いたことを鵜呑みにする性癖のある読者は……これから先は読んではいけない 』

冒頭にこうあった。  覚悟をきめて読んでみた。  

   

そうだよなぁ。 殆どの人が他人の書いたこと、言ったことを鵜呑みにしてきたことは、その通りだ。
俺なんかは、他人の書いたこと、言ったことを鵜呑みにするどころか、そっくり使ってもいた(る)よ。


殆どの人もそうかも知れません。  ≪人任せにしないで自分で考えろ≫ っていうことだね。

座頭市は こうも語る。 『 自分たちの道徳を押し付けようとするから、戦争になる 』 ・・・・と。

人間みな正義だと思って意見を押しつけたがる。  これ人間の本質かも知れませんね。 

我曰く、≪ この世には真実など無い。 生命体の数だけ解釈があるだけだ ≫  
                                  これも誰かのを拝借した言葉だ(笑)。 


『 権力者は自分の都合で道徳を作る。 都合が変われば、道徳も変わる 』 ・・・・ん~なるほど。

またここで最近入れこんでいる美人哲学者・池田女史が登場。

≪ 道徳や法律は相対的なもの。時代や国によって変わるものなのだから、どうしてそんなものが絶対的
  であるはずがあろう。善意の基準を自分の外に求めるという思い込みの根はとにかく深い。
  良いと悪いとを判断する基準は自分の内にしか無い。 自分で判断するしかないのである。 ≫

                                       池田晶子著『暮らしの哲学』より抜粋

座頭市はこう言いきっている。

   『 今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。それは、
     自分の人生を人まかせにするってことだと思う 』


結構いいこと言いますよねぇ。

< 今こそ日本には、「 新しい道徳 」 が必要だ!! > って新聞紙上に この本の宣伝文句があった。

でも ≪ 人を殺してばかりの座頭市 にだけは言われたくない ≫ ですよね。 


満州移民

2015年09月29日 | 雑感
BSで 『 ザ・ベストテレビ2015受賞作 』という番組があり <S26年 日本民間放送連盟賞>を受賞した
≪ 刻 印 ~ 不都合な事実を語り継ぐ ≫ という作品が放映(再放送)されていた。


≪ 満州移民 ≫いうのがテーマ。 正直中国残留孤児に繋がるこの言葉、知らなかった。

1932年満州国(日本の傀儡国家)建国。 1945年ソ連満州に侵攻。 この時代の悲しい歴史である。

開拓団と称し日本の国策として発令。 県や村、学校、マスコミまでもが主導し、全国から8万人もの国民
が(15歳ほどの少年が中心)満州に反強制的に送られ、内3万人超もの国民を≪死≫に至らしめた史実。


尚、満蒙開拓移民(満蒙開拓団)は満州移民のみならず、内蒙古、華北などにも入植した日本人移民の総称。
満州事変から1945年の太平洋戦争敗戦迄続けられ、14年間で延べ27万人もの人が移住したといわれる。

  

ソ連軍の満州侵攻、それに現地住民の暴動によって各地に散らばっている開拓団は逃げ場が無くなり
集団自決を余儀なくされたという。


子供の首を絞め殺し自らも自決を図ったが、瀕死の状態で現地の中国人に助けられたと語る。   
 ≪ うな垂れる証言者本人のその姿が事実を物語っていた ≫ 

現地の住民は搾取により、また安値で土地を取り上げられるなど暴動扇動の素地・鬱憤が溜まっており、
何かあれば暴虐と化すのは目に見えていたという。

既に現地では、日本人は一等国民、朝鮮人はニ等国民、中国人は三等国民等と差別されていたようだ。


  

当時、世界的な恐慌の煽りで日本の農業収入も激減。 満州に行けば地主になれるなどの甘い誘いと
満州に模範的な村を作ろうなどと、国策という脅しで国が県に依頼し、県が教育会に指示。

そして教師自らが生徒に対し移民を大々的に募集したという。 これは募集といえるだろうか。 

  

国から県や村には助成金が。 そして米の配給を止めるなどの脅しや低金利で融資などの甘い誘い。
番組では長野県(全国で満州移民一番多い県として)のある村を中心に調査・インタビューを行っていた。

長野県(阿智村)には 『 満蒙開拓平和記念館 』 があり苦難の歴史を伝えているという。
信濃郷満蒙開拓団・中国残留孤児としての小説に、あの有名な山崎豊子著『大地の子』がある。


   

村や学校にも割り当て、その移民人数の確保を、責務を、ノルマとした。 
右写真に ≪ 平岡 五 ≫ と記載あるのは証言した教師の名と確保した人数だ。

   

満州の義勇軍の軍事訓練と農作業の写真だが、その殆どは15歳中心とする今で言う中学生だ。
開拓団養成とソ連国境防衛のためが目的で、特に県と教育会が大きな役割を果たしていたという。

そしてその殆どの少年たちが ≪死≫ もしくは ≪残留孤児≫ となり苦難の道を歩むこととなる。

国家って なんなのでしょうね。  


反骨の影絵作家

2015年09月28日 | 雑感
ご存じケロヨンの原作者でも知られる 藤城 清治 1924年生れの91歳。

藤城氏の影絵は戦後の焼け野原から生れたという。
 ≪戦中戦後の焼け野原でどうしても絵の具が手に入らず、火(灯)だけはあった。そこに光を見い出した。
  どんなに苦しくても その時その時、今、現在が、今の出会いが、一番だと思い生きている。≫ 
と語る。

広島と福島を描いた作品。

     

        

    

     

(下記クリックしてみて下さい。モーツアルトのBGMで他作品が観られます)
 ≪藤城 清治の世界≫ 

 

池田晶子 (パートⅣにもなった)

2015年09月26日 | 雑感
秋の夜長 この美人哲学者に入れこんでしまい、 止まるところを知らないで読み耽っている。 

どうも美人には弱い。 論理より情緒が先行するようで、哲学には不向きと自覚してはいるのだが。

著者曰く ≪ いわゆる変人道まっしぐら。 我が常識と世間の常識との深いギャップに、生きる程に驚く。

         ある人から 「あなたは変だ」 と言われ、「変なのは宇宙だ」 と言い返した ≫
 という。 

相手の反応、推して知るべしだ。  哲学する人は こうこなくっちゃ。

≪酒好き≫ なことも気に入った。  彼女は酒について、若い時のことを こう回顧している。
理性が弱くなるどころか 逆に冴えてくるという、そんな飲みかたをしていたようだ。

   ≪ 夜な夜な アパートの一室で 独り酒。
     一升瓶を抱え込んで、ドブドブ注いで、ガブガブ呷る。
     安酒は全身を経巡り、思考は脳天を突き破り、もう火が出るかという勢いだった ≫
 ・・・と。
                                              『暮らしの哲学』より
この飲み方からしても世のオヤジには手に負えそうもない <にょしょう> だ。

世に出た単行本17冊みな【目からうろこ】なのだが、今一度称賛するが この『暮らしの哲学』は実に面白い。

         
         『暮らしの哲学』               『2001年哲学の旅』

もう一冊は 『2001年哲学の旅』。 この本は著者が哲学の先人たちに思いをはせ、スイス・オーストリア・ドイツ
・ギリシャ・トルコを巡る<聖地巡礼紀行>と大哲学者の真髄と系譜を綴る。  哲学入門書ともなっている。


<最先端の現場での考察>として神岡宇宙素粒子研究施設・京大ウイルス研究所・国立がんセンター東病院
のそれぞれの研究者との対話も収録。 細胞を持たないウイルスは生物か? などを語る。

番外編として死刑囚との対話(往復書簡)も。 なぜ人を殺すのは悪いのか? と問う。 


彼女の ≪なるほど・ザ・ワード≫ を少し。

 ● 人間の死因ベストは、ガンでも肺炎でも不慮の事故でもない。最たる死因は「生れてきた」ということだ。 

 ● 信教の自由とよく言われるが、信教に自由はない。 信教の不自由というべきである。

 ● イデオロギーの ろくでもなさは、その集団性にある。 集団とは 考えない人々の別名である。

 ● 正月には 「今年こそ」 暮れには 「来年こそ」 と決意するが3日も経てば忘れる。 ありもしない「一年」
   観念でしかない「今年」。そうやって数十回もやれば人生はおしまい。一日一日を大切に生きることだ。


 ● 哲学なんてのは 「 生れたから 死ぬまで生きている 」 という ただそれだけのこと。

 ● 「今度生まれ変わるとしたら」  との説問には 大半の人は 云々と答える。
   「生まれ変わりはあると思うか」 との説問には 大半の人は 無いと答える。
   死んだらすべておしまいだ。 今度なんてものは在ろうはずがない。 
   今度まで待たずに 現在のうちに 腹を括って生きるべき ではなかろうか。


 ● 人間はみんな同じだと言ってみたり、次になんと人間はみんな違うと言う。人間は弁証法として認識を
   繰り返しつつ、どこまでも未知の中を進む。 人はみな 無限を旅する宇宙の「旅人」。


なかなか どうして。 粋な女性もいたものだ。 

尖ったもの言いで 「そこまで言うか」 と首を傾げざる箇所も勿論あったが、残念至極 いまはもういない。

                     
                        献 杯

田中泯×挾土秀平・対談

2015年09月24日 | 雑感
昨日のBSで ≪インタビュー達人たち≫ が放映されていた。 なかなか面白い異色の対談があった。

田中 泯と挾土秀平。   ≪すさまじいエネルギー≫  まさに達人。 
 
 ● 田中 泯  (たなかみん)    ~前衛舞踏家。俳優。農業人。朝ドラ「まれ」で塩職人・桶作元治役。
                  
 ● 挾土秀平 (はさどしゅうへい) ~左官芸術家。天然の土を使った独自の世界の塗り壁づくりは斬新。

     対談(クリックしてみて下さい)

 

イスラーム第二の聖典 『ハディース』 (パートⅠ)

2015年09月24日 | 雑感
IS「通称イスラーム国」が欧州に押し寄せている難民に対し、警告動画をネット上に公開 との記事があった。
配下のシリアやイラク、中東からの難民の欧州行きは、イスラーム法における大罪の「棄教」とみなすとの言い分だ。

シャーリア(イスラーム法)とは一体如何なものなのだろうか。 以前当ブログでも『コーラン』を取り上げてみたことが
あるが、イスラームというものの 宗教というものの 深遠さを実感したものである。 


中田 考というイスラーム学者がいる。 北大生を IS に導いたとして話題になった人だ。
まずどんな考えなのか著書『 ビンラディンの論理 』と『 イスラーム 生と死と聖戦 』の二冊を読んでみた。

  ≪ 君主・独裁制は 一人による支配だし、貴族・寡頭制は 少人数による支配。 
    そして欧米を中心とした民主・衆愚制は 大勢による支配だ。 
    西欧の政治は人間の支配ということでしか、ものを考えていない ≫
  と。

『 人間が人間を支配するを良しとしない 』 のがイスラムの教え。 だから拒む。 国家もしかり というのだ。

確かに理想的なものの見方である。 この辺まではなんとなくわかる気もする。  

『 造物主であるアッラーは人間に自由を与えた。善も悪も選びうるからこそ、善を選ぶことに意味がある。
  なにが善でなにが悪かの基準 それが 神が示すとされる自然法・ シャーリア(イスラーム法)だ。』


というのがイスラーム法の基本的な考え方のようだ。 

じゃイスラーム国に対してはというと、その統治のあり方も含めその大半は反対の見解を持ってはいたが、
バグダディはカリフの候補者にすぎないとしているものの『 独裁者から最も遠いのがカリフ制だ 』 とも語る。
カリフ制再興を唱えている一人でもあった。 

著者の思想を理解しかねているのかも知れないが、とにかくイスラムは深くて難解。 否人間というものが。 

そのイスラーム法の基盤・イスラームの第二次聖典と言われるハディース(預言者の言行記録)を読んでみた。

スーニン派で用いられる6つの主要なハディース集のひとつで、ブハーリー(イスラーム暦194年・西暦810年生れ)という
人が編纂し、牧野信也が訳したもの。 全4巻2000ページにもわたる書だ。


著者・ブハーリー ≪ ムハンマド・イスマーイール・アブー・アブド・アッラー・アル・ブハーリー ≫ という名もまた長い。 

このブログもだ と誰かに言われそう。 (パートⅡ)に続きます。 長くなりそう ごめん。


イスラーム第二の聖典 『ハディース』 (パートⅡ)

2015年09月24日 | 雑感
コーランに次ぐ第二の聖典といわれる『ハディース』。 預言者ムハンマドの言行録である。

        

イスラームの教義・儀礼・戒律・人間生活のあらゆる領域の事柄、振る舞い、いかに備えるべきかを詳細に配列。 

売買契約、借金返済、贈与、遺言、婚姻離縁、養育、治療、衣服に至るまで、勿論断食や喜捨、巡礼、葬列、
それにプライベートなことがらも含まれている。

例えばこうだ。 養育の書 第一節(三)によると・・・。

   『 アブー・フライラによると預言者は、寡婦や貧者のために力を尽くす者は、アッラーの道に戦う者や、
     昼は断食し夜は起きて礼拝する者と同じ功徳がある と言った。』


等々 なるほどといったものもあり、葬礼の書では 『死体を奇数回洗え』とか 『死体の右側から洗うこと』
『最後に洗うとき樟脳を入れること』
とか ここまでもかと思うほどに細部・詳細に書かれている。

他に 『その墓の上に礼拝堂を建て、その中に絵を描くが、このような者はアッラーにとって最も悪い人間なのだ』
などと、キリスト教信者だったら怒り心頭間違いなしの言葉も並んでいた。

この『ハディース』は弟子達が書き留めたものとして、その数7300ほどのムハンマドの言行録が集録されており、
これを編むために約100万ものハーディースを集め、その中から精選したという。


これらの言葉を ブハーリーが誰から聞いたか、その人は誰から聞いたか、さらにその人は誰から聞いたか・・・
7人ぐらいの名前が羅列される部分とが合体され、ひとつのハディース(言行録)になっているようだ。

そのせいか一応まとめられて集大成はしているが、前後のバラバラ感はゆがめないような気がした。

この弟子の弟子・・・の他に各地イスラムの学者達が集めたものもその数4000ぐらいあったりと数に限りが
無いのである。 これら個人が作ったものが時代を超えて数百年も読み継がれ、今日に至っている稀有な書だ。


聖書などはイエスの死後400年も経ってからのものであり、仏教なども釈迦の死後数百年仏典としてある。 
中田 孝氏によれば、それに比べこの聖典が作られたのはムハンマドの死後最も短い年数なのだそうです。

以上長々とかいつまんで紹介してみましたが、この「ハディース」はスーニン派によって認められたもので
シーア派は、預言者の子孫であるイマーム達の言葉を多数含む、シーア派独自の伝集録を持っているという。


私など、これらの書は勿論9世紀頃に書かれたものでもあり、時間・歴史の気が遠くなるほどの経過を
考えると、一字一句は時代により修正やむなしと単純に考えてしまうのですが、そこは宗教たる所以。


アッラーの教えは普遍なのです。 やぼなことを言ったかな。

道徳や法律というものは相対的なもので、時代や国によって変化するもやむなし とする考えが
一般的だが、宗教が入るとこれが絶対的なものとなる。 その判断基準は 自分しかないのだが。

じゃ自分とは ・・・ 話が屁理屈になってきた。 頭痛もするし、そろそろこのへんで止めにします。


今朝の北海道新聞 紙面より

2015年09月21日 | 雑感
● 一面に ≪ 安保「審議不十分」79% ≫ とあった。

  国民が選挙で選んだのだ。 こうなるのは最初から解っていたはずだ。 
  見抜けなかった国民の責任は重い。  まぁ自分も含め、これが今の国民のレベルなのか。

  景気優先で選んだツケ、いや利益優先のツケ、もっとハッキリ言えば 自分だけ良けりゃのツケがきたのだ。
  ニーチェ曰く ≪真理は何でもって証明されるのか? 要するに利益でもってである≫ なのだろうか。

  これからが勝負、次の選挙で勝負をつけると 若い人が立ちあがっている。 
  まだ日本は大丈夫。 そう思いたいが、それに応える政治家は  さて どこにいる ?


● 三面に ≪ 80歳以上 初の1000万人 ≫ とあった。

  敬老の日推計で、65歳以上も人数・割合共最多更新で総人口の26.7%にも達するとのこと。
  これは欧米7ヶ国と比較しても日本が最も高いようだ。

  こうなったら年齢を一切カウントせず、あらゆる記載も含め全ての年齢を取り除く、としたら如何なものか。
  世の中 <ぐちゃぐちゃ> になるのは必然かも知れぬが、シュミレーションする価値はある。 ん~無いか。

  東京オリンピックの入場式も国入り乱れての後進を、アナウンスは選手名のみ。これ提言した人いるんですよ。
  平和を望むならこれが一番だって。 これの方が実現性はあるのかな。 ん~これも 無いか。
 

● 十四面に ≪ イチロー無安打 ≫ とあった。 

  どうも気になり、いつもスポーツ欄で確認しているのだが、ついに打率 ・239となった。

  あのイチローが 考えられない。 復調はいつ? 神のみぞ知る。 
  何事も無いように淡々と打席に入るイチローも流石だ。 毎日 祈るように 追い続けている。


● 二十四面に ≪ 敬老の日特集 長い人生 自分らしく ≫ とあった。

  90歳からハーモニカに挑戦している小樽市94歳の女性(杉山フサさん)や70代の女性8人と一緒に
  コミュニティーレストランを営む胆振管内白老町82歳の女性(赤崎寿子さん)が紹介されていた。

  それにこの方、弓道範士8段の男性・札幌市(野呂健吉さん)、この方97歳 弓道と読書が趣味という。 

  どうですかこの<かくしゃく>とした姿勢と目力は。  毎日4時間 的に向かうというではないか。 
  力の入れ方、心の在り方で矢の行き先が変わるという。


    

          しっかり せい !!   はいっ !!      




スポーツの秋だ

2015年09月17日 | 雑感
≪ 読書の夏? ≫ も終わり そろそろスポーツの秋だ。  そう意気込んで早速ジョギングを。

近くに札幌ツドームというスポーツ施設その2階に1周400mのランニングレーンがある。

   
                                               (画像・ネットより)
数人が利用しそれぞれ身体を鍛えていた。 私もトレーニングルームで柔軟体操、身体を解しランニングレーンへと。  

するとどうでしょう 走る人ほとんどすべての人に 風の如く追い抜き去られていくではないか。  

この野郎!!(ハシタナイ言葉)と思う瞬間 もう遥か彼方へ。 なんとも情けない自分の姿がそこにあった。

多分普段から日課として鍛えている人達なのか、まぁ仕方ないと思いマイペースで走ってはいたのであるが ・・・。
するとどうだろう。 そのあと小さな中学生みたいのに追い抜かれるではないか。

ちくしょう! がきに追い抜かれるとは。 持ち前の負けん気で(ん?) すぐさま後を追った。 

クソー! 1周もしないうちに 無念! 断念! 諦めが早すぎる! 哲学をしていたツケがきた。 

私が何周走ったかは今は言うまい(笑)。 いや笑いごとではないのだ。 もう汗びっしょり。 

いま一度 池田晶子 (パートⅢ)

2015年09月17日 | 雑感
2007年に腎臓がんで他界した池田晶子さん、遺された未発表原稿を集成した作品だそうです。

病室で書かれたという絶筆コラム(人間自身より)がその冒頭に書かれていた。 抜粋する。

  古代ローマだったか現代のローマのものだったか、墓にいろいろな書き物を遺す習慣があるという。
  人生つまり、その人間の最終形がそこに刻印されている。 人生の〆の一言である。
   ・・・・・・・ こんな墓碑銘が刻まれていた。   『 次 は お 前 だ 』  ・・・・
  他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思いだすのだ。
   それを見越してこの文句、大変な食わせものである。 ・・・・・・。

  それなら私はどうしよう。 一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。
   ならこんなのはどうだろう。   
  『 さて死んだのは誰なのか 』 ・・・ 不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。
   

          

   左は 『私とは・死とは・魂とは』 の三部作(サブタイトルがいずれも【さて死んだのは誰なのか】)   
   右は 『暮らしの哲学』・著者の最後の1年間、春夏秋冬を哲学する。 世の不思議を感じる名著だ。


そのもの言いでネットなどでも少なからず誤解もあるようだが、鼻っぱしが強いのは魅力でもある。
そう 無欠な人間など何処にもいないのだ。 『暮らしの哲学』 (毎日新聞社刊)は是非読んでみて!
  
 
彼女の偏奇の匂いに魅了される。 とにかく面白い。 もの思いに耽る秋の夜長にはピッタリの一冊です。

あの元プロ野球の野村監督も選手に<考えること>を指南するとして数十冊買い求めたという本もある。
買い求めたのが みなさんよくご存じの 「サッチー」 こと沙知代夫人。

そして買い求めた著書名が 『 悪妻に訊け 』 というではないか。  選手も大変だったでしょうね(笑)。
       ( 『悪妻に訊け』 は単行本でも刊行されているが『無敵のソクラテス』の中にも再編されている)


夏も過ぎ そろそろ秋だ。 著書 『暮らしの哲学』 秋の章に 藤原定家の こんな歌を載せていた。

    見渡せば 花ももみじもなかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ

さて 読書で もの思いに耽ってばかりもいられない。 スポーツの秋でもある。 少し身体でも動かすとしますか!


女性哲学者・池田晶子(パートⅡ)

2015年09月14日 | 雑感
当ブログ(女性哲学者・池田晶子)

ある番組でコメンテーター(森永卓郎氏)がこう質問した。  『 死を考えると怖くなる  なりませんか? 』  

池田氏こう答えた。  
『 それは考えが足りないから 』 

その後 そんな池田晶子氏 46歳の若さでガンで他界したのが2007年。 すでに8年が経つ。

随分失礼なもの言いをする人だなぁなんて思ったものですが、私も ≪ 死 ≫ を考えると怖くなる方でもあり、
もう少し彼女の著書を読みこんでみたいと思い、≪ 在るけど無いあたま≫ を使って奮闘してみた。 

       

当ブログで紹介した哲学ファンタジー『ソフィーの世界』なども真っ赤なウソモノと一刀両断。 
あの知の巨人といわれる立花 隆氏や著書『死の壁』でも有名な養老 孟司氏への論評もしかりである。


著書は どれも歯切れがよく 面白い。 

『 無敵のソクラテス 』での ソクラテスとイエス・キリストとの対話。
 ≪ソクラテス≫ 
   『 だから宗教は詐欺だって僕は云うんだよ。教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ 』
 ≪イエス・キリスト≫
   『 さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこか ・・・・・ 』

この『無敵のソクラテス』は同著書<帰ってきたソクラテス>・<さようならソクラテス>・<悪妻に訊け>を再編した
ものであり、ソクラテスの悪妻と言われたクサンティッペや釈迦なども登場するという対話形式をとっている。

やはり女は強かった。 是非一読をお勧めする。  他に 『 ロゴスに訊け 』 は成るほどと頷ける名著だ。

ふつう哲学って難解なものが多い中、解り易く書かれており 面白く読める。
≪14歳からの哲学≫などは27万部のベストセラーとなり、中学生向け教科副本としても使用されているようです。


冒頭の ≪それは考えが足りないから≫ についても、著者が繰り返し書物の中で言っていることでもあり、
【悩むことと考えることの違い】や【生死について】などへの論考を読み、少しはあぁそういうことなのか、
と思える事も。 

≪ 苦しむよりも 苦しみとは何かと考え 死を恐れるよりも 死とは何かと考える。考えて納得できると、
  苦しみも消えることが多い。 そのためにわれわれには考えるという機能があるのだと思う。≫ 

                                              『考える日々 全編』より抜粋

かつては、<生きても死んでも大差ない>と書いていたこともあったが、腎臓ガンの手術を受けたあと、
知人への手紙にはこんなふうに書いてあったという。


『 やはり、生きようとする意志を積極的に肯定することが大切なのだと思う。
  私は今まで生に対する執着がないから仏になれると思っていた。けれども、生きることを全うしない
  と成仏しないのかもしれない、それに気づいてから前向きに病気と闘おうという気持ちになりました。』


成仏とは らしくないとは感じたが、これはこれでいい。 

池田氏は、遺稿となったコラムの最後に、自分自身を
       <一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである> と評していた。


やはり 人は どうあがいても この世から消える。   いや この世もあの世も ないのかも。
      著者のいう通り ≪ 今を 腹を括って生きるしかない ≫ のだ。 あらためてそう思った。

 


さぁ どうしましょ!

2015年09月10日 | 雑感
面白いブログとユーチューブを紹介しよう。

人の手を借りるブログなど、これほど愉快なコトも無い。 生来の ≪なまけもの≫ ですみません。

ひとりは ハンドルネーム ≪白頭人≫ なる 旅と酒をこよなく愛する  仲間の誰もが認める ≪自由(遊)人≫ だ 。

世界の支配者は誰か?

坂本竜馬を操ったグラバーもフリーメーソンだったとか。 明治維新もフリーメーソンの謀略説って聞いたことがありますよ。

白頭人さん、民主党本部の屋上に掲げられている極似・プロビデンス(フリーメーソンシンボルのひとつ)はなぜ?
                             ( ペンタックスだから目?それとも鳩山フリーメーソン? 謎 )

    


もうひとりは ≪与国秀行≫ 。 聞くところ幸福実現党員らしいが、世には面白い人もいるものだ。

ユーチューブを拝借しよう。

≪ロスチャイルドの真実≫お金に騙されるな!


なにが真実なのか 見極めるのが大変な時代になってきた。 

誰かが言っていた。 新聞や本、インターネットや映像、など諸々の情報網から真実を得ようとする人よりも 
それらの情報にまったく触れない人の方が より真実に近い とか。  ん~ TAMEIKI つくしか。

  
                                              さぁ どうしましょ!





人道支援の国 日本

2015年09月08日 | 雑感
難民 ドイツに1万人 という新聞記事が載っていた。 

内戦が続くシリアなどからの難民・移民が、ハンガリー経由でドイツに到着との記事だ。

テレビではエーゲ海近海に遺体で打ち上げられたという3歳の子供の写真も話題になっている。

     

ドイツは日本と同じく高齢化社会に悩み、60万人規模の人出が不足という事情もあるようだが、難民を雇用
する為最大で33億ドル(約4380億円)の予算を確保、ドイツ語教育のコースに携わる人員を増やす考えだという。


だが極右勢力は受け入れに猛反発。難民宿泊施設への放火事件も相次いでいるようだ。
メルケル首相は欧州各国に受け入れの公平分担をEUに提案。 足並みが揃っていないとも言われている。

シリア紛争が始まって早約6年。 すでに400万人以上もの難民が各地に逃れてきているといわれるが、
その殆どが周辺国留まりで、欧州へは辿り着けるのは僅かで、その6%ほどしかいないとのこと。


苦労してドイツに到着したある難民の声。
 ≪ つらい経験も多かった一方で、たくさんの親切な人にも出会った。事情を知って無料で泊めてくれた
   ギリシャのホテルの主人。 電車の切符を買ってくれた人。 車に乗せてくれた人。 衣類や食料をくれた人。
   みんなにいつか恩返しができたら ≫
  こんな声は唯一の救いだ。

さて、それに対する日本の対応というと・・・ない。 そんな記事報道はどこにも見当たらないのである。

日本には様々な事情で400人ほどのシリア人がいるようですが、うち難民申請は60人ほど。
しかし人道的な事情で一時的な在留は認められるが、認定は3人ほどしかいない実情だそうです。
規定により、家族を呼び寄せられない人達もいるようだ。

それに比べドイツやイギリスでは難民認定割合は9割前後のも上るのだそうですよ。

≪日本国難民全体≫では法務省より2014年の難民認定者数が発表されました。(2015年3月11日付)
 申請者数は5,000人と過去最多を更新しましたが、認定者数は11人と著しく少ないという。


なにがしの事情はあろうが、日本は 「人道支援・人道支援」 と騒いでいる割には、なんとも情けない。

アサド政権を支援するイランとロシア。 シリア・アサド政権が邪魔なアメリカとトルコ。 トルコと敵対するクルド勢力。
クルド勢力と時には協力するアサド政権。 アメリカが支援する反アサドの自由シリア軍。自由シリア軍と対立のクルド勢力。
そのクルド勢力と協力強化するアメリカ。 そこにISが絡まる。反ISの為に協力するアメリカ・ロシア・イランそしてアラブ。

太宰の言葉じゃないけど、” あちこちから鎖が絡まっていて少しでも動くと血が吹き出る ”

み~んな 根っこは大国が余計な手出しをした結果にも思えるのだが ・・・・・。