スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

からだの不思議

2014年04月28日 | 雑感
悪阻、、これ≪つわり≫と読むのだそうです。

世の中には ”不思議”がいっぱいですが、女性・妊婦さん特有のこの悪阻。 
実は身近に知人がいるのですが、妊婦さんってほんとに不思議ですね。


水がコメが魚が牛乳が嫌いになる(嗜好品ががらりと変わる)この不思議が疑問で一冊の本・医師・恩田威一著『悪阻なんてこわくない』 ー世に初めて知られるツワリの真相ー を読んでみた。

  

物好きにも程があるとは、、自分ながら『苦笑』です。 

悪阻には、人間生きていく為に必要なカルシウム・マグネシウム・カリウム・塩素等の栄養素が大きく関わっているという。

しかし原因の確定までは至っておらず、日・時間でも変動があり、沢山の因子が複雑に絡み合い
その特定はいまだ困難とのことでした。

しかし医学も大したもの。

○ 妊娠初期には食事を数回に分けて食べると良い。
    数回に分けると悪阻の症状は軽減すると言われるのは、空腹時血糖値が低下し、
    食後血糖値が下がりにくくなる為だそうです。

○ 軽い運動は必要。
    これは軽い運動でマグネシウムが筋肉から取り込まれる為。
    ストレスによりマグネシウムが尿に排出され悪阻が酷くなるなどもこのマグネシウムの関係だそうです。
    マグネシウムはカルシウムやナトリウム濃度の調整役もしており、この作用は拮抗薬とも言われる。

○ 悪阻のひどい時は真水を飲むと症状が悪化すると言われる。
    これは真水の飲水は血清浸透圧を低下させ、ナトリウムが尿に排出される為。 
    ナトリウムかカリウムを食べ物で摂取することにより、症状が軽減するという。
    トマト・バナナ・メロン・イチゴ等の果物やジャガイモ・トウモロコシ等が悪阻のひどい女性に好まれる理由。
    白いご飯が食べられなくなって、パンや麺類が好まれるのも、この塩分(ナトリウム)の為と言われる。

○ 妊婦さんが酸っぱいものを好む。
    多くの食べ物はアルコールを含んでおり、匂いに敏感な妊婦さんは酸っぱいものを食べることにより、
    このアルコールを中和しているからという。
    また、常温を好む理由も、温めるとこのアルコール分が気化しやすくなる為とのこと。
    焼き魚やトーストを食べれなくなるのも同様の理由。


この他に、妊娠すると母体の電解質が大きく変動したり、食べる人の体調によって唾液中の塩素量が変化し、
それが悪阻に影響している等々、、、不思議なことばかり。


ん~ それにしても 不思議だ。 特に女性は。  七変化。 

しょせん 男の手に負える代物 じゃないってことは 確かなようだ。



懐かしの東京散歩 (パートⅡ) 

2014年04月24日 | 雑感
懐かしの東京散歩 に続くパートⅡ(東京・神楽坂界隈)です。

7~8年前、観劇パスポードで購入し映画館(名画座ギンレイホール)通いをしていた頃。 

その界隈に『神楽坂もん』という居酒屋があって、「わらだな寄席」と銘打った寄席が奇数月に開かれていた。
そこに何度か寄席落語を聴きに行ったことがある。
 

小さなお店であるが江戸時代の寺子屋の古材を使った重厚な内装が施されていた。

和良店亭(わらだなてい)と呼ばれ、夏目漱石が足しげく通ったことでも知られる寄席のあった処として有名。
この店の界隈は、江戸時代にわらを売る店が多くあったことから「わらだな」と呼ばれていたという。

      
   (神楽坂駅より徒歩すぐ・神楽坂下通り)           (毘沙門天『善国寺』)


  
   (居酒屋『神楽坂もん』わらだな寄席        (洒落た石畳の路地・著名作家たちが逗留し
    酒と話術に酔いしれる・今も営業中とのこと)     執筆活動を行う旅館『和可菜』などがある)

その頃は確かお酒か缶ビール付きで確か2000円。それを飲みながら落語を楽しんだ記憶がある。

酒呑みながらの寄席落語、、なかなかいいものです。

旧江戸城の牛込御門を出て外堀通りに出たところが神楽坂下。そこから正面の「神楽坂通り」を上り、毘沙門天善国寺を過ぎ、大久保通りを越えて地下鉄神楽坂駅あたりまでの一帯が、いわゆる「神楽坂」と呼ばれる界隈。

坂の名前の由来については「若宮八幡の神楽の音がこの坂まで聞こえてきたから」など諸説あるという。

雰囲気のあるいい街でした。

実は私の父が浅草、母が若かりし(二十代)頃、この神楽坂界隈に住んでいたという。
函館の実家・隣り同士の二人が東京の空の下で過ごしていたとは、不思議な縁です。

なぜかこの街(浅草と神楽坂)に魅かれ、幾度となく訪ねたのも そんな想いがあったのかも知れません。

高倉さん

2014年04月20日 | 雑感
夏目さんの次は高倉さん というか あの健さんです。

健さんといえば、最近はいろんな人の名が出てくるのだそうです。 時代も変わるものですね。 

高倉 健著『あなたに褒められたくて』『南極のペンギン』『旅の途中で』の三冊を久しぶりに再読してみました。

健さんの祖先は北条氏。一門自害したが、北条篤時は子と共に鎌倉の地を逃れ九州に辿り着いたという。
若かりし時はそうとうな不良だったようです。
ボクシングに夢中に。 スキューバダイビング歴20数年。 催眠術もできるそうですよ。

         

 『あなたに褒められたくて』 

海外での仕事も多い健さん、無頼派作家・壇一雄の晩年住んでいたポルトガルの漁師の街サンタクルス
<宛名のない絵葉書>の章から始まるのですが、旅先で会った人々との交流。 
そして小林稔侍さんとの思い出。 他界した母への想い。

二十八章まであるのですが、どれも心打たれ暖かくなるエッセイでした。

  <ウサギのお守り>という章の文章を抜粋してみます。

   人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に想う人を、いや、むしろとっても大切な人をこそ、
   深く傷つけてきたような気がする。
   この人はかけがえのない人なんだ、もうこんな人には二度とは会えないぞ と思うような人に限って
   深く傷つけるんですねえ。 傷つけたことで自分も傷ついてしまう。
   そしていつのころからか、本当にいい人、のめり込んでいきそうな人、本当に大事だと思う人からは、
   できるだけ遠ざかって、キラキラしている思いだけを ずっと持っていたいと考えるようになってますね。
   卑怯なんですかねえ。


  文章もなかなかのもので、実はこの本、第十三回日本文芸大賞エッセイ賞受賞しているんです。

 『南極のペンギン』 にこんな話がありました。<ふるさとのおかあさん>の章

   母親想いの非常に強い人でもあり、丁度映画≪あうん≫の撮影中に母が他界。 
   葬儀に間に合わず一週間も遅れてふるさ とに帰り、線香をあげておがんでいるうちに、
   母親の骨を見たくなり仏壇の骨壺をあけ見ていたら、むしょうに母と別れ たくなくなって、
   骨をバリバリかじってしまったとの話も。
   そばにいた妹たちに「おにいさん、やめてっ!」と悲鳴が、、、頭が変になったのかと思われたようです。


  この本は絵本になっている。

 『旅の途中で』 ではこんな告白も。<赤いガラス玉>の章

   大学時代(明大)新宿に遊郭があり、雪の降る日そこへ行った時のこと。
   ある事情でさんざん待たされ帰ろうとした時、そのお姉さんが
   学生服を着た貧しい学生と思ったのでしょう。
   「これ質屋さんに入れてなにか食べて帰りなさい」と言われ渡された赤いガラス玉。
   言われた通りに質屋に入れ友達に景気良くおごったという。
   身体を売らなければ生きていけない、世界中どんな法律を作っても、未だにこの哀しい生業。
   「遊女の心意気」だったかもしれない。自分にとっては「ルビーの指輪」。
   雪を見ると時々ふっと思い出されるという。
   あの時のお姉さん、まだ元気だったら、どうかお幸せでいてください。
   僕も一生懸命頑張ってます。
 

健さんももう80歳を過ぎた年齢に。 コーヒー色に染まってきた健さん  いい色です。

      
                                            (映画「あなたへ」打ち上げ時)


夏目さん

2014年04月18日 | 雑感
夏目房之介著 『孫が読む漱石』 を読んでみた。

文豪・夏目漱石が遺した名作10数作品の批評に挑んだ書である。
(房之介・夏目漱石の孫。1940年生、マンガ評論家・マンガ家・エッセイスト、著書「漱石の孫」で知られる)

   

夏目漱石の講演集 『私の個人主義』 にこんな言葉があるという。

  「元来 国と国とは 徳義心はそんなにありやしません。 
        詐欺をやる 誤魔化しをやる ペテンに掛ける。 滅茶苦茶なものであります。」
 


続けて孫・房之介氏はこう語る。

  惚れぼれするような啖呵である。 

  自分の正義をふりかざしてテロリスト国家を脅し、根拠薄弱なまま戦争に追い込む米国。
  一方で違う正義を唱えながら国家体制を守るたえに反米反西洋を自国民扇動に使う国家群。
  そして彼らの戦争に、当の国家住民にとっての義が無いと知りながら協力する国家群。

  それらの国々の情報制御をみれば、いずれも徳義心のない詐欺・ペテンのたぐいだと。
  俺たち個人の方が、よっぽどましじゃねえか、、と。


ん~なるほど。 欧米を初めとする大国も、そう日本も詐欺・ペテン師のたぐいか! 

見事に言い当てておりますね。 痛快です。 

実は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』など数冊しか読んでおらず、漱石についての評論等も難解で手に負えないイメージが私の中にありました。でもこれを機に今一度<漱石>も面白いかな、そんな思いのする本でした。


戦後 (パートⅣ)

2014年04月16日 | 雑感
(戦後パートⅠ)  (戦後パートⅡ)  (戦後パートⅢ) に次ぐ(戦後パートⅣ)です。
少し長くなり恐縮ですが、読んでみて下さい。

日本人・西野留美子著『七三一部隊のはなし』と中国人・韓暁(ハンシャオ)著『七三一部隊の犯罪』を読んでみた。
両著とも実際に元部隊員並びに被害者とされる人物への聞き取りを網羅したノンフィクションである。

我々戦争といえば太平洋戦争をイメージするが、その終戦の15年前から日中戦争の始まった頃、中国のハルピン南方の町平房(ピンファン)に七三一部隊という細菌武器を研究・実験使用した特殊部隊があったという。

 
(平房(ピンファン)にある遺跡とされる建物)   (七三一部隊平面図と組織~『七三一部隊の犯罪』添付より) 

北京や南京、シンガポールにもあり、中国だけでも現在遺跡としてあるのは21ヶ所とのこと。
七三一部隊の統括は新宿の軍医学校がトップ機関。

ペスト菌・炭疽菌・コレラ菌・チフス菌など月に数百キロ単位で生産、パスト菌を植え付けるネズミの飼育も。
驚いたことに、このネズミの飼育を日本全国・特に埼玉県農家で生産されたものが現地へ送られていたという。


平房(ピンファン)だけでもマルタ(囚人)と呼ばれ人体解剖・殺戮された被害者は3000人ともいわれる。
(『七三一部隊のはなし』では3000人。『七三一部隊の犯罪』では3000人~10000人との記述あり)

中国にその細菌が飛行機でばらまかれ、≪日寇侵華暴行録≫によると1937~1945年の8年間で細菌による伝染病に罹った人は120万にものぼるとあった~『七三一部隊の犯罪』より。

著書にあった身も震える程の残酷さはここでは記さないが、細菌人体実験の他に凍傷人体実験等もあり、マルタ以外にも中国一般人にも・モンゴル人・ソ連人そしてフランス人に対しも人体実験されていたという。

1945年ソ連が参戦し満州へ進行した翌日、知られるのを恐れ軍は人体実験設備・細菌兵器・建物設備・残らず爆破。残されたマルタは全員殺戮され証拠隠滅が図られた。

しかし、なぜか戦後の東京裁判では石井四郎隊長ほか≪七三一部隊≫関係者一人も裁かれていない。 
七三一部隊の研究データを独占するため、戦犯として裁かないことを決めたという。摩訶不思議である。

(その後朝鮮戦争・ベトナム戦争でそのデータで作られた細菌が使用されたとの疑義も)

しかも戦後(1953年の朝鮮戦争後まで)埼玉でのネズミ飼育は続いていて、その主な送り先が、アメリカの細菌戦研究部隊であるJ二C四○六部隊であったというではないか~『七三一部隊のはなし』より。


いま中国・韓国・ロシアとの関係は領土問題も絡み最悪の状態。特に歴史認識の違いが大きな原因。

『七三一部隊の犯罪』を書いた中国人著者・韓暁(ハンシャオ)氏は著書の中でこう語っておりました。

     歴史を忘れないということは、古いツケにいつまでも拘るということではない。
     歴史の経験と教訓を汲み取り、このような歴史の悲劇が二度と繰り返される事を防ぎ、
     さらに各国間の平和・平等・友好の関係を発展させることである。


出来うる限り歴史を学び、見つめ、互いの理解を深めるしか平和への道はない。 そう言っている気がした。 

この≪七三一部隊≫。 森村誠一著『悪魔の飽食』で一大センセーショナルが巻き起こったことが思い浮かぶ。 

森村誠一著(日本共産党機関紙「赤旗」の下里正樹氏取材に基づいた)『悪魔の飽食』の写真26枚中20枚がねつ造写真との疑惑が。近年、米国立公文書館が731部隊に関する情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開したが、人体実験や細菌戦を行った証拠は見つからなかったとも。

喧々諤々。未だにその真意・疑義・謎の部分が多い。

1982(昭和57)年4月6日、国会議員の質問に対し、厚生省(当時)は内部資料をもとに、部隊員総数(3599人)などを回答した。日本政府が公式に731部隊の存在を認めたのは、この時が初めてである。
しかし731部隊の人体実験と細菌戦の実行については認めず、今もその態度を変えていないという。

 真実だ 捏造だ そうだ いや違う 左だ 右だ との両極論がなぜ多い 人間 不思議。


幸せになりたかったら

2014年04月14日 | 雑感
誰かが言っておりました。
生きがいとは、、、らっきょの皮を剥(む)くようなもの、、、剥いても剥いても皮ばかり。


じゃ幸せって、、、なんだろうねえ。

 開高健の著書「オーパ」では・中国のコトワザより

   1時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。

   3日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
 
   8日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。

   永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。



 夢枕 獏の著書「釣り時々仕事」では・イギリスのコトワザより

   1日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。

   1週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。

   1ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。

   1年間幸せでいたかったら、新しい家を建てなさい。

   もし、一生幸せでいたかったら釣りを覚えなさい



ん~ どっちも 釣りかあ めったに行かないしなあ!

せめて 一日でも幸せに 明日 床屋でも行くことにします!


小保方さん

2014年04月14日 | 雑感
さて今大変なことになっているSTAP細胞・小保方さん問題。  

毎日毎日テレビはそればかり。  観ている私もそればかり。  日本はどう考えても平和だ。

面白い人が小保方さん問題を語っている。 
武田邦彦さんという人の~小保方さん問題への論評です。 

  下記クリックして観て下さい

    その①  論文に対する考え方・特許出願と論文

    その②  博士論文とコピペ・科学論文の著作権

    その③  正しいとは・理研の姿勢

    その④  科学における捏造とは


  この考え 少しほっとしますね。 切り口が 語りが 平和的で実にいい!

  科学とは、法律とは、世間とは、正しいとは、保身とは、じっくり聴けば考えさせられることが多くある。

  コピペは悪い事ではない、、、なんて この世知辛い世の中 きっと反対が多いのでしょうね。


読書三昧 (18) ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』

2014年04月11日 | 雑感
ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』(中倉玄喜翻訳)という紀元前ローマ共和制末期に書かれた本である。

シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』における台詞 ≪ブルータスお前もか!≫で有名。 暗殺されたあのユリウス・カエサルだ。
史上名だたる英雄で、自らの征服事業を自らが記し、書物(第1~8巻)を世に出した事例は他にないという。

     

ガリアとは古代ローマ人に呼ばれた、今で言うイタリア北部・フランスを中心とした地域だ。

これらの地域以外にもオランダ南部・ベルギー・ライン河以西のドイツ・スイス・エジプト迄支配は及び、古代ローマはこの英雄の活躍で大きく領土を拡大していった。この本は500ページにもわたるが民族の特徴やら戦略等が詳細に書かれており、当時(紀元前58~50迄)の様子が克明に記されている。

民族同士に戦わせる戦法などは、大国が小国民族に代理戦争させる現代のやり方と酷似。

ガリア地域にはケルト人が住んでいたが、ケルト人はローマ人やゲルマン人の支配を受け、民族としての独自性を無くしていき辺境に追いやられ、アイルランド・スコットランド・イギリスのウエールズ地方やコーンウオール地方・フランス北西部のブルターニュにその文化を残しているのみ。

18世紀から19世紀に入りこの民族に対する関心が高まり、オーストリアのハルシュタットやシスのラ・テーヌで相次いで遺跡が発掘される。こうした発見や研究から、古代ギリシャや古代ローマをもっぱらヨーロッパ文明の源流としてきたそれまでの歴史観に修正がせまられ、現在ではケルト文化に対し正当な評価が与えられ、注目もされてきている。

あの松本清張氏もケルト文化に注目し現地に赴き調査した一人である。

その著書『松本清張のケルト紀行』(NHK出版)で。

  ローマ軍に蹴散らされたケルト人はヨーロッパのいたるところを漂泊して諸処に定着した。
  ヨーロッパの地名でケルト語に因縁のあるものは、どれだけあるかしれない。
  ヨーロッパはケルト人が作ったといってもよいと極言する学者すらある。

                                          と記述している。

それにしても古代史は面白い。古代史から見えるものがあるからである。

ガリア(ケルト人)で人間としての価値を認められているのは、二種類の人種だけでそれ以外の民衆は殆ど奴隷。
その二種類の人種とは、ドルイド(祭司)とそれに騎士だけという。
(ドルイド教はキリスト教が普及する以前から彼らが信仰していた)

この著書の中で、こんな言葉をみつけた。
 (第6巻 ーガリア人の制度と風習ー)より

  ≪ドルイドが第一に教えることは、霊魂の不滅と転生である。

   かれらによれば、これこそ死の恐怖をおさえ、勇気を鼓舞するものにほかならない≫



古代ヨーロッパには600もの民族がひしめき合って、戦いに明け暮れたていたという。

霊魂の不滅と転生は純粋な宗教心から生れたものと、私なんぞは思っていたのですが、実はやはり一握りの疑政者により、いいように生み出されたもの。

とは断言できないまでも、なぜかそんな思いがフッとよぎってしまう。

       
     ドルイド十字架(写真インターネット)           巨石文化(当ブログ・ストーンヘンジ)  

ストーンヘンジには、ケルト民族によるドルイド教の礼拝堂説というのがある。
毎年夏至のその日にドルイド教徒はここで儀式をするという。見学者その数およそ数万人ともいわれている。

本を読んでいて、勝ったカエサルよりもやられたガリアの方に眼がゆく。 不思議とそんな本だ。

読書で旅する(ロシア)

2014年04月09日 | 雑感
いまバングラディッシュを旅している仲間がいる。 今夏には四回目のスイスの予定という。 
帯状疱疹を抱えても酒は切らさずの一途な旅。 気力と酒へのこだわりには頭が下がりますぞ。


スノーマンはまたしても気力と資金不足が崇り、今回も本の中での旅を余儀なくされた。 
好奇心だけはまだある。  旅先は『ロシア』である。


   ≪読んで旅する『世界の歴史と文化』 原卓也監修≫ 
   ≪『レニングラード物語』 NHK取材班 ≫
   ≪『憂愁の作曲家 チャイコフスキー』 志島栄八郎著≫
   ≪『プーチンの帝国』 江頭 寛著≫ 
   ≪『地球の歩き方』 ロシア編≫        
   ものは考えよう。これらの五冊を読ん七泊八日のロシア旅としゃれこんだ。

ロシアは今、ご存じのようにウクライナ・クリミア半島をめぐり世界を震撼させている。
この国、どう読んでも測りえぬ不思議な国である。

先日の北海道新聞に『クリミア危機』と題し、ロシアはなぜクリミアにこだわるのか、との記事が掲載されていた。
プーチンは3月18日「クリミアはロシア国民の心の中で祖国の切り離せない一部だ」とクレムリンで演説をしたとされる。

当然欧米は怒るとは思うが、私なんぞは ん~! なるほど、、と思ってしまう自分がいた。

確かに武力をチラつかせての領土獲得は決して許されるわけではないが、、。
どちらも新政権を認めてはおらず、泥仕合の展開が続いている。
更に本日の朝刊でも、ウクライナ東部でも共和国宣言続々の記事が、、互いに譲るはずがない。
が、考えてみれば地球全ての領土は分捕り合戦の歴史。 戦争の歴史と言ってもいい。

ロシアも悲しい歴史をもつ国である。 どこを切っても血が吹き出る。

13~15世紀タタールの軛(くびき)と呼ばれるモンゴルによる支配の時代以降、16世紀に入り18代もの皇帝を出したロマノフ王朝による巨大な帝国の出現。宮廷・貴族・地主の贅沢三昧のもとでの悲惨な封建的農奴制度。
19世紀に農奴制度は解放されたはずが、むしろ農民の窮乏化が進み反逆の炎となってロシア革命に至るが、
皮肉にもレーニン・スターリン帝政の悲劇に繋がる。そしてペレストロイカの終焉とソ連邦の解体。

簡単に言えばこんなことになるが、簡単に言えないのがロシア。

その間幾度もの悲惨な戦争。そして国内での民族主義と西欧主義の争い。チェチェンなどの民族問題もかかえる。
とにかく100も超える民族が存在するばかでかい国。当然言語・宗教・文化もそれぞれ異なる。

最近チャイコフスキーとムソルグスキーを聴いているのですが、この二人の音楽にもロシアの歴史背景が見えてくる。

西洋楽派(チャイコフスキー)と国民楽派(五人組の一人・ムソルグスキー)。 融和か自立か。 西洋スパイスを取り入れるか、いやロシア伝統の栄光への郷愁を追い求める民族主義をとるかとの争い。

(西欧楽派~民族的土臭さがなく、西欧的洗練された貴族的上品さと大衆的親しみやすさを併せ持つ音楽)
(国民楽派~非ヨーロッパ民族を中心に隆盛した政治的・文化的独立運動と結びついたロシア的な民族音楽)


確かにチャイコフスキーのバレエ音楽の甘美・華麗な音楽とムソルグスキーの郷愁を誘う重々しい音楽にみてとれる。
チャイコフスキーは、五人組の排他的で極端な民族主義に対して、拒否反応を抱いていたし、五人組(バラキレフ・ムソルグスキー他)はといえばチャイコフスキーの初期作品に対し、西洋かぶれとして痛烈に批判。

音楽の世界にもこのようなせめぎ合いが常にあるようです。

欧米をとるかロシアをとるか。ウクライナ・クリミアをめぐる争いもその流れとも言えるのではないでしょうか。

日本は欧米に<おんぶにだっこ>ですから、北方領土問題はあるにせよ、反ロシアに組みするしかないのはやむなしですが、ちょっと切り口を変え世界の中でのロシアを見てみることも大切かも知れません。

7割の日本人はロシア(旧ソ連かも)を良く思ってないようですが、その逆ロシアの7割の人は日本のことを好意に思っている、、、そんな統計もあるそうですから。


     知にてロシアは解し得ず
     並みの尺では測り得ぬ
     それはおのれの丈を持てばなり
     ロシアはひたぶるに信ずるのみ

              F・チュツチェフ(ロシア詩人)


        

   わかった。ロシアは信じよう! ん? プーチンもですか?

渥美さんパートⅢ

2014年04月04日 | 雑感
渥美さん渥美さんパートⅡ≫に続く パートⅢです。

渥美さんの俳句(俳号・風天)をもっと知りたくて、森 英介著 『 風天 渥美清のうた 』 という本を読んでみた。

          

  渥美さん(通称・風天句)の220句すべてが網羅されていた。
  いい句ばかりですが、うち42句を抜いてみました。


  ≪ 勝手にスノーマン選ベスト10から ≫

       ○ 花冷えや我が内と外に君が居て
       ○ お遍路が一列に行く虹の中
       ○ 雲のゆく萩のこぼれて道祖神
       ○ ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
       ○ 村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
       ○ 流れ星ひとり指さし静かなり
       ○ 花道に降る春雨や音もなく 
       ○ 好きだから強くぶつけた雪合戦 
       ○ 赤とんぼじっとしたまま明日どうする 
       ○ そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅

 
       ○ ただひとり風の音聞く大晦日
       ○ いつも何か探しているようだナひばり
       ○ 土筆(つくしんぼ)これからどうするひとりぽつんと
       ○ 初めての煙草覚えし隅田川
       ○ がばがばと音おそろしき鯉のぼり
       ○ ポトリと言ったような気する毛虫かな
       ○ 髪洗うわきの下や月明かり
       ○ うつり香の浴衣まるめてそのままに
       ○ うつり香のままぬぎすてし浴衣かな  
       ○ うつり香のひみつ知ってる春の闇
       ○ 山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きるたのしさ
       ○ 梅酒すすめられて坊主ふふくそう
       ○ ひばり突き刺さるように麦のなか
       ○ 蓋あけたような天で九月かな
       ○ あと少しなのに本閉じる花冷え
       ○ ベースボール遠く見ている野菊かな
       ○ 月踏んで三番目まで歌う帰り道
       ○ すだれ打つ夕立聞くや老いし猫
       ○ いわせれば文句ありそなせんべい布団
       ○ おふくろ見に来きてるビリになりたくない白い靴
       ○ 肌寒く母かえらぬろ路に立つ
       ○ ようだい悪くなり苺まくらもと
       ○ ヘアーにあわたててみるひるの銭湯
       ○ 冬めいてションベンの湯気ほかりと
       ○ 立小便する気も失せる冬木立
       ○ 渡り鳥なにを話しどこへ行く
       ○ 背のびして大声あげて虹を呼ぶ
       ○ うなだれし柳と佇む新内流し
       ○ 打ち水をまつようにセミの鳴き
       ○ ちっちゃくて一匹で居る赤金魚
       ○ 雨蛙木々の涙を仰ぎ見る
       ○ 名月に雨戸とざして凶作の村

旅の句・悲哀の句・艶っぽい句・ふっと吹き出しそうな句。 風天句は それにしても 実にいい句ばかり。 

尾崎方哉のほかに、方哉の弟弟子・種田山頭火への想い入れも強かった渥美さん。
(山頭火は放哉が亡くなった3日後に行乞流転の旅に出たという)

友人でもある脚本家早坂暁さんのTVドラマで山頭火役を主演することになっていた。
ロケ開始の一週間前、渥美さんから『暁さん、寅が山頭火になったらみんなが笑わないかねえ』と言ってきた。
懸命に説得したが渥美の意志が変わらず、TVドラマからおりてしまい、NHKは急遽フランキー堺を代役に。

そんないきさつもあったようです。 いろいろ葛藤があったのでしょう。 

いやあ、方哉もしかりですが、渥美さんの山頭火も観たかったなあ! 

また、渥美さんはお遍路に強い興味を持っていたとのこと。


    
        (写真インターネット借用) 夕焼けは夜の虹かな?

幻の第四十九作は高知お遍路を舞台に、タイトルは≪寅次郎花へんろ≫に決まっていた。
渥美さんと山田監督はそのストーリーまで結構論議していたようです。
マドンナは田中裕子ゲストは西田敏行の予定だったとのこと。

  ○ お遍路が一列に行く虹の中

著者はこう記していた。
『なぜここまでにお遍路に強い関心を、晩年の心象風景ついての辞世の句であったのかもしれない』と。

(この句は死後、俳人・金子兜太(とうた)・稲畑汀子など錚々たる面々が監修・俳句のバイブルともいわれる
 『新日本大歳時記』に掲載されたことでも知られる)

  きっと 星めぐりの旅をしていることでしょう。

 昔、とある映画館の階段でばったり。握手を求めたら”あ~どうも”と言って丁寧にしてくれました。
 あの時の柔らかな手。 今でも忘れられません。
  ぜひ またお会いしたいものです。 銀河のむこうで そう遠くないうちに(笑)!

たまねぎの華

2014年04月03日 | 雑感
居酒屋でおもしろいアイデア料理を見つけた。

料理って言っていいのか、ようするに『 たまねぎの天ぷら 』だ。
でも、出てきたときは驚いた。 まるで菊の華。 

プロには敵わないが、作り方を聞いたので紹介することに。(居酒屋での写真は撮り忘れた)

   
   写真は自宅で真似てみたものだが、こんなにダラっとしておらず、もっとしゃきっとしていた。
   真ん中赤いのは・NINJINを添え、自作の葉皿に盛ってみた。


 ≪ 作 り 方 ≫

  ● たまねぎ一個に何箇所か切り込みをいれる。(8弁か12弁ほどか)
    勿論底を残しておかねばならない。このころ合いが難しい。

  ● ボールに水を張り一昼夜水に浸ける。
    驚くことに花弁が開くのである。 これがなんとも不思議で面白い。

  ● 天ぷら粉を水で溶き衣をつける。
    居酒屋では刷毛でぬると教えてくれたが、その辺は適当に。

  ● あとは油で揚げる。 ようは天ぷらだから。
    でもこれが最も難しい。 
    一個を丸ごと揚げるにはたっぷりの油と温度が必要。自宅では無理かな。
    ここがプロとの一番の違いのような気がする。

 簡単なようだが結構難しい。 でも一応上図のようにはなった。 
 塩を振って焼酎飲みながらいただく。 味はそれほど変わりなく どう考えても 天ぷらだ。


 焼酎は鹿児島芋焼酎「さつまゑびす堂 酔神の心」
 函館・五稜郭公園美術館前にあるラーメン店≪キッチン中華 あじたか≫オリジナルラベルの焼酎です。
 実は私の親友が営むお店。いただいてきたものである。 

 函館はやはり塩ラーメン。餃子も美味かった。 また会おうぜ! 
  
    

星野さん

2014年04月02日 | 雑感
渥美さん長岡さんの次は星野さんだ。 

亡くなった人ばかりですが、死んでその偉大さに気がつく、、これも人間のなせるワザか。

池澤夏樹著『旅をした人』という本を読んでみた。
著者が、自ら追慕してやまない星野道夫という友人のことを通して人間の生き方を問うたエッセイだ。

星野さんといえば、10数年前・ロシアのカムチャッカでグリズリー(熊)に襲われて43歳で死んだ写真家。
アラスカに魅入り写真を撮り続け、仲間と野生動植物・自然を愛した凄い男だ。 (1952~1996) 

まあ、本より写真を観ればその凄さが。

 

     

     

     

           

         

         

   

   
                             
写真集多数。 星野道夫著書に 『アラスカ 光と風』 『旅をする木』 『長い旅の途上』 などがある。

アラスカはマイナス50度にまで下がる厳寒の雪の世界。 苛酷な自然は、人々をふるいにかける。ある者はこの土地を去り、ある者は根をおろす。そのふるいとは、冬のことであるという。

 『長い旅の途上』にこんな文章が。
        (アラスカ山脈の冬 自然の猛威) の章より

    「きっと、同じ春が、すべての者に同じようによろこびを与えることはないのであろう。 
    なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっていうからだ。
    冬をしっかり越さないかぎり、春をしっかり感じることはできないからだ。
    それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている」

                                                 ん~!
また冒頭に 
    「きっと、人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」、、とあった。

 それにしても 凄い写真。 凄い人もいたものです。


渥美さんパートⅡ

2014年04月01日 | 雑感
居酒屋での話である。

『渥美清は晩年、噂では女性問題があったということですよ』、、、なんていう話を耳にした。

前回のブロク渥美さん゛・付き人回顧談でもそんな話は一切出てこない。心酔している私としては聞き捨てならず。
早速インターネットで色々調べてみたのですが、まったくそんな情報は極微にも見られない。  

しょせん 酔客の がせねたか!?

どうであろうと人間である限り、銀河の果てまで持っていかねばならない想いのひとつやふたつ 誰にでも。

まあ、そんなこと どうでもよろしいとして。 

それより今回の調べで、渥美さんが晩年、「密かに」俳句作りを楽しんでいたことを始めて知った。
無類の読書家で、若かりし時には哲学書や随筆ばかり読んでいたというなかなかのインテリ。

            

45歳の時始めて句会に参加しそれ以来とのこと。 俳号は寅さんらしく『風 天』(ふうてん)だそうだ。
 
渥美さんが晩年山頭火・方哉に心酔していたことは、前回のブログで記しましたが<なるほど>との思いです。

  いくつか紹介します。

     花道に降る春雨や音もなく 

    村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ 

    コスモスひょろりふたおやもういない 

    好きだから強くぶつけた雪合戦 

    赤とんぼじっとしたまま明日どうする 

    お遍路が一列に行く虹の中


心酔していた種田山頭火や尾崎方哉の句と似た、型にこだわらない いわゆる自由律俳句。

おだやかな なかなかいい句ばかりです。